007 幼女ランチ
『スピード×クオリティを最大化せよ』と書かれた紙が職場の壁には貼られている。
誰が書いたのかは知らない。
誰が貼ったのかも聞いたことがない。
俺が入社したときからずっと存在しているから、ちょっとした社訓というか、ゆるいビジネス方針なのだろう。
とにかく最初は驚いた。
先輩たちの思考スピードが早いのである。
俺なんかで役に立つのか?
会社の荷物にならないだろうか?
失格の烙印を押されることを恐れていたが、それも最初の三ヶ月くらいで、先輩の真似をしているうちに技術力がつき、いまでは半人前のエンジニアに成長している。
「これを……こうして……送信っと」
午前中のタスクは完了。
時刻はまだ11時30分だから今日は絶好調といえそうだ。
これが賞与の力なのか?
100万円が生んだやる気なのか?
社長の方に足を向けて寝られない……。
そんな現金なことを考えていると、当の本人がトコトコとやってきて、後ろからガバッと抱きついてきた。
「マサくん、いま話しかけても大丈夫かな?」
「うわっ!? はいっ!? 大丈夫じゃないけれど大丈夫です」
「なに、それ? 面白いの。……じゃなくて、ちょっと早いけれどランチに行かない? お店が混んじゃう前にさ」
社長の手にはピンク色の長財布が握られている。
「ああ……ランチですか……」
にしても心臓によくないな。
飯の誘いを受けるたびに寿命が縮まりそうだ。
「もしかして忙しかった? 取り込み中かな?」
「いえ、さっき一段落したところです」
「良かった。じゃあ、平気だね」
「はい、お供しますよ」
俺は気を取り直してからポケットに財布と携帯をつっこんだ。
ランチ帯はどこのお店も混雑する。
サラリーマンやOLが昼食休憩にはいって、一斉にオフィスから解放されるのだ。
そこで考案されたのが『30分フライング作戦』である。
「どこのお店がいいかな?」
「社長のお気に入りのところにしましょうよ。いつもの定食屋はどうです?」
「そうだね」
俺たちは通い慣れた定食屋へはいった。
ここなら600円から800円くらいの出費で胃袋を満足させられる。
メニューも40種類くらいあるし、なかなかお手ごろなお店といえよう。
「いらっしゃいませ~」
対応してくれたのは幼女アルバイターだ。
サイドアップにした髪型と子どもサイズの前掛けが可愛らしい。
「ニ名様ですね。カウンターにしますか? テーブルにしますか?」
「テーブルでお願いします」
四人掛けのテーブル席へと案内してもらう。
ここでちょっと問題が発生した。
二人組の場合、このように向かい合って座るのが普通だと思う。
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テーブル |
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(凡例:■=着席 □=空席)
同僚だろうが、友人だろが、家族だろが、そう変わらないだろう。
ところが社長は下記のような変則パターンを使ってきたのだ。
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テーブル |
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まさか横並び。
店員さんの視線が気になって仕方ない。
「すまないね、マサくん。ちょっとだけ奥に詰めてくれないか?」
「ええ、別にいいですが……」
「いや~、お腹が空いたよね」
「ですね~」
動揺してはいけない。
きっと深い意味があるだろうから。
こちらの対応能力をテストしている可能性もある。
俺はそんなことを考えつつメニュー表へと手を伸ばした。
『お昼のおしながき』と書かれた紙を社長の前に置いてあげる。
幼女ランチ:500円
アジフライ定食:650円
メンチカツ定食:700円
ブタの生姜焼き定食:800円
……。
…………。
「俺はアジフライ定食にします」
「私はいつもの幼女ランチにしようかな」
ダメだ!
距離が近すぎる。
周りから見ると恋人同士みたいだし、何より気分が落ち着かない。
あと社長はかなりの美幼女なのである。
俺くらいの年齢の男性なら思わずチラ見してしまうくらいの魅力がある。
なんとか打開せねば……。
社長に失礼じゃない方法で……。
俺はしばらく悩んだ末にちょっとしたアイディアを思いつく。
「すみません、トイレへ行きたいので通してもらってもいいですか?」
いったん席を立つ。
帰ってきたときに逆サイド側へ座るという作戦だ。
戻りが早いと怪しまれるので、ちゃんと用は足しておいた。
水をチビチビ飲みながら待っている社長。
さも当然のような顔をして逆サイドに腰を下ろす。
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テーブル |
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よし、作戦は大成功。
ところが社長はむっとした表情をつくる。
「ねえ、マサくん。トイレは混んでいたかい?」
「いえ、いまなら空いていると思いますよ」
「よかった。私もお手洗いへ行きたくてね」
俺はスマートフォンを操作しながら時間をつぶす。
120秒くらい経過したときだろうか。
社長の小さいお尻が俺の体を押してきた。
甘えてくる子猫のようにぐりぐりと。
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テーブル |
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あれ?
戻っちゃった?
「ほら、距離が近い方が話しやすいでしょ」
「そ、そうっすね」
「もしかして私の香水の匂いが気に入らないとか?」
「そんなことはないです! リラックスできる良い匂いだと思います!」
「よかった」
社長は少女のようにニコッと笑った。
こちらが完全に油断していると恋人みたいに手を握られる。
「なるべく幼女の体に順応しようと思っていてね。マサくんは貴重な男の子だから、ぜひ男目線の意見を聞かせてほしい」
「俺なんかで参考になりますかね? 人生経験も浅いですし……」
「なるよ! もっと自分に自信を持ちなさい!」
社長が子猫のようにじゃれついてきた。
職場ならまだしも社外でやられるとけっこう恥ずかしい。
「社長……さすがに周りの視線が気になりませんか?」
「そうかな? いつも社内でやっているスキンシップと変わらないけれど?」
「いや……社長が平気ならいいです……余計な心配でした……俺の言葉は気にしないでください」
一瞬だけキョトンとした社長がボディタッチを再開する。
これも社長命令だと思って、俺はされるがままになっていた。