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045 笑わない姫

 お別れのシーン。

 映画やドラマだと切なかったりするが、それは現実世界でも同じらしい。


「なんか緊張してきたなあ。ちゃんと一時間も話せるかな?」

「落ち着いてください。聴衆たちは社長の魅力にメロメロですから。普段通りに明るく振舞っていれば問題ありません」


 社長と姫井が互いの手を握り合っている。

 まるで一日の離別を惜しむように。


「六本木の会場までお送りしましょうか? なんならステージ脇までお供しましょうか?」

「さすがにそれは申し訳ないよ。姫ちゃんには姫ちゃんの仕事があるだろうし」

「部下のことを気にかけてくれるなんて……お優しいのですね」

「誰のお陰で私がこのお城を留守にできると思っているの?」


 姫井のおでこと社長のおでこがピタッと密着する。


「それは姫ちゃんのお陰だよ」


 背景に桃色のエフェクトが掛かっているのではないか?

 そのくらいの激甘シーンだ。


 褒められた姫井が頬をゆるめる。

 その容姿はほぼイギリス産……つまりサラブレッドの血統だ。

 しかも本人が選んだロリータ服で身を固めているから、ロリコンの理想を体現したような美幼女になっている。


『生まれ変わるなら姫井がいい』


 そのように憧れる女性がいても不思議じゃない、むしろ憧れて当然のレベルといえよう。


「社長……好きです」

「私も姫ちゃんのことが好きかな」


 いやいや!

 ふたりの好きは毛色と重さが違うだろ!


 おそらくフロアにいる全員が同じことを考えたはず。


「何かあったら電話してもいいですか?」


 姫井が恥じらいながら許可を求める。


「うん、いいよ! どうせ基調講演が済んだら私なんてお飾りみたいなものだし。席を外すキッカケができて嬉しいかな」


 社長がふたつ返事でOKするものだから、それが姫井の忠誠心に火をつけた。


「はう……幼女フォーラムよりも部下のことを優先していただけるなんて……恐悦至極でございます」

「そうかな〜。仲間の声が聞けるといつだって安心するけどな〜」

「電話します! 何回だって声をお聞かせします!」


 これは普段の姫井じゃない。

 社長の前でしか見せない甘々モード。


「おっと、そろそろ時間だね」

「道中の安全にはお気をつけください」

「大げさだね。どうせタクシーで会場まで移動するだけなのに」

「ですが……やはり会場までご一緒した方が何かと便利ではございませんか?」

「う〜ん」


 この流れは……。

 社長の必殺技『天然の人たらし』が発動する前触れといえる。


「私が男なら姫ちゃんみたいな美幼女を無理やり誘拐しちゃうかな〜。お姫さまみたいに可愛いから。必要ないのに外出しちゃダメだよ」

「あう……それなら我慢しますが……」


 ……むしろ社長に誘拐して欲しいです。

 甘々モードの姫井は考えていることが表情に出ている。


「まったく……ゆり姫め……いのりの優しさを利用しやがって……」


 それを見つめる四つの瞳があった。

 俺と神宮寺である。


「よく見とけ。あれが骨の髄まで社長にたらし込まれた人間の末路だ。もう救いようがない」

「ちょっとした狂気は感じますけれど……まだ可愛げがあるレベルじゃないですか?」

「ちょっとした狂気? あれが?」


 神宮寺がふんと鼻を鳴らした。


 須田ちゃんの目は節穴かよ?

 アーモンドのような瞳がそう訴えかけてくる。


「留守は任せたよ、姫ちゃん」

「応援しておりますよ、いのり社長」


 社長がいなくなったあと、残された姫井が淡いため息を漏らす。


 ドレスの裾を揺らしながらロッカーの前へ移動した。

 何をするのか見守っていると……。


「ああ……いのり社長……あなたはなんて……尊い! 尊い! 尊い! 尊い! あおげば尊し! いのり社長! 好きだなんて! 好きだなんて! いけません! これは禁断の愛! いけません!」


 ガンガンガンガンガンッ!

