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047 青眼の乙女

『午前中の電話は控えましょう』

 そう書かれた紙が職場の壁には貼られている。


 これを書いたのは姫井だ。

 いかにも姫井らしい姫井さん語録。


 午前は集中力のゴールデンタイムである。

 だからクリエイティブな作業に集中した方がいい。

 電話は後回しにしましょう……そんな意味合いがあるような気がする。


「須田ちゃん、いま大丈夫?」


 神宮寺が手元の缶コーヒーをプシュッと開封しながらいった。


「はい、大丈夫です。何でしょうか?」


 俺は作業していた手を休める。


「メールで送ってもらった『ユーザの皆さまへのお知らせ』をちょっと修正したから。印刷してから目検(めけん)でチェックして、問題がなかったらゆり姫にも転送しといてね〜」

「了解です。確認ありがとうございます」


 俺はプリンターを操作するため席を立った。

 するとスケッチブックに鉛筆を走らせる姫井と目があう。


 とても繊細な線のタッチ。

 思わず引き込まれそうな幼女の世界。


 姫井は新キャラのデザイン案を考えているらしい。

 仕上げは専門のグラフィッカーへ発注しているが、幼コレの下絵はすべてうちの会社が用意している。


 これには大きなメリットがある。

 幼女キャラクター全員に統一感があり、品質がほぼ一定に保たれるのだ。

 異なるグラフィッカーが作業をしても、姫井ワールドの可愛い雰囲気までは変わらないのである。


「須田くん」


 姫井は他のメンバーに対して冷たい。

 神宮寺はああいっていたが、ちょっと誤解があるような気がする。


「次の新キャラはヴァルキリーにする予定なのですが、右のデザインと、左のデザインと、どちらが可愛いと思いますか?」


 姫井が胸の前でスケッチブックを広げた。

 そこには一枚布をまとい、剣と盾を装備した二人の幼女が描かれている。


 戦乙女。

 ヴァルキリー。

 ゲームの世界ではかなり著名なキャラクターといえよう。


「どっちも可愛いです。でも細部が微妙に違うのですね」

「そうです。右のデザインは羽飾りをアクセントにしています。左のデザインは花飾りをアクセントにしています。支援系のスキルを持たせる予定なので、フワフワした柔らかいデザインを考えています」


 羽飾りと花飾り。

 双子の姉妹みたいで甲乙つけにくい。


「俺だったら右ですかね。ヴァルキリーといえば空を飛べそうなイメージがありますし。花飾りよりも羽飾りの方がユーザもしっくりくるかと」

「なるほど。幼コレのメイン客層は幼女ですが、男性ユーザも一定数はいますしね。非常に参考になります」


 すると姫井は左側のイラストを破ってしまった。

 丹精こめてデザインしたはずなのに、手でぐちゃぐちゃに丸めてしまう。


「ん? どうしました?」

「いや、せっかく綺麗に描いたのにもったいないなと……」

「そうですかね?」


 姫井がキョトンと首をかしげる。


「ただの紙と黒鉛ですが……須田くんがもったいないと感じるのは、資源を無駄にしたという意味合いでしょうか? それとも僕の労働力のことでしょうか?」

「ボツになったデザインも可愛いのにな、と」

「その発想はありませんでした」


 姫井の声が半オクターブだけ高くなる。

 表情こそ仏頂面であるが、感情がないわけではない。


「僕がつくったキャラに同情するなんて、須田くんは優しいのですね。感受性が高い証拠といえるでしょう」

「題材が幼女ですから。少しは胸が痛みますよ。それくらい姫井さんの絵はうまいです」

「なるほど。社長が須田くんを側に置きたがるわけです」

「それは……」


 まさか同棲のことがバレたのか?

