057 遊戯の余熱
ガチャリ、と会議室のドアが開いた。
固唾を飲んで見守っていると、その中から出てきたのは、
「うぅ……かなりの精気を奪われました」
げんなりした顔つきの姫井であった。
くすんだ金髪が寝起きみたいに崩れている。
ロリータ服だって台風に巻き込まれたように乱れており、スキンシップの激しさを爪痕として残していた。
時間にすれば25分ほどの折檻であった。
それが一時間にも二時間にも感じられたといえば、いかに濃密な時間を過ごしたのか、どれほどの精神的負担を強いられたのか、よく伝わると思う。
「大丈夫かよ、ゆり姫」
俺が動けないでいると、神宮寺が真っ先に駆けつけた。
「ああ、神宮寺さん。むしろ僕が聞きたいです。いま僕は生きていますか?」
「いや、生きているだろう。しゃべっているんだから」
「なるほど。ごもっともな指摘ですね」
姫井がよろめいて壁に手をつく。
それを支えたのも神宮寺であった。
歩けない仲間のために肩を貸してあげる。
「ちょっと休んだ方がいいぞ。休憩エリアでいいよな?」
「神宮寺さん、いつもより優しいですね。てっきり軽蔑を含んだ目を向けられて、口汚く罵られると思っていました」
姫井がその胸に顔を埋める。
「冗談も休み休みいえ。いまは頭を冷やした方がいいぞ。ほら、顔だって真っ赤じゃねえか。無茶しすぎだ」
「すみません。使用済みの僕でよろしければ慰めてください。手荒にしないでくれると嬉しいです」
「使用済みって……前から気になっていたけれど、もう少し自分の体を大切にしような」
「大切にしていないように見えますか?」
「いや、見えるだろう」
「ですか……」
よかった。
いつもの神宮寺だ。
俺とハグを交わしたときはどうなるかと思った。
いつもはサバサバした性格のあの人が、こちらを誘惑するような目で、熱々の抱擁を求めてきたから。
神宮寺の胸中でどのような変化があったのか知る手段はない。
あの感情の高ぶりが本気だったのか、それとも演技だったのかもわからない。
俺は俺。
神宮寺は神宮寺。
30分前からタイムスリップしてきたような状態でこの瞬間を生きている。
そして俺が気にすべき存在はもう一人いる。
姫井を懲らしめるという任務を終えた幼女妻。
「マサく〜ん!」
俺の胸元にツヤツヤの黒いものが飛び込んできた。
久しぶりの再会を喜ぶように抱きしめられる。
俺は一瞬だけ迷ってからハグを返した。
純度100%の笑顔を向けられたとき、一連の記憶がつらつらと蘇る。
喉まで出かかった言葉が迷子になる。
「おや?」
すると黒真珠のような目が何かを見つけた。
「茶色の髪の毛? ゆるくウェーブしている? これがマサくんの体に? もしかして?」
「いや、それは……」
社長がつまんだのは神宮寺の髪の毛である。
俺は浮気がバレてしまった旦那のようにたじろいだ。
「やっちゃったの? あすかと? 私が半径五メートル以内にいるのに? あのマサくんが? あすかと?」
「そうです。社長と姫井さんの行為に興奮してですね……思わず体を寄せ合っちゃいました」
「ふ〜ん、随分と素直に白状してくれるね。そういう隠さないスタイルは嫌いじゃないよ。信頼されているみたいでさ」
頼むからヤンデレ目だけは勘弁してほしい。
あの姿は本当に怖いから。
寿命が縮みそう。
俺がそのように祈ったとき、意外なことに社長は体をスリスリと寄せてきた。
「上書きせねば。あすかの匂いを私の匂いで上書き保存せねば。クンクン。ここも、あそこも、それから下半身も。クンクン。こっちにもマーキングしちゃおっかな〜」
「いや……そこまで念を入れなくてもよいのでは?」
「違うよ。これは私の自己満足だから」
とても真剣な顔つきだ。
