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072 婚約者たち

 俺たちはガード下のコンビニに立ち寄った。

 雑誌コーナーの前で姫井が足を止める。


『幼女の離婚、婚約解消問題を直撃』

『気になる慰謝料とその後』

『失敗する15のパターン』


 売れ筋の雑誌ではそんな特集が組まれていた。


「僕と似たような境遇の幼女は少なからず存在します。可哀想とか。同情するとか。そういう安っぽい感想だけは無しでお願いします」


 姫井は郵便切手を何枚か買ってから店を後にする。


「僕はここに来る前……というのは幼女株式会社へ来る前なのですが、とあるコンサルティング会社で働いていました。社長や神宮寺さんとはその時に知り合いました。もう四年近くも昔の話です」


 コンサルティング会社。

 これは初耳である。


「僕の婚約者というのは……」


 姫井が渋そうな顔をする。

 素材がフランス人形なので可愛いの範囲内なのだが。


「もしかして前職の同僚……ですかね?」

「そうです。前職の社長です」


 俺は耳を疑った。


「え~と、幼女株式会社みたいに従業員七名の会社ですか?」

「もっと大きいです。もっと稼いでいます。お金持ちの一族が経営しています」


 姫井は自虐っぽく口元を歪める。


「つまり姫井さんはお金持ちのお嬢さんを口説いたと?」

「そうです。あの手この手です。猛アタックです。須田くんと一緒です」

「いやいや! 俺も確かに社長を口説きましたが……。ええっ! 姫井さんが!」

「僕だって人並みに恋をします。むしろハードルが高いほど燃えるタイプです。エベレストの頂点を目指したのです」


 そこから姫井の恋愛エピソードが始まった。


 彼女とは十歳以上も年齢差があったこと。

 彼女には前夫とのあいだに娘がいたこと。

 彼女へ恋愛映画ばりの告白をしたこと。


「決め手は娘でした。僕によく懐いてくれたのです。それまで態度を硬化させていた彼女は僕との交際を真剣に考えるようになり……」

「婚約するに至ったと?」

「そうです」


 まさに愛の戦士。

 ここまでは順風満帆といえよう。


「しかし運気の絶頂はそこまででした。神話に出てくるイカロスの翼と同じです」

「え~と、太陽に近づきすぎるやつですっけ? (ろう)の翼を溶かしてしまう?」

「はい、僕は海に叩き落されます。他人の不幸で飯がうまい。まさにメシウマ展開です」


 婚約。

 良家のお嬢さま。

 とくれば必ずセットになるものがある。


「違約金です」


 姫井は涼しい顔でいう。


「数年分の年収に相当する額です。しかも一括キャッシュです」

「それって非現実的な金額ですよね?」

「元々は結婚する気満々でしたから」


 俺はゴクリと生唾を飲んだ。


「おっと、まんじゅう屋さんに着きました。少し待っていてください」


 いかにも老舗っぽい店の前で一分くらい待っていると、ビニール袋を提げた姫井が戻ってくる。


「お待たせしました。これまでの話を整理すると、僕には二つの選択肢がありました」

「予定通り結婚するか。違約金を払って婚約解消するか。その二つですよね?」

「そうです」


 俺の思考を先回りするように、


「僕はいま幼女の体です。罰当たりなことに、幼女としての人生を楽しんでいます。もはや病的なロリコンです」


 姫井はあっさりと言い切る。


「そのせいでペナルティを受けると?」

「受ける方向で彼女と交渉しています」

「でもお金が足りないんじゃ……」

「全然足りません」


 強いな。

 少しも動揺しないなんて。


「30年のローン払いに変更できないか、いま相談している最中です」


 姫井は真顔で情報を補足してくる。


「俺には理解できません。幼女化しても姫井さんは姫井さんじゃないですか? 婚約者のことを嫌いになっちゃったのですか?」

「人として尊敬しています。その気持ちは変わらないです」


 だったら……。


「子どもをつくれない。その点を気にしているのですか?」

「それも違います」


 なぜ……。

 そんな俺の疑問をはぐらかすように、


「やっぱり須田くんは優しいですね。僕のことを本気で心配してくれる」


 欲しくもない褒め言葉を返される。


「彼女が愛したのは姫井ユーリなのです。姫井ユーリが愛したのは彼女なのです。姫井ユーリと姫井ゆり。この二人は似て非なる人物なのです。それは認める必要があります。彼女も。僕も」


 表情は微塵も笑っていない。

 なのに姫井の顔つきがとても輝いて見える。


「いまの僕では彼女の夫に相応しくない。僕自身がそう判断したのです。……昔ね、彼女をおんぶしたことがあります。さっきの須田くんみたいに。とても喜んでくれました。とても楽しい時間でした。ですが……」


 姫井が視線を持ち上げた。

 そこには雲一つない青空が広がっている。


「もう無理です。この体じゃ。彼女を支えてあげられません。……僕はか弱い幼女なのです。強がっても無駄です。成人男性のようには生きられない」


 幼女には幼女なりの人生がある。

 それを俺に伝えたいのだろう。


「姫井さん、それじゃ……」

「あえて続きをいいます。そして須田くんにお願いします。社長と幸せになってください。社長を幸せにしてあげてください。……僕は自分の社長を……婚約者の女性を幸せにできなかった。幸せにできる道はあったのに。それを捨てました。……とても似ています。僕と婚約者。須田くんと瀬古いのり。年齢の差は僕たちの方が大きかったですがね。……僕は捨てます。姫井ユーリとしての過去を。誰かのためじゃなくて。僕が姫井ゆりとして生きるために。自分が自分であるために」


 そしてもう一度……。


「だから須田くんは社長と一生添い遂げてくださいね。これが僕からのお願いです。すみません。なんか湿っぽい話になっちゃいましたね」


 姫井はどこまでも淡々とした口調でいう。


『湿っぽい話になっちゃいましたね』


 そういう姫井の心境が理解できたような、理解できないような、ふわふわした気持ちのまま、俺はもう一度だけ姫井の横顔を見つめた。

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