6 下町という場所
「カルヴィンてさ、マリオンは好みじゃねぇの?」
「はあっ?!」
率直な質問をぶつけてきたアルノーに、カルヴィンは裏返った声を返す。先程まで落ち着いて話をしていた人物と同一とは思えないぐらいに動揺している。
「何でそんなこと聞くんだよ」
「いや、何でもクソもねぇよ。思いっきり惚れられてるじゃん。それなのに距離取ろうとしているから、タイプじゃねぇのかと」
「っ……!」
言葉に詰まるカルヴィンに、意味がわからずアルノーは首を傾げた。
「マリオン、普通に可愛いじゃん。あいつ自覚あるかどうかわかんねぇけど、結構モテるんだよ。愛想いいし。でも今まで誰かと付き合ったことねぇし、いい雰囲気になったこともないはずだし、好きな奴がいるっていう話も聞かなかったし、誰かに対してそういう態度を取っているとこを見たこともないんだよ。だからさ、惚れっぽいわけじゃなくて、あれは大真面目なわけよ」
アルノーが知る限り、マリオンがカルヴィンと会ったのは今日で二回目だ。それで既にあの状態だったのだから、きっと会った初日に惚れたのだろう。
そのせいでカルヴィンがマリオンを惚れやすい性質だと誤解して、本気で取り合っていないなら、マリオンが可哀想だ。アルノーは友人としてそのところをきちんと説明してやらなくてはいけないと思ったのだが、カルヴィンの反応は予想外のものだった。
「待て……そもそも彼女が俺に惚れているというのを大前提にするな」
怒った顔でそんなことを言う。
だが追い詰められた小動物が威嚇しているようにも見えて、まったく迫力がない。図体はでかいが。
助けてくれた時はあんなにかっこよかったのになぁ、とアルノーは残念に思う。
「はぁ? それ以外にどう見えるんだよ」
「それは……いや、だいたい彼女はそんなこと一言も言ってないだろ」
「あれだけ態度に出してりゃ充分だろ。あれで惚れてるんじゃなきゃ、あいつ頭のおかしい奴だぞ」
反論できなくなったのか、カルヴィンは目を逸らして黙り込む。
アルノーはそんな彼を凝視した。
「カルヴィンってさぁ。もしかして……えーと、なんつったっけ、あれ……あっ! 純情ってやつ?」
「は!?」
「違うか……ああ、女慣れしてないだ!」
「違う!」
激しく否定したというのにアルノーはまったく聞いていなかった。妙に納得している。
「なるほどなぁ。なんだ、じゃあ安心か」
「待て、違うと……」
「俺さぁ、マリオンが変な男に引っ掛からないようにって、それだけはほんと目ぇ光らせていたんだよな。だからカルヴィンは多分いい奴だってわかってたけど、さっきまではまだちょっと心配だったんだ。でも、女癖が悪いわけでもないみたいだし安心したわ」
肩の荷が下りたとでも言いたげなアルノーに、カルヴィンは慌てる。
「おい、勝手に話を進めるな……」
「まあ、そう言うなよ。好みじゃないわけでもないんだろ? あいつ可愛いからそのうちほだされるって。いやぁ、ほんと安心したわ。録な男しか近づかないようなら、俺があいつのことずっと守ってやらなきゃいけないかなって思ってたんだよな。カルヴィンは顔はまぁ、標準っていうかむしろ目付き悪いけど、中身はばっちりイイ男だよ」
「悪かったな」
話を聞く気がないどころか言いたい放題である。会って二日目で、なぜこんなことを言われているのか。カルヴィンはもう諦めてため息を吐いた。
「……随分仲がいいんだな」
「マリオンとか? そうだな、ただ家が近いだけなんだけど、俺にとってはマリオンも恩人みたいなもんだからさ」
カルヴィンは意外そうな目でアルノーを見た。
「マリオンとエヴリーヌさん……マリオンのばあさんが恩人みたいなもんなんだよ。あのさ、俺一年前までは結構能天気に生きてたんだ。学校行きながらそろそろ働きに出なきゃいけないかな、めんどくせぇなぁ、とか考えてたんだ。そしたら急に父ちゃんが流行り病にかかっちまって、大変なことになった。おまけに間の悪いことに母ちゃんが妊娠していることがわかってさ。最悪だろ? なんてタイミングで仕込んでくれてんだよ、この親父って思ったよ」
笑い話のようにアルノーは話すが、カルヴィンはまったく笑えなかった。
下町の人間は誰だって生きることに精一杯なのだ。アルノーが言うような状況に陥ることは、今まで一生懸命働いてようやく並の生活ができていた人間が、これからはどん底の生活を送ることになるということだ。
「父ちゃんが真面目だったから蓄えがあるうちはまだよかった。でもその金を母ちゃんが治るかもしれないって、薬代に使っちまったんだよな。そりゃあ、俺だって治るもんなら治ってほしかったよ。だから何も言えなかった。きっと治らないってわかってたけど……」
苦笑したアルノーの顔が翳り、笑みがスッと消えた。
