038 初夜の続き
喜び。
安心。
希望。
愛しさ。
充足感。
色とりどりの感情が波のように寄せては返す。
「ねえ、マサくん……」
社長が体を重ねながらいう。
「お互いの体でぬくぬくしようか?」
「ぬくぬくが必要な季節じゃないですが……」
「だからいいんじゃない。季節外れのぬくぬく。季節外れの花がとっても綺麗なのと一緒だよ」
社長の顔色をうかがってみた。
そろそろ酔いが醒めたんじゃないかと思ったからだ。
それほどの長い時間をソファという限られた場所で過ごしている。
「ほら、ぬくぬくしよ」
社長がにっこりと誘ってくる。
すると一秒前まで考えていたことが白紙になった。
「ん? 私が酔っ払っているか気になるの?」
「……わかるのですか?」
「ずっと気にしているよね。さっきから。そのくらい視線と表情でわかるよ。私のことを心配するなんて本当に優しい男の子だね」
「そりゃ、会社のトップですから……」
その言葉が終わらないうちに、ピンク色の唇が降ってきた。
小鳥が木の実をついばむみたいに。
チュッ、と。
本日で何回目になるかわからない愛情の印を俺の額に残していく。
まだ唇と唇じゃないから良いものの、いつ一線を越えてもおかしくないというスリルが、背徳感をゾクゾクと刺激してくる。
「今日はふたりの記念日でしょ。共同生活をスタートさせた。あんまり遠慮されたんじゃ先輩が傷つくよ」
「遠慮というより、もう無遠慮なくらいでして」
「最近の若者は控え目だな~」
「いやいや、社長も若者の部類ですから!」
ノリノリになった社長がぐっと顔を寄せてきた。
とても長いまつ毛をしている。
もう一年も職場で会っているのに、顔のパーツが整っていることに、今さらながら気づいた。
あと八年したら。
あるいは十年したら。
中学生とか高校生くらいの体形に成長しているのだろうか?
華奢な手足にはほどよい肉がついて。
頼りない腰回りにはくびれの美しい曲線ができて。
まな板のような胸だって、色んな服装が似合いそうなサイズになって。
その姿を想像することは禁忌と位置づけてきたのだが、それも先日で崩れてしまった。
『幼女カメラ』というアプリで社長の未来顔をのぞいてしまったから。
あの日から一人の異性として意識している。
とても清楚っぽい顔つきなのに……。
中身はこんなにもドロドロで魅力的だなんて。
SNSには何十万というフォロワーがいて、たくさんの『かわいい!』コメントがつくのに、それが本物の瀬古いのりじゃないことを俺だけが知っているという優越感がある。
「前にいったことを覚えているかな? 幼女の一人暮らしは物騒だっていったこと。それでマサくんに同棲を打診したのだけれども……」
「ありましたね。そんな会話が」
「それだけだって思ってる?」
この人は一体。
何を期待させているんだ。
「本当にそれだけだって思う?」
とても幼い手。
とても幼い声色。
とても幼い顔つき。
それなのに目の奥だけが妖艶なほどの光をたたえている。
やっぱりこの人には敵わない。
俺が男である限りは……。
「他にどんな意味があるのです?」
「こうなることを期待していたんじゃないのかな?」
「それって……」
チュッ、と。
次は首筋を狙われた。
「だって若い男女がひとつ屋根の下だよ。やることは限られているよね」
「いや、社長はまだ子どもですから! 幼女体形ですから!」
「でもマサくんは我慢しているよね。それって……つ・ま・り……」
「それ以上はダメです!」
社長の体をがばっと抱きしめた。
そうすることによって口を封じた。
「ええ、わかりました。俺の負けです。社長のことが好きです。いまでも好きですし、これからはもっと好きになります」
「それだけ?」
「だから……社長が育っていく姿を近くで見守りたいと思っています」
「青い果実が熟れていく様子を楽しみたいだなんて、マサくんは変態さんだね」
「そんなことをいうと、成長期の娘をもつ全国のお父さんも変態じゃないですか」
