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20:お昼の過ごし方

 朝の騒ぎは二人に全てが持っていかれたおかげで、結子が糸を結ぶ仕草に気付いた生徒は居ないようだった。居たとしても、変なことをしている、程度に思われたのだろう。

 二限が終わって戻って来た友里に訊ねられた程度だ。

「あれ、おまじない?」

 一瞬、答えに詰まった。けれど、「赤い糸」が見えるのだと言っても信じてもらえるのか、どうか。

「うん──……そういうもの」

 切った糸を結んでも、後は二人次第なのだし。元々結ばれていた縁を結び直しているのだから、結子が無理矢理くっつけている訳でもない。おまじないは当たらずとも遠からず、と思って良いだろう。

「ふうん」

 そして、少し間を置いて、ぽつりと一言だけ。

「……ありがと。それと──……ごめん」

 確かに、友里はそう言った。驚く結子が返事をするよりも先に、自分の席に戻ってしまったけれど。

『一件落着、というやつのようだな』

 確かに、これにて一件落着──なのだろう。


 昼休みの喧騒を離れて、中庭で弁当を広げた。

 傍からは結子がベンチを独り占めしているように見えるだろうが、隣には近衛が座っている。懐から取り出した紙束を捲り、友里と川端雅史の名が記された一枚を破り取った。

 紙は端からちりちりと燃える。その火は深い赤。宝石のよう。けれど、紙を燃やしてしまうと跡形もなく消え去る、形を持たない儚い宝石。

 紙束から引きちぎっただけでは燃えない。糸を結んでいないと。結ばずに千切ったらどうなるのかと訊ねると、近衛はずるをするなと言ってそう教えてくれた。単純な興味からの質問で、ずるをするつもりはなかったのだけれど。

『少しは薄くなったか』

 紙の束を見た近衛がそんなことを言う。

「……気休めはやめてください」

 どこが薄くなったのだろう。近衛が手にする紙束は未だに辞書のような厚さがあるというのに。

『褒めて伸ばすといいと聞いたのだが』

 どこからそんな知識を得ているのだろう。下手をすると結子よりも世情に詳しい可能性も充分にある。

『まあ、計画通りとはいかなかったが無事に結べたのは良かった』

「一時はどうなるかと思いましたが」

 実際は、二人を神社に呼び出して糸を結ぶ計画だったのだけれど。終わりよければ全てよし、ということにしておけば良いか。

『ただな、神崎。まじないだと大っぴらにするべきではないだろうな』

「どうしてです?」

 糸を切る「おまじない」も参拝客は皆知っていた。ならば、糸を結ぶのも「まじない」としておいて良いと軽く考えていたのだ。

『糸を結んで欲しいと言われては、どうする』

 今と逆のパターンだ。糸を結んで欲しいと神社に押しかけられては、それはそれで結木様の危機だ。糸を切って欲しいというよりも更に多いのではないだろうか。好きな人に振り向いて欲しい、お付き合いしたい──多くの人がそう願うだろうから。

 想像して、ぞわりと鳥肌が立った。

『わたしも、軽率だった。人の目は避けられないが、あんな注目を集めた場というのはやめておこう』

「……はい。気を付けます」

 二の腕の辺りを擦る。「赤い糸」が見えるのだと言っても簡単に信じる人は居ないだろうけれど、それでも──軽率に言いふらすことではないのだ。

 人の心が絡むことなのだから。

 糸を結ぶのは、どうしても周りに人が居る状況になってしまう。これまでだって、駅のホームで結んだ。周りに人の目はあったが、注目は集めていなかった。それとなく、糸を引っ張って気付かれないように結んでいた。

