41:こじれてそれから
父の許可は得られた。後は──近衛。
今日、休みをもらったばかり。だから、また休むのかと怒りはしないだろうか。誰のせいでこうなったのか、と紙束を見せられては予定があるからとは言えなくなる。
その時は、何と言って合コンを断ろう。
家の手伝い、が妥当だろうか。その時は香菜にも謝らなければならない。
そんなことを考えながら、それを望んでいる自分に気付く。
行きたくない──訳ではないと思う。そうではなく、どう表現すれば一番近いだろう。
約束した時はそうでもなかったのに、段々と気分が沈んでくる。もし場違いだったら。楽しくなかったら。普段から出掛ける癖がついていないから、面倒になるのだ。
それでいて、自分から断る勇気がないのだからどうしようもない。
自分の不甲斐なさにため息を付き、自室へ続く扉を開けた。
部屋に戻ると、白く美しいいきものがいた。
『息抜きになったか』
その、美しいいきもの──近衛は、穏やかな声音でそう訊ねる。
近衛が部屋に居るのは久しぶりで、少し、見蕩れてしまった。いつからだろう、こうして近衛が部屋に来ることがなくなったのは。結子が、好意を自覚してしまったのが悪かったのか。
『神崎?』
名を呼ばれて我に返る。
「あ、はい、今日は急にありがとうございました」
扉を閉め、近衛の向かいに座った。
『ならば良かった』
「今日は、どうしてここに?」
『来ては悪かったかな』
「そうじゃなくって」
なにか用事があったのか。無事に帰ったか気にかけてくれていたのか。少し、ほんの少しでも期待したのだ。
「……」
『……』
特に用事はない、という返事でも良いから待ってみるが、結子が喋らなければ近衛も黙ったままだった。
「……いいです」
『そうか』
そして再びの沈黙。壁に掛けられた時計の秒針の音が聞こえるほど静かだった。これまで、どんな話をしていただろう。
以前はもっと、とりとめのない話をしていたような気がする。こんなことなら、好きだと自覚しなければ良かった。恋心というものは、本当に──面倒くさい。
「あの」
『どうした』
「ワガママばかりになるんですが。今度の土曜日、香菜と約束ができたのでお休みさせてください」
近衛が駄目だと言ってくれれば、と心のどこかで思っていた。約束はしたけれど、糸結びを優先しろと言われれば、そうするつもりだった。
それは、結子が流されてしまって一度結んだ約束を、反故にするために他を使う、正々堂々とは言えない行為。
『そうか』
返答は、それだった。出かけて構わないということなのだろう。
「……ありがとうございます」
以前ならば、もっとうるさく言われたのではないだろうか。どこに行くのか、糸結びはどうするのか、優先することは何か考えろ──。
やはり、興味があったのは"神崎家"に対してであって、"結子"ではなかったのだ。糸を結ばなければ、自分が困るから。なんだ、神使というものも意外に勝手なものかもしれない。
だから、少し意地の悪いことを訊きたくなった。
さっき、父に言われたことを思い出したのだ。
「近衛さんは、私が神職にならないって言ったら、どうしますか?」
もし、適当に──別にこれといって学びたいことがある訳ではないけれど──神職には関わりのない学部に進んで、どこかの企業に勤めたら。
結木神社は、別の誰かが神職として来るだろう。そうやって、神社は続いていく。神崎とは何の関わりもない人の手で。
少しで良いから構って欲しかったのだと思う。結子を通して誰かを見るのではなく、結子を見て欲しかった。
『どう、とは──どういう意味だ?』
冷え冷えとした声に聞こえたのは、気のせいだろうか。
ここで、進路に悩んでいるだの受からなかったらどうしよう、だの適当な嘘で誤魔化せば良かったのかもしれない。どうして──どうして、言わなくてもいいことほど口をついて出てしまうのだろうか。
「例えば、絶対に継げって言ったり──……」
そう言って欲しかったのだ、きっと。近衛に。
結子でなければ駄目なのだと、好意を向けてもらえない代わりに、せめて。
『神崎は、わたしが望んだ進路を選ぶのか』
「そうじゃありません」
『ならば、わたしの意見など聞く必要はないだろう』
「でも──だって」
神崎の家は、近衛の想い人の子孫ではないのか。だから、結子が跡を継いで子孫を残して欲しいのではないのか。
伝えたい言葉ほど、喉に引っかかって出てこない。子供のように、でもでもだって、しか言えなくなる。
『近頃、急かしすぎたな』
感情のコントロールができない結子と対照的に、近衛は冷静だった。
『丁度良い。しばらく休むか』
冷ややかな声音で継げられる。
「どうしてですか。急がないと──」
だが、最後まで言う前に近衛はばっさりと切る。
『構わんさ。神崎も用事があるだろう』
近衛との約束の方が大切だ。何よりも、誰との約束よりも。
だから近衛と一緒に居られるのならば、糸結びも苦ではない。合コンなんてもの、断ったって構わないとすら思う。
『十夜にも来ないように言っておく』
そう言うと、白い姿はふわりと消えてしまった。結子が何か言う間も与えずに。