 いくらなんでも唐突なのだが……。


「ほら、須田くんはこの会社で唯一の新卒採用じゃないですか。よっぽど光る才能があったのでしょう。何よりフィジカルとメンタルが強そうですし。つまり社長のお気に入りというわけですよ」

「ああ、なるほど。確かに気に入られていますね。幼女化したあとは特に。才能については自信がないですが」


 まだ同棲のことは知らないらしい。

 俺は虎口を脱したような気分になる。


「そういえば……」


 姫井が立ち去ろうとした俺を呼び止める。


「はい、次は何でしょうか?」

「須田くんは電車の定期券を解約したのですよね。差額精算の手続きをする必要があるので、あとで書類を提出してください。記入方法はわかりますか?」

「いえ、教えてもらえると助かります」

「ではこの場で教えます」


 この流れはちょっとまずい気がする。


「定期券を解約……ということは引っ越しを?」


 パソコンを操作する姫井の手が止まった。


「ええ、そうです」

「会社の近くの物件に?」

「そうなりますね。通勤に便利ですから。これからもっと仕事を頑張りますよ」

「それは頼もしい。須田くんの将来が楽しみです」

「……どうも」


 声が震えそうになるのを必死に我慢した。


 俺の将来が楽しみ?

 なぜか姫井を裏切っているような気分になる。


 そんな俺の動揺を知らない姫井はひとつのファイルを開いた。


「しかし、神田エリアの不動産は賃料が高くありませんか? 僕も過去に調べたことがあるのですが」


 また姫井の手が止まる。

 賃料……これは冷静な指摘といえよう。


「ええと……おっしゃる通りです」

「こんなことをいうのは失礼ですが、須田くんの給料の大半が家賃で消えませんか? 月々15万円とか20万円の物件がゴロゴロしていますから。よく千代田区に住もうと思いましたね。交通の利便性だけがメリットでしょうに」

「単身向けのワンルームとかなら……背伸びすればなんとか……」

「なるほど。僕も今度調べてみます」


 あれ?

 姫井も引っ越すつもりなのか?

 ロリータ服での通勤は大変そうだし、気持ちが分からないでもないが……。


「そういえば社長も定期券を解約していました」

「へえ、社長も引っ越したのですね」

「登記簿の変更手続きとかが発生しますから。ここから歩いて10分くらいの物件ですよ。しかも単身向けのマンションではありません。確か教えてもらった物件名が……」


 知っている!

 俺の住所でもあるから!


「あの……姫井さん」


 この場で白状しちゃた方がいいのではないか?

 いまなら神宮寺やその他の先輩もいる。


「実はですね……」


 ちゃんと相手の目を見ながら伝えよう。

 3……2……1……とカウントしたら話そう。


 姫井なら理解してくれるはず。

 あの社長が選んだナンバーツーだから。

 病的なロリコン癖にさえ目をつぶれば優秀すぎる人間じゃないか。


 いまの俺に必要なのは姫井を信じる気持ちだ。

 社長が信頼している姫井を信じろ。


 ………………3。

 …………2。

 ……1。


「ん? もしかして須田くんは……」

「あ、はい」

「誰かお付き合いしている女性の方がいるのですか? 結婚を視野に入れているとか? そのための引っ越しとか? もし扶養家族になるのでしたら前もって教えてくれると助かります」

「いえ……」


 俺は苦笑いしてから首を振る。


「そういうわけではないです」

「ですよね。須田くんはまだ23歳ですから。結婚とか婚約を急ぐような年齢じゃありませんよね」

「ええと、その件でちょっとお話が……」

「まさか」


 姫井のブルーアイズが鋭利な光を放つ。

 やばい、真実を伝えちゃうと粉砕されそうだ。


「須田くんも社長のことを狙っているとか?」

「ちょっと待ってください。須田くんもの『も』って何ですか?」

「世の中の男子なら社長のような幼女には憧れるでしょう。同じ空気を吸っている時間だけでいうと、男子の中では須田くんが一番長いわけですから。恋煩(こいわずら)いがあっても不思議ではありません。むしろ自然な欲求でしょう」

