078 お姫さま気質
日曜日の駅のホームは、たくさんの人の波でごった返しており、どこにも長い列ができていた。
神宮寺と姫井の会話が聞こえるよう、隣の乗車列にそっと並ぶ。
「おい、ゆり姫。見ろよ、あの子ども」
「急にどうしたのです?」
「すごい格好だぞ」
ヤバい……。
さっそく神宮寺がこちらの存在に気づいた。
「ASAPのトレーナーを着ている子ども。男の子なのにツインテールだぜ。しかも一人前にサングラスまで装備していやがる」
「なかなか奇抜なファッションですね。ご両親の影響を受けたのでしょう」
「まさか今日もツインテールを拝む羽目になるとはな……呪いかよ」
「あの若さでASAPを心がける……将来は社長になる器です」
バラバラの着眼点を口にする神姫コンビ。
ちょっとだけもどかしい。
「そっちなの? サングラスと髪型は気にならないの?」
「はい、特に気になりません。一般人の範囲です」
「なのにASAPが気になるの?」
「無視できないです」
「変わっているな」
神宮寺たちが別の話題へシフトする。
正体バレの危機が遠ざかったことで、俺は救われたような気持ちになった。
「社長たちが尾行してきていないよな。どっかから私たちを監視しているとかさ」
神宮寺がキョロキョロと視線を泳がせながらいう。
横にいる姫井はため息を漏らした。
「尾行はないでしょう。社長は出社する予定になっていますから。須田くんと一緒に」
「いやいや、私たちを騙すための方便だったかもよ」
「この品川駅のどこかから見張っていると?」
「その可能性が十分にあると思うんだ」
「神宮寺さんは心配性ですね」
姫井はぎゅっと目を細めながら、スマートフォンを取り出す。
「僕が確かめてみます。いちいち気になったのではレクリエーションになりません」
事務所のメンバーへ電話で確認するつもりらしい。
そっちは社長が根回ししているはずなのだが……。
「加賀美さん、お疲れ様です。姫井です。ひとつお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか? ……社長と須田くんは出社していますか? ……なるほど。いま会議室にいると。ありがとうございます。用件はそれだけです」
先輩の加賀美さんが対応してくれたようだ。
姫井の反応から察するに、シナリオ通りの受け答えをしてくれたらしい。
「ほら、社長も須田くんも今日は出社しているそうですよ」
「そうなんだ。加賀ちゃんがそういってた?」
「加賀美さんのいうことなら信用できます」
「だよな。加賀ちゃんは嘘をつかねえ」
それにしても加賀美さん。
信用度が高いよな。
ちなみに加賀美はバリバリの技術屋である。
元々は神宮寺と友交があり、その紹介で社長と知り合ったのだ。
社長の右腕である神宮寺。
その神宮寺の右腕なのが加賀美といえる。
「でも待てよ。いのりのやつ、加賀ちゃんに根回ししているんじゃないか? アリバイ工作の可能性があるだろ?」
神宮寺もスマートフォンを取り出しながらいう。
俺たち二人の存在……おもに社長を気にしながら電話を掛け始めた。
「いのりに直接電話してやる。駅にいたら受話口から雑音が聞こえるはずだ」
かなりヤバい……。
というか俺のリュックサックの中からバイブレーターの振動音が漏れている。
「ねえ、パパ!」
ここで瀬古太郎が発動した。
甘えるような声で抱きつかれる。
バイブレーターの音を打ち消してしまう作戦か。
「温泉が楽しみだよね! ぼくがパパの背中を流してあげるね!」
「へえ……そうだね。楽しみだよね。瀬古太郎はパパと一緒に入浴するんだ?」
「何いっているの⁉︎ 男同士じゃない⁉︎ だから温泉では裸の付き合いになるんだよ!」
「そうだね。瀬古太郎は男の子だもんね。うん、瀬古太郎の言う通りだよ」
「今日は貸切風呂だよね? ふたりだけの空間だよね?」
「へえ……貸切風呂とかあるんだ。知らなかったよ」
「何いっているの⁉︎ パパが予約したんでしょ⁉︎」
いやいやいや!
