254 誠二郎がやってきた!
「にゃあにゃあ♪ にゃあ♪ にゃあにゃあ♪」
あの日以降、社長は毎日ワトソンと遊ぶようになった。
猫語を解しているんじゃないかってくらい『にゃあにゃあ』鳴いており、ワトソンも相手が猫族だと認めたのか、よく一緒に玩具で遊んでいる。
一番のお気に入りは『猫おもちゃ ぐるぐる回転ボール ストレス解消用』というやつ。
木の円盤にループ状の溝がついており、木製ボールを転がすことで、無限にストレス解消できる代物だ。
社長が指でボールを弾く。
それをワトソンが前脚で加速させる。
あまり調子にのるとボールがコースアウトして、ソファの下とかに隠れてしまうのだが、
(ボールが消えちゃったにゃ⁉︎)
と目をパチパチさせるワトソンの反応が可愛らしい。
二番目に気に入っているのは鉄板の猫じゃらし。
キャットタワーも買ってきて組み立てたのだが、頻繁につかっている様子はなく、猫用のおやつを最上階にセットした時だけ、軽やかな動きで駆け上がる姿を見せてくれる。
お医者さんからは『猫と遊ぶ時間が長ければ長いほどいいです』とお墨付きをもらった。
ペットとの触れ合いが、人の心を育むという説もあり、何歳になっても必要な感情『思いやり』と『優しさ』を伸ばしてくれるらしい。
とはいえ、ワトソンは気が長い猫じゃないらしく、遊び疲れたらキャットタワーの内部へ避難して、社長が呼びかけても応答しなくなる。
「充電モードに入っちゃった……」
残念、今日の営業は終了したらしい。
「マサくん、遊ぼ〜」
「一緒に幼コレしますか?」
「うん!」
眠たそうな目をしたワトソンが、
(子どもの相手は疲れるにゃ……)
とでも訴えるように、ふわあ、と大あくびをしていた。
……。
…………。
ぱっつん前髪が似合うセミロングの女性。
『中学三年生のとき、全国高校生模試で一位の成績を取った』という鬼才は、一族会議から二週間後の金曜日、わざわざ神田までやってきた。
「あまり面識がない方ばかりですので、ご挨拶させていただきます」
取り出した名刺の片隅には『瀬古製薬CEO』『瀬古メディカルファーマシーCEO』と書かれている。
アリスシンドロームの検査キットを売り出したことで株価沸騰中の会社だ。
そこのトップを任されるくらいだから、お母様から信頼されており、将来有望であることがうかがえる。
「今日やってきた目的はですね……」
この場にいるのは俺、シイナ、メノウを加えた4人。
通院のためダブル姫井がいない隙を狙ってきたらしい。
(俺は社長の代わりに同席している。社長にも少しは関係がある話のようだ)
「単刀直入にいいます。メノウさん、私と結婚しましょう」
「……えっ⁉︎」
誠二郎からの突然の告白に、メノウの反応がワンテンポ遅れた。
「あなたが誠一郎さんとの婚約を破棄してから、そろそろ一年が経ちます。早く空席を埋めるべきでは? と瀬古コンツェルンのご年配方は考えているようです」
「そんな……急にいわれても困ります!」
「その反応…………私のことが嫌いというより、意中の人がいるようですね」
「うっ⁉︎」
図星だったので、メノウの顔が赤くなる。
「結婚しようといったのは冗談です。本音が顔に出るなんて、お母様ほど人を騙すのが達者ではない……いや、純粋な性格をしているとお見受けしました」
この日、誠二郎がはじめて笑顔を見せた。
瀬古の女性らしく、一瞬で好きになってしまいそうな魅力を持っている。
「これから真実だけをお話しします」
瀬古コンツェルンの利益のみを考えた場合、メノウと誠二郎を結婚させるのは、十分に魅力的な話といえる。
むしろ打算にまみれた人間がメノウに接近してくる事態は避けたい。
それほど将来メノウが手にする富は大きく、関西では絶大な影響力を持つことが確定しているのだ。
よってメノウの婚姻問題が浮上しており、本命に誠二郎を推す声が強い。
「メノウさんは瀬古コンツェルンの将来を担う女性ですから。どこの馬の骨ともわからない人間と結婚するより、瀬古の人間と結婚した方がいい、という判断です。子どもを生むか否かは、とても些細な問題です。本家と分家を含めれば、毎年何十人も赤子が生まれますから、一番優秀そうなのを選んで、養子に迎えれば事足ります……この私のように」
誠二郎は親から『誠琴』という名をもらっていた。
ところが本家の誠一郎がバカすぎるのでは? 問題に巻き込まれて、その誠一郎の後釜になれるよう、わざわざ『誠二郎』と改名し、本家に引き取られたのである。
「メノウさんの婚姻問題の件には黒幕がいる、とお母様はにらんでいます。ヴィクトリア様です。瀬古コンツェルン内部の人間をたくみに操作して『誠二郎メノウ婚姻論』を流しています」
「どうして姫井ママが⁉︎」
「クリスティナさんを奪われたくないからでしょう」
メノウが言葉に詰まっている。
要するに、メノウの相方が誠二郎に固定されてしまえば、クリスティナの居場所は無くなるという計画だ。
「嫌だ! クリスと離れたくない!」
「でしょうね。誤解を恐れずにいうと、私もメノウさんと同性結婚したくはありません。メノウさんに意中の人がいるなら尚更です。今後も親族の一人としてサポートしていく所存ではありますが……」
ここにメノウと誠二郎の共同戦線は成立した。
あとは姫井ママへの対抗措置を打ち出す必要があるのだが……。
「方針を決める前に確認があります。メノウさん、あなたはクリスティナさんのことを本当に愛しているのですか?」
