088 女王の王冠
小麦色の牡蠣フライを頬張る。
サクッとした食感の衣を破ると、クリーミーで濃厚な味わいが口いっぱいに広がった。
それから牡蠣のオーブン焼きに手をつける。
特有の香りは残しつつも、バターや香辛料が味のアクセントになっており、食べだしたら止まらなくなる。
「おいしいね」
社長は久しぶりの牡蠣に舌鼓を打つ。
「ですね」
社長だけを見つめていると、今日の目的を忘れそうになる。
「マサくんも何か飲む?」
「いえ、遠慮しておきます。お水で大丈夫です」
「私のことは気にしなくていいのに。控えめな性格だな〜」
「お酒を飲んだら料理の味がわからなくなりますので」
これは嘘じゃない。
社長ほどじゃないが、俺もアルコールは強くない。
神宮寺は少しも酔っていない様子であった。
すでにグラスを二杯空けたが、しゃべりは理論整然としているし、顔色だって変わらない。
姫井はほんのりと頬をピンク色に染めている。
そしてワインを飲むペースを少し落としている。
「これは最後のプレゼントです。神宮寺さんの好きなマグカップです」
姫井がラッピングされた箱をテーブルに置く。
「いま開けてもいいのか?」
「どうぞ」
神宮寺が取り出したのはピンク色のマグカップであった。
「ピンク色って……女の子かよ」
「コレクションの写真を見せてもらったことがあります。ピンク色が欠けていたので追加しておいてください」
「なるほどね。たしかにピンク色はなかったな」
神宮寺は取手に指をかけると、使い勝手を確かめるように飲む仕草をした。
「幼女が使うには少し重いな」
「割れにくい素材でつくっているそうです。ぜひ棺桶まで持っていってください」
「そうだな。その頃にはピンク色も少しは色褪せているかもな」
神宮寺はマグカップを大切そうに箱へ戻した。
「私からもプレゼントがある」
ショルダーバッグから包みを取り出した。
「いつもゆり姫には世話になっているから」
姫井が慎重な手つきで開封する。
一組のカップ&ソーサーが見えた。
「このブランドは……英国王室御用達のものじゃないですか。よくこんな高級品を買おうと思いましたね」
王冠のモチーフ。
エレガントな金の装丁。
若き女王をイメージしたピンク色の花がちりばめられている。
あいにく俺にはティーカップの相場がわからない。
姫井の反応から察するに一万円以上はしそうだ。
「自信がなかったから……誰かにプレゼントを贈るのは」
「それで高そうなやつを選んだと?」
「間違いないと思って」
「単純ですね。でもそこが神宮寺さんらしい」
姫井がクスクスと上品に笑う。
「なんだよ? 社長以外の前だと笑えないんじゃなかったのか?」
神宮寺は呆れたようにいう。
俺もさっきから気になっていた。
姫井の透き通るような笑い声を聞くのは初めてだ。
「さあ。なぜでしょうか。神宮寺さんの前だと自然に笑えます。これは新発見です」
「新発見って……笑えるのは普通なんだけどな」
「それに社長の前では……」
姫井がチラリと社長の方を向いた。
そして何事もなかったかのように視線を神宮寺に戻す。
「笑うというよりデレているので。あの人には不思議な魅力がありますので。ちょっと特殊な精神状態になっているので」
神宮寺が虚をつかれたように手を止める。
その口元がくしゃりと笑う。
「なんだよ。ゆり姫はいつも回りくどいな」
「正確には神宮寺さんの前でしか笑えない。単刀直入にいうとそういうことです」
「それって……」
また神宮寺の手が止まる。
そしてなかなか動き出そうとしない。
「神宮寺さん、僕に笑顔をくれてありがとう。湿っぽい表現をするとそういうことです」
「やっぱり回りくどいじゃないか。素直じゃないよな」
「そういう性格なので。悪しからず」
それから神宮寺と姫井は久しぶりに再会した家族のように談笑した。
どちらの口からも泉のように言葉が流れてくる。
「そろそろ行こうか」
社長が口元を拭いながらいう。
「ええ、俺たちは帰りましょう」
席を立つ。
一度だけ後ろを振り返ってからまた歩き出す。
『私でさえ悔やまない日はない。いのりはもっと悔やんでいる。この一年間は特にだ』
そのセリフを伝えられた。
神宮寺が代わりに届けてくれた。
そんな親友を持っている社長のことが少しだけ羨ましい。
「複雑だなって思いました」
俺は帰りの電車の中でいう。
「組織って誰かが何かを犠牲にしないとダメなんですかね?」
社長が細いため息をもらす。
「そんなはずはないけれども……」
日曜日の電車。
スーツ姿のサラリーマンがいる。
窪んだ目のところが黒ずんでいる。
俺と変わらないくらいの年齢。
なのに目だけが異様に老けている。
「少なくともうちの社員の幸せくらいは私が守りたいかな」
神田駅についた。
人影の少ないホームを横切っていく。
「もし姫ちゃんが会社を見限るのなら、私はこの舞台から降りるよ。負けだから。会社を続ける意味がないから。……会社を清算してさ。お金を八等分してさ。みんな平等に分け合えるよう調整してさ。この都会に別れを告げる……そしてね……」
俺たちを降ろした電車が去っていく。
ツインテールが風に揺れる。
「南の島で暮らそうよ。マサくんと一緒に。喫茶店でも営みながら。営業時間が一日三時間くらいのカフェ。お客さんが来ない日もある。軒先では猫が日向ぼっこしていてね。遠くから海の音が聞こえるの。庭の木には果物がぶら下がっている。楽しそうでしょ」
俺は与えられた情報をイメージしてみた。
楽園のような景色が思い浮かんだ。
「当分先のことになりそうですが……」
「そうなるといいよね」
小さいけれど頼りになる背中。
俺は今日も追いかけている。




