009 重なる声
スキップ。
それは小さいジャンプを交互の足で連続させる歩行法。
幼女がやると可愛いのだが、あまりエネルギーの効率が良くないといわれている。
「ふっふふっふふふ~ん♪」
社長がぴょんぴょんとツインテールを揺らしている。
『夕食を俺にごちそうしてあげること』がそんなに嬉しいのだろうか。
だとすれば部下冥利に尽きるといえよう。
俺は歩くペースを早めつつ、小さいお尻を三メートル後方から追いかけている。
するとご機嫌だった社長が、
「うにゃあ!」
と不吉な声をあげて突然しゃがみ込んだ。
これは全身の血液が一瞬で冷えるシーンといえよう。
「大丈夫ですか?」
「うううぅぅぅ~、マサく~ん」
「トラックに轢かれた猫みたいな声がしましたけれど」
「やばい。足首、くじいちゃった……メチャクチャ痛い……」
社長の顔はすでに涙目だ。
小さい手でくるぶしの辺りをスリスリしている。
どうやら着地のタイミングで足首を内側にひねっちゃったらしい。
「慣れないのにスキップなんてするからですよ」
「だって、仕方ないじゃん。子どもは楽しいときにスキップしたくなるんだよ。マサくんも昔はやったよね?」
「いや、俺はスキップできない側の人間なんで」
「なぬ? その選択肢があったか」
俺はやれやれと首を振った。
オフィスまでの距離は300メートルくらい。
痛がる社長を歩かせるわけにはいかないだろう。
タクシーを呼ぶか?
俺の肩を貸してあげるか?
娘の脚がダメになったとき、全国のお父さんなら何をするだろう。
「乗ってください」
俺は背中を向けてしゃがみこんだ。
「なんのつもりだ?」
「この距離でタクシーを使うわけにはいかないでしょう。俺が社長の乗り物になりますよ」
「いいの? 運んでくれるの? 頼っちゃうよ? 社長命令しちゃうよ?」
「無理して歩いても痛くなるだけです。それに俺の体よりも社長の体の方が大切じゃないですか。うちの会社としては」
俺の選択はおんぶ。
我ながら悪くないアイディアといえる。
「やった。マサくんのおんぶだ!」
「これは遊びじゃないんで。バタバタする元気がある人は降車していただきます」
「わ~い!」
社長は笑顔を炸裂させており、手のひら返しを食らったような気分にさせられる。
まったく、こっちは本気で心配しているのに……。
「ちゃんとつかまっていてくださいよ」
「りょ~かい」
俺はゆっくりと両足に力を込めた。
「たっのし~! これが大人の視線の高さかぁ~!」
背中の社長がきゃっきゃと楽しそうに笑い、俺の首筋にぎゅっと抱きついてくる。
さすがに周りの視線が気になるな。
俺がそう思うのは自意識過剰なせいだろうか?
「怪我人なのですから! 少しは自重してください!」
「え~、別にいいじゃん。ほら、頭をナデナデしてあげる」
「うわっ! 恥ずかしい! 周りには一般人がたくさんいるのですから!」
「だったら仲が良いところをもっと見せつけないとね~」
「まったく、あなたって人は……」
なんて罰当たりな天使なのだろう。
そう思わなければやっていられないほど、心臓がバクバクと暴れていた。
それにしても幼女というのは不思議な生き物である。
大人の女性が相手であれば、ここまで気安くは接触できないだろうから。
「ちょっと、そこの君たち!」
路上でイチャイチャしていると、いきなり声をかけられた。
誰かと思えば犬神警部補だ。
さっぱりとしたショートカット。
鍛えられた肉体。
イケメン幼女として名高いことは周知の事実である。
どうやら付近を巡回中らしい。
俺たち二人組に対してセンサーが反応したわけか。
「何でしょう?」
「怪しい関係……じゃないよね?」
下からまじまじ見つめてくる犬神。
こういう時、視線を外すと怪しまれてしまう。
「え~と、この人は俺の上司でして」
「うん、足をダメにしちゃったから運んでもらっているの!」
社長がひょっこりと顔をのぞかせた。
それまで真剣だった犬神の顔つきが変わる。
「あっ! あなたはもしや!」
「ん? どこかでお会いしたことがあるような……」
「幼女コレクションをつくった会社の瀬古いのり社長では?」
「そういうあなたは確か……」
犬神がひとつ咳払いをする。
「私は犬神です。いのり社長の噂は常々うかがっております」
「えっ? 幼女機動隊の犬神警部?」
「警部ではありません。まだ警部補です」
「そっか。犬神警部補か。思ったよりも可愛らしい顔をしているんだね。写真だともっと凛々しいから」
「可愛らしいなどと……。いのり社長ほどではありません」
犬神は恥ずかしそうに横を向く。
いつもはクールな印象があるだけに意外な一面といえそうだ。
「あの~」
「あの~」
ふたりの声が重なった。
「「握手してもらってもいいですか?」」
思わず吹き出してしまう社長と犬神。
どちらの顔も心底から嬉しそう。
「ええ」
「もちろん」
社長たちが握手できるよう、俺は腰の高さを落とした。
すると必然的に犬神のイケメン顔を近くで観察することになる。
「午後のお仕事も頑張ってください」
「ええ、お互いに」
普段ではお目にかかれない有名幼女によるコラボだ。
晴れやかな犬神の表情を、俺は心のカメラに保存した。
「君は何という名だ?」
「俺は須田っていいます」
犬神に、ぽん、と腰を叩かれた。
「いい上司に巡り合えたんだね。君の会社のお陰で、たくさんの幼女が楽しい毎日を送れているよ」
「どうも……ありがとうございます」
「それと……」
犬神の目つきが仕事モードになる。
たった30秒ほどで周りの視線が増えていたのだ。
『ねえ……』
『あれって……』
『ランキングの人かな?』
そういう声を聞くと耳の奥がこそばゆい。
「あんまり長居するとギャラリーが増えそうだね。ここらへんで失礼させていただこうか」
犬神は肩越しに手を振りながら去っていった。
その格好いいショートカットを揺らしつつ。