19:川端雅史
大倉友里は可愛くない。
川端雅史はそう思っている。
顔立ちでいうと、友里の友達の篠島美幸の方が可愛らしいし、スタイルは加藤奈緒の方が良い。神崎結子の方が色白だ。
大倉友里はというと、つり上がり気味の眉のせいで少しきつめの顔立ちをしているし、出る所は出ていない身体つき。色はどちらかというと黒い部類に入る。
成績は上位の部類に入る、クラスの中では融通のきく優等生の立ち位置だ。
可愛くなかろうとなんだろうと、それでも、大倉友里がいい、と雅史は思ったのだ。
何より、話が合う。兄が居る影響か、読むマンガが共通していた。それを隣の席になった時に知り、よく話すようになった。
笑った顔は意外に可愛い。大きく口を開けて笑ったその顔が、気取らずに良いと思った。
そう思ったのは雅史だけではなかったようだった。大倉はノリがいい、楽しい、と言っているクラスメイトの声を聞き、慌てて告白したのだ。
友里が他の誰かと親しげに話している光景など見たくもなかったから。
だが、付き合うとはどういうものなのか、分からなかった。友達の延長で良いのだろう。友達よりも少し近い距離で、休日に遊びに行ったりするものだろう。
その先は──興味がないといえば嘘になるが、それはあまりに性急すぎる。
友里とはこれまで友達だったのだ。だから、ゆっくりでいいのだと思っていた──のだが。
そこが、男女の差というものなのだろうか。
友里は、兄のマンガを読む傍らで少女マンガにどっぷりと浸って育ったらしく、男女交際というものに夢を抱いているようだった。
それは、今だから分かることだが──付き合っている時にはよく分からなかった。
一緒に出かけても、手を繋がないとどこか機嫌が悪い。何かあったのかと訊ねても、何もないとだけしか言わないのだ。こちらが察するべき所らしい。
面倒だから別れようと思わないこともなかったが、たまに見せる笑顔が──それも、教室では見たことのない、照れくさそうな笑顔が可愛くて、独り占めしたくなる。
面倒くさい。だが、そういう所も含めて好きだと思った。
あれは付き合って初めてのバレンタインだ。友里は頑張って作ったらしいチョコレートケーキ──ガトー・ショコラと言うのだと、これも雅史は後から知ったのだが──をくれた。
美味しかった。
そう伝えると、友里も満足したようだった。何度も練習したのだと言っていた。
だから、ホワイトデーは美味しいものを贈ろうと思ったのだ。
選んだのは、百貨店の地下にある店のキャンディ。缶に入って、粉砂糖がまぶしてある、高校生にしては高級なものを選んだ。
イチゴ、メロン、パイナップル、時々ハッカ。色とりどりの粒が入った缶は宝石箱のようで、目にも楽しい。
一粒、試食を貰ったが、とても美味しかった。これならばきっと喜んでくれるだろうと思ったのだが──。
──……。
包みを開けた友里は、あからさまに落胆していた。
間を置いて、礼を言われたが、その日から距離ができた。あからさまに避けられるようになったのだ。雅史もまたそれに腹が立った。溝はじわじわと広がり、二年に進級してクラスも別になり話をする機会がなくなったのだ。
別れたのだろう。何もないまま。
それでも気になるのは、まだ未練があるのか。それとも執念深く腹を立てているのか。
「……なにしてくれたのよ」
人気のない特別教室の並ぶ階まで友里を引っ張ってきた。握っていた手を振り払われ、友里が最初に言ったのはそれだった。
やはり。大倉友里は可愛くない。
「雅史が、結子に言ったの?」
「神崎に? 何を」
「知らないわよ。この前から急に別れた彼氏がどうのって言い出して」
人気のない廊下に友里の声が響く。
「やっぱり、別れたことになってるのか」
やはり、別れていたのか。明確に言葉にされたのは今が初めてだった。
「……もう連絡もしないし、遊びに行かないし。別れてるでしょ」
