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035 初夜(前)

 お部屋チェックが終わり、ひと心地がついたとき、神宮寺のスマートフォンが、ブルルルッ、と不吉な音をあげた。


「ん?」


 メールの発信元はシステムである。

 画面には『System Memory Alert Yellow Level ……』という文言が並んでいる。


 メモリ警告?

 イエローレベルは黄信号だったような……。


負荷分散サーバ(ロードバランサ)のメモリ警告か。大したことはないが……こうも回数が多いと厄介だな」


 う~む、と神宮寺が唸った。


「最近、幼コレのユーザが増えているから? それとも休日だから?」


 心配そうな顔をしたのは社長である。


「メモリが足りなくなってきた原因はそこら辺だね。今月はすでに三回目。やれやれだぜ」

「サーバのスケールアップを考えた方がいいかもね。あすかの裁量で決めちゃってよ。一番楽そうな方法でさ」

「そうだな。対応するなら次回のメンテナンスだが……ちょっと(しゃく)だな。メモリを増やすのは。なんか負けを認めるみたいだし」


 ふたりともエンジニアの顔になっている。


「来月はもっと発生頻度が上がりそう?」

「だろうな。少なくとも頻度が下がる道理はない」


 社長がいうと、神宮寺はすぐに首肯した。


「あ~あ、困った幼コレちゃんだ。私が何かを解決すると、すぐに次の問題が起きる」

「お母さんにかまってほしい赤ちゃんの気持ちと一緒だよ」

「勘弁してくれ。こっちは生身の人間なんだから」


 神宮寺はぶつぶつ文句をいいつつも、すぐに三つの対応方法を提示した。

 社長があごに指を添えて、10秒ほど考え込む。


「あすかの負担が少ない方法でいこうよ」

「そういうこと言っちゃう? 経営者の(かがみ)だよね」

「だってウチのエースなんだから。もっと稼げる仕事に注力してくれないと」

「素直だな! いっそ清々しい! ……わかったよ。次のメンテナンスでメモリ拡張する。それが一番シンプルだよ」


 神宮寺がポケットにスマートフォンを仕舞いながらいう。


 問題の発生からわずか60秒。

 分析。

 解決案。

 上司の承認。

 大きな会社であれば24時間かかりそうな手続きが終わった。


 このフットワークの軽さがうちの強みだ。

 とにかく社長との距離が近い。

 決定にも時間がかからない。


 やらさせ感のない職場。

 それが神宮寺の才能を120%発揮させる。


「悪いな、いのり、須田ちゃん。私はこれから職場へ戻るよ。やりかけの仕事も残しているしね」

「え~、帰っちゃうの?」


 社長が別れを惜しむように抱きついた。


「だって、サーバの状態も見ておきたいしさ」


 神宮寺はそれを無理やり振りほどく。


「ひどいなあ。私と仕事、どっちが大切なの?」

「どっちも大切だよ! いわせるな! 恥ずかしい! 若妻か!」


 二人が同時に腹を抱えて笑い出す。

 波長がぴったりといえよう。


「冗談だよ。でもちょっと嬉しいかも。大切に思ってくれるのはね」

「まったく。社員をからかうのが好きだよな。そういう性格は昔のままだ」


 社長が木箱を渡した。

 きょとん、とする神宮寺が受け取ったのは、食べかけのチョコレートアソートである。


「これは?」

「臨時ボーナスです!」

「現物支給かよ。ちょっとケチだけれど、何もないよりマシか」

「あとこれも。この家の鍵ね」


 臨時ボーナスに『合鍵』も加わる。

 本命を後出ししたのは、ちょっとした遊び心だろう。


「いつでも遊びにきてね」

「……おう」


 帰り支度をすませた神宮寺を玄関まで見送った。


 土曜日も。

 日曜日も祝日も。

 この人はずっと会社に顔を出している。


 給料がモチベーションじゃないことは確かだ。

 社長がいっていたように、神宮寺は固定給なのだから。


 会社を大きくしたいのだろうか?

 あるいは純粋に仕事が好きなのだろうか?

 俺のような凡人の頭では、神宮寺の本当の気持ちまではわからない。


「今日はありがとうね」


 社長がそういって手を振る。

 その表情に浮かんでいるのは100%の信頼。


「俺は一階で送っていきます。ちょうど自販機に用がありますから」


 七階の通路から景色を眺めると、西の空が小麦色に染まっていた。

 ビルとビルのあいだから細い夕日が射している。


「あ~あ、この会社がなかったら、いまごろ何をやっているんだろうな~」


 神宮寺がエレベーターの中で意外なことを口にした。


「神宮寺さんでもそんなことを考えるのですか?」

「ん? 私がそんなに天真爛漫な生き物に見えるかい?」

「凄腕のエンジニアですから。どこの会社でもどこの国でも通用しそうです」

「それは買いかぶりすぎだよ。けっきょく人間というやつは、自分を評価してくれる誰かが必要なんだよね。私の場合、それが社長だったわけだ。もし瀬古いのりと出会わなかったら、どこかの市役所で公務員をやっているか、どこかの雑貨店でアルバイトをしているかもしれない。須田ちゃんが思っているほど、私は優秀な人間じゃないよ」


 神宮寺が自嘲っぽく笑ったとき、その顔はどこか(はかな)げで、抱きしめてあげたい衝動に駆られる。


 何を考えているんだ!?

