023 チャンス到来
チーン……。
という意気消沈のBGMが脳内に流れてきた。
「おい……」
「これは……」
「さすがにヤバいな……」
「どうしましょうか?」
「どうって……」
神宮寺がアーモンドのような目を向けてくる。
「何とかするんだよ。私たちの社長だろ?」
「しかしここまで傷心した姿を見るのは初めてです」
「いつも笑っているからな〜。いつ以来だろうな〜。こんなに凹んじゃったのは……」
十五年来の友人はそういった。
一言でいうと灰人。
燃え尽きたボクサーのような目をしている。
「そんなに傷つくことなのですかね? 幼女カメラの結果くらいで?」
俺は男だ。
だから女心がわからないし、社長のショックを理解できるといったら嘘になる。
「ロマンチックな性格だからな。須田ちゃんだってAV男優やっている自分の姿をイメージするのはキツいだろ? その50倍くらいの精神的ダメージを想像するといい」
「うっ……まあ……」
俺がため息を漏らしていると、神宮寺がごにょごにょと耳打ちしてきた。
「なあ、須田ちゃん。私は銀座の街までひとっ走りしてくるから。社長が変な気を起こさないよう見張っていなよ」
俺は驚きのあまり問い返す。
「もしかして、急用ですか?」
神宮寺が首を振った。
「銀座にさ、社長の贔屓にしている洋菓子屋があるんだよね。そこの焼きプリンを食べさせたら元気を取り戻すと思うんだ。このまま放っておくと可哀想でしょ」
「なるほど。社長は甘いデザートが好きですから。きっと喜んでくれますね」
甘い食べ物で釣る作戦か。
単純なぶん効果はありそうだ。
「間違ってもいまの状態で仕事をさせないように。たぶんエラーを連発するから。私たち平社員と違って、社長がミスするとまあまあ面倒くさいんだ。本人のためにも、ね」
この会話、きっと社長の耳には入っていない。
死人のような目をして、放心したように脱力しているから。
「心が折れそう、心が折れそう、心が折れそう……」
社長はずっと同じセリフを繰り返している。
恐るべし。
幼女カメラ。
カリスマ社長のプライドを一撃で葬ってしまった。
「わかりました」
俺は神宮寺の案に乗ることにした。
困った時の神頼みならぬ困った時のプリン頼みである。
「銀座の焼きプリン、そんなにすごいのですか?」
「まあね。泣く子も踊りだす絶品の焼きプリンなのよ。一時間以内には戻ってくるから。社長のことは預けたよ」
「了解です。その間のケアは俺が責任をもってやります」
俺がひとつ頷くと、神宮寺は肩をぽんと叩いてくれた。
「適当にあやしておけばいいから。本人は自席に戻ろうとするかもしれないけれど、力ずくで引き留めてね。どうせ仕事に身が入らないだろうし。任せたよ、須田ちゃん。焼きプリンを手に入れたらメールで情報をシェアする」
「はい! 俺はオフィスで帰りを待ちます!」
「しばしのお別れなのじゃ~!」
神宮寺がしなやかな猫のようにダッシュしたとき、ひらり、とミニスカートが膨らんだ。
「さてと」
俺は社長の隣に腰を下ろす。
責任をもってケアするとはいったものの、女性の励ます方法についての心得はない。
おしゃべりすれば気が楽になるのだろうか?
それとも無理やり褒めるべきだろうか?
「社長、あたたかい紅茶でも淹れましょうか?」
「心が折れそう、心が折れそう……」
「いや~、今日は天気がいいですね」
「心が折れそう……」
俺はがっくりと項垂れる。
もっと魅力的なネタを見つけなければ……。
社長が小躍りしそうなネタ……。
「そうだ! 先日ボーナスをいただいたじゃないですか。実家に新しい冷蔵庫を送ることにしたのですよ。もう20年選手でしたから。……両親もかなり喜んでくれて『東京でやっていけるのか心配だったけれど、いい会社に就職したんだね。社長さんの顔を拝みたいわ〜』と褒めてくれました。俺としても鼻が高いです」
「……」
これでも反応なしか。
心を完全にブロックしている証といえよう。
「あと俺にできることは……」
頭ポンポン?
