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23:土曜日の参拝客

 四月末の土曜日。

 天気は薄曇り。春らしい温かさ。湿度もなく過ごしやすい気候。


 結木神社の宮司はパソコンに疎い。それぞれがこぞって公式ホームページなるものを作り始めた頃も、「そのうち……慣れたら」と後回しにしている間にタイミングを逃してしまい、今に至る。そのため結木神社には公式ホームページがない。

 だが幸いにも世はSNS全盛期。口コミで評判が拡散されるようになった。縁切りの結木神社は「よく縁が切れる」と評判になって──そして、今。

「縁切りの御祈祷をしないって、ホントですか?」

 縁切りを止めた情報もまた、瞬く間に広がったのだった。

 パソコンやインターネットといったものに弱い宮司は、対策として昔ながらの対策を用意したのだった。宮司──すなわち、結子の父である。

「はい。口コミで広まって、その間に御祈祷も受けるようになったのですが──」

 元は縁結びの神社なのだと説明をして、用意されたリーフレットを渡す。反応は、十人十色。縁結び神社だったのなら仕方がない、と納得する人は少数。だったらなぜ今まで御祈祷を受けていたのかと言う人。神様に失礼じゃないか、と説教をする人。結子は、はい、もっともです、その通りとしか言えない。縁切り神社にしてしまったのは、結子に原因があるのだから。

 それでも、文句を言いながらも「せっかく来たのだから」とお参りをしてくれる人が居たのは幸いだった。これで良縁が結ばれて、結木神社は縁結び神社だと口コミで広がれば、と望むのは他力本願が過ぎるのだろうけれど。


近衛は朝に顔を出したきりだった。

『今日は、わたしのすることはないからな。結木様に付いている』

 朝食の後にそう言われて、落胆した。

 しかし、だからといって我儘を言って近衛を困らせたくはない。今日は糸を結びに出かけないのだから、近衛が傍に居る必要はない。ならば、本来の役目である結木様の神使の務めに精を出すのはごく当たり前のことだ。

 寂しいけれど。

 近衛の言うことを信じるならば、この思いもまた糸が繋がっているせいなのだろう。最初は気味が悪かった、この糸の。


 参拝客が落ち着いたのは、午後になってからだった。

 父の書いた御朱印を整理していると──結子はまだまだ書けない為に、事前に書いてもらっているのだった──不意に声を掛けられた。

「あの」

「はい」

 急なことだったから、慌てて顔を上げる。

 声を掛けたのは、母と同じくらいの歳の女性だった。女性は結子の顔をまじまじと見て、


「あなたが、神崎さん?」


 そう、訊ねられた。

 女性をまじまじと見るが、初めて会う人のはずだ。結子の記憶にはない。懸命に記憶を探ってみたが心当たりはなく、そして問いを投げられていたことを思い出し慌てて返事をした。

