059 幼女ブラック
翌朝。
始業後のオフィス。
俺は寝不足になった頭で、寝不足になった原因について考えを巡らせていた。
理由ははっきりしている。
ずばり社長が可愛すぎるから。
うっかり俺の部屋へと迷い込んできて、そのまま朝まで寝るという、幼女にあるまじき犯行に及んだのである。
社長には少し天然なところがある。
それが良くない形で炸裂した。
まあ、そういうことだ。
カタカタとキーボードを叩きながら、ブース席にいるツインテールの人物を観察してみる。
ベージュ色のジャケット。
タイトなスカート。
かかとの低い靴。
よく見慣れた社長がよく見慣れた格好で座っている。
まさに会社の大黒柱だ。
テキパキと華麗に仕事をこなしている姿が美しい。
そんな幼女社長のおしゃぶり姿に興奮したなんて……。
思い出しただけでも恥ずかしくなる。
「どうしたんだよ、須田ちゃん。さっきから同じ画面を何回もリロードしているぜ」
横にいる先輩が気にかけてくれた。
「ああ、神宮寺さん……」
その手に握られているのは市販の缶コーヒーだ。
ラベルの『無糖』『BLACK』という銀文字がまぶしい。
見慣れたブラックコーヒーも幼女が飲むと格好いいから不思議といえる。
「すみません。寝不足です。昨夜はあまり眠れなかったみたいで……」
俺は目をこすりながらいう。
「若いなあ。まだ学生気分?」
「そういうつもりじゃないですが……新居の寝心地にまだ体が慣れなくて……」
「へぇ〜、いのりと何かあったの? もしかして臥所を一つにしちゃったとか? 添い寝をしたとか?」
「近からずも遠からずって感じですね。ちょっと社長が寝ぼけていたみたいで、間違って俺の布団に侵入してきてですね……そこから先はご想像にお任せします」
「やるじゃん。というか困った話だよね。どうしたの? 叩き起こしたの?」
「放置しておきました。いまは後悔しています」
ちなみに社長からは謝罪された。
そして少しだけ注意された。
『ダメだよ! 私の問題行動をすぐに指摘しないのは! フェアにいかないと! 公平じゃないと! 後輩だからって我慢する必要はないから! 次にやったときは無理やり起こしていいから! むしろ突き飛ばしていいから!』
本当に申し訳ない気持ちはあったらしく、
『ごめんね……明日からは気をつけるよ』
体をモジモジさせながら謝ってくれた。
もちろん許す。
相手が社長なら何回だって許す。
「ふ〜ん、まあ須田ちゃんの寝不足は可愛げがあるよな。むしろ問題なのはあっちだな」
神宮寺が視線を外す。
その先にいるのは……。
「どうしたんだよ、ゆり姫のやつ。朝礼のときから借りてきた猫みたいに大人しいな。むしろ牙を抜かれた虎っていうの? 昨日とはまるで別人みたいだぜ」
姫井さん。
いつもと雰囲気が違っている。
とにかく黒いのである。
頭のリボンから、ロングドレスから、ハイソックスから、ロリータ靴に至るまで黒一色の黒ずくめ。
まさに無糖。
まさにブラック。
浮いているのは東洋人ばなれした肌とくすんだ金髪だ。
ブルーサファイアの瞳だって今日は精彩を欠いている。
その代わり存在感を発揮しているのが黒縁メガネ。
いつもの姫井よりも落ち着いた雰囲気がある。
そしてミステリアスな印象を受ける。
「ゆり姫のメガネ姿か? なんか新鮮だな」
「メガネが似合っていますよね。理知的なオーラが出ています」
「顔の素材がヨーロッパだからな。有利だよな。何でも似合うからさ」
都会に迷い込んだロリータ姫。
あえて題名をつけるとそんな感じか。
「しかし黒ゆり姫か〜。ちょっと不気味だな〜」
神宮寺がぶっきらぼうな口調でいう。
「なんか一人だけ葬式やっている感じ? あるいは喪に服しているとか? にしても黒いよな。まっ黒だよな。景気が悪そうな服装だよな。見ているこっちのテンションまで下がりそうだよな」
「ちょっと、神宮寺さん……あんまり大きな声で話すと本人に聞こえますよ」
「別にいいんだよ。遠慮しないのがうちの会社の方針だからさ」
「ですかね……」
しかし俺も気になる。
姫井がわざわざメガネを装備しているのだ。
視力は1.5くらいと聞いたことがあるから、伊達メガネ用の度なしレンズだろう。
落ち込んでいるのか?
