053 幼女遊戯(前)
社長と姫井がいなくなったフロアは、水を打ったような静けさに包まれ、誰もが微動だにできずにいた。
遠くのスマートフォンが小さく鳴る。
プリンターのクリーニング音が虚しく響く。
そこにコンビニ袋を提げた神宮寺が鼻歌を歌いながら戻ってきた。
「うぃ〜す、ただいま〜」
「あっ……神宮寺さん」
俺は救われたような気持ちになる。
「ん? どしたの? トラブル?」
「トラブルといえばトラブルです」
「よ〜し、キタキタキタァ〜。私の留守を狙うなんて小生意気なトラブルだぜ。瞬殺してやんよ。腕が鳴るぜぃ」
「いや、そっちじゃなくて……」
何と説明すべきだろうか?
俺はとりあえず会議室のドアを指差した。
「姫井さんが連れていかれちゃいました。会議室の中に」
理解できない神宮寺はポカンとする。
「はい? ゆり姫が? 誰に?」
「それが……社長に……」
「おう……何分前だった?」
「さっきです。30秒くらい前です」
「よし。トラブルだな。一回落ち着こう」
後から振り返るとこの時の俺はちょっとテンパっていたと思う。
神宮寺と会話することで冷静さを取り戻したといえる。
「本当の本当に社長なんだな?」
「そうです。宴会場から直行してきたらしいです。お酒が飲めないから早めに抜けてきたと」
「なるほど。賢明な判断かもな。うっかり誤飲したら倒れそうだしな。社長が帰ってきたのはわかった。そしてゆり姫が何かやったのか?」
「実は……」
俺は順を追って説明した。
ちゃんと神宮寺に伝わるよう三回くらい説明した。
社長と同棲していることが姫井にバレていたこと。
スタンガンを向けられて離縁を迫られたこと。
それが姫井なりの演技だったこと。
「俺と姫井さんはちゃんと和解しました。そこまでは問題なかったのですが……」
「その現場を社長が見ていたと? 姫井の暴走にお灸をすえると?」
「そんな感じです」
「マジか〜」
神宮寺は一瞬だけ渋そうな顔をする。
「あいつ、私が離席したタイミングを狙いやがったな。そういう陰気なことをやるから墓穴を掘るんだよ。これは因果応報じゃないか? ざまあみろってんだよ」
「元々の原因は俺にありますから。さすがに申し訳ないです」
「ふむ、気持ちはわかる。だが諦めるしかないな」
「そんな……」
俺が頭を抱えていると、神宮寺はドアの前まで移動した。
扉の上から耳をピタッと押し当てる。
「須田ちゃんもこいよ。中の声が聞こえるから。さらば、ゆり姫。せめて断末魔の叫びだけは私たちの耳に刻んでやるのじゃ〜」
俺も神宮寺を真似してみる。
「これって軽い盗聴にならないですかね?」
「いいんだよ。職場なんだから。細かいことは気にするな」
「社長の怒りがドス黒かったですから。そこだけが気がかりです。姫井さんが何をされるか……」
「心配はいらねえ。社長とゆり姫の仲だ。そんなに手荒なことはしないだろう。お互いに中身は立派な社会人なんだし。手心を加えるに決まっている」
俺たちは耳を澄ました。
すると二つの異なる声色が響いてくる。
「あっ……くっ……はう……しゃちょ……そんな……ああっ……まっ……」
これは姫井の声だ。
いまにも溶けそうなほど甘い声。
「あれあれ〜? どうしたの? まだ始まったばかりだよ? 瞳をうるうるさせちゃってさ。ちょっと怯えている姫ちゃんも可愛いよね。もっとトロットロにさせてあげたくなっちゃう」
これが社長の声か。
予想はしていたけれど肉体的な接触が起こっているっぽい。
「おいおい、マジかよ。あいつら……」
「さすがにこれは……」
「ここは職場だよな」
「ですね」
神宮寺も同じことを想像したらしい。
『社長攻め』×『姫井受け』の展開になっている。
声だけしか聞こえないけれどもエロい。
いや、声だけしか届かないからこそエロいともいえる。
立っているのか? 座っているのか? 寝ているのか?