 見世物ではないのだ。気を付けなければ。

『しかし、神崎。輪に戻らなくて良いのか』

 話題を変えようと思ったのだろう、近衛が少し前の教室での出来事を引っ張り出した。

 輪、とは昼食のあのグループのことだ。

「ああ──……それは、まあ……」


 昼休みを告げるチャイムが鳴って、友里が席に来た。

「お昼、どうしてるの」

 出し抜けに訊かれ、結子はすぐには答えられなかった。あれだけ結子の不満を吐き出した友里が、どうしたのか。

「一人で食べてる、けど」

「良かったら──」

 友里にそんなことを言わせているのは、罪悪感だろう。決して、友情ではない。それは何となく伝わった。

「私、一人の方が楽みたい」

「……なに、それ」

 友里の眉間に皺が寄る。確かに、言葉だけを取るとそうなるだろう。せっかくの厚意を、と。けれど、友里もすぐに気付いたらしい。それは押し売りで、今までと何も変わっていない。結子もまた喧嘩をしたい訳ではないのだ。だから、足りない言葉を補う。

「その、嫌味とかじゃなくて」

 嫌味ではなく、あの輪には戻れないと思った。少なくとも、今は。戻っても、きっと同じことになる。

「……そう」

「だから、いつか……一緒に食べたいと思った時は、お邪魔する……かも」

 それはいつになるのか、それとも高校に在籍している間に来ないかもしれないのだが。

「わかった」

 きっと、友里もそれが一番良いと思っている。今はまだ「友達」の距離は近すぎる。


『以前なら、輪に戻っていたのだろうな』

 確かに、どこにも属さないことが怖かった。今だって怖い気持ちはある。大勢が居る教室で一人ぽつんと食事はできない。

 けれど、今はあの息苦しさがない。それだけで御の字だ。

『成長したのだろう』

「そうだったら良いんですが」

 もしかすると、人に合わせることを学んだ方が良いのかもしれない。けれど、もっと本心を話せる友達が欲しいのだ。友里たちとそういう関係になれない訳ではない。ただ、今は違うと思ったのだ。友里だって、そうだ。結子に興味を持って声を掛けたのではないのだから。

 そうはいっても、やはり学校内で一人は目立つ。昼休みはまだ半分が過ぎたあたり。教室に戻っても、賑やかな中に一人でぽつんと座るのは居心地が悪いにも程がある。

『母御が言っていた、一人で居てもおかしくない所に行ってみてはどうだ』

 一人で居ても、おかしくない所。学校内にそんな場所があるだろうか。

 グラウンド、食堂──昼休みに開放されている場所をひとつひとつ思い浮かべてみる。パソコン教室。他に──。

『あるだろう。静かで、それぞれが思い思いに好きなものに没頭している場所が』

 好きなものに没頭している、静かな──。


「図書室?」


 近衛は正解とも不正解とも言わなかったが、その代わりに口の端を上げてにやりと笑ったのだった。


 図書室、とプレートに書かれた部屋の辺りはしんと静かだった。針が落ちる音すら響きそうなほど。

 確かにここならば一人で居ても目立たない。それぞれが好きな本を読み、会話もなく過ごしている。一人で居ても目立たない。

 図書室は、入ってすぐの右手に貸出手続きを行うカウンターがある。そしてそのすぐ傍に新刊を並べた棚。ずらりと閲覧用の机を並べ、奥に書架が森の木々のように立っている。

 結子は新刊の棚をひやかすように眺めて、奥の書架へと歩く。新刊のコーナーに並ぶ本はまだ背表紙も鮮やかなものばかりだった。

 気になるものもなかったから、奥に並ぶ背の高い書架へと足を向けた。

 相変わらずタイトルを眺めるだけの結子に、周りに人影がないのを確認した後で近衛が横から訊ねる。

『神崎はあまり本を読まないのか』

「たまには読みます」

 ひそひそとささやき声で返す。

 小学生の頃は読んでいたけれど、進学するにつれて読書量は減ってしまった。予習、復習。そして家のことと神社の手伝い。本を読む時間を絞り出すのは難しい。だから図書室という選択肢がすぐには出てこなかったのだ。

