44:決意
そろそろ時間だと、受付からの電話が鳴ったのは午後六時だった。延長するかどうか、となったが、誰かが空腹を訴えたので場所をファミレスに移そう、ということになった。
ここからファミレスで夕食、となると解散は何時になるのだろう。昨日から帰っていなかったから、あまりに帰りが遅くなるのは心配だった。主に、父の機嫌が。
「私、ここ……で、帰る、ね」
意を決して手を上げて帰宅の意思を告げる。友里から途中で抜けても良いとは言われていたが、さすがに勇気が必要だった。
友里も途中で帰っても良いと言っていたからか、難なく了解してくれた。
問題は、その後。
「じゃあ、慧が駅まで送ってってやれよ」
「いや、一人で──」
人気のない道ならまだしも、と思ったが川端までこの提案に乗ってしまったから、羽藤の意見など聞き入れられず駅まで送ることが決められてしまった。
カラオケ店の前で別れて、駅までとぼとぼと歩く。カラオケの席で多少話をしたが、それっきりだ。無言で、駅までの道を並んで歩いていたのだが、ふと羽藤が口を開く。
「……ごめんね」
それは、謝罪だった。
「えっ? どうして……あやまる、の……ですか」
むしろ、結子に付き合わされている羽藤の方が迷惑だろうに。
「一人で帰りたかったんじゃないかなって、思いまして」
「いや、そんなことない、です。きっと、羽藤くんの方が迷惑だったかと……」
「別に」
そしてまた、沈黙。何か話題を探そうと、カラオケでの会話をなぞる。羽藤の両親の挙式が結木神社だった、という所で終わっていたのだ。
それは羽藤も同じだったらしい。カラオケでの会話の続きが始まった。
「でも、親が結婚式挙げた神社の娘さんに会えるとは思わなかった、です。……おかしいな、敬語やめていい?」
「あ、はい……いや、うん。大丈夫。私も……びっくりした。面白い偶然も、あるんだね」
「縁結びの神社らしいね。母親が、そこで挙げたいって昔から思ってたらしくてさ」
「うん、そう。縁結びの神社」
近頃では縁切り神社になってしまっているけれど。それは、結子のしでかしたことだったし、嬉しそうに話す羽藤に嫌な思いをさせるだけだから黙っておいた。
「縁結びの神社で結婚式挙げたから今でも仲が良いんだって、いつも言ってる」
羽藤の両親にとって、結木神社はかけがえのないものなのだ。
これまで、神崎の家の人々が粛々と守ってきたもの。それはささやかではあっても、頼ってくれた人たちの小さな幸せ。
結木様の働きは結子たちには見えないけれど、それでも"居る"のだ。その働きの手伝いが、父の務めであり、跡を継ぐ結子の務め。
跡を継ぐのも良い──いや、跡を継ぎたい、と思った。
「羽藤くんは──」
羽藤もまた、同じように思うのだろうか。たとえば、美幸と結婚するような──。
赤い糸が結ばれた、というだけで交際にも至っていないのに、そんな一足飛びのことを考えながら視線を落とす。落として、言葉が途切れた。
糸が、ぷつぷつとほつれ始めていた。
一度結ばれた糸は自然と切れてしまうこともあるという。話には聞いていたが、こんなに簡単に切れてしまうものだったのか。
今回は、気になりながらも話をする機会がなかったから縁が切れてしまった、ということだろうか。
人との縁とはそういうものなのだろう。だから、一期一会を大切に、と言うのだ。
結子も、何も知らない相手ならば、縁がなかったのだな、で終わるところだが──このまま放ってはおけなかった。
足を止めると、羽藤も数歩先で止まった。
「どうしたの、神崎さん」
「私はここでいいから、戻って」
突然、戻るように促された羽藤は驚いて目を瞬かせる。
「え、でも。ここまで来たし、もう俺も帰ろうかって──」
「駄目。縁って簡単に切れるものなんだよ。気になった子が居たら、約束取り付けないと」
「は、いや、何──……いや、でも」
気付かれているとは思わなかったのだろう。実際、あの場に居る誰も気付いていなかった。糸が見えた結子の他は。
大きなお節介かもしれないけれど、跡を継ぎたい、と気付かせてくれた羽藤への恩返し。
戸惑っていた羽藤だったが、少し考える間を置いて頷いた。
「──ありがとう」
踵を返して走り出す後ろ姿を見送る。
駅のロッカーで荷物を取り出し、改札を抜けた。その時、きらりと光る指先が見える。そうだ、爪を整えてもらっていたのだった。それに気付いて、少し背筋が伸びた。
車窓から見える外の景色は、薄暗くなっている。
香菜のおかげで、良い週末になった。彼氏を作ったらどうか、という誘いで始まった合コン参加だった。彼氏なんてできそうにないけれど──けれど、収穫はあった。
糸結びも、結木様のためだけでなく、神社のため。結木神社を拠り所としている人たちのため。
何となく、流されて進路を決めるのではなく──今は結子自身の意思で跡を継ぎたいと思っていた。もしかすると、来年には変わってしまうかもしれないけれど。少なくとも、今の結子は神職に就きたいと思っている。
電車を降り、改札を抜けて家までの道を歩く。かつ、かつ、といつもと違う足音が付いてくる。
