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8:笑顔のちから

 一人の時は、短時間でただ空腹を満たすだけの食事を選ぶ。

 栄養バランス云々と小言を言わる前に、野菜をたっぷり挟んでくれるサンドイッチチェーン店を選んだ。

 軽く焼いたパンに野菜を挟んだサンドイッチ。具はどうしようかと悩んで、悩んで、えびとアボカドにした。

 えびのぷりぷりとした食感を楽しんでいると、横の席に座って肘をついた近衛がじっと結子を見ていた。口の中のものを飲み込んで、小声で訊ねる。

「……何ですか」

『もっと楽しく食べられないものかと思っただけだ』

「充分、美味しいと思っています」

『その割には顔が険しい』

「一人でにこにこしながら食べるのも、気味が悪いでしょう」

 言った後で、また軽く笑われると思ったのだが、近衛は黙って自分の口元を指差す。

「……?」

『口元。アボカドが付いている。わたしは拭ってやれないからな』

「そういうの、必要ありません」

 トレイの上に添えられたペーパーナプキンで口元を拭った。

『いつも思っていたのだが』

 独り言をぼそぼそと喋るのも周りから妙に思われそうで、黙って首を傾げて先を促した。

『神崎はあまり笑わないな』

 結子の眉間の皺が深くなった。いつも、ということはこうして姿を現す前から見ていたのだろう。神使であれば本殿に居るのだろうから。

『他所の神社の巫女はにこにこ笑って愛想が良かったが』

「……愛想のない巫女ですみません」

 唇を尖らせて、少しも申し訳無さそうな色もなく謝る。言葉だけの謝罪であることは明らかだった。

『わたしは構わないのだが、神崎自身が損をする』

「損なんてしていません」

『気付いていないだけだ』

 気付いていないのなら、それは損になるのだろうか。耳に纏わりつく近衛の言葉を、頬張ったサンドイッチと一緒に噛み砕き──飲み込んだ。こういう性分なのだから仕方がない、とそれ以上を考えずに。


 食事を終えて、駅の改札を潜った。ホームに上がると、ちょうど電車が来たところだった。

『少し遊んで行けば良いだろうに』

「遊ぶって……ど──……」

 どうやって、と言いかけて言葉を飲み込む。どこでどうやって遊ぶのか。遊んだ、と胸を張って言えるのは、思えば、小学生の頃くらいだ。神社の境内で地面に絵を描いて、近所の子たちと鬼ごっこをした。あの頃は、まだ多少は友達も居たように思う。だが、中高と進学すると縁遠くなった。

 家の手伝いがあるから、と誘いを断って、次第に学校内だけの付き合いになっていった。

 面倒だったのだ、誰が好きだのという会話が。煩わしかったのだ、見えない"空気"を読んで行動することが。

 それを指して、怠けていたと言ったのだろうか。だとすれば、何と息苦しいものだろう。

『必要だろう。これから、山の中に篭って一人で暮らす訳じゃないんだ。神崎はこれまで縁を軽んじてきただろう。今は良くても、そのうち──』

「余計なお世話です」

 怠けているだの、悩めだの成長しろだの。

『本当に、可愛げのない』

 結子がどれだけ大変なことをしたかは分かっている。だからといって、延々と説教をしなくても良いではないか。これから半年をかけて償うのだから、それで手打ちとして欲しい。

 目の前で電車の扉が開く。どうしようかと少し考えたが、乗り込んだ。

 どこで遊ぶかも、どうやって遊ぶかも分からないのなら帰った方が良い。視界の端に見える近衛が溜息をついたようだったが、見えないふりをした。


 帰り着いたのは、午後三時少し前。日曜日だから、境内は参拝客で溢れていた。多くは女性。結子よりも少し年上の大学生や社会人の姿が多い。皆、誰かとの縁を切るために来ているのだ。

