055 幼女遊戯(後)
「おい、須田ちゃん……」
神宮寺が小声でいう。
「バレましたね……」
俺も小声で返す。
「ごめん、たぶん私のせい。思わず変な声が出ちゃったし」
「いや、俺のせいだと思います。男の声ですし。神宮寺さんの声はきっと姫井さんの声で相殺されますよ」
「くそぅ……完全にこちらを見下したような口振りだったな。あんな罵詈雑言をもらったのは生まれて初めてだ。思わず空気に飲まれるところだったぜ。いのりに罵られると胸がドキドキするんだよな」
神宮寺がミニスカートの裾をぎゅっと握った。
俺も同じ気持ちだったりする。
いつもは清楚で優しいぶん、何か特別なことをしてもらったような幸福感が寄せてくるのだ。
それにしても『ドアに耳を押し当てて、飼い主に餌をねだる、むしろ発情した牝犬をねだる、盛りのついた牡犬みたいに、破廉恥で、邪で、助兵衛で、色気違いな連中……』か。
否定できないのが辛い。
これで喜んでいるのがもっと辛いのだが。
「神宮寺さん、どうします? まだ続行しますか?」
「毒を食らわば皿まで。乗りかかった舟だろう。最後まで聞くしかないよね。しかし悔しいな。盗聴されるのを楽しむ神経って何なんだろうな? 私たちが舞台装置みたいな扱いだよな?」
「悔しいですが神宮寺さんのおっしゃる通りですね。社長の手のひらで転がされている感がありますね」
ここで逃げたら負け。
自分たちにそう言い聞かせて盗聴を続行することに決めた。
「さてと、そろそろ服を脱ぐかな。まずは私のジャケットから」
社長がわざとこちらに聞かせるような声でいう。
しゅるしゅるという音に続いて、バサリ、と床に何かが落ちた。
ちょっと色っぽい。
ただジャケットを脱いだだけなのに官能的な雰囲気がある。
しばらくの空白が降ってきた。
次に何を脱ぐのか迷っているのだろうか?
「姫ちゃん、いきなりドレスの本体をいっちゃう?」
「ドレスを丸ごとですか⁉︎ そんなことをされたら僕の外堀と内堀が一気に埋まっちゃいます! 大坂の陣です! もはや本丸が裸も同然になります! むしろ股を開いた負け犬ポーズで慈悲をねだる、性欲たくましい将軍の俘虜となった婦女子も同然になります!」
すっかり動揺している姫井は、訊かれてもいない気持ちをさらけ出す。
「いいんじゃない? 大切なところを全部見せちゃっても。隠し事はしない。それが信頼の証というものでしょう。あと私は性欲たくましい将軍じゃないよ。姫ちゃんの身を守る騎士だよ。だからさ……」
「はう……何でございましょうか?」
まさか……。
ここで姫井相手に使うのか?
あの必殺技『天然の人たらし』を発動させるのか?
「いまここで示してくれないかな? 姫ちゃんの信頼の証をさ。口先じゃなくて。その態度で示してほしい」
うわぁ⁉︎
すごく爽やかなことを言った!
ドロドロのシチュエーションなのに字面だけは無駄に格好いい!
これが本気だ。
あの瀬古いのりの本領発揮だ。
ただ盗聴しているだけなのに、実物を見ているわけではないのに、俺の胸まで張り裂けそうになる。
「あわわわわわぁ……はぅはぅ……きゅうぅぅぅぅ〜」
姫井がイルカのような鳴き声をあげる。
その脳内はもはやミキサーでぐちゃぐちゃにされた気分だろう。
男の俺だって胸の高鳴りが抑えられないのだ。
恋バナに目がない姫井なら悶絶してもおかしくない場面といえる。
まさに恋愛ドラマ。
その中の一番甘いシーン。
理想を形にしたような美男子から迫られるヒロインの姿と重なるのだから。
「……ほしい……です」
姫井が糸のような細い声でいう。
「ん? もっと大きな声でいってごらん」
社長はドアの向こう側を意識するような声でいう。
「そんなぁ……だって……あの扉の向こうには」
「だからだよ。あすかとマサくんに聞かせてあげないと。……会社の風紀を守っている、社員たちの働き方を管理している、いつも澄ました顔をしていて、何があっても冷静なあの姫ちゃんが、媚びる目つきで、蕩ける顔つきで、だらしない口で、鼻をヒクヒクさせながら、もっとも聞かれたくない言葉を、もっとも聞かれたくない仲間の耳に、はっきりと聞かせてあげるの。できるよね? 優秀な姫ちゃんなら余裕だよね?」
「……はい、もちろんですよ。いのりお姉さま。僕ならできますとも」
姫井がクスクスと笑った。
何かを悟ったような余裕のある笑い声。
社長の言葉責めのせいで頭のネジが何本かぶっ飛んでいる。
社長が姫井の性格を変えてしまったのか⁉︎
そんなに簡単に人のキャラは変えられるものなのか⁉︎
俺はすべての意識をドアの向こう側へと集中させており、魂だけを持っていかれたような感覚になる。
「さあ、いってごらん。姫ちゃんは何を望むの?」
「いのりお姉さまの手で脱がせてください。僕とお姉さまの距離を隔てているこのドレスを」
「うん、よくいえました。さすが姫ちゃんだね。あとでご褒美をあげないとね」
ゴソゴソという衣擦れの音がしばらく続いた。
コルセットの紐を解いているから時間がかかるはず。
いま姫井はどんな気持ちなのだろうか?
緊張で手足の震えが止まらないのか。
唇をぎゅっと固く結んでいるのか。
雪のように白い肌が。
きれいな姫井の腹部が。
ショーツから伸びる美脚のラインが。
三秒でもいい、いや一瞬でもいいから目の前のドアを開けてみたいという欲望に襲われる。
とても強い衝動だ。
脳内にある血液が沸騰しそうなくらいの生理的な欲求。
バサリ、と。
社長のジャケットのときよりも重量感のある音がする。
姫井はドレスを脱いだのだ。
外堀内堀と呼んでいたガードを捨てた。
まさに俎上の鯉。
抵抗できないロリータ姫。
社長がその気になれば全身を揉みしだくことも、強引に唇を奪うこともできる。
しかし社長はそれ以上を姫井に求めなかった。
わざわざ攻撃の権利を捨てて、物語のスピードが加速することを優先させる。
「じゃあ、次は私からご褒美をあげようか。姫ちゃんの信頼の証に応えないとね」
会議室の机がギシギシと鳴る。
ふたつのトントンという足音がする。
「始めようか。スカートの中に広がる秘密の花園を心ゆくまで脳裏に焼きつける儀式とやらを」
おそらく社長は机の上に立っている。
股を広げて。
スカートをたくし上げて。
姫井からよく見えるよう覆いかぶさっているはず。
激しい愛撫は起こっていないのに。
お互いに一枚と一枚を脱いだだけなのに。
それなのに俺の想像力を悩殺しにくるなんて……。
禁断の儀式の扉がギギギギッと開いていく。
確かな感触があった。




