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竹内緋色 短編シリーズ

かべのしみ

作者: 竹内緋色

かべのしみ


「奥さん、奥さん。また佐竹さんの御主人がまた妙なことを始めなすったんですって」

「奥さん、奥さん。佐竹さんって、あの作家のご主人ですよね」

「奥さん、奥さん。今度はかべのしみを見に来て欲しいんですって」

「奥さん、奥さん。また何かいただけるのかしら」


 この家は建ててからそれほど経ってはいないというのに、俺はかべのしみを見つけた。それはしみというよりも、かべのそこだけが少し色が変わっている。だからそれがしみだというのかもしれないが、かべはそこだけが上に塗られた何かが落ちているといった具合で、しみとは断言できないのであった。

 かべのしみなどという小さなものを気にしていても仕方がない。俺は俺で仕事があるのだ、とかべのしみに背を向けて、机いっぱいに広げた原稿用紙と睨みあいをするのであるが、どうも背中が気になって仕方がない。かべのしみは確かに少し前からあったのだが、それほど気にはしていなかった。だが、今朝、前よりも大きくなっていることに気がついて、なんだか放っておけないという気分になっていった。そうやって気にしてしまったせいか、背中が心なしか熱い。ずっとかべのしみに見つめられているような気がしてくる。

 さっと勢いよく首を回して、後ろを向いた。かべのしみに目でもついているような気がして仕方なかったのである。しかし、かべのしみには当然目などついておらず。しかし、なにか影が横切ったような気がした。

 はたしてそれは俺が動いた際に電灯からの明かりで影が横切っただけだと分かりはしたものの、一度気になりだすと、やはり落ち着かないのであった。

 俺はそんな日々を悶々と暮らした。筆は全く進まなくなった。

 かべのしみは日々広がっていっているように見えた。まるでなにか形どっているように見える。ある日、俺はその形にある影を重ねてしまった。まるで人の座っている背中にそっくりではないかと。

「そう見えるかねえ」

 首を傾げながら友人の湯内が言った。

「確かに見えるな」

 たくましいひげを蓄えた、将校上りは清水である。

「お前、嫁さんの影を重ねてるんじゃないか」

 武部の眼鏡の奥の細長い目が俺を睨む。

「なら、いっそ、近所の人に見えるかどうか尋ねてみればいいじゃないか」

 湯内が大袈裟に言って見せる。俺は大事にするのもあれかと思ったが、確かに、人のカタチに見えるか見えないかで俺の生活が大きく変わるのも明らかだった。人の形のしみのある家に住んでなどいたくはない。なので、近所の人を集めて見極めてもらうことにした。


 翌日、俺の家の前には長い列ができた。みな、かべのしみを見に来たのであろう。あるものは唸りながら「見えないこともない」と答え、あるものは愛想のよい笑みを浮かべて「見えますとも」と信用ならない返事をした。はっきりと見えないと答えるものはいなかった。

 俺は来た人々に粗品を渡して帰ってもらった。

 その日の晩である。

「結局どちらなのか分からなかったじゃないか」

 ひげの清水は少しバカにしたように言ってくる。

「まあ、見えないこともないということでな」

 その清水を飄々と湯内が宥めるのか神経を逆なでするのか意図のつかめないように言う。

 俺はさらに広がったかべのしみに手を伸ばす。

 人の形に広がったしみ。

 俺は武部の言うようにいなくなった妻と子どもの影をこのかべに投げかけているのだと思った。


 戦争から帰ってきて、俺は再び小説を書くようになった。もともと名のある小説家ではあったが、帰ってから一つも小説を書き上げられていない。収入は何一つない。戦前に蓄えられて、新政府とやらに分捕られて残った貯金が一家の要であった。それでもこのあたりでは金のある方だが。毎日毎日小説を書き上げられず頭を悩ませる俺の姿を見て、妻は俺に未来がないと睨んだのだろう。ある日、目が覚めると、妻は子どもをつれてどこかに去っていってしまっていた。書置きも何もない。近所の人に尋ねても見ていないという。妻の実家まで尋ねようかと思ったが、今の俺では妻に合わせる顔もないのだった。

