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016 社長と神宮寺

「幼コレをつくった時だから、もう一年以上も前の話なんだけどさ……」


 神宮寺がパソコンに電源を投入しながらいった。


「私と社長でおしゃべりしていたんだよね。オフィスのあそこらで。コーヒーでも飲みながら。今日みたいに天気がいい土曜日だったと思うよ」


 おそらく昨年の冬か春。

 俺はそのシーンを想像してみる。


「ソーシャルゲームを開発しよう、というのは前から決めていたんだ。スケジュールがまったくの白紙でね。それに競争が激しい業界だから、成功するかどうか分からないし。……正直いうと私はあまり乗り気じゃなかったのさ」


 暗くなったパソコンのスクリーンに神宮寺の真顔が反射した。


「社長が『どのくらいの時間が必要だっけ?』と訊いてきた。だから私は素直に答えたよ。『普通だと12か月じゃないかな』と。……この時点でちょっと変なんだよね。当たり前すぎるくらい当たり前のこと、社長が知らないわけがないから」

「つまり前振りだったと?」


 神宮寺はコクリと頷く。


「すると急に社長が笑ったんだ。『あれ? 1か月くらいで開発できない?』みたいに。たまげたね。別に変な人じゃないんだけれど、本気なのか、冗談なのか、時おり区別できなくなるから。


『1か月と考えた根拠は?』

『そんなものはないよ』

『ない?』

『このボリュームのゲーム開発は未経験だろう。1か月かもしれないし、12か月かもしれない』

『そうだね』

『でも12か月かかるような普通の仕事なら、私たちがやらなくてもいい』

『そうだね』


 でも不可能なものは不可能だから『無理でしょ』とこっちは返す。100人いたら100人が同じ答えだろう。あの人のトリッキーなところなんだけれど、『最低でどのくらいの時間があればいい?』と聞いてくるんだよ。『一日でも早くサービスを開始したいんだ』とか、子どもみたいな我がままをいうわけ」


 神宮寺が天井の一点をじいっと見つめた。

 そこには空調(エアコン)の穴がある。


「私の口が滑っちゃったよ。『それじゃ、3か月でいこうか』と」


 これは俺が初めて耳にするエピソードである。

 それくらい神宮寺の昔話は珍しい。


「反射的にしゃべっちゃった感じだから、その三秒後には後悔していた。でも社長が『決まりだな』と手を打ってきて、前言を撤回するわけにもいかなくてね。その先はもう殺人的なスケジュールさ。いままでの人生で一番忙しかった。それがあったから現在の幼コレが存在するのだけれども……あの頃のプレッシャーと比べたら、最近の仕事なんてヌルゲーだよ」

「ちょうど俺が入社した頃ですよね。オフィスが不夜城みたいでした」

「そうそう。あの時はゆっくり教育している暇がなくてごめんね」

「いえいえ」


 神宮寺の指がキーボードを叩いた。

 ピアニストのような美しい指さばきに、俺はつい見とれてしまう。


「とにかく社長は人をつかうのが上手なんだ。自分の口からは命令しない。計画もすべて部下につくらせる。ゴーサインを出すのと、経過を観察するだけ。そっちの方がやらされ感がないから、私のようなエンジニアは働きやすい。結果として良いサービスが生まれる。会社もうまくいく。社長も満足する。社員のモチベーションも上がる。一石四鳥かな」

「なんだか策士みたいですね」

「策士か~。いえてるな。そういう意味だと、須田ちゃんも気をつけた方がいいよ」


 俺の頭に『?』のマークが浮かんだ。

 神宮寺が声のトーンを落とし、恐るべき事実を打ち明けてくる。


「自分の肩についた(ほこり)とか服の汚れを、社長が手で払ってくれることあるでしょ。ポンポンと。親切心でさ」


 神宮寺はジェスチャーを織り交ぜながらいう。


「ええ、最近も何回かありました。社長はよく気がつく性格ですよね」


 俺は思ったままを口にする。


「実はあれ、五回中四回くらいは汚れなんて存在しないんだよ」

「ええっ?! そうだったのですか?! いやいや……マジっすか!?」

「本当にゴミがついている時もあるんだけどね。半分以上は社長のフェイクなのさ。いわば自作自演なのだよ」

「だったら何のために?」


 神宮寺の口元がにやりと笑った。


「ボディタッチ。というか一種のコミュニケーションだよ。これが不思議なんだけれど、相手が男だろうが女だろうが敵だろうが、70%くらいの人間はコロリとやられちゃうわけ。社長みたいな人間から思いがけない親切をされるとね。残りの30%の人間だって、社長に対してフェアではいられなくなる」

「それって、本人は狙ってやっているのでしょうか?」

「まっさか!」


 あれは天然の人たらしだよ。

 神宮寺は俺の耳元でそのように(ささや)いた。


「社長の頼もしいところでもあり、社長の怖いところでもある。本人が自覚することなく、部下をこき使っちゃうから。私くらいのレベルになると、逆にあの人の下じゃないと満足できなくなる。仕事に対する中毒じゃなくて、瀬古いのりに対する中毒かな。面識だって小学生のときからある。夏休みに参加したプログラミング教室。もう十五年以上の付き合い。これ以上は腐りようがないくらいの腐れ縁」

「腐れ縁って……闇がありますね」


 社長と神宮寺は小学生のときから軽いパートナー関係らしい。

 ちょっとした黄金コンビといえよう。


「むしろ沼だな。もう首まで沈んでいる」


 神宮寺は首の横で手を振りながら笑った。


「俺にとっては、神宮寺さんも社長と同じくらいすごいです。どっちが優れているとかじゃなくて、能力のベクトルが違うというか。理想の二人三脚になっている気がして」

「う~ん、そういう考えもあるのか。なるほど。確かに私と社長だとベクトルは違うよね」


 神宮寺の目線が俺の肩口にとまった。

 さりげない動作で白い指が伸びてくる。


「須田ちゃん、服にゴミがついているよ」

「えっ?!」

「これはフェイクじゃなくて。リアルだから」

「……ありがとうございます」

「どう? 少しは胸がときめいた?」

「けっこう効果がありますね。神宮寺さんの話を聞いた直後なのに」

「でも私がやると演技っぽくなるんだ。社長みたいに無意識にやらないと効果的じゃないというか、あれは一種の才能というか。あ~あ、人の上に立つ才能ってちょっと羨ましい」


 神宮寺がくしゃくしゃと茶髪をかきむしる。


「神宮寺さん、髪に糸くずがついていますよ」

「えっ?! マジ?! どこどこ?」

「嘘です。フェイクです」

「こいつ!」


 怒った神宮寺は子犬のように絡んできた。

 その体は思ったよりも軽くて、しかも石鹸(せっけん)の匂いまでして、俺の心臓をバクバクさせる。


 先輩に胸がときめくなんて……。

 近くで観察すると神宮寺だってかなり色っぽい顔つきをしている。


「そんなに暴れたら商売道具の指が傷つきますってば」

「……確かに。須田ちゃんのいう通りだ」


 熱血なんだか、冷静なんだか……。

 俺はそんなことを考えながら神宮寺の体を引き離した。

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