079 幼女トイレ
品川駅から移動すること一時間ほど。
俺たちを乗せた電車は『三崎口駅』に到着した。
「社長、終点ですよ」
社長の体を揺すってみるが、まったく反応がない。
麻酔を打たれた猫みたいにぐっすり寝ている。
困ってしまった俺は最後の切り札をつかう。
社長の耳に手を当てて、
「会社に遅刻しますよ。もう八時半を過ぎていますよ」
とつぶやくのだ。
「うにゃあ⁉︎ 遅刻しちゃう⁉︎」
社長のツインテールがビクンと震える。
その反応が面白すぎて、俺はたまらず失笑した。
「なんだ、もう終点なのか」
「ほら、神宮寺さんたちの尾行を再開しますよ」
「あ〜あ。気持ちよかったな。もう一往復したいくらいだな」
社長が伸びをしながらいう。
「電車の移動が目的じゃないのですから。サングラスを忘れないでくださいね」
「は〜い」
降りるときに神宮寺と姫井の席をこっそりのぞいた。
「これは……」
俺たちが目にしたのは、熟睡中の神姫コンビである。
「車掌さんが起こしにくる前に保存せねば」
社長がスマートフォンを取り出して、ふたりの寝顔を撮影し始めた。
姫井は膝の上に麦わら帽子……じゃなくてストローハットを置き、体重を神宮寺の方へ預けて、くうくうと寝息を立てている。
くすんだ金髪が光を吸い込み、きらきらとシルバーに輝いていた。
神宮寺は背筋をぴんと伸ばした状態で眠っている。
パーカーを膝の上にかけており、鎖骨や肩といった部分がキャミソールから露出しているので、ちょっとだけエロい雰囲気がある。
並ぶと絵になる幼女カップル。
筋金入りの仲良しである。
「ねえねえ、マサくん……」
社長が胸をキュンキュンさせながらいう。
「ふたりが手を繋いでいるよ」
神宮寺と姫井の指が絡み合っているのだ。
これは恋人繋ぎというやつだろう。
甘える姫井の寝顔も可愛い。
「保存せねば。保存せねば」
「早くしてください。車掌さんに見つかると問題ですから」
三枚だけ撮影してから電車を降りた。
「あれ? ……おい、ゆり姫。起きろ。終点だぞ」
「うぅ……寝てしまいました」
「顔に跡がついているぞ」
「あう……お恥ずかしい」
「ずっと私にもたれていたよな」
「神宮寺さんの肩がちょうどいい位置にあったので……」
そういう会話が聞こえた気がする。
仕事で疲れているのは姫井も同じらしい。
「このまま改札を抜ける……でもその前に一つだけ……」
社長がお手洗いの方を指差す。
「私はトイレへ行ってくるよ。マサくんは?」
「俺は平気なのでここで待っています」
「うん、すぐに戻るよ」
俺は時間を潰すためスマートフォンを取り出した。
その前を神宮寺と姫井が通り過ぎていく。
「ゆり姫、お手洗いは?」
「済ませておきましょう」
トイレへ入っていく先輩たち。
いや、ちょっと待て!
社長が入ったトイレに神宮寺と姫井も消えていったぞ。
ということは……。
「うわっ!」
「どうしたのです、神宮寺さん?」
「さっきヤツを見たような気がしたんだ。奥の個室に入っていくヤツをさ」
「ヤツって誰のことですか?」
「品川駅にいたヤツだよ」
俺はショックのあまり顔面を押さえた。
社長が見つかったのである。
「瀬古太郎だよ。瀬古太郎。あのツインテールの男の子」
「ここは女性向けのトイレですよ。男の子がいるわけないでしょう」
「私の見間違いなのか? これは何かの呪いなのか? なんか寒気がしてきた」
「バカなことはいわないでください。ほら、一つ空きましたよ。お先にどうぞ」
待つこと30秒。
次は「きゃあ⁉︎」という姫井の金切り声が聞こえてきた。
「どうした⁉︎ ゆり姫⁉︎」
「いました! いました! いました!」
「えっ⁉︎ えっ⁉︎ 出くわしたの?」
「さっき出てきましたよ!」
「何か変なことをされた?」
「いえ、特には……」
完全に鉢合わせしている……。
俺が心配しながら待っていると、涼しい顔をした社長が戻ってきた。
「お待たせ。さあ、行こうか」
「いや、社長……やらかしましたよね?」
「んん? 何のことだい?」
社長が上目づかいで見つめてくる。
「神宮寺さんと姫井さん」
俺はトイレの方向を指差した。
「私は何もしていない。私は何も見ていない。ゆえに私は悪くない」
「下手したらトラウマになりますよ。特に姫井さん。あの悲鳴は尋常じゃなかったですから」
「すごい悲鳴だったよね。姫ちゃんだけにね。姫井の悲鳴だよね。あっはっは……」
「笑い事じゃないですってば……」
「だよね……」
失敗したな。
旅が始まったばかりというのに相手の警戒心を最高レベルに引き上げてしまったのである。
「あとで謝罪するから。あすかと姫ちゃんに。尾行のことを打ち明ける。それでいいよね?」
「そうしましょう。次に怪しまれたらその場で打ち明けましょう」
「くそ……私としたことが……トイレは完全に不覚だった」
「頼みますよ。本当に」
俺はやれやれと首を振った。
終わったことを気にしても仕方がない。
いまは前進あるのみだろう。
「さてと。次はバスの移動ですね」
好天に恵まれた三崎口駅。
改札を出たところにコンビニとバスターミナルがある。
三崎港。
横須賀駅。
マリンパーク。
そういう目的地まで路線が走っているのだ。
「姫井さんの予定だと二番のバスに乗ることになっています。ここで待ちましょう」
本物の親子のように手を繋ぐ俺と社長。
そこに神宮寺たちもやってくる。
「ごめんね〜。パパ〜。間違えて女性用トイレに入っちゃったよ」
「瀬古太郎は本当に抜けているんだから。次から気をつけなさいよ」
「は〜い」
わざと周囲にも聞こえるように会話してみた。
もちろん姫井の警戒を解くためである。
「気にしすぎなんだよ。ゆり姫は。聞いただろ? 瀬古太郎も間違っただけって」
「うぅぅぅ……夢に出てきそうで怖いです」
「夢って……そんな大げさな」
「神宮寺さんは平気ですか?」
「私は別に気にしないよ」
「守ってください。夢の中でも。僕のことを」
「はいはい、守ってあげるよ。だから泣くなって」
「な……な……泣いてなんかいないです! バカにしないでください!」
姫井がくわっと目をむきながらいう。
夢の中でも守るって……。
いいな、俺も社長にそういう約束をしてみたい。
「ほら、可愛い顔が台無しだぜ」
「ありがとうございます。いまなら露骨に褒められても嬉しいです」
「ケッケッケ。今日はお姫さま気質なんだよな。裏表がなくて単純だよな。まあ、海鮮丼でも食って元気を出そうぜ」
「ですね……目的地までのエスコートをお願いします」
「ゆり姫は落ち込んでいるときが一番可愛いよな」
「うぅ……否定はしませんが……」
「困った我がまま姫だぜ」
姫井の頬っぺたをツンツンして遊び道具にする。
そんな神宮寺の顔がとても輝いていた。




