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258 花火イベントと肝試し

 ベランダのところで水着が揺れている。

 小さいビーチサンダルが三組、大きいビーチサンダルの横に並んでいる。


 日が傾きかけた夕刻。

 遊び疲れた俺たちは、保養所の畳のうえで、小一時間ほど昼寝をしていた。


 ここは東京じゃない。

 千葉県の勝浦市だ。

 社長たちとゴロゴロして休暇を楽しんでいるなんて、一年前なら絶対に想像できなかっただろう。


「…………喉が渇くな……」


 受付のところに自販機があったのを思い出し、ひとりで部屋を後にした。

 帰ってきたとき、ちょうど神宮寺が目を覚まして、ふらふらとトイレへ歩いていく。


「あ〜あ、酒飲みてえな〜。キンキンに冷えた酒がよぉ」


 幼女とは思えぬ発言が飛んでくる。


「さっき買ってきたやつです。よかったら、どうぞ」


 冷えた麦茶をわけてあげた。


「おう、悪いな」

「いえいえ……」


 神宮寺は畳のうえに片膝を立てており、スカートの中身が丸見えになっているが、俺ごときの視線は気にならないようだ。


「こいつら、本当によく寝るな。行きの車でも、あっさり寝落ちしていたしな」

「まあ……体が子どもですから」

「私たちが子どもの頃、こんなに寝ていたっけ?」

「どうでしょう……社長には負ける気がします」

「普通に夜の11時か12時まで起きていた気がするのだが……須田ちゃん家はテレビのロードショーが終わる前に寝ろとかいわれた?」

「小学生のときは、あったかもしれませんね」


 アメリカ睡眠医学会の発表によると、6歳から12歳の子どもは、毎日9時間から12時間くらい寝かせた方がいいそうだ。


「寝る子は育つというが……」

「俺もまったく同じことを考えました」


 日本人は世界でもっとも睡眠時間が短いといわれる。


 子どもの頃から塾や習い事で多忙というデータがあり、そうした環境下で育った子どもが親になり次世代の子どもを育てるわけだから、50年後も睡眠時間短いランキングの首位をキープするのは濃厚だろう。


(社長を夜の8時に寝かしたら、そこからノンストップで朝の8時まで寝ることがある。トランポリン教室のあった日が一番寝ている)


「もう一眠りすっかな〜」

「夜は花火ですよね」

「そうそう。最後に花火やったのなんて大学生のときかな」

「俺は高校生のときが最後ですね」

「須田ちゃんは一人っ子だっけ?」

「そうです」

「うちはカルラたちがいるから。なぜか小学生は毎年花火やりたがるよな」

「わかります。ある程度まで歳をとったら、花火で喜ぶのが恥ずかしくなります」

「あ〜あ……そうだな」


 クリスマスのケーキだって、小学生のときが一番おいしい気がする。


「加齢って何なんだろうな。喜ぶ器官が鈍るのかな」

「痛みとか悲しみの器官も鈍る気がします」

「大人は滅多に泣かないもんな」


 幼女ってやつは涙腺がゆるい。

 そう教えてくれたのは神宮寺だったか。


 この一年で色々あったな。

 これから俺たちの会社はどこへ向かっていくのだろうか。


 いつまでも夢見る幼女じゃいられない、と教えてくれたのも神宮寺だったか。


「……神宮寺さん?」


 返事がない。

 姫井にぴったり寄り添って夢の世界へ旅立っている。


 ……。

 …………。


 次に目を覚ましたのは姫井だった。

 むくりと上体を起こすと、眠っている神宮寺に気づいて、柔らかそうな唇を見つめている。


「キスしたいです」

「…………」


 やばい。

 コメントに困る。


「でも我慢します」


 よかった。

 自重してくれたようだ。


「また夢を見られましたか?」

「むっふっふ。神宮寺さんとハネムーンへいく夢を見ました。ヨーロッパを一周するのです。スイスのマッターホルンに到着して、登山列車にのっている場面で目が覚めました」


 なめらかな姫井の指が、ゆるくウェーブした茶髪を、愛おしそうにクルクルして遊んでいる。


 まるで絵画のような美しさだ。

 姫井の頭にはエチエチ成分がつまっているのに。


「僕は神宮寺さんのことが好きです。毎日夢の世界で遊ぶくらい好きです。いつだって優しくて格好いいのです。神宮寺さんを想う気持ちなら……」


 ブルーサファイアの瞳が恋の色に輝いている。


「社長のことを想う須田くんの気持ちにも負けません」

「俺だって簡単には負けません」

「僕たちは終生のライバルですね」

「ええ、ライバルです」


 いつだって一途。

 バカが付くくらい真っ直ぐで、バカが付くくらい愛が強い。


 超一級のナルシストで、超一級のロマンチストで、芸術肌で、IT音痴で、妄想家の姫井が、対極ともいうべき神宮寺と結ばれるのだから、人生というゲームは何が待っているか分からない。


