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ソワレと灯火  作者: 山吹ミチル
一章
9/43

9 悪魔の声

「仕事はもういいんだろ?」


 カルヴィンはマリオンの持つ籠が空であることには気づいていたが、念のために尋ねた。


「ええ、もう終わり……あっ! お花!」


 昨日の会話を思い出したマリオンはしまったと口を押さえた。


「ごめんなさい、お花売り切れてしまったんだったわ。せっかく買いに来てくれたのに」

「いや、それはいい。ただの口実だ」


 首を振るカルヴィンにほっとしつつも、マリオンは別の意味でも安堵した。

 やはり男性が花を買うとなると、恋人か妻へ贈るためであることが多い。そういう人がいないという確証にはならないし、実際にどうであるか直接聞く勇気はまだ出ないが、ひとまず安心した。


「花の季節になってきたから、たくさん売れるようになったの。さっきも宿屋のおかみさんがね、この時期になるとキレイな花がよく目につくようになるから、いつもよりたくさん飾りたくなるって話してたわ。色とりどりのお花があると気分が和むもの。ねぇ、カルヴィンはどんなお花が好き?」


 カルヴィンが歩調を合わせてくれたことによって余裕ができたマリオンの口は、いつもの調子を取り戻した。


「……考えたことがない」

「そうなの? わたしはミュゲが一番好きだわ。幸福の花だもの。ミュゲの日はもう過ぎてしまったけど、まだたくさんそこらで咲いているから、この時期に散歩するのも好きよ。本当は毎朝花園で見ているんだけど、散歩の途中で見かけるというのがいいの……どうしたの?」


 おしゃべりではあっても、話している相手の様子をちゃんと見ているマリオンは、カルヴィンが何か言いたそうにしていることに気がついた。


「いや……さっきと随分違うと……思っただけだ」

「さっき?」


 カルヴィンは少し躊躇ったあとに、しぶしぶといった風に口を開いた。


「黒服の奴と話していただろ」

「ああ、ムッシュー・クレマンのこと?」

「……そいつとはあまりしゃべっていなかっただろ」


 素っ気なく言われた言葉に、マリオンはさっと頬を赤らめた。恥ずかしくなったのだ。照れたわけじゃない。むしろその逆だ。


「見られていたのね……。わたしそんなにあからさまだったかしら」

「さあ? やたら口数は少なかったが」

「ああ……そうよね。駄目だわ、売り子なのにこんなんじゃ」


 顔を歪めて反省するマリオンをカルヴィンはじっと見た。悔やんでいるというよりも、自己嫌悪に陥っているような様子だった。


「……嫌いな奴なのか?」


 マリオンは一瞬躊躇ってから返事をした。


「苦手なの」


 柔らかい表現をするならばだ。一応は客なので、明言は避ける。


「意外、だな」

「え?」

「そんな風に言うのが。いや、違うか。アルノーが結構言うとか何とか言っていたな」

「えっ、アルノーが何か言ったの!?」


 自分のいない所で話題に出されたと知ってマリオンは焦った。

 アルノーがでたらめを言ったりはしないだろうが、事実であればいいというものでもない。特にカルヴィンが相手では。しかも口振りからして、マリオンにとって嬉しくない内容のような気がする。


「大したことじゃない」

「本当に?!」

「本当だ」


 カルヴィンが淡々と返すので、マリオンはちょっと拗ねた。内容は教えてくれないらしい。


「別にいいけど。でも、そうよ。わたし何でか悪口も言わないような人間だと思われること多いけど、全然そんな人間じゃないから。そうなりたいわけでもないし。むしろ嫌いな人なんていないとか言うような人が嫌いだし」


 カルヴィンは片眉を上げた。


「何でだ?」

「だって偽善者だもの」


 きっぱりと言い切ったマリオンに、呆気に取られたカルヴィンは、拳を口に当てて顔を背けた。肩が震えている。


「どうして笑うの!」


 腕を引っ張るマリオンに抵抗せずあっさり向き直させられたカルヴィンは、可笑しそうに言った。


「あんた見かけによらず、ひねくれてるんだな」


 屈託のない笑顔を見させられたマリオンは、思わず心臓が高鳴った。

 じわじわと嬉しさが込み上げてくる。


「そうよ。わたしひねくれているの」


 自分のことを正確に理解してくれたような気がして嬉しかった。もちろんそんなのは、ほとんど錯覚なのだろうが、ひねくれているなんて、自分でそう評したことはあっても言われたのは初めてだったのだ。

 愛嬌のある良い子だと言われるよりもずっといい。

 嬉しそうに笑い出したマリオンに、カルヴィンは虚を突かれたような表情をして、それからさりげなく目を逸らしてしまった。





 公園に着いてからもカルヴィンはベンチに座ることなく、並木通りを歩き続けた。


「このまま話してもいいか?」


 声をやや落として尋ねてくるカルヴィンに、マリオンは人に聞かれるのが嫌なのだと察した。これくらいで疲れるほど柔ではないので、彼が余計な気遣いをしなくて済むように、もちろんだと頷く。