「はい、神崎──ですが……」

 参拝客なのだろうが、しかしどうして名を知っているのだろう。結子が思うより、警戒の色が強い声になっていたようだった。女性は慌てた様子で続ける。

「ごめんなさいね。香菜からあなたの話を聞いたものだから」

 出てきた名前に、あの図書室での一件が蘇る。

 香菜──とは、江東香菜を知る人物だろうか。

「話……」

 それが相槌と思われたのか、香菜との関係を訊ねるよりも先に話題が進む。

「ありがとうね、香菜と仲良くしてくれて」

「いや、あの……」

 仲良くはしていない。図書室で会った一度きりなのだ。誤解を解かなければ、と言いかけたが、続いた女性の言葉に何も言えなくなる。


「良かったわ、友達ができて」


 香菜も──あの、明るそうな香菜も、友達が居ないのだろうか。そう思うと、何も言えなくなる。

 そして、ちょうど香菜が遠くから駆けてくるのが見えた。

「お母さん! 言ったでしょ、神社はちゃんと手を洗ってから──」

 香菜の知り合いなのか、どんなご関係で、と訊ねるよりも先に答えが出てしまった。

 目の前の女性は、つまり香菜の母親なのだった。

 香菜は結子に気付くと、そこで固まってしまった。じり、と一歩後退っている。

「こんにちは、江東さん」

結子が挨拶をすると、あの図書室での馴れ馴れしさはどこへやら。

「こんにちは……神崎さん」

 そんな歯切れの悪い挨拶が返ってきたのだった。だから少し、この前の仕返しにと突付いてみたくなる。

「本当に来てくれるとは思わなかった」

 だが、これは半ば本音だった。これまでも、結子の家が神社だと知った同級生はいつか行くね、と言っていた。だが、その“いつか”は今まで一度もなかったのだ。

「行くって約束したじゃない」

 あれは約束だったのか。少し疑問に思う所はあったけれど、香菜なりの約束だったのだろうと納得する。

 会話が落ち着いたのを見計らって、香菜の母がちらと結子を伺う。

「学校で、ちゃんと馴染んでいますか、この子──」

「お母さん、そういうのいいから! 神崎さんとはクラス別だし」

「あら、別なの?」

「そう。図書室で仲良くなったの」

 確かに、出会ったのは図書室で間違いない。間違いないが、仲良くなってはいないだろうに。

 香菜は母の腕を引く。

「ほら、手を洗ってお参りするよ。神崎さんも忙しいんだし。──じゃあ、神崎さん。また学校でね」

「うん、また──」

 慌ただしく立ち去る江東母娘を見送る。正しくは、無理矢理に母の手を引く娘、だったのだけれど。

 香菜の母はにこやかに手を振り、娘に従うのだった。

 ひらひらと揺れる手に絡む赤い糸がやけに鮮やかに見えた。


 家に戻り両親と食事をしながら、どこで聞いたのか──父が香菜の訪問を話題に登らせた。

「今日、友達が来ていたのか」

 友達、なのだろうか。

 顔見知り程度だと返そうとしたが、父も母も嬉しそうに結子を見ているものだから何も言えなくなってしまった。

「え、あ、うん……まあ、そういうとこ……」

「そうか。初めてじゃないか、高校の友達が来るのは」

「みんな、ちょっと遠いからね……」

「周りに何もないものね。ちょっと遊べる場所でもあったら、ついでにって誘えるんだろうけど」

 遊ぶついでに縁切り神社に──それはちょっと、どうなのだろう。

「でも、良かった。土日も遊びに行けなかったから、友達が居るのかと心配していたが──余計なお世話だったなあ」

 飲み込もうとしたご飯が喉に詰まる。

 心配をさせていたのか、知らない間に。

「私が、手伝いたくて手伝ってたんだから──……」

 だから、気にしなくて良い。

「手伝ってくれるのは嬉しいけどな。たまには遊びに行って良いんだぞ」

「……ありがと」


 食事を終えて部屋に戻って考える。眉間にしわを寄せてベッドの上でクッションを抱き締めていると、務めを終えたらしい近衛が姿を見せた。

『どうした、難しい顔をして』

「色々、ありまして」

『来たのだろう、あの娘は』

「江東さんですよね。……来ました。お母さまと一緒に」

『仲良くなれそうか』

「どうでしょう……」

 仲良くなれるかどうかは分からない。だが、それ以上に引っかかることがあるのだ。

 わざわざ母親を伴って来たことも分からない。母娘でお参りしたいのなら、わざわざ結子に断らなくとも良いだろうに。

 それだけではない。何か──何かに違和感を覚えている。

 だが、その違和感の正体が分からないのだ。

『何か、気になるようだな』

「そりゃあ──まあ……」

『ならば、訊ねてみるといい』

「どうやってですか?」

 クラスも違うのだ、接点がない。

『適当に用事を作って会いに行けば良い』

「適当に、と言われても」

 それができないから困っているのだ。

『あの紙を、渡していなかっただろう?』

 紙、とは何を指しているのか分からなかったが、はっと思い至る。リーフレットを、確かに渡し忘れた。

「でも、わざわざ学校で渡すほどでしょうか」

『真面目に考え過ぎだ。試してみろ』

 そういうものか。

 やってみなければ始まらないか。

「そうします」


 月曜日になり、リーフレットを手に各教室を覗く。

 家を出る間際まで、近衛は付いて行こうかと言っていたが、そこは丁寧に辞退した。

 見られていては緊張してしまう。それに、務めは結木様の神使なのだから、あまり結子が独占してしまうのも悪い。今日は一人で大丈夫だと言って家を出たのだった。

 たどり着いたのは、一組だった。

「あの、江東香菜さんは、このクラス……でしょうか」

「江東さん……あ、はい」

 一組の女子生徒は、ちらりと結子の上靴を見る。学年を確かめたようだった。

 そうして、クラスの中に向かって呼びかける。

「江東さぁん、友達? が来られてます」

 クラスメイト相手に敬語を使っているのが少し妙に思えた。香菜はまだこのクラスに馴染んでいないのだろうか。

「ほんと? ありがとー」

 けれど、香菜の方は親しげで、その妙な距離感にもぞもぞする。席を立った香菜は結子が待っているのを見て、少し表情を強張らせた。

「こんにちは、神崎さん」

「こんにちは。土曜は……どうも」

 そこで、少しの沈黙。顔見知りというだけで特に仲が良い訳ではないから何を話せば良いのか分からないのだ。

「え、と、これ。リーフレット。渡すの忘れてて」

 とりあえずの取っ掛かりにと手にしていたリーフレットを渡す。神社の由来が書かれているものだ。

「興味なかったら、まあ……その」

 捨ててくれ、とは神社の人間として言えないから黙っておく。

「ありがと。──へー、神崎さんの神社って、ほんとは縁結びの神様なんだ」

 また、何かに引っかかる。縁結びの神社とは知らなかったのか。

 そこで、ようやく気付いた。香菜の母の指に絡む赤い糸は、どこにも繋がっていなかった。

 離婚も、珍しい話ではない。毎日のように、別れたいだの何だのとお参りに来る人の願いを聞いてきたのだ。

 だが、ならばなぜ、香菜たちはお参りに来たのか。

「わざわざ、ありがとね。じゃあ──」

 これで、と言い掛けた香菜の袖を掴んで引き止めた。

「神崎さん……?」

 香菜が驚いたように結子を見る。当然だ、結子自身もこんなことをするとは思わなかったのだから。

「えーと……あの。良かったら帰りにもうちょっと、話さない?」

 無理矢理な誘いだとは分かっていた。断られるのも覚悟の上だったが、香菜は渋ることなく頷いた。

「分かった」

「じゃあ、終わったら教室で待ってて」

「うん」

「ありがとう。じゃあ、放課後に」

 教室に戻る香菜を見送った。

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