あるいは私生活で何かあったのか?
神宮寺でなくとも疑ってしまうのが普通である。
「須田ちゃんは何か聞いてる?」
「いえ、まったく」
「だよね」
どこか幸薄そうな幼女がひとり。
気鬱そつな顔つきでPCを操作している。
そして手元の紅茶を不味そうに飲んでいる。
「まあ、いいや。ゆり姫だって気分転換したい時もあるだろうしね。私はお手洗いへいってくるよ」
神宮寺がそういって席を外したとき、会社の代表電話がプルルルッと鳴った。
俺は一息ついてから受話器を持ち上げる。
「はい、幼女株式会社の須田でございます」
ガヤガヤという喧騒が通話口の向こうから聞こえた。
それを破ったのは底抜けに明るい声である。
『もしも〜し! パパ! 聞こえてる⁉︎』
俺はいったん受話器を浮かせた。
これは一切の眠気が吹き飛ぶほどの衝撃である。
『ねぇ、パパ! 私だよ〜! いま時間ある〜?』
パパ?
外国人の名前か?
パパから始まる人名なのか?
いや、普通に考えたらお父さんか。
つまり社員の娘がこの勤務先へ電話してきた。
『お〜い。……返事がない? ……番号を間違えちゃったのかな?』
二十歳よりも若い声色。
おそらく中学生から高校生くらい。
少なくとも幼稚園児や小学生ではないはず。
こちらは社会人というのに遠慮らしい遠慮もない。
未成年にしては厚かましい態度といえる。
親の顔が見てみたい……。
もし冷静な俺がいたらそう考えたはず。
「すみません! こちらは幼女株式会社の代表窓口ですが!」
『おっ! やっぱり繋がってた! やったね! ビンゴだ!』
「失礼ですが、かけ間違いではないでしょうか?」
『ううん。パパと話したいから……』
ガヤガヤという雑音が消える。
相手の娘はどこかの建物の中へ移動したらしい。
『ユーリいる? ユーリだよ!』
「いえ、ユーリという名の社員は弊社には……」
『間違っちゃった。ゆりゆりゆり。姫井ゆりだよ。姫井ゆり!』
「…………はっ⁉︎」
いるのか?
あの姫井さんに?
会社まで電話してくる娘が?
いやいやいや⁉︎
いまは独り身のはずだし、昔に結婚していたという話も聞いていない。
それに神宮寺がいっていた。
『だから今でも独り身なんだろ』と。
あの時の姫井は否定するそぶりを一切見せなかったはず。
「姫井ゆりならおりますが……ええと……つまり姫井さんの娘さんでしょうか?」
『うん! 私のパパなの! だから代わってください!』
ちょっと待て!
姫井はまだ二十代の後半なんだぞ。
なのに高校生くらいの娘がいるのか?
ないないない!
普通に考えると絶対にありえない!
もちろん向こうは義理の娘で、血の繋がりはなくて、結婚相手の連れ子で……という可能性は残っている。
だが姫井は独り身なのだ。
交際中という話は一度も聞かない。
かつて所帯持ちだったという話も聞かない。
これは悪質なイタズラ電話なのでは?
あるいはパパ活のような援助交際なのでは?
そんな俺の予想をあざ笑うかのように電話口から明るい声が響いてくる。
『お仕事中にすみませんね〜! どうしてもパパに急用がありまして〜! だから……』
俺はちらりと姫井を見た。
さっきから黙々とPCを操作している。
職場には一切の私情を持ち込まないクールな性格の上司。
『姫井ユーリ……じゃないや! 姫井ゆりだ! あの人に繋いでくれませんか〜?』
声の主は甘えるように要求してきた。




