075 出勤禁止!
「私の鼻血……やっぱり働きすぎなのかな?」
神宮寺が丸めたティッシュを鼻に差し込みながらいう。
「その可能性はありますよ。というか咳の方が心配です。頻度が上がっていますから」
俺は神宮寺のために小型のゴミ箱を移動させてきた。
「だよな〜。私も自覚があるよ」
「休んだ方がいいです。せめて週に一回くらいは」
「これだから幼女の体ってやつは……ダメだ。両穴が塞がった。すごく息がしにくい。なんか仕事のやる気まで萎んできた」
神宮寺が両手をパーカーのポケットに差し込んだ。
いつもガッツに溢れている先輩。
その疲れきった声は胸に刺さるものがある。
「もう夜の九時ですよ。この時間でやる気が出ている方がおかしいです」
「私は夜型なんだよな。いまから狩猟に出かけるみたいな。むしろスパートをかける場面みたいな」
「でも程度ってものがあるじゃないですか? 幼女がコーヒーをガンガン飲むのも。夜中の二時とか三時までPCを触っているのも。これを二年三年と続けるつもりですか?」
俺はデスクにある缶コーヒーを持ち上げた。
『無糖』
『BLACK』
という銀文字がまぶしい。
薬と一緒だ。
飲みすぎは体に良くない。
「神宮寺さんは確かに特別だと思います。社長も特別な成果を求めていると思います。でも、どこかで妥協点を見つけないと無限に働くじゃないですか? ……あと社長だって自由時間をつくるために引っ越しました。そうしたら生活の質が少しだけ上がりました。自覚があったのですよ。いまの生活は最適じゃないという」
「須田ちゃんのいう通りだ。いのりのやつ、引っ越してから楽しそうだよな。笑う回数が増えたよな」
「一度は相談しましょうよ。社長とも。姫井さんとも。他の皆さんとも」
「……だよな」
待つこと30秒。
社長が俺たちの席までやってくる。
「何を見ているの? 結婚相談サイト? 束縛してこない人って……テンプレじゃん。せめて誠実な人とか優しい人とかにしないかな? 仕事に理解を示してくれる人とか?」
「いいんだよ。結婚する気はないから」
「ふ〜ん、勿体ないな〜」
社長は頼れる相棒の体をガバッと抱きしめた。
いつもだと抵抗する神宮寺が、この時は大人しく受け入れている。
「次の日曜日、何か予定はあるっけ?」
「いや、ないけれど。出社する予定だったし」
「じゃあ、お願いしたいことがあります。これはあすかにしか頼めません」
「休日作業? 新しいビジネスとか? いのりが日にちまで指定してくるなんて珍しいね」
「ううん。逆だよ。その日はあすかの休暇ね。一日中休んでね」
「えっ⁉︎ 出社するなってこと⁉︎」
「そうだよ! 出勤禁止!」
「禁止って……」
神宮寺は信じられないといった顔をする。
社長が一枚の紙をデスクに叩きつけた。
「あすかの出社記録です! 今日で連続出社100日目です!」
俺と神宮寺は紙をのぞき込んだ。
『出勤 9:37 退勤 27:03』
『出勤 9:16 退勤 26:51』
『出勤 8:48 退勤 25:29』
そのような記録がつらつらと並んでいる。
すごいな。
平日は三時間。
休日は六時間しか寝ていない。
そのことを裏付けるような数字が淡々と並んでいる。
「連続100日って……でも大炎上プロジェクトに従事しているメンバーとか、不祥事を起こした会社の幹部なら普通だろ?」
「その発想がよくない!」
社長は神宮寺の頬っぺたをサンドイッチのように挟んだ。
するとマンボウみたいなマヌケ面が完成する。
「休めるときは休むの。一分一秒でも長く休むの。休むのに理由はいらないの。そして明日に備えるの」
「……わかったよ。一日会社に来ない。それでOKなのか?」
「あすかはどうせ家で仕事をすると思うから……」
社長がチラリと視線を送った。
それを合図にして姫井が説明を始める。
「神宮寺さんが一切の仕事をしないよう、その日は行楽地まで遠出してもらいます。そして僕が隣で見張っています。スマホ一台で仕事ができる時代ですからね。朝から晩まで監視体制です」