「昨日の話の続きなんだが……」

「ええ」


 やはりその話かと思いながらマリオンは相槌を打った。


「アルノーには悪魔の仕業かわからないと言ったが、恐らくほぼ確実に、煙突掃除人を悪魔が狙っている。信じられないかもしれないが」


 カルヴィンはマリオンの反応を探るように見下ろしてきた。

 そこまではっきり悪魔だと言うことに驚きながらも、マリオンは視線の意味に気づいて戸惑った。

 きっとここでのマリオンの答えによって、カルヴィンは対応を変えるのだろう。胡散臭げな顔をしたり、笑い飛ばしたりしてはいけないのだ。

 信じると言い切るべきなのかもしれないが、それだと逆にマリオンへの信頼が薄まりそうだと思えた。まだ出会って数日だ。カルヴィンが言うなら信じる。これは薄っぺらい。

 だから正直に答えた。


「信じるとは言えないけど、信じないとも言わないわ。だってわたしはどうやって真偽を確かめたらいいのかわからないもの。だから疑いようもない事実が出てこない限り、私はカルヴィンのことを嘘吐きだとも変な人とも思わない。えーと、つまり、とりあえず話してほしいの。ひとまずカルヴィンの話を本当のこととして進めましょうよ。信じるとは言えないんだけど……」


 マリオンは段々と自分が余計なことを言っているような気がしてきて声が小さくなってきた。

 うまく言葉にできなくて困っていると、カルヴィンはむしろそんなマリオンの様子に安心したようだった。


「わかった、話す。信じなくていいからちゃんと聞いてくれ」

「ええ、もちろん」


 話半分で聞くつもりはさらさらない。そのことについてはマリオンは胸を張って請け負った。 


「アルノーが煙突から落ちる前におかしな影を見たと言っていただろ? でも影どころじゃなくて、実際に悪魔の声らしきものを聞いた子供がいるんだ」


 カルヴィンは世間話をしている風を装っているのか、前を向きながら何でもないことのように話した。


「悪魔の声?」

「そうだ。その子供は元々恐がりで、いつも落ちないようにロープをしっかり握っていた。だから煙突の中で大きな影を見たとき、恐ろしくなって余計にロープにしがみついたんだ」

「それ、アルノーと同じ……」

「ああ、でもその子供は影が動くのを見ただけでは落ちなかった。だからなのか、頭のすぐ上から甲高いような嗄れた笑い声が聞こえてきたと言っている。人間の声じゃないと思ったらしい。しかもその声は笑いながら『落ちろ、落ちろ』と言ったそうだ」

「えっ」


 マリオンは驚いて足が止まりそうになったが、カルヴィンに手を引かれて何とか歩き続ける。


「当たり前だがそれでもその子は落ちなかった。そしたら上のほうから何かが千切れていく音がしたらしい」

「それって……!」


 その光景を想像してしまい、マリオンは息を飲んだ。

 対して、カルヴィンは淡々と話しているが、表情に険しさが滲んできていた。怒っているのだ。悪魔の行為に。


「ロープが切れて、その子供は落ちた。足を骨折してしばらくはまともに働けないだろう。幸いその時の家の住人が親切だったから、すぐに病院に連れて行ってくれて、いずれ完治するようだが。それでも元々恐がりだったその子は、恐怖でもう煙突掃除などできないと言っている。暗闇も極端に恐がるようになった」


 マリオンは何も言えなくなった。その少年が本当のことを言っているなら、確かにそれは悪魔の仕業としか思えない。


「一番酷いのがそれで、他にも似たようなことが原因で、煙突から落ちている子供がいる。そしてその子供の全員がベルモンという男のところの煙突掃除人だ」

「アルノーの!」


 思わず叫んだマリオンは慌てて手で口を押さえる。


「そうだ。アルノーは煙突から落ちたといっても、怪我はすぐに治っている。もし悪魔の目的が怪我をさせることなら、アルノーはまた狙われるかもしれない」

「えっ? し、知らせないと……!」


 こんなところで悠長に喋っている場合じゃない。そう思うのにカルヴィンが落ち着いていてマリオンは戸惑った。


「待て。アルノーは悪魔を信じていないんだろう? そういう奴に今の話をしても頑なに信じようとしなくなるだけだ。意地になって仕事を続けるかもしれない。だからあんたに話したんだ。アルノーを転職させる方法はないか?」


 確かにアルノーはマリオンよりもわかりやすくひねくれているし、あの年齢特有の頑なさだってある。こんな話をすれば、悪魔なんていないんだと言って仕事を続けそうだ。考えを変えてくれることはあまり期待できない。そして今後怪我をしないことによって、それを証明しようとするかもしれない。