『書物は良いものだ。先人の知恵を得られるのだからな』

「それは、分かります」

『知識だけでなく、娯楽でもあるな』

「近衛さんも小説とか読んだりするんですか?」

『いや、わたしは読まんが──結木様は時々、読まれることもある』

 神様が、一体どんな本を読むのだろう。古典、純文学、推理小説、ライトノベル。あれこれ想像してみたが、一番しっくりくるのは古典だろう。

『好んで手にとっておられるのはSFだな』

「えすえふ?」

 あまりに意外な好みで、声が大きくなった。

 閲覧席に居た生徒の、そしてカウンターの向こうの図書委員の咎めるような視線が向けられる。頭を下げて、黙って謝罪をした。

『冗談だ』

「やめてください、そんな冗談」

 唇を尖らせて訴える。

『神崎は冗談も通じんのだなあ』

 冗談は言われ慣れていない。そういうことも、友達の関係から学んでいくのかもしれない。

 近衛の言葉が不愉快に感じられなかったのがせめてもの幸いだった。

 馬鹿にする意思がないからだろう。

「そういうことは、これから学びます」

 少しは負け惜しみも含んで言い返す。

『その意気だ』

 結子の歩みはどこまでものんびりとしているけれど、確かに前進しているように思う。そう思えるのは、きっと近衛がしっかり見守ってくれているからだ。そこに悪意はなく、ただ純粋に結子のことを思ってくれている。気遣ってくれている。そう感じるのだ。

 両親の他にそう親身になってくれる存在は近衛だけだ。

 きっと、結子が跡継ぎだからだろう。跡を継ぐのはしっかりとした人間がいいから、コミュニケーションを取れる人間でないと困るから、だろう。

 それは少し、残念だけれど。


 ──残念?


 確かに今、そう思った。「神社の跡継ぎ」だから気遣ってもらえることを、残念だと。

 なぜ、そんなことを思うのか。近衛の立場を考えればごく当たり前のことではないか。社が今後も平穏無事に続くことが近衛の存在意義なのだ。ならば、その跡継ぎを人並みにコミュニケーションの取れる人間に育てたいというのは自然に発生する考えだ。

 どこに残念がる要素があるのか。

「近衛さん、──……」

 自分の感情なのに消化不良を起こしそうで、だから遥かに長く生きている近衛に訊こうとして、固まってしまった。


 じっと結子を見詰める目があったのだ。


 すらりとした、細い脚が印象に残る女子生徒だった。目は大きく、色白。黒い髪は肩にかかる程度まで伸ばしている。上靴の色は結子と同じ緑。見知った顔ではないが、同じ学年のようだ。

『神崎、まずい』

 頷きかけて思い留まる。ここで頷いては変な人にしかならない。

 赤い糸のことは知られない方が良い。ならば、近衛のことも知られるべきではないだろう。近衛自身、まずいと言っているのだから。

 何もないふりをして棚に並ぶ本の背表紙を見る。ずらりと並ぶのは、馴染みの薄い純文学。特に強い興味はないけれど、一冊を抜き出してみる。拍子を開くと、古い本特有の匂いがした。

 そのうち立ち去るだろうと思っていた女子生徒だが、中々気配が消えない。それとも、この棚に目的とする本があるのか。その割に、まだちくちくと視線が刺さっている。

 ちら、と横目で見ると、目が合った。慌てて手元に視線を落とすのだが。

「ねえ」

 声を掛けられた。

 気付かないふりを装うが、女子生徒はなおも執拗に声を掛ける。

「ねえ、あなた」

 距離が縮まり、明らかに彼女は結子の方を向いている。もうしらばくれることはできそうになかった。

「な──なにか……」

 恐る恐る顔を上げて、ごくりと唾を飲み込む。声を掛けた彼女は大きな目を見開いて、頬をピンクに染めて結子の肩を叩いた。


「やっぱりー! 縁切り神社の巫女さんだ!」


 はしゃいだ声が、静かな室内に響く。

 図書室内の視線が、結子と少女とに向けられたのだった。

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