077 恋するミューズ
『カラーは白色かピンクがいい』
社長のファッション予想はすぐに結果が出た。
コツン、という靴音が響く。
くすんだ金髪の持ち主が視界を横切っていく。
ひらひらと揺れているのは純白のカーディガンだ。
シースルー素材になっており、二の腕の肌色が透けて見えている。
首元からふくらはぎまでカバーしているのはノースリーブのワンピース。
淡いピンク色をベースにした花柄で、見るものを幸せな気分にさせてくれる。
たくさんの人が振り返る。
大人も子どもも。
男性も女性も。
つばの広い麦わら帽子のせいで顔はよく見えない。
そこから流れる金髪だって今日は毛先がウェーブしている。
それでも俺は思う。
この瞬間のこの世界は彼女を中心に回っているのではないか、と。
アナウンスのチャイム音。
お店から流れてくるポップなBGM。
人混みが生み出している絶え間ない雑音。
特別な音など一つもない。
しかし彼女はそこに特別という解釈を与えてくる。
すべての音がクラシック音楽のように調和して、芸術の神々から祝福されし幼女の登場シーンがつくられる。
海の向こうからやってきた青い眼のプリンセスは麦わら帽子に手を当てながら、
「神宮寺さん、お早うございます」
と恥ずかしさを隠しきれない声でいった。
「おう……お早う……」
神宮寺が不意を突かれたように黙り込んだ。
そして条件反射的にあの言葉を口にする。
「今日はいつもより可愛いじゃん」
姫井の頬がぽっと赤らんだ。
本心を悟られまいとするように、顔を帽子のつばで隠してしまう。
「……別に……今日のために特別な服装をしたというわけではありません」
「いつものドレスはどうしたの? あれはゆり姫の戦闘服だろ?」
「あれは周りの視線を集めますから……」
ブルーサファイアの瞳が床の一点を見つめる。
そこには神宮寺の影がある。
「僕が目立っては神宮寺さんのレクリエーションにならない。そういう冷静な計算をしただけです。今日は神宮寺さんの日ですから」
「ふ〜ん。私の日ね……」
神宮寺は崩したばかりのルービックキューブをバッグに戻す。
「むしろ私とゆり姫の日だよな」
「ちょっと! 変なことはいわないでください!」
「ゆり姫だって三浦半島が楽しみなくせに。だからあそこを目的地にしたんだろ?」
「まあ、海鮮丼を食べたり、温泉に入ったり、楽しみには違いないですが……」
姫井はその言い分をあっさり認めた。
「できれば神宮寺さんじゃなく、社長とふたりが良かったですが……」
そして半分だけ否定する。
「今日は神宮寺さんで我慢してあげます。これは社長命令ですから。約束した以上、きっちり目的は果たします」
「社長の方が良かったって……ゆり姫は嘘がないよな。まあ、そこがゆり姫らしいのかな」
「神宮寺さんだって僕なんかより社長の方がいいでしょう。昔からの親友ですから」
「それを比べるのはおかしい気がするけれど……どうしてそう思うの?」
「だって渋ったじゃないですか。僕が計画を伝えたとき」
「あれは……ほら……なんだ……」
神宮寺が頬をポリポリと掻いた。
「私たちって馬が合わないから。これ以上、ゆり姫の負担になるのも嫌だなって。つい顔に出ちゃってさ……その勢いでさ……」
姫井が視線を持ち上げた。
警戒心を緩めた小動物のように顔をのぞかせる。
「もう少しわかりやすく教えてください」
「誤解のないようにいっておく。相手がゆり姫だから渋ったわけじゃない。相手が社長でも絶対に渋った。それだけは断言する」
「神宮寺さんにしては殊勝な発言ですね。……あと負担をかけている自覚があるのなら、普段からもっと僕に協力してください。どれだけ神宮寺さんの尻ぬぐいが大変なのか。僕のストレスの大半は神宮寺さん由来なのです」
「わかったよ。わかったから。今日は仕事の話を控えよう。レクリエーションなんだろ? 日頃のストレス解消が目的なんだろ?」
「いいでしょう。それも神宮寺さんにしては殊勝な発言です」
神宮寺はパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「その髪型も可愛いよ。あと麦わら帽子もな。ゆり姫に似合っている」
普段のオフィスでは見せない爽やかスマイルを浮かべる。
しかし姫井はニコリともしない。
「麦わら帽子ではありません。ストローハットと呼んでください」
なかなか攻略のハードルが高いといえる。
「いやいや、どっちも意味は同じだろ? あれ? 違ったっけ? 私の覚え違い?」
「麦わら帽子もストローハットも、辞書的な意味は同じです。でもニュアンスが違います。麦わら帽子だと海賊みたいです。想起させるイメージの違いです。神宮寺さんもそういう繊細さを持つべきです」
「けっこう面倒くさい性格をしているよな。まあ、そこもゆり姫らしいか」
「そうです。厄介な性格を含めて僕なのです」
「自覚はあるのに直さないんだな」
「はい、直しません」
面倒くせえ……。
そういう感情が神宮寺の表情に浮かんだ。
せっかく甘い雰囲気になったのに。
30秒くらいで鎮火したようだ。
「そろそろ出発しますか。ホームへ向かいましょう」
姫井が一歩を踏み出す。
その手首を神宮寺がつかんだ。
「私たちが乗るのは京急。そっちはJRの改札。だからこっちだよ」
「はう……間違えました。すみません」
「ゆり姫がつくった計画じゃん」
そのまま手を繋いで歩き出す神宮寺と姫井。
「ゆり姫もけっこう抜けているところがあるよな。そういう点はいのりに似ているよ」
「神宮寺さんだって墓穴掘りの名人じゃないですか。自分のことを棚に上げないでください」
「貶しているんじゃない。褒めているんだよ。抜けている性格の方が面白いだろ」
「僕は面白みの欠片もない幼女なのですが……」
「卑屈すぎるだろ。もっと自分を大切にしろよ」
「うぅ……神宮寺さん、もう少しゆっくり歩いて……」
「おう……すまん」
リードしてあげる彼氏とリードされる彼女みたいだ。
「ねえねえ、マサくん。見たよね」
社長がツインテールを揺らしながらいう。
「悪くない感じでしたね。予想の10倍くらい良い感じでした。期待できますよ」
俺は思わず口元を緩めてしまう。
「なんかキュンキュンしてきたな。手を繋いじゃってさ。普段のあすかなら、絶対にああいう気配りはしないよ」
「いつもより優しいですよね。神宮寺さんも。姫井さんも」
「これは休日の魔法だよね。先が楽しみだな」
手応えを感じた社長がぎゅっと拳を握る。
これから三浦半島への電車旅。
向こうで待っているのは神姫戦争が起こる未来か。
それとも愛情を深める未来か。
「私たちもいこうか、マサくん」
「そうですね」
俺としては社長を近くで観察する時間も楽しかったりする。