きっぱりと言い捨てられ取り付く島もない。
雅史自身、どうして友里を連れ出したのだろうと疑問を感じていた。あの時はそうする他には考えられなかったのだ。これまでは避けるような態度に対して何の行動もできなかったというのに。あの時、確かに何かが背中を押した。
結局は、こんな会話しかできないのだが。
「じゃあ、今後の参考に教えて」
「何を」
「何が不満だったのか」
かなりの間を置いて、友里がぽつりと言う。
「……ホワイトデー」
「ホワイトデー?」
確かに、あの頃を境にして距離ができた。挨拶すらしなくなり、そんな友里に対して雅史も腹を立てたものだから、溝は決定的になった。
「まずかった? あのアメ」
口に合わなかったのなら、仕方がない。だが、友里は首を横に振る。
「……おいしかった」
ならば──なぜ。腑に落ちない。
「だったら、なんで」
「ホワイトデーはさ、そういうのお返しにはしないでしょ、フツー」
「は?」
お返しといえば、クッキー、アメ、マシュマロ……そういうものではないのか。実際、店頭にはホワイトデーのお返しにと銘打ってそれらの商品が並んでいたのだ。
「フツーって何だよ、フツーって」
「フツーはフツーよ。ピンキーリングとか、そういうのでしょ」
「ピンキーリングって何」
「……小指に付ける指輪」
「知るかよそんなモン!」
「調べなさいよそれくらい!」
「調べたよ! 調べて、うまいアメにしたんだろ!」
「だから、もっと違うのが欲しかったの!」
「言えよ、それを!」
いや──いや、いや。こちらの非が全くないとは言い切れない。雅史だって、気付いてはいたのだ。きらきらとした店の商品もまたお返しの選択肢のひとつであると。
それを選ばなかったのは、店に入りづらかったからだ。百貨店の地下でも恥ずかしかったのだから。贈られたものが手作りの菓子だったから、これでいいと選んだのだ。
それはずっと目を逸らして知らないふりをしていた事実。あの砂糖をまぶされたアメのように、あれは美味しかったから、缶も可愛かったから、高かったから──と理由を付けて誤魔化していた。
人付き合いというものは思いやりで成り立つもので、友里との間にはそれが足りなかったのかもしれない。
友里も、雅史も。
「……ごめん」
周りに誰も居ない静かな場所でなかったら聞こえないくらいの声だった。それは確かに友里の声だ。
素直さはなく、我儘で要求ばかりしてくる割には何も言わない。面倒くさい彼女。
けれど、それを知っているのは雅史くらいだ。
拗ねて不貞腐れている友里など、クラスメイトも、仲の良いあの友達グループだって知らない。
「俺も、悪かった」
足りない思いやりは、今更遅いのかもしれないけれど、遅かろうと何だろうと、謝りたかった。
「結局、友里はオレのこと嫌いだったのか?」
不満を感じていたのは分かった。そのことがきっかけで嫌われたのか。そのことを確認するように問うたのだったが──。
「……きらいじゃないよ」
少し涙で潤んだ瞳を、じっと雅史に向けて、確かにそう言葉を紡いだのだった。
大倉友里は可愛い。
こういう時に許可を求めるのは、きっと野暮なものだ。叩かれるのも覚悟の上で、少し身を屈めて唇を触れ合わせた。
キスというものは、花が咲いたりするものなのだと思っていたが──現実にはそんなことはなく、ただただ友里の唇の柔らかさを感じただけだった。
「……なんで今なの」
「いや──」
「クリスマスでもバレンタインでもなくて、なんで今なの」
本当に、こいつは──雅史は苦笑を漏らす。
「オレたち、別れたの?」
投げられた問いかけへの返事は無視して、雅史は問いかけを投げ返す。
今は自信があった。それは根拠なんてないものだけれど。
少し顔を伏せて、唇を尖らせて、友里は確かに首を横に振ったのだった。
大倉友里は可愛くなくて、どうしようもなく可愛い。