 俺は表ではなにも気にしていないと思っていたものの、きっと妻と子どもが帰ってきてくれることを切に望んでいたのだ。

「祥子。小毬」

 今さらながら悔やんでも遅い。無くなったものは帰ってこない。こんなことになる前に俺は真っ当な仕事でも見つけるべきではなかったのか。

「佐竹。済まない」

 何故か武部が頭を下げていた。

「ずっとお前に言い出せなかったことがあるんだ。お前の嫁と子どもについてだ」

 ざわざわと壁から嫌な音が聞こえてくる。それは気のせいであれど、嫌な何かが武部の口から発せらるるのは避けられようのないことであろう。

「なんなんだ」

 俺は震える口で、ゆっくりと武部に問う。

「一週間ほど前、ちょうどお前がかべのしみがどうのと言い出した時、一枚の電報が送られていた。俺は勝手に見るのはよせと言ったのだが、湯内が勝手に受け取って読んだのだ」

「俺の一人の責任にされちゃ困るぜ。清水だって賛成したんだ」

「余計なことは言うな」

「ともかく、俺たちは佐竹に無断で電報を読んだ。読んでますますお前に見せられなくなったのだ」

「どこからの電報だ。何があった!」

 俺は声を荒げていった。勝手に電報を読まれたことに怒ってはいない。そのことについては後できっちりと叱らなければならないが、三人の悪友が俺に黙っていなければならないというほどのこと、また、この機会に言わなければならなかったこととなると決していいことではあるまい。俺の心の臓がいやに早く、鼓を打つ。

「信州の方だ。佐竹の嫁の実家の方だろう。そして、そこには佐竹の嫁と子どもが死んだと書かれてあった」

「何故だ。どうしてだ。何故言ってくれなかった。式くらい出れたものを」

 俺は涙ながらに言った。鼻水が喉に流れ込んでいやにしょっぱい。

「もう式は済ませたと書いてあった。こちらに来ること能わずと。俺は今すぐにでも伝えるべきだと言ったのだが、湯内がフロイトではかべのしみがどうの、ユングではどうのというもので言い出せなかったのだ」

「俺のせいばかりにするな。ユングは清水だ」

「いらんことを言うな」

「そうか……」

 妻と子どもがこの世からいなくなったことに未だにわかに信じられぬところはあった。だが、今までと変わらぬ生活なのだ。ただ、決して幸せな家庭が帰ってこないというだけの。

「お前たちは最後に俺に会いに来てくれたのだな」

 俺はようやくかべのしみができた理由に納得がいった。心配した妻と子どもが帰ってきてくれたのだ。

「これからはずっと一緒だ」


「奥さん、奥さん。聞きました?この前の佐竹さんところのかべのしみ。あのかべに佐竹さん、毎日ご飯を供えてるんですって。それも誰かがいるかのように話しながらご飯を食べているって」

「奥さん、奥さん。それだったら、あの人、戦争から帰って来てからずっとおかしかったじゃありませんか。いもしない友人と話していて。あそこの奥さん、ひどく参ってしまわれていましたわ。それもその友人たら三人もいて、お前には見えないのか、って真面目な表情でおっしゃるんですもの。佐竹さんの奥さんが夜逃げするのを無理ないわ」

「奥さん、奥さん。でも、誰も佐竹さんの奥さんが夜逃げしているところを見てはおりませんのよ。もしかしたら、あのしみのあるかべのなかに――」

「奥さん、奥さん。止めましょう。作家なんて頭がおかしい人々に関わるものではありませんわ」


The scatterbrain.

Fine.


 作家という生き物について


 文学フリマ短編が開催した!選ばれるためにはポイントが必要という時点で私にはなすすべがないわけだけれど、今回はポイントをつける側として参加させていただこうと思う。

 しかし、なかなか秀逸な作品が目白押しである。なるべく低評価の作品から見させていただいているが、これでダメなら一体何がいいんだと叫びたくなるものばかりである。少なくとも私よりは確実によくかけている作品ばかりだ。

 短編を読むにあたって少し感じるところがあった。今回のイベントは40000字以内なら応募できるということだが、40000字だと少し多い。できれば10000字以内にまとめあげられたらこちらも読み易いなあと思ったりする。少ない文字数の中、作品を作り上げるというのは大変でしょうけど、それが才能の見せどころではなかとでしょうか!

 評価をつけた作品にはなるべく感想を書くようにしていますが、変な感想で申し訳ありません。作品の意図とあまりにもかけ離れているのなら、しっかりと文句を言ってくださって結構です。


 よしなに。よしなに。

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