 とりあえず、と家に戻り荷物を置くと社務所へと向かった。さすがに父一人で全てを切り盛りするのは無理だったようで、社務所の対応のみ、近所の氏子に頼んだようだった。

 父は本殿で御祈祷なのだという。

 交代する旨を伝えて巫女の一式に着替え、社務所に出る。近衛とは、電車に乗る時以来言葉を交わしていなかった。駅からの帰り道も気付けば姿を消していた。一足先に戻って結木様に報告をしているのかもしれない。

「あのー」

 装いを改めると、参拝客が伺うように声を掛けてきた。

「はい」

「こちらで、巫女さんからハサミで、こう……チョキンってしてもらうと縁切りのおまじないになるって聞いたんですけど」

 手には財布を持っている。初穂料はいくらになるかと伺っているのだろう。

 髪を明るく染めた、大学生くらいの女性二人組だ。二人の小指には、黒ずんだ──辛うじて赤かったと思われる糸。この糸も、出雲で神様が話し合った末に結ばれたものなのか。

 そういえば、母の小指を見ていなかった。見たかもしれないが、絡んだ糸を覚えていない。極力、視界に入れないようにしていたのだろう。果たして、糸は何色だったろうか。

「すみません、今はもう行っていないんです。刃物を向けるのは危ないって──」

「えー、そんなの全然気にしませんよー。ねえ」

「そうそう。ね、だから今の彼氏と別れたいって言ってて」

「でも、言いがかり付けられても困るし」

「だから縁切り神社で縁を切ってもらうのが一番だろうって」

 二人が交互に話してここに来た経緯を伝えてくれる。

「すみません、どうしても出来ませんので──」

 どう断れば良いのか、言葉が出てこない。何と言っていたか、と考えてすぐに気付く。こうして縋られる前に、はいはいと何も考えずに糸を切っていたのだ。

 嫌なら恋愛などしなければ良いのに、と思いながら。

「いつから切らなくなったんですか?」

「せっかく遠くから来たのに」

 そんなことは知らない。どこから来ようと、それは彼女らの勝手で結子には関わりのないことなのだ。表情が険しくなるのを懸命にこらえた。切ってしまっても良いけれど、そうすれば次は良い縁などないのだと言ってやりたい。中々引き下がってはくれない二人に、そんなことが喉元まで出かかった。


「どうなさいました」


 次第にぴりぴりとし始めた場を諌めるように、穏やかな声音が割って入る。

 結子の背後から、声を聞いてやって来た体であった。結子を含めた皆の視線がその声の主に向けられる。

 白衣に、浅葱色の袴姿の青年が居る。黒髪で肌は雪のように白く、切れ長の双眸が涼しげだった。声は低く落ち着いて、彼女たちを落ち着かせるには充分な力を持っていた。

「いえ、あの……」

「縁切りのおまじないを、ねえ」

「そう、でも、できないって」

 ごにょごにょと歯切れも悪く言い合う二人に、青年はにっこりと微笑んで言う。

「そんなまじないに頼らずとも、本殿にお参りなさい。今の縁が悪いと思われるのでしたら、ご自身の心持ちを変えるのもひとつですよ」

「心持ち、ですか」

「それって、どんな風に、ですか?」

「どうせ分かってもらうのは無理だしって思うようにする、とか」

「それは諦めでしょう。そこから関係は発展しませんよ。まずは会話をしましょう。一方的に話すのではなく、相手の話もしっかりと聞いて会話をするのです。人間関係は最初からうまくいくことは稀ですよ」

「会話かー」

「でも、神主さんみたいに話きいてくれないんですよね」

「だからいっそ、次の人って」

 ねえ、と顔を見合わせる二人に、青年は大仰に驚いてみせた。

「折角の縁を、そう簡単に切ってしまっては勿体無いですよ」

「勿体無い?」

「そうかなぁ」

「そうですとも。折角、神々が話し合って結んでくださったご縁です。結んでくださったら、そのご縁を大切に育てていかないといけませんよ」

「縁を育てる、ねえ」

「どうなんだろ。でも、ちょっとだけ話しをしてみるかなあ」

「人間関係は鏡と同じです。相手に対して不満を抱いていると、相手もまた同じように不満を抱いているものです」

「そっかー」

「もうちょっと頑張ってみる?」

「また次の人探そうっていうのも、体力使うしね」

「ぜひ、そうしてみてください。そして、遠くの神社も良いですが、近くの神社の神様も、あなたがたを守ってくださっているのですから、しっかりと顔を見せていつも守って下さっていることへの感謝を忘れないで下さいね」