「……姫井さん?」


 返事がない。

 フランス人形のようなお姫様は、体をくの字にたたんで、夢の世界で待っている恋人に会いにいった。


 ……。

 …………。


「社長、起きてください……社長、そろそろ花火の時間ですよ」

「……うんにゃ?」


 日没になった。

 仰向けになって気持ちよさそうにしている社長を、体をゆさゆさして起こしてあげる。


「神宮寺さんと姫井さんは建物の正面で待っています」

「……いけない……熟睡しちゃった」

「ほら、麦茶です」

「ありがと」


 何回も寝返りをうっていたはずなのに、社長の髪には乱れがほとんどない。


「うむ、寝起きの麦茶が一番うまい」


 そういや寝癖がつきにくいな。

 これが婚姻で財閥の枝葉を伸ばしていった瀬古の黒髪なのか。


「ヘアゴム……ヘアゴムっと……」


 左右の手首に巻いていたゴムで手早くツインテールをつくる。


「ちゃんと結べているかな?」

「う〜ん、高さがアンバランスです」


 右がいつもより高いと伝える。


「今度はどうかな?」

「次は左が高くなっちゃいました」

「…………しょぼ〜ん」

「俺がやりますから」


 一番しっくりするポジションに整えてから鏡の前に立たせてあげる。


「うんうん! これだよ! さすがマサくん! 鏡よ、鏡よ、鏡さん、世界で一番かわいいのはだぁ〜れだ? 答えはいのり姫です! なんちゃって♪」


 不覚にも大笑いしてしまった。


「あっ! バカにしたな!」


 ふくれっ面になっている社長が一番かわいい。


「誰だって笑いますよ」

「ふんだ!」


 神宮寺たちと合流してから花火イベントへ向かった。


 場所は昼に遊んだビーチ。

 ゴミの取り扱いとか、進入禁止場所とか、何点か伝達されたあと開始となる。


「ねえねえ、裸足で遊ぼうよ」


 社長がビーチサンダルをぬぐ。


「貝殻で足を切らないよう気をつけろよ〜」


 俺と神宮寺は水の入ったバケツを用意した。


「今夜は月がきれいなのです」


 姫井がダンスのステップを踏んでいる。


「四人で勝負しようよ!」

「どうやって?」

「一斉に火をつけて、最後まで残った人が勝ち!」

「別にいいけれども……」


 数え切れないくらい勝負を重ねた。

 発火するタイミングが四人バラバラであり、一番最後に火を吹き始めた人が有利だよね、という結論になった。


 最後はやっぱり線香花火。

 パリパリと弾ける光が一輪の花のよう。


「また四人で遊べるかな?」


 社長の言葉に胸がどきりとする。


「あと100回くらい遊べるさ」


 神宮寺がくしゃりと笑った。


 ……。

 …………。


 肝試しイベントで軽いハプニングが起こった。

 歩いていける距離の神社へいって、別ルートで帰ってくるだけのイベントなのだが、一名だけ犠牲者が出てしまった。


「やつが……やつが出たのです……」


 全身をガクガク震わせて帰ってきたのは姫井。

 これから出発する俺と社長ペアを不安な気持ちにさせる。


「出たっていってもな……」

「やつが僕に襲いかかってきたのです」

「ああ……アブラムシがな……」


 幽霊じゃなかった。

 アブラムシというのは、茶色いアレの俗称だから、姫井の視界を横切って消えたということだろう。


「やつは台所でしか生きられないはずでは⁉︎」

「なんだよ。どんだけ虚弱体質なんだよ。野山とかにも生息しているだろう」

「んなっ⁉︎」


 姫井の体にフラッシュライトの光を当てると、股間のところが黒く染まっている。

 そう、大放水しちゃったのである。


 肝試し。

 おもらし。

 姫井が耳にしたら喜びそうなパワーワードなのだけれども、肝心の本人が漏らしちゃったのでは意味がない。


「屈辱なのです! 神宮寺さんの真横で漏らすなんて、恥ずかしすぎて、もう正気を保っていられません!」

「心配するな。正気なんて元から存在しない。とりあえず服を洗って、シャワーを浴びような」


 俺と社長のスタート時刻がやってくる。


「急に怖くなってきちゃった」

「俺が社長を守りますから」

「あぅあぅ……」


 この夜の社長は、小さな物音にもビクビクしちゃって、うにゃあ⁉︎ と怯える姿がとても可愛かった。

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