 相手はお世話になっている先輩だぞ!?

 ひとりで猛省しながらコンコンと頭を叩いた。


「そうだ。須田ちゃんはなぜ採用されたんだ?」

「社長の大学の後輩だったから、ですかね」

「後輩なら他にもたくさんいるだろう」

「そりゃ、まあ……」


 当たり前の指摘をされて、俺は口ごもってしまう。


「須田ちゃんが採用された理由は何となく想像がつくな」

「マジっすか!? 気になります」

「知りたい?」

「とても」


 神宮寺が指を一本立てる。


「体が丈夫そうだったから。これが一番だ」

「……否定はしませんが、ちょっと複雑な気持ちです」

「おいおい、あまり健康を舐めない方がいいよ。天性の才能はあるのにボロボロになってきたエンジニアをたくさん見てきた。勿体ないよな。業界全体の損失だよな。アスリートだけじゃない。サラリーマンだって健康が一番さ。人生はマラソンなんだから」

「なるほど……それでもう一つは?」

「え~とね」


 エレベーターが一階に到着した。


「何だろうな、須田ちゃんの能力って……」

「えっ?! 健康だけが取り柄ですか?!」

「すまん。すぐに思いつかない」

「そんな無慈悲な……」

「でも須田ちゃんにもユニークな特性があるはずだ。社長の人物眼は確かだからな」

「人物眼……ですか?」


 神宮寺、俺の順にエレベーターから降りる。


「うん。私にも、姫井にも、その他の四人にも、それぞれ違った長所があるんだよ。もちろん社長にもな。お互いの個性が歯車のように噛み合って、この会社をうまく回しているんだ。社長はその全体像をデザインしている」

「いやいや……皆さんは凄すぎて、俺なんて足を引っ張っている印象しかないです。同列に扱ってもらうなんて恐れ多い……」

「そんなことを言っちゃう? もう少し自信を持った方がいいよ」


 神宮寺の小さい手が、ぽん、と俺の胸を叩いてきた。


「まあ、いいや。一緒に考えようよ。須田ちゃんの長所をさ。まだ社会人二年目なんだろ。まあまあいい線をいっているよ。少なくとも、そこら辺の会社の社会人二年目には負けない。社長や私が育てたからね」

「神宮寺さん……」


 俺の胸が、じん、と熱くなった。


「繰り返すようだけれど、社長の人物眼だけは確かなんだ。それは神宮寺さんが保証する。だって、うちの会社の存在が奇跡みたいなものだからね。従業員がたったの七名だよ。設立からまだ四年目。それなのに利益を出している。運が良かった? それもあるけど、運だけじゃない。私たちは奇跡の上に立っている。あの人のお陰でね」


 奇跡の上に立っている……。

 神宮寺の言葉を心の中で繰り返した。


「須田ちゃんも必要なメンバーなんだ。言葉じゃうまく説明できないけれど、それは間違いない。瀬古いのりが須田正臣という人材に目をつけたから。私も姫井も転職組だ。他の四人もね。でも須田ちゃんは初めての新卒採用だった。……実はちょっとだけ心配していた。新卒はうちの風土に合わないと思ったから。私だけじゃない。他のメンバーも新卒を採るのは早いと思っていた。新人をどうやって育てたらいいのか分からないから。大企業のような育成システムはないからね」


 須田ちゃんの育成に失敗したら……そう思うと怖かったよ。

 神宮寺の声が一瞬だけ震える。


 自分のことをここまで思ってくれる先輩がいるなんて。

 感謝を通り越して、申し訳ない気持ちさえする。


「社長の選択は正しかった。須田ちゃんがこの一年で大きく成長したから。だからこれからも社長の人物眼を信じろ。須田正臣という男を選んでくれた瀬古いのりを。その期待と評価を」

「神宮寺さん、ありがとうございます!」

「今日はさらばなのじゃ!」


 ゆるくウェーブした茶髪が揺れた。

 置いていかれた俺は、あっ、と手を伸ばす。

 矢のようにダッシュした神宮寺の体は、大通りへと通じるコーナーを曲がり、すぐに見えなくなった。


『社長の人物眼を信じろ』


 その言葉がやけに耳の奥に染みついた。

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