神社に務めよう。
そう決めると、無性に近衛に会いたくなった。家までは、まだ距離がある。
早く、近衛に報告したい。近衛がどう思うか、悦んでくれるかではなく、自分の意思で決めたのだと伝えたい。
居ても立ってもいられなくなり、早足になる。早足でも遅いくらいだ。鞄がガチャガチャと音を立てる。制服を入れた袋がガサガサとうるさい。
けれど、そんなことに構っていられなかった。
気付けば、走り出していた。スカートの裾が翻るのも気にせずに。
家よりも先に、神社の鳥居を潜っていた。社務所は締め切られていて、境内はしんと静まり返っている。肩で息をしながら、社殿へと向かう。
「近衛さん、私! 決めました! 神職になります! 近衛さんが喜ぶからとかじゃなくて、私が継ぎたいの! 明日から、糸も結びます! 結木神社を、また縁結びの神社って言われるようにするから!」
社殿に向かうと、伝えたいことが次から次に溢れてきた。順序立てる余裕などない。
「今年の神議りには出られるように頑張りますから! 明日から──……あ、でも近衛さんの都合もありますよね。えっと、都合の良い日からで構いませんので……あっ」
早く伝えたくて、お参りの時の決まりごとがすっかりと抜け落ちていた。手水舎で手を清めず、礼もしていない。神様と神使に対して、ひどく失礼なことをしていた。
「すみませんでした!」
腰を直角に曲げて深々と頭を下げる。抱えていたままの荷物を足元に置き、手水舎に取って返した。手を洗い、口を清め、もう一度仕切り直し。
鈴緒を引いて鈴を鳴らし、礼をする。手を叩いて、再び礼。手を合わせて、今度は声に出さず心の中で伝える。きっとそれで、伝わるだろうから。
先ほどの非礼と、これまでの礼。そして、今後のこと。それでようやく気持ちが落ち着いた。
礼をして、足元に置いた鞄と紙袋を持った。
辺りはすっかり暗くなっていた。あまり遅くなると父が心配してしまう。
「それじゃあ、近衛さん。改めて、よろしくお願いします」
まだ、どきどきと胸が高鳴っている。今なら、どこまででも走れるようだ。ジャンプすれば、高跳びのバーだって楽々と超えられるような──そんな気がした。
家に帰ってからも、気分は高揚したままだった。食卓の上には夕食が並んでいて、父と母が待っていた。
「ただいま。遅くなりました」
「おかえりなさい。──あら。可愛い。お化粧したの?」
母に言われて、香菜に化粧やヘアアレンジをしてもらったことを思い出す。あれは袈裟の出来事だったのだ。あれこれと起こりすぎて、昨日のことのように思えていたけれど。
「あっ、うん……昨日から、友達の家に泊まってて。してもらったの」
「結子もそういう歳ね。そのうちお嫁に行くのかしら」
冗談めかして言う母の横で、父がうろたえる。その姿を見て、居間は笑い声に包まれた。
日曜日の朝は、いつもより早く目が覚めた。着替えてキッチンを覗くと、母が朝食の支度をしていた。焼いてもらったトーストと目玉焼きにコーヒーを添えての朝食。
母がいることが当たり前になった週末。数ヶ月前は思いもしなかった。
「今日はどこか行くの?」
「うーん……たぶん」
「そう。雨降りそうだから傘持っていきなさいね」
「はあい」
近衛は姿を見せていなかったが、今日も休みならば近くを散歩してみようかとも思っていた。
皿を片付けて部屋に戻ると。
白い──
「近衛さん」
狩衣姿の近衛が、きちんと正座をしていた。慌てて扉を閉め、向かいに座る。
『おはよう』
「おはようございます!」
ただの挨拶だったのに、必要以上に声が大きくなる。顔を見られただけで、こんなに嬉しくなるとは思わなかった。
『息抜きになったようだな』
「はい。私の中で、色々と解決できました」
『そうか。──……しかし、神崎』
「はい」
『昨日は走って帰ってきたのか』
「ええ。早く伝えないと、と思って──」
失礼なことをするな、と小言を言われるのかもしれない。実際に失礼なことだったから仕方がない。何より、近衛の小言は久しぶりだから嬉しくもあったのだが。
以外なことに、近衛は黙ったまま小指に結ばれた糸を引いた。結子の小指の糸が引っ張られる。
それがどうしたのだろうか、と首を傾げると近衛は苦笑を漏らす。
『まったく。どうして糸を結んでいると思っているのか』
「あ──……」
何かあった時、離れていてもすぐに呼べるようにと結んだ糸。つまり、走らずとも用事があるのならば糸を引けば良かっただろう、と。そう言いたいようだった。
「でも、あれは急な用事でもなくて、ただ私が伝えたかったことで……」
しどろもどろになりながら言い訳のような説明をする。近衛と繋がる糸のことを失念していたのもある。だが、もし覚えていたとしても、走っただろうと思うのだ。
「私から会いに行って、伝えたかったことですから」
『そうか』
そこで、話が一段落つく。そうして、深々と頭を下げた。
「改めて、よろしくお願いします」
『ああ』
そして、どちらともなく笑い出したのだった。