しばらくとはどのくらいだろう。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。どんどん自分が醜くなっていくような気がする。わがままで自分勝手で、相手の都合も気持ちも考えない嫌な人間に。
大きなため息を付いてベッドに倒れ込む。今のことが夢ならばいい。明日になれば、いつものように近衛が今日の予定を告げに来ればいい。そう思った。
そんなことは夢のまた夢。近衛に言われた"しばらくの休み"は夢でも何でもなかった。あの日から、本当に近衛は──近衛どころか十夜も顔を見せなかった。
毎日、ぼんやりと学校に行って、授業、休み時間、授業。気付いたら放課後。家に帰って食事とお風呂、予習と復習をして、就寝。
糸結びのなかった頃は何をしていただろう。ほんの数ヶ月前のことが思い出せなかった。神社の手伝いをしようにも、縁切りのご祈祷を受け付けなくなったからか、近頃めっきり参拝客は減っている。
これが普通の高校生活かもしれないが、結子にとっては無味乾燥の日々だった。
「ゆーいこ、結子! おいこら、話聞いてないでしょ」
昼休み、中庭での昼食。弁当はいつの間にか空になっていた。隣に座っていた香菜に呼ばれてようやく我に返った。
「あ、ごめん……なに?」
「曇ってきたから中に戻ろうって言ったの」
見上げると、確かに空は鉛色の雲に覆われていた。
「ここんとこ、ぼんやりしてるけど何かあった?」
「うん……」
空の弁当箱を包みながら、曖昧な返事をする。何から話せばいいのか分からない。答えあぐねる結子に、香菜は返事を急かすようなことはしなかった。
言いたければ言うだろうし、言いたくなければ誤魔化すだろうという姿勢でいてくれる。
親切を盾にしてずかずかと踏み込んでこない気遣いが嬉しかった。
「香菜は、進路決めてる?」
弁当箱の包みを握り、意を決してそう切り出した。
「一応、決めてるなあ」
近衛との関係がこじれた決定打となった、進路の話。
「そっか……」
決めているのか。それが香菜の意志かどうかまでは聞けなかった。
「結子は? 跡継ぐんじゃないの?」
「……そう思ってたんだけど」
分からなくなった。今、跡を継ぐというと、近衛のために、という気持ちが入ってしまう。
「なんで? 親と喧嘩でもした? 合コン行くな、とか」
「……や、出掛けるとしか言ってない」
「だろーね。それが良いわ」
そしてまた、少し黙る。中に戻ろう、と急かさないのは話がこれで終わりではないと察してくれているのだろう。
「私、漠然と跡を継いで神職になるって思ってたの。でも、手伝うのが好きなのかって訊かれて、分からなくなって」
「あー。確かにね。当たり前にしてたことだったから、好きかどうかも考えたことなかったってやつ」
黙って頷く。主体性がない、と笑われるだろうか。進路を決めている香菜には、親の仕事だから、という適当な理由で──今ではさらに近衛の存在までもがある──将来を決める結子は愚かしく映るだろうか。
だが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「良いんじゃない? 進路希望調査があるまで悩めばいいし、決まらなかったらとりあえずその時興味があること勉強すればいいし」
そんな、と驚いて隣に座る香菜を見る。
「そんな不純な考えで進学していいの?」
「そりゃーさ、進学の時点で何をするって目標が決まってれば良いよ? 近道だもん。楽だわ。でもさ、いざ勉強してみたら、なんか違うなーってなるかもしれないじゃない」
「……でも」
大学の授業料は高いのだ。そんな、ふんわりしたことで良いとは思えない。
「そんなこと言ってたら、一度でも選択間違った時点で人生終わっちゃうでしょ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「私を見てみ? 高校留年しても、何とかなってるわ」
「まあ、そうだけど」
「だからさ、選んだ進路が何か違うなーって思ったら、その時にまた選び直せば良いんだって」
そんな考え方をしてもいいのか。香菜の考え方はあまりにも楽観的で、自由だった。曇っていた視界が明るくなったように感じるのは、大袈裟だろうか。
ならば、香菜ならばどうするだろうか。
「例えば……例えばね……例えば……例えばだよ?」
「はいはい。例えば、なに?」
「例えば……好きな人がその職場に居る、から……その仕事に就きたい、とかは……アリ?」
「アリでしょ」
間髪入れずに答えが返ってきた。
好きな人が居るのか、と茶化すようなことはせず、結子の欲しがっている答え、それだけを返してくれる。
「何を大事にするかは人それぞれだしさ。最初は好きな人を追っかけて就いたとしても、いつか仕事が好きになってるかもしれないし」
香菜はどこまでも前向きだ。
「自分がアリだって思ったら、法に触れない限りなんでもアリだよ」
そうか、そういうものか。
重くのしかかっていたものが軽くなったような気がした。
頬にぽつりと冷たいものが落ちる。雨が降り出したのだ。
慌てて立ち上がり、手で庇を作りながら校舎までの道を急ぐ。
「でもさ、良かったじゃない。家を継ぐ以外の選択肢もあるんだって気付けたんだから」
「良かったのかなあ……」
「良いに決まってる」
そう言って、香菜は結子の肩を叩いたのだった。