俺は貸切風呂なんて予約した覚えはない。
「本当に? パパがいってた? 貸切風呂って?」
「そうだよ! パパは物忘れが激しいんだから!」
「あっはっは……困ったな……」
本当に困ったことになった。
社長と一緒に入浴するなんて寝耳に水だ。
「パパとお風呂で遊びたいな」
「うん、パパも瀬古太郎と遊びたいよ」
「最近ね、また身長が伸びたんだ。だから成長した体をパパに触らせてあげるね」
「へえ……それは楽しみだね。ぜひじっくり観察しないとね。でも触るのはやり過ぎかな」
俺は慣れない演技に大苦戦してしまう。
それが愉快だったらしく、社長の口元がニンマリと笑った。
「ぼくも将来、パパみたいな体になれるかな?」
「なれる……かもね……きっと……うん……」
「へえ、10年後が楽しみだよ」
「そうだね」
社長も社長だよな。
この綱渡りみたいなシチュエーションを楽しんでいる。
「う〜ん、いのりが電話に出ない……」
呼び出しを諦めた神宮寺が、釈然としない表情でスクリーンを見つめる。
「きっと取込中なのでしょう。神宮寺さんは気にしすぎなのです」
「にしても、ゆり姫。聞いたか、あの子どもの名前……」
神宮寺は指をピシッと一本立てた。
「瀬古太郎だぞ。まさかの瀬古太郎だ。ツインテールの瀬古太郎。私はいま起きたまま悪夢を見ているような気分だよ」
「いいじゃないですか。ツインテールの男の子がいても。彼の名前が瀬古太郎でも。多様性の時代ですから」
「温泉とかいってたから目的地も一緒だぞ。偶然にしては出来過ぎじゃねえか」
「だから神宮寺さんは心配しすぎなのです」
ミルク色の手が伸びて神宮寺の頬に触れた。
姫井はフランス人形のような顔をぐっと接近させる。
「いまは僕だけに注目してください。神宮寺さんのためにオシャレしてきたのですから。余計な心配をするのは無しでお願いします。そして僕の長所を100個見つけてください」
「長所を100個って……お姫さま気質だよな。あと私のためのオシャレなんだ」
「そうです。今日だけは神宮寺さんのお姫さまです」
「まいったな。長所100個はなかなか厳しいぞ」
「僕なら神宮寺さんの長所100個は余裕です」
「へえ、やっぱり今日は可愛いな」
「あと短所なら200個いけます」
「上げてから落とす作戦な」
「事実ですから」
「おい!」
社長が笑いを噛み殺している。
そのくらい仲が良さそうな会話なのだ。
『……一番線に電車が参ります……』
駅のアナウンスが俺の意識を現実へと引き戻した。
こだまする金属音。
行楽地へのドアが開く。
「ゆり姫は窓側の席がいいよな?」
「窓側を譲っていただけると嬉しいです」
「私は通路側でいいよ。外の景色とか興味ないし。途中で寝ちゃいそうだし」
姫井は意外そうな顔をする。
「いつも相手のことを優先する。これは神宮寺さんの長所ですね」
「いつも欲望にまっすぐ。これもゆり姫の長所だよな」
「なんですか。それは。物の数に入りません」
姫井がチッチッチと指を振る。
「神宮寺さんはまだまだですね」
涼やかな風がくすんだ金髪を通り抜けていった。
その毛先が波のように揺れている。
「ゆり姫、電車に乗るとき足元には気をつけろ」
「わかっています。子ども扱いしないでください」
「子ども扱いじゃないよ。お姫さま扱いしたんだよ」
「はう……ありがとうございます。お気づかいに感謝いたします」
姫井がぽっと頬を染める。
チョロいな……。
チョロ姫だよな……。
ポイントを稼いだ神宮寺の顔にはそう書いてある。
どこか甘い香りのする。
コンクリートの駅の片隅。
俺と社長。
神宮寺と姫井。
それぞれの目的は異なれども一つの目的地へと動き出す。
幸先のいいスタートといえそうだ。