「なるほど」


 ちょっと意外な気がした。

 姫井なりに俺のことを気にかけている。

 この流れで同棲のことを切り出しちゃうのが正解ではないだろうか。


「悪いことはいいません。社長のことは諦めなさい。きっと苦労しますよ」


 のっけからの否定。

 それだけでは終わらない。


「それに須田くんだったら……」


 姫井が一人のメンバーを見つめる。

 ミニスカートとニーソックルが特徴の功労者だ。


「神宮寺さんがお似合いじゃないですか? あの人はちょっと無精な性格をしていますから。須田くんのマメさが存分に活きると思うのです。それに僕の見立てだと、神宮寺さんのような幼女は100%美女になります。99%ではありません。100%なのです。この1%が超重要です。あとここだけの話をすると……」


 姫井が声のトーンを落とす。

 俺は思わず生唾を飲んだ。


「実はあの人、やや巨乳の家系なのです。ご母堂も妹君も出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいますよ」


『これは耳寄りな情報でしょう?』

 とでもいいたげに姫井が首をかしげる。


「すみません、もう一度お願いします」

「実は神宮寺さん、やや巨乳の家系なのです。ご母堂も妹君も出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいますよ」


 これは聞き逃せない発言だ。

 すごく無垢そうな顔をして、すごく下衆いことをいった。


「おい! ゆり姫! 人の将来がどうとか、業務に関係のない話をするなよ!」


 しかも本人に聞こえている。

 地獄耳スキルの持ち主だった。


「社員の将来のことを考えるのも、人事担当である僕の責務なのです。いまは須田くんの将来のプランを真剣に考えているのです」

「聞こえたぞ! 神宮寺がどうとかいったな! しかも巨乳が何だって! ご母堂とか妹君とかアホか! そろそろ訴えるぞ、色ボケ幼女め! 今日まで我慢してきたがもう限界だ!」


 神宮寺が怒りのあまり口角泡を飛ばす。


「神宮寺さんだって僕のことをゆり姫ゆり姫といってバカにするじゃないですか? これには悪意しか感じないのですが?」


 対する姫井も負けじと反論した。


「だって名前がゆり姫じゃないか!」

「そこは『姫井さん』か『姫ちゃん』でいいでしょう。僕だって神宮寺さんと呼んでいますし」

「それだと面白くない。つまらない。嫌だね。味気ない性格をしているのに、呼称まで味気なかったら終わりだろ? ゆり姫はルックスだけの幼女じゃないだろう? 本当は熱いスピリットの持ち主だろう?」

「何ですか、そのスポーツ根性みたいな言い草は? 僕としては呼称で差別化をはかる気は全然ないです。それにしれっと人が傷つくことをいいましたね。味気ない性格? ルックスだけの幼女? よくそんな言葉がいえるものです。本当にもったいない欠点ですよ。才能があるぶん。なおさら」


 姫井の怒りのボルテージが上がっていく。


「少しは須田くんの性格の良さを見習ってください。なんなら結婚を前提にお付き合いしたらどうですか? 少しは神宮寺さんの欠点も解消されると思いますよ。朱に交われば赤くなるといいますし。仲人(なこうど)は社長にお願いするのがいいでしょう。喜んで引き受けてくれるはずです」


 神宮寺が椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。


「いいや、私と須田ちゃんが付き合うなんてありえない!」


 姫井がすぐに『?』の表情をつくった。

 神宮寺は追い打ちをかけるように宣告する。


「それに須田ちゃんが好きな女は別にいる!」


 あ、やべ。

 いっちゃった。

 神宮寺の口からいっちゃった。


 俺がモタモタしたばかりに。

 完全に裏目に出たといえるだろう。


「まさか……」


 姫井のブルーアイズがくわっと見開かれる。

 玉砕の足音がひしひしと迫ってきた。

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