056 遊戯の続き
このときの俺の心中は、
うおおおおぉぉぉぉ!
なんか禁断の儀式キタァァァァ!
という歓喜一色であった。
かなり低脳そうなのは認める。
社長のいう『秘密の花園』が何を指しているのかも理解している。
もし冷静な俺がいたなら蔑視を向けたかもしれない。
つまり正常な判断を下しようがないほど倫理観というやつが弱っていたのだ。
そして俺はひとつの重大な見落としをしていた。
「はぁ……はぁ……」
神宮寺である。
瞳をトロットロに潤ませて、口から湿っぽい吐息をもらし、何かを強請るような目で俺のことを見ている。
どうしたんだ、神宮寺さん?
とは思わない。
興奮が抑えられないのだろう。
男の俺でさえ心が溶けそうなほど苦しいのだ。
幼女の神宮寺ならどうなる?
社長と姫井のことをよく知る神宮寺なら?
嫉妬とか、羨望とか、焼きもちを通り越して、妄想のリミッターを外すのではないだろうか。
「やばいよ……須田ちゃん……」
神宮寺がいまにも壊れそうな声でいう。
おしっこを我慢する少女のように足をもじもじさせながら。
「幸せすぎて死にそうだよ。息ができないよ。全身が熱いよ。だからさ……」
ミニスカートの裾を握る手が小さく震えている。
俺の腕をつかんでいる手も小刻みに震えているわけであって。
「いや、須田ちゃんに変なお願いをするのは自覚しているけれども……」
社長と姫井だけいい感じになっている。
一人だけお預けを食らった。
そんな心境だろう。
「いのりと須田ちゃんが同棲していることも重々承知だけれども……」
小さな爪がギリギリと食い込んできた。
頼りない指先が何かを訴えてくる。
「もうこれ以上我慢するのは無理だからさ……」
「ちょっと神宮寺さん?」
健康そうな四肢がゆっくりと絡んできた。
植物のツルのように。
生き物の触手のように。
俺と神宮寺の体がひとつになる。
その動作はあまりにも自然すぎて……。
俺は抵抗することを完全に失念してしまう。
神宮寺だって美幼女だ。
毛色こそ違えど社長や姫井に勝るとも劣らない魅力をもっている。
あろうことか職場で、あろうことか社長たちの側で、俺の肉体を求めてくるなんて。
「……神宮寺さん」
相手は先輩。
だから無下にはできない。
そんな心の間隙をつくように神宮寺が体を寄せてきた。
「ねえ、ハグして。須田ちゃんが前にやってくれたみたいにさ」
「さすがにそれは……。落ち着きましょうよ。神宮寺さんらしくないですよ」
「やって、やって。お願い。いのり達だけ楽しそうにするなんて我慢できない。ねえ、そうだよね。須田ちゃんもハグしたいよね。幼女の体が欲しいよね」
「しかし、状況が状況ですし……」
本音をいうと神宮寺を抱きしめてあげたい。
いつもお世話になっている上司なのだ。
役に立ちたいと願うのが自然だろう。
俺と神宮寺がハグしたらどうなる?
職場の人間関係に影響しないだろうか?
「もしかして、いのりに遠慮している?」
神宮寺がこちらの心を見透かすようにいう。
どこか先輩然とした優しい声のトーン。
「それは余計な心配だよ」
「どういう意味ですか? だって俺たちは勝手に盗み聞きをしている立場ですし」
「私がこうなったのは全部いのりの責任。ひどいよね。私たちが聞いていると知りながらね。ゆり姫と勝手にいい感じになっちゃってね。とても独善的だよね」
「善悪は脇に置くとして、社長が勝手なのは弁解の余地がないですね」
「だから責任を取ってもらおうよ」
「責任ですか?」
アーモンドのような瞳が怪しく光る。
何となく主張は伝わってきた。
「いのりに責任を取ってもらうの。私のことを変にしちゃった責任をさ」
「しかし社長は会議室の中ですから……」
「そう、いま取り込み中だから……」
神宮寺の考えはこうだ。
社長の代わりに責任を取れる人物がもうひとり存在している。
「だから、須田ちゃんが取るんだよ。幼女妻の代わりにさ。旦那さんなんだから。それなら筋が通るよね。夫婦は連帯責任だもんね」
さすが神宮寺。
その発想の自由さに俺は舌を巻く。
「というわけで須田ちゃんが迷う条件はなくなった。私の気が収まるまで私を抱きしめてね」
「そうはいわれましても……心の準備というものが……」
「さあ、早く済ませよう。いのり達が出てくる前にさ」
俺は会議室の様子をうかがった。
予想はしていたけれど、歓喜する姫井の声がする。
「いのりお姉さま! もっと! もっと近くで! 拝ませてくださいませ! もっと腰を落として! はう! そうです、そうです! いい感じです! ストッキングの繊維の一本一本がよく見えます! その奥にあるショーツの皺の一本一本が! さらに奥にある……はぅ……そこから先を想像するなんて、僕は、愚かで、浅ましくて、罰当たりな生き物……ああ! 嗅ぎたいです! あそこの匂いを嗅ぎたいです! 豚みたいに鼻をヒクヒクさせて顔面を埋めたいです! もう幼女としての尊厳など要りません! 僕は愛玩ド変態ペットですから! 穴があったら入りたい! むしろ変態の殿堂があったら入りたい!」
頭がどうかしている。
獣のような奇声をあげる姫井も。
それを餌にして喜んでしまった俺と神宮寺も。
