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081 デレデレ海鮮丼

「社長、最近になって気づいたことがあるのですけれど……」


 俺は運ばれてきたお茶に口をつけながらいう。


「どうしたの? あらたまってさ」


 社長が小声で返してくる。


 俺たちが腰掛けているのは海鮮食堂のカウンター席だ。

 父子の演技をしながら、お座敷の席で談笑している……といっても姫井は体質的に笑えない……同僚を観察している。


 姫井が何かをいう。

 それに神宮寺が突っ込む。

 とても和気あいあいとした空気。


「神宮寺さん、右手を貸してください」

「あん? 急になんだよ?」

「手相を占います」


 神宮寺は自信ありげな様子で右手を差し出した。

 そこに姫井の真剣な眼差しが注がれる。


 神宮寺の手相か。

 かなり運気が強そうだな。


「はう……これはなかなか素晴らしい相が見えます。金運と仕事運が特にすごいです。さすが神宮寺さん。ですが……」

「ん? 何か問題でもあるの?」


 姫井はこくりと頷く。


「健康運のところに破滅の星が見えます。このままだと数年先が危ないです」

「マジかよ……いまはピンピンしているけどな」

「遠くない将来、五臓六腑が腐って死にます」

「笑えねえ……」


 まさかの死の宣告。

 神宮寺は苦笑いしている。


「ですが心配はいりません。まだ起死回生のアタックチャンスが残っています」

「本当かよ? というかゆり姫は手相とかわかるのか?」

「はい、師匠のもとで学びましたから」

「本格的なんだな」


 姫井はすくっと席を立った。

 トコトコと逆サイドまで歩いていき、神宮寺の真横に座りなおす。


 次は左手の相をチェックし始めた。

 ペタペタと触られる神宮寺が少し照れている。


「いいですか。恋愛に関する相はたくさん種類があります。……これが感情線。これが結婚線。これがモテ線。恋愛は人生に大きく影響しますから。すべてを複合的に判断する必要があります」

