255 六月と雨とワトソンな日々
雨である。
今日も今日とて雨である。
六月になった。
鈍色の空を眺めていた社長は、テレビの前まで移動して、ニュースチャンネルをチェックする。
『……梅雨前線が本州の上空で停滞しており、このままのペースで雨天が続きますと、観測史上、三番目に降水量が多い月となることが……』
どうりで雨が続くわけだ。
カーテンレールにぶら下げた『社長お手製てるてる坊主』が泣いている。
「つまらない!」
突然の大声に、ワトソンがむくりと反応した。
「つまらない! つまらない! つまらない! この週末こそマサくんと外出できると思ったのに! アメ横いって、美味しいチュロス食べて、冷たい抹茶ラテ飲んで、それから動物園いって、パンダ見て、キリン見て、ゾウ見て、シロクマ見て、ゴリラ見て、ライオン見て、歩き疲れたらアイスクリーム食べて、またアメ横いって、お洋服を選んで、靴も選んで、またチュロス食べて、マサくんのスーツを新調して、最後に美味しいオムライス食べて帰る予定だったのに! つまらない! つまらない! つまらない!」
スケジュールが細かいな……。
好きなことには集中力を発揮できるタイプか。
「まあまあ、明日もありますから」
「明日も降水確率100%だよ! 一週間ずっと90%か100%だよ!」
「でしたら……」
晴天になるのを待たなくても良くないか?
むしろ雨なら雨を楽しめないか?
「今日、レインコートと長靴を買いにいきませんか? 新しい雨具があると、明日が雨でも楽しくお出かけできると思います」
「おっ……」
よし!
食いついてきた!
「それに雨の日の動物園もオツだと聞きます。熱帯地方の動物なんかは、濡れた日の方が元気だったり、動物によっては群れで雨宿りする姿を見られるそうですよ」
「なるほど」
というわけで今日は雨具を買いにいくことにした。
社長を家でイライラさせておくより10倍マシだろう。
「でも、雨具を買いにいくのに雨具がいるというジレンマだよ」
「小さめの傘しかないですからね。タクシーで銀座のデパートまで行きましょう」
ソファで寝ていたワトソンが、
(いってらっしゃいにゃ〜)
というようにひと鳴きした。
……。
…………。
そして日曜日。
目を覚ました社長は、まっさきにベランダのカーテンを開けて、空の色をチェックしている。
「よし! 大雨だぞ〜!」
この手のひら返しである。
てるてる坊主が今日も泣いている。
「では定刻通りに出発します!」
まずは神田駅まで歩いていく。
ここから上野駅へ向かう手段は二つ。
上のJR線をつかうか。
下の地下鉄をつかうか。
「雨の日の地下鉄って、ちょっと匂うかな?」
「湿気が大変なことになっていそうですね。俺が駅員さんだったら、体調不良になるかもしれません」
「じゃあ、上からいこうか」
JR山手線にのったのだが、電車の床が濡れており、車内はムシムシしていた。
「休日だから人が多いな〜」
俺と離れてしまわないよう、ぎゅうぎゅう抱きついてくる社長が可愛い。
電車に揺られること10分足らずで上野駅に到着。
老朽化が進んでいるせいか、雨漏りしている箇所があり、駅員さんがバケツを交換していた。
「これが世界のアメ横だ!」
「先月もアメ横にきた記憶がありますが……」
「マサくんもやるんだよ! これが世界のアメ横だ!」
「はいはい……」
地方からやってきた観光客みたいになっている。
「これが世界のアメ横だぁ〜!」
通行人は多いのだが、みんな大雨に飽き飽きしており、誰も注目してくれないので寂しかったりする。
須田は100の精神ダメージを受けた。
困っている人には優しいが、頭がおかしな人には冷たいのが、東京人という生き物である。
「では、まずチュロスを食べにいきます!」
社長に一本食べさせるとすぐ満腹になるので、二人で半分こしておいた。
「次は冷たい抹茶ラテです!」
「ちょっと待ってください。ホットにしましょう」
「どうして?」
今日の気温だと、社長がお腹を壊すかもしれないから……。
なんてバカ正直に伝えると、かえってヘソを曲げるから、
「肌寒いですから。俺のお腹が痛くなるかもしれません」
と自分の我がままにしておいた。
「……ふむ、奇遇だね、私もまったく同じことを懸念したよ。マサくんが腹痛で動けなくなると、私の計画に支障が出てしまう。いや……私は平気だぞ……アイスでも平気なのだが……」
素直じゃないな。
強がっている姿がちょっと可愛い。
「二人で一杯でもいいですか?」
「あい!」
「Mサイズにしておきますね?」
「あい!」
二人で代わる代わる飲んでいく。
熱いものをフーフーする姿が可愛いので、ホットを選んで正解だった。
「ふぃ〜、少し食べて、少し飲んだら、とても元気がでてきたよ〜」
次は動物園を目指す。
その道中、たくさんのゲームセンターが営業しており、社長が吸い込まれるようにお店の入り口をくぐってしまう。
「見て見て! 猫ちゃんのぬいぐるみだよ!」