「ああ、なるほど」
何が面白いのか、社長がきゃっきゃと笑う。
「マサくんは優しい性格だからね。断れないよね。私からお願いされると」
「またまた、そういうことを……」
「優しい人は優柔不断なんだ。そこにつけ入る隙があるの。このタイプの人間はすぐ味方にできちゃう。プライベートの世界でも、ビジネスの世界でもね」
「それは人望のお陰では? あるいは社長が魅力的だからでは?」
「マサくんのいう通りかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。実のところ私もよく理解していない」
社長は練習したみたいにスラスラと話していく。
「卑怯でしょ。人を駒みたいに使うのは。マサくんだって私の忠実な歩兵なんだから……私の手足と一緒だよ」
その目つきはちょっと悲しげで、他人のぬくもりを欲している気さえして……。
「私が白といえば白。私が黒といえば黒。社長がルール。そういうのも資本主義の側面だよね。もちろん法律は守らなきゃだけれど、その枠内で歩兵をどう動かすのかは自由。才能を活かすもよし。才能を腐らせるもよし。それってかなり卑怯じゃないかな?」
「いえ、卑怯じゃないです!」
社長の言葉を全力で否定した。
その証拠といわんばかりの腕力で抱きしめながら。
「ちょっと……マサくん?」
「社長は卑怯じゃないですから」
社長の意思じゃない。
俺がここにいるのは俺の意思だ。
そのことを伝えるため社長をぎゅっと抱きしめた。
「あっ……苦し……そんな……強いよ……」
「卑怯じゃないです。自虐的なことはいわないで!」
「あんまり……されると……変になっちゃう……だって……そんな……」
社長がやだやだと首を振る。
抵抗にしてはかなりの手抜きで、むしろ俺の心に火をつけた。
「歩兵は弱い存在なんです。だから王様という強い存在が必要なんです。もし王様が歩兵を利用するというのなら、それと同じくらい、その二倍くらい、歩兵は王様を利用します。お互いさまじゃないですか。だって……」
神宮寺のセリフが蘇ってきた。
『けっきょく人間というやつは、自分を評価してくれる誰かが必要なんだよね』
あの天才幼女でさえ社長という存在が必要なのだから。
「社長が俺を必要としてくれたから。そのことが嬉しかったんです」
これはお互いのためだ。
社長は卑怯者なんかじゃない。
それを証明することは、俺が卑怯者じゃないことの証明にもなる。
「だから社長の役に立ちたいのです。いまよりもっと必要としてほしいのです。それが俺の願いですから」
「……」
「この人には絶対に勝てない。そう思える人の下で働けるのって、俺みたいな凡人にとっては幸せなんですよ」
「……マサくん」
「社長は王様です。俺は歩兵です。お互いの役割は違うのです。でもお互いの気持ちまで理解し合えないわけじゃない。社長が苦しんでいるときは俺が盾になりますから。俺が支えになりますから。それが歩兵の役割ですから。だって社長は……」
常識というメッキはいらない。
浮かんだ気持ちをそのまま言葉にしていく。
「俺の自慢の社長ですから。俺の自慢の王様ですから」
ひと拍子置いてから付け加える。
俺の自慢の女性ですから、と。
「ありが……とう」
腕の中の社長はぐったりと脱力していた。
そこに劣情の色はなくて、ただただ恍惚とした表情をしている。
どうしてこんなに可愛いのだろう。
どうしてこんなに有能なのだろう。
社長がもっと平凡で頼りない存在ならば、俺はいまの10倍くらい男らしく振る舞えるのに。
「マサくんは男らしいよ」
こちらの心情を悟ったような口ぶり。
悔しいけれどこの有能さが素敵なのだ。
「ちゃんと伝えないとね。私の気持ちも」
社長の心のメッキがパラパラと剥がれていく。
「ちゃんと将来のことも考えているよ」
社長はそういって自分の左手に……指輪をはめるべき左手の薬指にキスをした。