 結子に対してぴりぴりとした態度を取っていた女性二人は、いつの間にやら穏やかな笑顔になっている。あの青年と話をしただけで。

 二人は、青年に一緒に写真に写ってくれないかと頼んでいたがやんわりと断られていた。何度か食い下がっていたが結局諦め、また来ますと挨拶をして晴れやかに帰ったのだった。


 参拝客が、青年の姿を遠巻きに見ていた。近付いて声を掛けないのは、芸能人かというくらいに整った顔立ちをしているからだろう。近寄りがたいのだ。それに気付いているのかいないのか、青年は涼し気な表情で結子の隣に座っている。

 髪や瞳の色が異なろうと、青年が近衛であるとはすぐに分かった。

「……ありがたい神使様のお言葉は違いますね」

 二人を納得させたのだ、しかも糸を切らない方法で。

「神使だからじゃない、人付き合いの基本だろう」

「私は怠けていたので知りませんでした」

 棘しか含んでいない返事だった。苦笑交じりの溜息が返ってくる。

「怠けているのは、今の二人もだろうな」

 自分で努力せずに相手に全てを任せる。思い通りにいかなければ、そんな縁は切ってしまえと放り出す。二人だけでなく、ここに来て縁を切ってくれと願う皆が、そうなのか。積極的に誰かと縁を結びたいと願っている点は結子とは異なるけれど。

「神使が浅葱色の袴というのは、どうなのでしょう」

 神職にも身分があり、それは袴の色で見分けられる。一番偉いのは、白地の袴に紋が入ったもの。浅葱色の袴は一番下の身分となる。

「それは人が決めたものだ。何色を履こうと、わたしは構わん」

 ふうん、と相槌のように返して、そこで会話が終わった。

「結木様は、神崎をお気に召していらっしゃる」

「私を?」

「一日の終わりに、いつもお参りに来ていたろう。あれで、結木様も神崎を大目に見ていたのだ。……そのせいで、ご自身の進退問題となってしまっているのだが」

「今の助け舟も、結木様に言われたからですか」

 境内での揉め事は面倒だし、多少気に入っている巫女のことだから、と命じられてわざわざ姿を変えて現れたのだろう。でなければ、可愛げのない巫女のためにわざわざ人の姿を取ってまで出てくるものか。

「神崎。おまえは素直じゃないというか、不器用というか──……」

「だって、知らないんです。こういう時……何と言えば良いか」

 皆、誰から教わったのだろう。それとも、怠けずにいれば学べたのだろうか。

「こういう時は、笑って礼を言うものだ。おまえは、笑えば愛らしいのだから」

 照れた様子も見せずに言うのだから、すとんと言葉が入ってくる。こういう時は、笑うのか。けれど、これまであまり使われなかった表情筋は中々言うことを聞いてくれない。頬を両手で揉みほぐす。

 笑えば──と、近衛の言葉がじわりじわりと胸に馴染む。頬に触れた手に熱が伝わってきたのは、きっと気のせいだ。

「わたしも、笑顔で礼を言われた方があれこれと手を貸したくなる」

 笑わなければ、ということも忘れてしまう。近衛の微笑みに何か言い返してやりたかったが、そんな気も失せてしまう。それが、整った容姿のせいなのか、それとも笑顔というものが持つ力なのかは分からなかったけれど。

「ほら、気付いていないだけで損をしていたろう?」

「お……覚えて、おきます……」

 結子は、それだけを返すので精一杯だった。

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