「ゲームセンターは予定外です。さっさと出ましょう」
「ねぇねぇ、一回だけ!」
手を合わせて、おねだりポーズをされた。
「本当に一回だけですよ」
「あい!」
以前に流川と秋葉原のゲームセンターで遊んだことがある。
俺の記憶が正しければ『瀬古先輩はUFOキャッチャーが下手くそ』と断言していたはず。
「よ〜し、運試しだ〜!」
案の定、一発目は失敗。
「くそぅ、もう一回!」
さらに失敗。
「惜しかったからもう一回!」
明らかにカモだな。
どうせ小銭がなくなって諦めるだろう。
「ぐぬゅぬゅ……最近のゲーセンは電子マネーでも遊べるのか!」
社長の電子マネー残高(電車に乗るときに使うやつ)は、なんと10,000円ちょっと入金されていた。
沼に片足を突っ込んでしまったといえよう。
「ああっ! もう少しで落とし口なのに!」
店員のお姉さんが微笑ましそうにこっちを見ている。
にしてもUFOキャッチャーが本気でお金を吸いあげるスピードは怖いな。
「よっしゃあ! 最後にはお金が勝つのだぁ! いのり帝国の資金力を思い知ったかぁ! 私を怒らせたら、貴様らなんぞ、一匹残らず駆逐してやるからな!」
猫ぬいぐるみを一匹手に入れるのに1,700円かかった。
「気をつけてくださいよ。社長は熱中しだすと、財布の口が緩くなりますから」
「いいんだよ〜♪ 私みたいなカモがいないと、ゲーセンの店長さんが困るんだよ〜♪」
嬉しそうに景品をスリスリしている。
せっかくなので、お店の前で勝利の写真撮影をしておいた。
「よ〜し、次こそ動物園なのだ〜♪」
水色のレインブーツが楽しそうに水たまりをピチャピチャと踏んでいく。
……。
…………。
晴れの日より人が少ないだろう、とは予想していたが、園内の人影はまばらだった。
「日曜日とは思えない人の少なさですね」
「みんな美術館か博物館へ行っちゃったのかな?」
「でしょうね。今日やってくるのは物好きということです」
雨脚が影響しているかもしれない。
朝よりも雨粒が重くなっており、レインコートならまだしも、傘でこの悪天候はキツいだろう。
「雨合羽を用意して正解だったね」
「何気に長靴も偉大です」
上野動物園は広すぎるので、社長の足で一周させるのは辛い。
なので東園のみを散策し、西園は次の機会に回すことにした。
カワウソが泳いでいる。
円柱のなかを右から左、左から右、また右から左へと移動している。
さすが水属性、雨の日でも元気いっぱいだ。
「おおっ! 泳ぐのがうまい!」
「まぁ……カワウソは泳ぐのが仕事ですから」
「カワウソや……君がヒトなら……金メダル……この五七五はどうかな?」
「おお、よくできた川柳です! 社長も金メダルです!」
社長がえっへんと胸を張る。
今日は朝から絶好調だな。
「マサくんも何か川柳つくって!」
「えっ⁉︎ 俺ですか⁉︎」
川柳つくって! とデート中にお願いされて、うまい五七五を即興でつくれる男が、果たしてこの日本に何人いるのか……。
「パンダくん……君がヒトなら……全裸ニート……」
「ダメじゃん!」
別にいいのだ。
社長が腹をよじって爆笑してくれるのなら。
目ぼしい動物を見たあとは、適当にサル類とか鳥類とかを見て回った。
西園を諦めて東園オンリー、それも東園の全部を回ったわけじゃないのに、90分くらい滞在した。
「次回は不忍池のスワンボートに乗りたいな〜。晴れている日に来ようね〜」
「いいですね〜」
遠くから猛獣の鳴き声がする。
大雨の動物園は、人よりも動物の気配が濃くて、都会とは思えないほど野生の匂いが満ちていた。
……。
…………。
面倒くさがり屋の愛猫ワトソンが、この日は珍しく、俺たちを玄関まで迎えにきてくれた。
(お土産はあるかにゃ?)
「じゃ〜ん! 猫ぬいぐるみだよ! ゲットするのに苦労したんだ!」
(にゃんだ……食べ物がよかったにゃ……)
「冗談冗談、ちゃんと猫缶を買ってきたよ」
(早く食わせるにゃ!)
「慌てないでね。ちょっと待ってね」
ワトソンにも喜怒哀楽の表情はあり、ソワソワしているのが伝わってくる。
お皿に猫缶の中身を盛ってあげると、かつてないスピードでがっついた。
「マサくん、今日はありがとね」
「どうしたのですか、急に?」
「私の我がままに、いっぱいいっぱい付き合ってくれて、本当にありがとね」
社長がぬいぐるみで顔の半分を隠しながらいう。
「……なんか照れますね……そういうのは」
「久しぶりにしよっか?」
キスのことか?
「マサくんが気分じゃないなら、やめとくけれども……」
迷える社長の唇を優しくふさいだ。
呼吸を殺したまま10秒が経ち、一回だけ息を吸い、また唇を重ねる。
「今夜……添い寝してあげるのも……やぶさかではないぞ」
信じがたい言葉が耳殻を揺らしてきた。
「同じベッドで寝るということですか?」
「何回もキスした仲なんだ。不思議はあるまい。姫ちゃんとあすかも一緒に寝ているようだし」
「あなたって人は……」
好きです!
そういう気持ちを込めて、震える腕で抱きしめた。