 マリオンは焦ってはいけないと、まずは冷静になろうとした。


「アルノーに仕事を変えさせればいいの?」

「それが一番いいと思う」

「時期的に煙突掃除の仕事は少なくなっているし、アルノーも仕事を変えたがっていたから、それを薦めるのは簡単だわ……でも難しいと思う」

「仕事がないのか?」

「ええ、選ばなければ仕事はいくらでもあるけど、アルノーはある程度の給料をもらえないと、生活ができなくなってしまうのよ」


 予測がついていたのだろう、カルヴィンは呻くようにため息を吐いた。


「わたしも以前からいい仕事がないか探してはいたの。カルヴィン、十三歳の男の子が就ける、割のいい仕事の心当たりとかある?」

「いや……ないな」


 それはそうだろう。あったら先に教えてくれていたはずだ。

 しかしこれで諦めるわけにはいかない。マリオンは決然と顔を上げた。


「今日からもっと力を入れて探すわ。それにアルノーにも悪魔のことは触れずに、怪我に気をつけるように念を押しておく。仕事仲間の間で怪我が多くなっているのは知ってるはずだし」

「そうしてくれ」

「でも……どうして悪魔はこんなことをするのかしら。誰かが悪魔に煙突掃除人を怪我させてくれと願ったということ? 命と引き換えにそんなことを願う人がいるの?」


 原因がわかれば他の対処のしようもあるかもしれないと思ったマリオンは、あらゆることを聞いておくことにした。


「悪魔がこんなことをするのは人間の願いが原因だろうが、願いごとをしたやつの願いが、煙突掃除人を怪我させることだとは限らない」

「えぇ?」


 言い方が少し回りくどかったせいか、マリオンはすぐには理解できなかった。ではなぜ悪魔は怪我などさせたのか。


「悪魔は人間の願いを叶えるために、奴らにとって一番楽で手っ取り早い方法を取る。そのための手段は選ばない。悪魔が契約した人間の願いを叶えるためには、煙突掃除人を怪我させるのが手っ取り早いと判断すれば、それを実行する。しかも問題なのは悪魔がそう判断すればというところだ」

「それは……契約をした人が実際はそんなことを望んでいなくても、ということ?」

「そういうことだ。悪魔に人間の常識など通用しないし、人間の事情を酌量することもない。悪魔は単に契約をして人間の願いを叶えないと魂を食べられないという枷があるからそうしているに過ぎない」


 マリオンの頭に先程のクレマンとの会話が浮かんだ。

 もし誰かが煙突掃除という仕事で子供が辛い目に遭わないようにしてくれと願ったならば。

 悪魔は子供を怪我させることで、仕事ができなくなればそれでいいと考えるだろうか。

 マリオンは首を振った。

 可能性としてはなくはないだろうが、それならなぜベルモンの所の子供たちばかりが狙われるのだろうか。

 それにマリオンはクレマンがあんなことを言っていても、それを実行に移しただなんて微塵も思わなかった。もし万が一、実行していたとしても、それを黙っている人物ではない。


「誰が……悪魔と契約したのかしら。悪魔は子供とは契約しないのよね?」

 悪魔の弱点と言われているものはいろいろと通説があるが、その中でも確実だと思われているものが三つある。光と銀と子供だ。

 子供は弱点というよりも苦手なだけらしいのだが、だからこそ悪魔は子供に近づかないし、契約もしない。煙突掃除の少年の中の誰かということはないだろう。


「そうだな。それについては俺が探ってみる。マリオン、ベルモンという男がどんな奴か知ってるか?」

「いいえ、顔は知っているけれど話したことはないわ。見た感じやアルノーから聞いたところだと、いかにも煙突掃除人の親方という感じだけど」


 つまり横暴で暴力的な中年男だ。


「子供らから聞いたのと同じだな……。まあ、そいつの噂話やおかしな話を聞いたら教えてくれ」

「わかったわ」

「でもまずはアルノーの仕事探しを優先してくれたらいい。あんたをおかしなことに巻き込むつもりはない」


 マリオンは予想外のことを言われて目を瞬かせた。


「アルノーが関わっているなら、巻き込まれたんじゃなくて、わたしにも関係のあることだわ。むしろカルヴィンこそ巻き込まれたんじゃないの?」

「俺は……関わらなきゃいけない理由があるんだ。だからいいんだよ」

「そう。でも、ありがとう」


 アルノーのことを真剣に心配してくれて。そんな意味を込めて、マリオンは心からの礼を言った。

 真摯な眼差しを向けてくる彼女に、内心の動揺を押し隠し、カルヴィンは無意識のうちに目付きの悪さを更に悪くさせていた。


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