いや、あれは最終兵器のような位置づけだ。
こんな序盤で使うわけにはいかない。
ちらりと時計を確認した。
神宮寺が消えてからまだ三分しか経っていない。
この重い空気が一時間も続くのかと思うと、先が思いやられそうな気分になる。
「そうだ、忘れていた!」
社長がいきなり立ち上がる。
「銀行の担当さんに提出する書類、そろそろ納期が近いんだった」
「あ、社長! それはダメです!」
「マサくん、止めないでくれ。この世で私にしかできない仕事なのだよ」
「いけません! 焼きプリンが届くまで待ちましょうよ! すぐに神宮寺さんが帰ってきます!」
「この体が……この心が……仕事を欲しているんだ! 私は高級ソープ嬢になるため生まれたのではない! この運命にあらがってみせる!」
幼女らしからぬ腕力で手を振りほどかれる。
「待っていろよ、銀行! 貴様たちの融資担当をぎゃふんと言わせてみせる! なめるな、幼女! 高まれ、ツインテール!」
社長が両拳を胸の前でぎゅっと握りながらいう。
早く止めなければ……。
頭では理解しているのに、もっと観察したいという欲望に襲われる。
「社長! 落ち着いてください!」
「私は100%落ち着いているぞ! むしろ絶好調だ!」
これは本で読んだことがある現象だ。
精神的に追い詰められた人間というのは、
(1)現実と妄想の区別ができなくなる
(2)防衛のためテンションが最高潮になる
という手段に走るらしい。
『社長が変な気を起こさないよう見張っていろ』
神宮寺はそういった。
『私たち平社員と違って、社長がミスするとまあまあ面倒くさい』とも。
俺はここで切り札を発動させる。
頭ポンポンの連打だ。
「ほら、銀行の資料は来週につくると、姫井さんと話していたじゃないですか? 忘れちゃったのですか?」
これはその場しのぎの嘘である。
ごめんなさい、姫井さん。
「あれ、そうだっけ?」
「最近は働きづめだから、きっと疲れているのですよ」
「う~む、確かに頭が冴えないときに数字をチェックするのは良くないな」
社長に冷静さが戻ってきた。
俺は心の中でガッツポーズをつくる。
「サンドイッチをつくるため、今日は早起きしていますしね。ちょっと仮眠しませんか? サラリーマンとかOLのあいだで流行っているらしいですよ。食後の仮眠は。生産性が上がるそうです」
「ふむ」
何とか引き留めることに成功。
また社長の気が変わってしまわないよう、頭ポンポンは継続しておく。
それにしても社長の髪の毛、表面がサラサラしていて美しいな。
硬すぎず、柔らかすぎず、指通りがいい感じ。
女の子特有の、いや女の子でさえ憧れるかもしれない、しっとりした黒髪だ。
ほんのりと漂うトリートメントの香り。
きっと肌に優しい商品を選んでいるのだろう。
髪質にはこだわっているようだし、お風呂上がりのケアだって、念入りにしているかもしれない。
これも社長の一部。
髪の毛だって立派なタンパク質。
そういう妄想をすると罪悪感で胸がチクチク痛む。
「なんか……眠くなってきちゃった」
社長のまぶたが落ちてくる。
お昼寝モードのスイッチが入ったらしい。
「寝ますか?」
「うん。マサくんの体、もたれちゃってもいい?」
「どうぞ。ご自由に」
「ありがと……」
ことん。
社長の頭が俺のボディをノックする。
まるで充電が切れてしまったお人形みたい。
「……」
小動物のように愛くるしい寝顔。
知っていたけれど、食べたくなるくらい可愛いし、命に代えても守りたい。
「もしも〜し」
「……」
呼びかけても返事がない。
本当に寝ちゃったのだろうか?
「職場で寝ちゃうと神宮寺さんにセクハラされますよ〜。いまの社長はかなり無防備ですよ〜」
「…………」
やっぱり寝ている!
これは純度100%の寝顔といえる!
これは世界でたった一つだけの寝顔なのだ。
いますぐ画像データとして永久保存しなければ。
そして気づく。
例のアレが無いことに。
「と、届かない……」
そう、俺のスマートフォンは机の上に置かれているのだ。
ちょうど指先が触れそうで触れられないギリキリの距離である。
無理に体をひねろうとすると、その衝撃で社長の体勢が崩れてしまいそう。
進むのも地獄。
耐えるのも地獄。
まさかの進退両難といえるだろう。
「早く戻ってきてください、神宮寺さん」
できれば社長が目覚めてしまう前に。
シャッターチャンスが残っているうちに。
「早く戻って……」
俺は祈るような気持ちでつぶやいた。