「私の場合はどうなんだよ? そもそも結婚願望がないぞ」

「神宮寺さんの場合は……」


 姫井の手がピタリと止まった。


「むむむ……とても奇妙な相ですね。運命の人は身近なところにいるのに、恋を成就させるのは苦労しそうです」

「もう面識があるってことなのか? いずれ転機が訪れると?」

「友だちの中に思い当たる人はいませんか?」

「さあな……」


 神宮寺が前髪をいじりながらいう。

 姫井は説明を続けた。


「しばらくは恋人未満の関係が続きます。何かのキッカケで恋愛パートナーに昇華します」

「しばらくって曖昧な表現だよな。何年くらいの期間とかわからないのか?」

「四年くらい……とかでしょうか。ちょっと自信がないです」

「つまり幼女株式会社が誕生してからの年数くらいか」

「そうなりますね。思い当たる候補者は?」

「いや〜、いないぞ」


 俺はお茶を吹きそうになった。


 いるいる。

 すぐ真横にいる。


「四年前に知り合った人間とか、ゆり姫が筆頭だしな。他の人たちもな……かなり微妙だな」


 神宮寺はダメ押しするようにいった。


「そうですか……。神宮寺さんの手相は複雑ですから。僕では先が読めません」


 姫井が残念そうに首を振る。


「破滅の星だっけ? 私の恋愛と何か関係があるのか?」

「運命の人を見つければ回避できます。しかし一回目のチャンスを逃すと人生が一気に暗転します。過労で倒れます」

「マジかよ。けっこう残念な人生だよな。私も少しは真剣に考えるかな。将来のこととか。結婚のこととか。人生なんてあっという間だし」


 俺たちの席に料理が運ばれてきた。


「わ〜い! 海鮮丼だ!」


 社長は全身で喜びを表現したが、その目は神宮寺たちを見つめている。


「ゆり姫はちゃんと自分の理想を持っていそうだよな」

「はい。僕の理想はなかなか高いです」

「どんな条件なんだよ?」

「それは秘密です」

「秘密って……」


 神宮寺たちの席にも海鮮丼が運ばれてきた。


 姫井の条件……。


 いつも気にかけてくれる人。

 些細な変化に気づいてくれる人。

 明るくて人望がある人。

 仕事に対する情熱がある人。

 社長と須田くんを大切にしていくれる人。


 この五つだったか。


 これは社長と神宮寺も知らない。

 俺と姫井だけの秘密である。


「一つだけ明言しましょう。相手が成人男性でも、成人女性でも、幼女でも構いません。そこは些細な問題ですから」

「些細って……まあまあ大きな問題だと思うけどな」

「人は外見よりも中身ですから」

「まあ……」


 ゆり姫がそれをいうのかよ……。

 物言いたそうな神宮寺の顔にはそう書いてある。


「僕たちも海鮮丼を食べましょう」

「そうだな。ほら、お箸と醤油」

「ありがとうございます」


 海鮮丼の具は七種類ある。

 タイ。

 白イカ。

 イクラ。

 ホタテ。

 サーモン。

 本マグロ。

 ボタンエビ。

 白と赤のコントラストが目の栄養にもなる。


 これにあら汁とお新香がついて一人前。

 豪華な食事といえよう。


「ゆり姫、具材を交換しようよ。私のホタテをあげるから、ゆり姫のイカをちょうだい」

「別に構いませんが……僕がイカを苦手にしていること、覚えていたのですか?」

「何年一緒にいると思っているんだよ。もう四年だぞ。当然じゃないか」

「はう……ありがとうございます。それではお言葉に甘えます」


 姫井は恥ずかしそうにうつむいた。

 そして意を決したように顔を持ち上げる。


「今日から神宮寺さんに優しくすると決めました。ですから僕の恋愛テクニックを教えて差し上げます。こういうお店では恋人にご飯を食べさせてあげるのです」

「えっ⁉︎ 恥ずかしくない⁉︎ だって周りには人がたくさんいるよ」

「だからこそドキドキするのです。実演してあげます」


 姫井はマグロを一切れ持ち上げた。


「はい、神宮寺さん。お口をあ〜んしてください」


 本物の恋人のように食べさせてあげる。


「どうですか? いつもより美味しく感じられませんか?」

「まあ……胸がソワソワするな」

「これが恋の魔法です」


 次はご飯を食べさせてあげる。


「相手が食べやすい量を心がける。気持ち少なめがいいです」

「……なるほど」


 姫井のレクチャーはまだまだ続く。


「次はちょっと高度なテクニックです。横並びのシチュエーションで活用できます。このようにご飯を食べさせた後に……」


 姫井はお箸を食べやすい位置に差し出した。

 それに神宮寺が食いつく。


「頬っぺたにお米が付いていますよ。そういってから……」


 姫井はうっとりと目を細める。

 そしてエサを(つい)ばむように唇を動かした。


 チュッ、と。

 神宮寺の頬にキスの跡を残していく。


「うわっ! びっくりした!」

「不意打ちのキスをします。お米は口実です。実際に付着していても、付着していなくても効果は変わりません。やったもの勝ちですから」

「かなり強引だな。心臓が破けるかと思ったぜ。ドキドキするな」

「どうです? 僕のことが急に可愛く思えたでしょう?」

「お……おう……本物のお姫さまみたいだ」


 どこか勝ち誇ったような表情。

 フランス人形のように美しい顔がいつもより活き活きと輝いている。


「行きつけの幼女カフェのオーナーさんに教えてもらいました。お口あ〜ん。からの頬っぺチュー。これで大抵の人は落とせます」

「小悪魔だよな。そのオーナーさん」

「最強の幼女メイドですから」


 カヲリさんのことか。


「ほら、何事も反復練習が大切です。もう一回やって差し上げます」

「えぇ……またやるの? けっこう恥ずかしいんだけれども」

「これが終わったら次は神宮寺さんの番です」

「うぅ……完全に怪しい人だよな」

「ほら。お口をあ〜んして」

「はいはい……」


 また姫井が頬にキスをする。

 さっきよりもデレデレになっている神宮寺。


「ヤバいな。この興奮は。頭では理解していても胸がドキドキする」

「練習ですらこの威力です。本番はもっと効きます。まさに鬼に金棒です」

「社長をすごいと思ったことは何回もあるよ。でも、ゆり姫のテクニックをすごいと思ったのは今日が初めてだ」

「神宮寺さんみたいに無防備な幼女ならイチコロです。いつもは本気を出していないだけです。封印状態なのです。この力が暴走したら自分でも制御できません」

「なんだよ。邪気眼かよ。ゆり姫はオリジナル設定が好きだよな」

「はい、堕天使・ルシファーの眷属ですから」


 邪気眼のくだりで社長がお茶を吹いた。


「瀬古太郎、食事中に笑ってはいけませんよ」

「ごめんね、パパ。ちょっと思い出し笑いしちゃって……」

「ならば仕方ありません」


 そういう俺も笑いをこらえるのに必死である。

 なので海鮮丼の味は半分くらいしか堪能(たんのう)できなかった。

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