俺の胸元、肩、腕、腰回りといった部位に社長がメスのフェロモンを塗ってくる。
まるで猫みたい。
飼い主にすり寄ってくるペットと一緒。
その仕草はあまりにも可愛すぎて、好き放題させてあげたい気分になる。
「よし、これで完了!」
ツインテールが満足したように揺れる。
しかし社長はひとつの失態を犯した。
俺の体に神宮寺の匂いがついている。
ということは社長の体にもあの人の匂いが残っている。
「社長の体だって……」
これは自縄自縛。
滅多にない社長の墓穴掘り。
俺はそう考えてから、か細い体を無理やり引き寄せた。
「社長の体だって、姫井さんの匂いが染み込んでいるんじゃないですか?」
「あれ? そうかな?」
腰に手を回して床から浮かせる。
これは強制的な抱っこというやつだ。
姫井に対する嫉妬心が力任せのプレーを誘発したといえる。
「ちょっと、マサくん⁉︎」
いきなりの攻守交代。
それを悟った社長の顔に動揺が走る。
「次は俺の匂いで上書き保存します」
「はぅ……そんな……」
バタバタと抵抗する体を無理やり抱きしめた。
嫌がっていたのは最初の一秒くらいで、すぐに従順な犬のように大人しくなる。
やっぱり社長が一番だな。
相手を喜ばすために生きているような存在。
「ダメだよぉ。ここは職場なんだし」
「まったく、どの口がいうんですか。少しはこっちの気持ちも考えてください」
「まいったな。……どうしたの? やけに男らしいね。もしかして姫ちゃんに嫉妬しちゃった?」
「しますよ。誰だって。あんな声を聞かされたら。むしろ心配になります」
「ごめんね〜」
社長はちゃんと謝罪してくれた。
俺はその誠意をたっぷりと味わってから降ろしてあげる。
「そうだ! お詫びといったら何だけれど、マサくんにもやってあげようか?」
「次は何を思いついたのです?」
社長がスカートをたくし上げながらいう。
「例の儀式だよ。姫ちゃんにやったやつ。それならマサくんも納得だよね? 満足するよね? 大喜びするよね?」
「本気でいっていますか? 俺のことをからかっていませんか? マジで期待しますよ」
「本気だよ。職場だとアレだから家まで我慢してもらわないとだけれど」
社長の黒髪をくしゃくしゃといじった。
「俺の寿命ががっつり縮むので勘弁してください。俺をキュン死させるつもりですか?」
それから頭をポンポンしておく。
「あと社長は普段の姿で十分可愛いですから。いまだってそうです。スカートの中身とか抜きにしても十分魅力的ですよ」
「はう⁉︎ 魅力的⁉︎」
姫井の口癖がちょっとうつっている。
そんな社長も悪くないな。
「ど……ど……どうしちゃったの⁉︎ マサくん⁉︎ いつもの七倍くらい男らしいよ⁉︎」
「今日は姫井さんと一悶着あったので。一皮剥けたというか、なんか細かいことが色々とどうでもよくなっちゃいました」
「へ……へぇ……成長したんだね……また褒めてあげないとね……」
「社長が側にいてくれるだけでいいっすよ」
俺たちは歩き出す。
それぞれが違う歩幅で。
それぞれが目指すべき方向へ。
「社長が一番ですから」
姫井も。
神宮寺も。
俺と社長も。
それぞれの個性は異なっている。
それぞれの未来も異なっている。
「俺にとってはこの会社が一番ですから」
あえて断言しよう。
俺はこの会社が好きだ。
社長は会社の一部であり。
会社は社長の一部である。
それはコインの裏表のように切り離せない存在なのだから。
この幼女株式会社でずっと働きたい。
いつか社長が幼女じゃなくなったらどうするの?
そんな野暮なツッコミはこの際気にしなくてもいいだろう。
瀬古いのりも。
幼女株式会社も。
今日という一日のぶんだけ成長して、また輝きを増していく存在なのだから。