それらの情報が一切ないのだから。
「やべえな、こりゃ。楽しすぎるだろ。社長はともかくゆり姫は本気じゃねえか。そのうち泣き出すんじゃねえか」
「ちょっと神宮寺さん、さすがに不謹慎ですよ。姫井さんは嫌がっていますから」
「ゆり姫が嫌がっているのは演技だろ?」
神宮寺が興奮を押し殺すようにいう。
「内心ではいのりに折檻されたくて仕方がないって声だぜ。あの変態め。愉快すぎるだろ。職場で燃えやがって」
なるほど、姫井は喜んでいるのか。
神宮寺の解説を聞いていると納得である。
俺たちは再び耳を澄ませた。
「どっちから攻めようかな? 上がいい? それとも下がいい? 可愛い姫ちゃんに決めさせてあげるよ。ねえ、どっちがいい?」
「あうあう……いきなり下とか……されたら恥ずかしくて死んじゃいます。……上からお願いします」
「じゃあ、下だね。楽しみだな。姫ちゃんがどんな反応を示してくれるのかな」
「そんなぁ……後生ですからぁ……ひゃんっ!」
「目を閉じちゃダメ。ちゃんと見ていてね」
「ああんっ! いのりお姉さまっ!」
「お姉さま? いいね、それ」
「燃えますか?」
「とっても」
ヤバすぎる。
でっかい喘ぎ声みたいなのがした。
これは美幼女と美幼女による遊戯といえる。
禁じられた遊びとか、やってはいけない調教と一緒。
ただ服の上からボディタッチしているだけの気もするが、ふたりの欲情がいきなりフルスロットルなのである。
俺はチラリと神宮寺の横顔を見た。
ほんのりと紅葉のように染まっている。
身近にいる同僚のこんな声を聞かされたら、神宮寺でなくとも平静ではいられないはず。
「姫ちゃんはここをどうして欲しいの?」
「はう……優しく……お願いします……」
「お願いします、いのりお姉さま、でしょ?」
「うぅ……お願いします……いのりお姉さま……ド変態で……ロリコンで……不器用で……無愛想で……救いようがない僕のあそこを……ああっ!」
恥ずかしくてその先がいえない!
そんな姫井の反応がヤバいくらい可愛い!
えっ⁉︎ えっ⁉︎
これは夢ですか⁉︎
ホテルとかじゃなくて職場ですよね⁉︎
そうだ!
きっと足裏のマッサージをしているだけだ!
ぐりぐり押されたら痛いツボもあるだろうし、それで悲鳴をあげちゃったのだ。
俺は都合のいいストーリーを組み立てていく。
自分で自分を騙さないと生きていられないほど甘すぎるシチュエーションなのだから。
「……たまらねえな」
「……ですね」
神宮寺が俺の腕をつかんでくる。
心から溢れてくる感情を誤魔化すように小さな爪を立ててきた。
「どこまでやるんだろ? まだ序の口だよな? きっと序盤だよな? ということは……」
「すみません、神宮寺さん。俺もまったく同じことを考えました。ふたりの続きがメチャクチャ気になります」
「ひとりで聞くと恥ずかしいからさ、須田ちゃんも付き合ってくれる? こっちの胸までキュンキュンしてきたし」
「もちろんです。望むところです」
姫井の気持ちがちょっとだけわかる。
俺だって社長に迫られたことがあるから。
あれは人の理性をぶっ飛ばしてくる。
身分とか、立場とか、遠慮とか、その他のしがらみとか……。
それらの一切合切がどうでもよくなって、感情のブレーキが効かなくなるのだ。
姫井も似たような気持ちだったら……。
思いっきり感情移入してしまったら……。
「やばい、やばい、やばいよ、超ドキドキしてきた」
そういう神宮寺の爪がぐいっと食い込んできた。