「ゆり姫と一日過ごすってこと? しかも二人きりで? いっちゃあ悪いけれど仕事より重いかも……」
「レクリエーションです。強制的な。神宮寺さんの仕事中毒に対する治療と心得てください」
「家だとダメなの? 絶対に外なの? 人混みとか苦手なんだけれども……」
「幼女の成育には日光が必要なのです。これは常識です」
姫井は一枚の紙をデスクに置いた。
『一日の行程表』という文言が左上にある。
「うわ、学生の修学旅行かよ。しかも一分刻みのスケジュールじゃん」
「どの電車に乗るかも決めていますから。遅刻は厳禁なのです。一分一秒の無駄もない治療……ではなくレクリエーションをお約束します」
「完全に仕事のノリだよな。そんなので効果あるのかな。まあ、社長とゆり姫の命令なら拒む理由はないけれども……。どれどれ。……集合場所が品川駅。目的地は神奈川県の三浦半島。なんだっけ? 半島だから海があるのか? 割と近場を選んだな」
温泉。
海鮮丼。
三浦海岸。
そんな項目が並んでいる。
「温泉って……ゆり姫と裸の付き合いになるの?」
「そうです。神宮寺さんが入浴するところを僕が監視します」
「別にいいけどさ。よりによって温泉かよ。もう何年も行っていないな」
「温泉はいいですよ。合法的な手段で幼女の体を見放題ですから。コスパのいいお金の使い方なのです」
「向こうもゆり姫の体を見放題だからな。お前も可愛い顔をしているからな。そこは双方向の互恵関係だからな。少しは意識した方がいいぞ」
「問題ありません。神宮寺さんクラスの美幼女がそう簡単に見つかるとは思いませんから。他の幼女に目移りはしませんよ」
「問題しかねえ……個人用の貸切風呂とかないのかな……」
神宮寺は行程表を食い入るように見つめている。
それを見守る社長の口元がふっと笑った。
「本当は長野県の蓼科温泉にしたかったんだけれどね。今回は近くの温泉で我慢してね」
「蓼科ってあれか。……信玄の秘湯とかいう。……いいよな。一回行きたいな」
「遠くだと往復が大変だから。日曜日は現地でゆっくりしてください」
「わかったよ。この日は仕事をしない。それだけは約束する」
「トラブル対応は他のメンバーでこなすから」
「おう。任せた。留守を頼む」
これにてミーティングは終了。
それぞれの席に戻った社長と姫井は帰り支度をはじめる。
「俺も退社しますが、神宮寺さんは帰らないのですか?」
「私はもうちょっと……」
神宮寺の指がカタカタとキーボードを叩く。
かと思いきや、デスクを何回かトントンしたあと、書きかけの内容をすべて破棄して、ファイルを閉じてしまった。
「いや、帰る!」
勇気ある撤退。
この会社に小さな変化が起こった。
…………。
……。
そして当日。
俺は約束の地、品川駅へとやってきた。
これは隠密行動である。
神宮寺はもちろん、姫井に見つかってもいけない。
今日の目的は二つある。
一つ目は当然ながら神宮寺の休養である。
そのために姫井を監視役にした。
任せておけば安心だろう。
二つ目は神宮寺と姫井をウォッチングすることである。
いつも口喧嘩が絶えない両者。
社長もお手上げ状態なのだ。
『私が留守にしている日は神姫戦争だよね?』
神宮寺と姫井のバトル。
だから神姫戦争。
他の社員からの報告で何となく現状には気づいていたらしい。
型破りなエンジニアの神宮寺。
堅実さを絵に描いたような姫井。
このツートップが反目するのは、ある意味必然といえる。
社長とて忙しい身。
いつも自社にいるとは限らない。
留守にするたび喧嘩されたのでは困るのである。
もっと仲良くしてほしい。
別のことにエネルギーを向けてほしい。
それが上に立つ者としての本音といえよう。
もちろん神宮寺の休養は大切だ。
ついでに姫井との絆を深めちゃえ。
そういう高等なミッションがこれからスタートするのである。