 キツツキのような勢いでロッカーの扉に頭を打ち付け始めたのだ。


 くすんだ金髪が無残に崩れていく。

 ヘッドドレスの位置が乱れても姫井はお構いなしといった様子だ。


「社長のためならひと肌脱ぎたい! というかこのコルセットドレスを脱ぎたい! それから社長を一糸まとわぬ姿にして、頭から爪先までロリータ服で固めたい! 白ロリと黒ロリのアベック! それこそ至高! それこそ最強! それこそ最カワ! ロリの極みへと至るにはお互いの肉体が必要なのです!」


 さすがに危ないと思ったらしく、


「ちょっと、姫井さん!」

「それ以上やると頭が割れますよ!」


 近くにいた社員たちが慌てて静止させた。


 うおおおおぉぉぉぉ!

 なんか久しぶりに規格外の変質者を見たような気がする!


「いや……ちょっと……姫井さんってあんなに頭が悪そうなキャラでしたっけ?」

「すごい著名人でも恋愛絡みだと大ポカやるだろ? 判断能力と倫理観が狂うのだろうな。あれと同じメカニズムだ」


 神宮寺が前髪をいじりながらいった。


「マジっすか……」


 冷静に考えればすごいことだ。

 社長とは15年来の友人なのに神宮寺は『完堕ち』していない。

 俺とか姫井なんて社長の魅力にあっさり悩殺されて、もはや操り人形(マリオネット)状態なのに。


「だが心配はいらねえ。あれでも会社の法務担当だ」

「それってどういう意味ですか? 俺の頭じゃ理解が追いつかないのですが……」

「ゆり姫が会社のコンプライアンスとモラルを管理している。いわば法の番人な。ゆり姫に聞けばやって良いこととやって悪いことの区別がつく。先生みたいなものだ」


 いや、肝心の法務担当がまあまあ危険なのだが……。

 そこら辺を神宮寺はどう思っている?


「だが、ちょっと気になるよな。ああいう態度はさ。社長の前だけでニコニコする感じ。いや、ふたりが仲良しなのは別にいいんだけれど……」

「姫井さんの甘々モード?」

「そうそう」


 神宮寺が手元のペンをくるりと回す。


「ゆり姫のやつ、他のメンバーには微妙に冷たいよね。素っ気ないというか、無愛想というか……。うん、笑わない。あれは笑わない姫だな。いや、私に対して厳しいのはいいんだ。ここだけの話をすると、ゆり姫よりも私の方が給料を多くもらっているし。普段からまあまあ迷惑をかけているし。そもそも性格の不一致が大きいし……」


 給料でいうと神宮寺が上。

 ポジションでいうと姫井が上。

 この手の采配には社長らしい細やかさが表現されている。


「でも他のメンバーにもキツく当たる時があるよな。ゆり姫が上司なんだから、相手が萎縮するだろって、私は何回も注意したんだけれども……」

「俺も疑問に思っていました。社長の前と神宮寺さんたちの前とで、露骨にキャラが変わりますよね。ご本人は無意識なのかもしれませんが」

「それそれ。不機嫌なの? なんか怒らせちゃった? もしかして逆鱗に触れたかも? みたいに不安になるよな」


 ブルーサファイアの瞳がこちらをにらんでくる。

 俺たちの会話の内容までは聞こえていないはずだが……。


「神宮寺さん」


 底冷えしそうな声で名を呼んだ。

 きれいな顔をしているぶん、怖さも倍増といえよう。


「おい、ゆり姫。頭は大丈夫なのかよ? 真っ赤だぞ」

「失礼な……いつだって正気です。いつだって狂いはありません」

「そっちじゃねえ! 私が心配しているのは外面の方だ! 少しは自分の体を大切にしろ! お前に何かあったら悲しむのは社長だからな!」

「それは……おっしゃる通りですね」


 姫井が抑揚のない声でいう。

 さっきまでは社長に対する愛情で暴走していたのに、いまは氷のように冷たい目で神宮寺のことを見下している。


「金庫に置いてあったお金が減っているのですが? 勝手に手をつけたのは神宮寺さんですよね?」

「悪い、悪い。どうしても急に必要だったから拝借しちゃった」

「まったく、あなたって人は……」


 法の番人。

 魂のないフランス人形。

 瀬古いのりの優秀なブレーン。


「……どこまでも自由なのですから」


 すべて同じ姫井さんだ。

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