「わかりました、神宮寺さん」
俺はパーカーの上から神宮寺を抱きしめた。
そして一点だけ訂正しておく。
「これは責任とかじゃないです。俺が神宮寺さんを抱きしめたいから抱きしめます。神宮寺さんのことは尊敬していますから。少しでもお役に立ちたいですから。誰かの代わりに責任を取るとか、社長の尻ぬぐいとか、そんな適当な理由で神宮寺さんの肌に触れたくはないです。……俺だけじゃありません。相手が誰であれ同じです。適当な理由で神宮寺さんの肌に触れてほしくないです。神宮寺さんには素敵な相手と結ばれてほしいです。これが後輩としての願いです。それが俺の誠意です」
「ふ〜ん、いい男になったんだね、須田ちゃんはさ」
「全然っすよ……俺なんて」
「先輩の顔が見たいかな」
「まったく……あなたって人は」
神宮寺の肩を抱き寄せた。
ゆるくウェーブした茶髪がこそばゆい。
姫井がいっていたな。
俺と神宮寺は好相性なんじゃないかと。
ちょっとだけ自覚はある。
俺はこの上司を心から尊敬していて。
神宮寺も頼りない部下を本気で育ててくれた。
波長が合うのは否定できないし、否定したくもない。
ただ恋仲になる縁がなかった。
好きの毛色が変わらなかっただけの二人。
それが俺と神宮寺だ。
そうなのだ。
俺には神宮寺の隣に立つだけの資格がない。
この人にはもっと優秀で、もっと理知的で、もっと博学多才な恋愛パートナーが似合うだろう。
優劣ではない。
社長とはタイプが異なる人だから。
たまたま社長が従順なタイプの相手を求めていただけ。
俺では神宮寺の助けになれない。
俺では神宮寺の才能を活かせない。
オフィスの片隅で抱きしめてあげる……ささやかな貢献が精一杯なのである。
俺は神宮寺がこの世で二番目くらいに好きだ。
社長の次くらいに感謝している。
だから抱きしめる。
とても自然なロジック。
なのにこの胸の痛みは何だろう。
もし社長だったら……。
あるいは姫井だったら……。
いまの神宮寺に対して何をしてあげるのだろう。
何をするのが正解なのだろう。
「いきますよ」
ゆっくりと腕に力を込めていった。
布越しに伝わってくる柔らかな肉の感触が心地いい。
とても背徳的なことを考えている。
俺だって、神宮寺だって。
これはニセモノの行為。
「……いのり……私も……」
神宮寺がうめく。
瞳を閉じて何かを想像している。
「……好き……だから……」
神宮寺は俺のことを考えていない。
そのシーンに須田正臣はいない。
おそらく姫井のこと。
社長から愛撫をされる姫井の心情に己の気持ちを投影しているのだろう。
これは感情移入というやつだ。
小説とか映画のような仮想世界ではなく、現実世界に対する感情移入である。
「……神宮寺さん」
「……あすかって呼んで」
「あすか……あすか……あすか……」
下の名を連呼してみる。
その度に色気を増していく子猫のような顔つき。
とても可愛らしい。
いつもフレンドリーだから意識しなかっただけで。
「とっても可愛い反応ができるんだね、あすか」
社長の口ぶりを真似てみた。
これが神宮寺の望みだから。
神宮寺が望んでいる瀬古いのりを演じきる。
「はぅ……そんな……」
神宮寺の口から姫井のような喘ぎ声がした。
着衣か? 脱衣か?
オフィスか? 自宅か?
いま脳内ではどのような妄想が展開されているのだろう。
これは責任とか尻ぬぐいじゃない。
もっと神宮寺の役に立ちたい。
だから俺の手でやる。
「いまどんな気持ちなの? いってごらん」
やっぱり社長はすごいな。
こんなに恥ずかしいセリフを練習したみたいにいえるなんて。
俺なんて15秒くらいが限界だし、すでに呼吸が止まりそうなくらい苦しいのに。
「君の……ことが……大好き……」
神宮寺が抵抗するように首を振る。
これは女の子に共通する癖なのだろうか?
そんな反応を見せられると、俺なら強引に抱きしめたくなるわけであって。
「あすか、君って誰のことなの?」
また社長の声を真似る。
そろそろ俺も限界だ。
脳みそが溶けそう。
「わからない! そんなのわからないよ!」
神宮寺が首をブンブンと振った。
天才なのに? わからない?
その神宮寺らしくない反応は、相手役に徹する俺を釈然としない気持ちにさせる。
「わからない? どうして?」
「それもわからない!」
「なのに好きなの?」
「うん! うん!」
そろそろ呼吸が限界だ。
深いところまで引き込まれていく。
これ以上やると戻れなくなるかもしれない。
神宮寺が涙声でなにかをいう。
そして甘えるように太ももを押しつけてきた。
もはや茶髪もミニスカートも乱れまくっている。
俺はもう一度だけ子鹿のような体を抱きしめた。
ほんのりと膨らんだ胸をもつ、雛鳥のように幼い体つき。
「わからないけれど、好きなの! 大好きなの! 君のことが! 好きなの!」
神宮寺は振り絞るような声でそういった。
ドクン、ドクンという強い鼓動が聞こえる。
その発信源は俺だったか……。
あるいは神宮寺だったか……。
これが正解なんだよな?
これが神宮寺の求めていた行為なんだよな?
その二つの疑問は溶けきらなかった砂糖のように頭の中をクルクルしていた。




