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086 プレゼント

 水中観光船。

 マリンパーク。

 海岸をゆっくりと散策する。


 朝から晩まで社長と遊べるなんて夢のような経験だ。

 一泊できたらいいのにね、なんて会話しながら帰りの電車に乗り込む。


「ふわぁ……眠くなっちゃった……」


 電車が走り出すなり、社長はたちまち寝落ちしてしまった。

 オフィスワークが染みついた体にはハードな一日だったのだろう。


 俺はぼんやりと外の景色を眺めている。

 キラキラと夕日を反射する海に楽しかった記憶が重なる。


 社長の寝顔。

 とても幸せそうな表情をしている。

 唇のところにタッチすると、お口がモグモグと動いた。


 どんな夢を見ているのだろうか?

 そんな野暮ったいことを想像したときに、強烈な睡魔が俺を襲ってきた。


 沈むように落ちていく……。

 淡い夢の世界へと……。




 十年後の社長がいた。

 純白のワンピースを着ている。


『マサくん……』


 ちょっとだけ大人びている声。

 とても長い睫毛をしている。


 成長した体を服の上から抱きしめてみたい。

 それを願ったらあっさりと実現した。

 拍子抜けしそうなほど簡単に。


 次は何をお願いしようか?

 俺はそんな恥知らずなことを考える。


「……ねえ、マサくん」


 また社長が呼んでくる。

 さっきよりも高い声のトーン。


「……起きてよ。終点だよ」


 ちょんちょんと肌を突いてくる感触があった。

 紙風船がしぼむように夢が破れていく。


「早く起きないと。……じゃないとマサくんが私に何回キスしたのか、みんなにバラしちゃうよ」

「……えっ? うわっ⁉︎」


 俺の眠気は一瞬にして吹き飛んだ。


『……この電車は当駅止まりです。お忘れ物のないようご注意下さい……』


 アナウンス音が耳に入ってくる。

 大勢の人が行き交う駅のプラットホームが見える。


 これは夢じゃない……鉄とLEDライトとコンクリートでできた都会へと帰ってきたのだ。


「口からヨダレが垂れているよ」

「そんな……情けない……」


 社長がニコニコと笑っている。

 悪戯に大成功した子どものように爆笑する。


「な〜んてね! 嘘だよ! 温泉でマサくんがこちょこちょしてきたから、その仕返しだね!」

「まったく……」


 俺は負けを認めるように渋面をつくった。


「早く降りないと。あすかたちを尾行するから」

「ですね」


 旅行は終わりではない。

 大切なイベントがひとつ残っている。


 品川駅近くにある牡蠣(かき)料理のお店。

 そこのディナーを予約しているのだ。


 なんでも姫井たちにとっては思い出の場所らしい。

 幼女株式会社のルーツがそこにあるという。


 俺たちはニューヨークの牡蠣レストランを再現している店内に入った。

 ドーム型の天井と古き良きアメリカの雰囲気が印象的だ。


「瀬古です。二名で予約しています」


 女性のウェイターに席まで案内してもらう。

 ふたつ隣のテーブルでは、神宮寺と姫井がにこやかに雑談し、一日の思い出話に花を咲かせていた。


「ゆり姫はビビリだよな。ただのワンちゃん相手なのに、顔を真っ青にしてさ」


 神宮寺がグラスの水に口をつけながらいう。


「ただのワンちゃんって……全長が1.5メートルはありましたよ! 幼女がラクラク乗れるサイズですよ! あんなのが近づいてきたら失神します! 冗談抜きで食べられます!」


 姫井が手で犬の大きさを表現する。


「まあ、ゆり姫は美味しそうだもんな。それで舐めてみたくなったんじゃねえか?」

「僕は体が小さいですから。食べられる部分が少ないと思いますが……」

「ケッケッケ。いえてるな」


 熊サイズの大型犬に遭遇したらしい。

 幼女の視点であれば化け物に見えるだろう。


「今日は神宮寺さんにいくつかプレゼントがあります。会社の業績に貢献してくれたご褒美なのです」


 姫井が手をあげてウェイターを呼ぶと、手短に要求を伝える。


「へえ、それは楽しみだな」


 神宮寺が髪を耳にかけながらいう。

 男ならドキッとする仕草。


「本当は社長からプレゼントすべきなのですが。今日は予定があるということなので、僕がその代理です」


 社長も近くにいるのだが……。

 当の本人はニヤニヤと頬を緩めている。


「神宮寺さん、四年前の今日、僕たちはこの場所で出会いました」


 姫井がとても真剣な目つきでいう。

 神宮寺の顔から笑いがひいた。


「僕と神宮寺さんと社長の三人、ちょうどこの席に座っていたのです」

「日付を覚えていたのか? それで今日を選んだと?」

「そうです。会社のもう一つの誕生日です」


 ウェイターがワインボトルを運んできた。

 そのラベルを姫井と神宮寺に示す。


「ちょっと待て。ゆり姫、私はいま禁酒をしている」

「知っています。急なトラブルに備えるためですよね。大好きなお酒を控えている」

「まあ……そうだな……」


 神宮寺がバツの悪そうな顔をした。


 神宮寺はお酒を飲まない。

 忘年会。

 新年会。

 打ち上げ。

 それらの場所で一切のアルコールをシャットアウトしている。


 社長がいっていた。


『24時間365日お酒を飲まない。そういうプロ意識も評価しているんだ』

『誰にも見えないところで努力する人』


 神宮寺は天才なんかじゃない。

 人一倍に努力する天才だ。


 だから尊敬される。

 社長も姫井もこの人物には一目置く。


 会社の序列は三番目だとしても、社長と同じくらいの、下手したらそれ以上の貢献をしてきた。


 絶対的なエース。

 この人が白旗をあげたら幼女株式会社は終わる。


「四年前に飲んだワインと同じ銘柄です。製造年も同じものを選びました」

「わざわざ今日のために?」

「いいえ、違います」


 姫井は首を振る。


「神宮寺さんのためです」


 いつもは冷たいブルーサファイアの瞳が熱を帯びる。


「神宮寺さんは禁酒をしている。一人だけ重荷を背負っている。それを今日で終わらせてください」


 神宮寺はなかなか頷かない。

 エースとしての意地がそれを許さない。


「もっと仲間を信頼してください。もっと仲間を頼ってください。僕や社長や須田くんを。加賀美さんたちを。……僕は人に頭を下げるのが嫌いです。でも今日ばかりは頭を下げます。……神宮寺さんには仕事以外の楽しみを見つけてほしい。これは切実なお願いなのです」


 くすんだ金髪がテーブルの上に広がった。

 あの姫井が周囲の目をはばかることなく(こうべ)を垂れたのだ。


 神宮寺の目に動揺が走る。

 それを緻密に計算したような行為といえる。


「神宮寺さんは心優しい人ですから。こういう切り出し方をされたら、僕の願いを裏切れないですよね」


 いつもは北風のようにクールな姫井。

 それが太陽のような優しさを見せたとき、上着をしっかりと押さえていた旅人は、暑さに耐えることができず、自分から脱いでしまうのである。


 果たして神宮寺の選択は……。

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