「それは……」
「一生を側で過ごしたいのですか? それとも時おり会うくらいの仲で我慢できますか?」
「いきなり訊かれても……」
「でしたら質問の仕方を変えましょう。クリスティナさんが別の男性のモノになっても耐えられますか? 遠い親戚の一人として、今までと変わらぬ付き合いができますか?」
別の男性のモノ……というキーワードに、メノウの心のセーブが外れた。
「そんなの嫌! ずっと一緒に暮らしたい! 1日だって離れたくない! 私はクリスの横にいるの! 死が二人を分かつまで! ずっと一緒なの!」
誠二郎が神田までやってきた目的がわかった。
メノウの覚悟を見定めたかったのだ。
「だったら、クリスティナさんと結婚するしかないです。そうすれば5年後も10年後も20年後も二人は近くでいられます。それ以外の道はあり得ないと考えたほうがいいです」
そのためには姫井ママを説得する必要がある。
『クリスティナに相当する代価』とやらをメノウ側が用意しなければならない。
誠二郎は五本指を立てた。
「ヴィクトリア様とお酒を飲み交わす機会がありました。その時に、五割、と言われました。お母様が保有するお金、株式、証券、土地。それらの五割。クリスティナさんの代わりに差し出せ、とのことです。……本人は酔ったフリをしていましたが、ヴィクトリア様に限っては、お酒の席での失言はありえません」
これに異論を唱えたのはシイナだ。
「そんなバカな話、受けられるわけないじゃない。数年分の苦労を譲るってことよ。結納金だけで人工衛星を10機くらい打ち上げられるわ」
メノウが悲しそうな顔をするが、シイナの文句は止まらない。
「お話にならないわね。出せても資産の三割……いえ、二割が限界じゃないかしら?」
「しかし、値切り交渉はしにくいです。メノウさんの愛情が疑われます」
「まあ……ねえ……」
わざとメノウたちが呑めそうにない条件を出してきたわけか。
恐るべし、ヴィクトリア様。
立ちふさがる障害の大きさに、場の空気が重くなったとき、誠二郎は両手で数字の7を示した。
「そこで七割です。お母様が保有するお金、株式、証券、土地の七割をヴィクトリア様に差し出しましょう。これで全部がきれいに決着します」
「ちょっと……あなた……気でも狂ったのかしら」
突飛すぎる発想に度肝を抜かれたのはシイナ。
五割でも苦しい条件なのだ。
七割なんて屈服もいいところ。
「その顔ですよ、その顔。ヴィクトリア様を驚かせるには、この手しかありません。向こうが法外な要求を突きつけてきたとき、それを上回る額を提示してあげるのです」
「確かに……ヴィクトリアさんは後に引けなくなるわね」
自分で言い出した手前、メノウ&クリスティナの最大の支援者にならざるを得ない、というロジックか。
言葉では理解できても、それを思いつき実行に移すのは、本当に知恵と勇気がいることだ。
「メノウさんはヴィクトリア様という強力な後ろ盾を得ることができます。お渡しした七割の資産も、ヴィクトリア様が上手く運用してくれます。いずれはメノウさんの手元に帰ってくるでしょう」
「本当に信頼していいの? 向こうが途中で裏切ったら台無しよ」
猜疑心が強いシイナが、メノウの不安を代弁する。
「ヴィクトリア様の弱点は、一滴も瀬古の血を持っていない点。メノウさんの義母という立場を差し上げれば、その才覚をメノウさんのために発揮してくれます」
「さすが瀬古の至宝……理外の理だわ……身内ながら恐ろしい」
「恐縮です」
理外の理……。
凡人の頭では思いつかないような理屈という意味か。
今日もシイナのセリフに厨二心をくすぐられてしまう俺であった。
「メノウさん、決断するなら早いに越したことはありません。クリスティナさんと結婚する勇気がない、かつ、別の人間とも結婚したくない、ということでしたら、私があなたの生涯の伴侶となりましょう。選択肢は三つです。クリスティナさんを選ぶか、私を選ぶか、まだ知らぬ第三者を選ぶか」
メノウが椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。
「私はクリスと結婚する! 次の一族会議でそれを発表する!」
誠二郎が拍手したので、やや遅れて俺とシイナも拍手した。
「それでこそ将来、瀬古コンツェルンを担うお人だ。いいでしょう。ヴィクトリア様との交渉は、私が責任を持って進めましょう」
うやむやになっていたメノウの婚約者問題。
これにて一件落着である。
「でも誠二郎さんは、どうして私にそこまで力を貸してくれるのですか?」
「もうじき、誠二郎の名を返上して、誠琴の名に戻します。お母様の力添えがあったから、改名が可能になりました。やはり両親からいただいた名は大切にしたい。今回の行為は恩返しの一部とお考えください。……これが理由の半分」
残りの半分は……?
「純粋にメノウさんの将来に期待しておりますので。あなたは良くも悪くも瀬古の人間らしくありません。だから瀬古のリーダーに相応しいという逆説的な発想です」
取引先とのアポが控えているのでこの辺で失礼します、と言い残し、誠二郎は引き上げてしまった。
滞在したのは15分くらいだったが、1時間も2時間も話し込んでいったかのような、爽やかなインパクトを残していった。
「男子はデクの坊ばかり生まれるが、女子は才色兼備が生まれる……婚姻で財閥の枝葉を広げていった、瀬古家らしいエピソードね」
シイナが皮肉っぽくいった。