「まぁ、結局治らなかったよ。それで後に残ったのは、臨月の母ちゃんと、働きに出ても大人の半分以下の給料も貰えないようなガキと、薬代の借金だけだ。いろんな人間が距離を置くようになった。当たり前だけどな。誰だって他人の面倒を見る余裕なんてねぇよ。ちょっと優しくしたせいで付け込まれたらたまんねぇもんな」
そうだなとも、違うとも言えず、カルヴィンは黙って聞いていた。
「だから距離を置かれたことはどうでもいいんだ。でも俺のことを諦めたみたいに蔑まれたのは堪えた。母親は運がよければろくでなし相手だろうが再婚できる。でも上の子供は駄目だ。あいつは反抗的だから、絶対に家をとび出して浮浪児になるだろうよ、って。もう俺がそうなったみたいに、路地で生活してスリで生きてる人間かのように扱われた」
親が急に亡くなったり、アルコール中毒になってしまった家の子供は、浮浪児になることが多い。しかしその時のアルノーはまだ何も悪いことなどしていなかった。
一縷の望みにすがっていた父親の病気は治らずに亡くなってしまい、身重の母親と共に途方に暮れている子供にすぎなかったのだ。そんな時になってもいないのに罪人だと陰口を叩かれた。
「何かもういろんなことに疲れちまって、これからのことを考えるのも嫌で、あーもうどうでもいいやって気分になっちゃったんだよな。だから、そんなになってほしいんなら、お望み通り浮浪児になってやるよって思った。お前らそれで満足なんだろって吐き捨てたんだ。そしたらさ、マリオンが怖い顔して言うんだよ。『そんなことしても、そら見たことかって笑われるだけだよ。アルノーはアルノーが不幸になったら喜ぶ人のために不幸になるの』って」
驚いたように目を見張ったカルヴィンに、アルノーは笑った。
「あいつ結構言うだろ? あんな見た目なのにさ」
「……でもその通りじゃないか?」
「そうだよ、その通りなんだ。そんなに簡単に悪意にいいようにされるなって、あいつ言ってさ。でも俺はやさぐれてたから、何にもわからないくせに偉そうに言うなって怒った。そしたらマリオンは昔おばあちゃんに同じことを言われたってからわかるって言ったんだ。あいつさ、子供の頃に両親亡くしてて、そのせいでいろいろあったみたいなんだよな。それまではよく笑っている悩みなんてほとんどない奴だと思っていたけど、そりゃあ大変だっただろうなって、もうわかるようになっちまったから言い返せなくなったよ。……本気で心配されてるんだってのもわかったし」
ふいにどこからか、誰かを呼ぶ見知らぬ女性の声がして、アルノーは何気なくそちらに顔を向けた。
いつのまにか表通りでは物売りの呼び込みをする声が止んでいて、代わりに聞こえていたのは子供たちを探す母親たちの声だった。もうすぐ夕方になる。
「それからはエヴリーヌさんがアパルトマンを追い出そうとする管理人を説得してくれて、狭い部屋に移動できるようにもしてくれたし、母ちゃんに家でもできる難しい針仕事を教えてくれて、仕事も紹介してくれた。だから今は俺と母ちゃんの稼ぎで何とかやっていけてる。ほんとギリギリだけど、マリオンとエヴリーヌさんが何かっつーとお節介やいてくれるしな」
アルノーはカルヴィンに子供らしい笑顔を向けると、茶化すような顔つきになる。
「だから今、俺がいつ監獄に連れて行かれるかわからないような生活を送らずに済んでるのは、マリオンとエヴリーヌさんのおかげなんだよ。と、まあ、そーゆーわけだから、マリオンには録でもない男を近づけさせるわけにはいかねーの。あいつが不幸になるのは、今度は俺が阻止しなきゃいけないからさ」
「……必要以上に近づくつもりはないが」
「何言ってんだよ。カルヴィンはいいんだって。むしろ変なのに目ぇつけられる前に捕まえといてくれよ」
「……会って二回目の人間をそこまで信用するなよ」
カルヴィンは理解できないというように、額に手を置いた。
「俺はそこまでちゃんとした人間じゃない。彼女を不幸にしたくないんなら、もっと慎重に相手を見極めろ」
はっきりと言い切ると、話を無理に打ち切るようにカルヴィンはベンチから立ち上がった。
「時間を取らせて悪かったな。また変わったことがあったら教えてくれると助かる」
「あー、うん、わかった。いつでも手を貸すから遠慮なく何でも言ってくれ」
引き止めようとしたアルノーは、カルヴィンの怒っているようにも見える態度に思い止まった。ひらひらと手を振る。
右手を軽く上げることで応えたカルヴィンは、日が傾き出す直前の、一日の最後の賑わいを見せる街並みへ向けて歩き出した。
その背中を胡座をかいて眺めながら、アルノーはポツリと呟いた。
「本当に信用できない奴なら、自分からそんなこと言わねぇよなぁ」