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18:押し殺したホンネ

 あれこれと理由を付けて──例えば、今、良縁に恵まれないのは糸が切れていないからだとか──友里と川端を神社に呼び出せば、糸が結び直せるのではないだろうか。

「相手の方も別れたいと思っていらっしゃるのでしょうか」

 女性は表情を曇らせて曖昧に首を傾げた。

「それは……分かりません」

 予想していたとおりの答えではあった。双方が合意しているのならば、神社に来る理由などないのだ。二人揃ってという状況は、女性が何かしら相手を言い包めて──例えば近頃運がないからお祓いでも、と言って──連れて来るのだろう。

「話は、できそうですか?」

「たぶん……」

「話してみて、どうしても駄目ならまた来てください。その時は、御祈祷をしましょう」

「今は、駄目なんですか?」

「今、は──ええと、その……」

 近衛はこんな時に何と言っていただろう。記憶の引き出しを片っ端から開けて、それらしいことを並べ立てる。

「もったいない、ですよ」

「もったいない?」

「はい。せっかくのご縁を、簡単に切ってしまうのは──もったいない、と思います」

 女性は苦笑を漏らし、顔を伏せる。

「それが要らないから、ここに来たんですけれど」

「それは──……そう、かもしれませんが……」

 しどろもどろになりながら何か言おうとしたのだが、女性はそれ以上を聞いてくれそうにはなかった。

「とりあえず、お参りだけでもしてみます」

 そう言い残して、立ち去るのだ。

 背後に近衛の気配があった。何も言わないで居てくれるのは、優しさだろうか。

「……私、いらない人間なのかもしれません」

『十六の小娘が、何を言い出すかと思えば』

 その声音には明らかに笑い声が混じっていた。

「でも」

 近衛のように、うまく伝えられなかったではないか。

『わたしが、神使として何年務めていると思っているんだ』

「……でも」

『少しの成長を喜べ』

「成長、していましたか?」

『していただろう。以前は、出来ないと突っぱねるだけだったじゃないか』

 確かに、してくれ、できない、そこをなんとか、の繰り返しだった。あの時に比べれば、多少は良くなったのか。女性を納得させることはできなかったけれど。

『それに、名案を思いついたのだろう?』

 そうだ。

 名案と言えるかは分からないが、今の八方塞がりの状況を打開できるかもしれない策だ。


「二人がどうにも近付いてくれないのが問題だったんですよ」

 母が帰ってしまって、少し寂しくなった日曜日の夜。近衛と部屋で向き合って、結子は真剣な面持ちで言う。

『確かに。明らかに避けていたからな』

「でしょう」

『それで、どうするのだ』

 果たして、成功するかどうかは分からないが、結子の思い付いた策を披露したのだった。


 月曜日の朝一番、友里が来る前に教室で待っていようといつもより早い電車に乗った。

 席についてはみたが、落ち着かない。そわそわと辺りを見回すと、戸が開いた。がらりという音を聞いて、反射的にそちらを向く。

 立っていたのは別のクラスメイトで、結子の表情にはありありと落胆の色が滲んだ。

 その様子を傍で見ていたのは、近衛。今日は結子から頼んで付いて来てもらったのだ。皆には見えないように姿を消して。

『神崎、そう急くな』

「でも」

 でも、緊張するのだから仕方がない。

『予鈴が鳴るまでには来るだろう。それに、時間はいくらでもあるだろうに』

 近衛は、人の多い教室の中で結子が友里に声を掛けられると思っているのだろうか。

『……まあ、無理だろうな』

 考えを読んだのか、結子が小声で言い返す前にきっぱりと断言された。その通りだから何も言い返せない。

『神崎、噂をすれば──というやつだ』

 言われて顔をあげると、待っていた友里が教室に入る所だった。幸いなことに、一人で。

『落ち着いて言えば大丈夫だ。練習したろう』

 そう、無事に伝えられるようにと近衛を友里に見立てて練習をしたのだ。あれだけ滑らかに言えるようになったのだから大丈夫。そう言い聞かせて──友里の机の傍に向かう。

 まず、最初に言うのは。

『挨拶、挨拶だ神崎』

 そう、挨拶。付き合わされた近衛も筋書きをすっかり覚えさせられているようだった。

「おはよう」

 そう言うと、近衛は挨拶を返してくれた。一応、クラスメイトだから挨拶くらいは、と思って台本を書いたのだ。

 だが。

「なに」

 返ってきたのは、そんな一言。練習とは何だったのか。何の意味もなかった。

『神崎、落ち着け。ここは世間話でも──』

 世間話とは何だろう。天気の話をすれば良いのだろうか。それとも、今日は電車が混んでいたね? そんなもの毎日混み合っている。今日のお昼はどうするの? 一緒に食べなくなったのに、何を今更。

 混乱する頭が選んだ話題は、世間話などではなく、一番の目的。


「今日の放課後、うちの神社に来て欲しいの」


 都合を聞くよりも先に、全てをすっ飛ばしてしまっていた。視界の隅で近衛が頭を抱えているのが見えたが、結子だって抱えたい。

 友里は眉を寄せると、必要最低限の言葉で返す。

「どうして」

 そうなるだろう。結子だって、きっとそう返す。何か、良い理由はないものか。来てくれそうな理由は。

「前に、お参りに来るって──」

「あれは終わったんでしょ。嫌よ」

 神社で縁切りをしようという話になった時、その場で切ってしまったのだ。友里の赤い糸を。


 ──チョキン!


 ソーイングセットの小さなハサミだったから、少々切りにくかったことを覚えている。

 他に、良い理由はないものか。

 あれこれと考えるが、こういう時は経験が物を言うのだ。そして結子にはその経験がない。全くと言って良いほど、ないのだ。

「いや──あの、その……ね」

 友里は何も言わず、鞄を開けている。中に詰めた教科書を机の上に出して、結子など居ないもののように振る舞うのだ。

「あの──あの、ね……」

 それらしい言い訳は出てこなかった。

『神崎、素直が一番だとわたしは思う』

 素直に──素直に、赤い糸を結ばなければと事情を説明するのだろうか。どこから説明すれば伝わるだろう。赤い糸を結ぶと言っても、別れたいと言っていたのだから嫌がられる可能性はある。

 いや、そこまでを伝えなくて良いのか。二人が近付いてくれさえすれば良い。


「もう一度、川端くんと話をして欲しいの」


 話をしてくれさえすれば、糸が結べる。そうすれば、よりが戻るか別れるかは別として、友里の今の上手くいかない恋愛関係も片がつくのだ。

「中途半端に別れたでしょ。だから、ちゃんと別れないと、次も」


 バンッ!


 教室内がしんと静まり返った。

 友里が机に教科書を叩きつけたのだ。

「え、なにかあったの」

「なになに、どしたの」

「大倉、こえーよ朝から」

「ケンカ?」

 ざわざわと囀りのようにクラスメイトたちの声が聞こえる。だが、友里はそんな観衆など気にもとめず声を荒らげる。

「何よそれ。今まで私は関係ないです興味ないですって顔してたのに!」

「だって、それは──」

 それは、近衛が現れたから。このままでは、糸を切った皆に明るい未来が訪れないから。だから──。

 だが、それは口には出来ないことだ。近衛の存在など言った所で信じては貰えない。

「それは、何よ。今更さあ、何? そんなこと、もっと前に……あの時に言ってよ!」

「あの時って」


「今更、遅いんだよ!」


 また、囀りが止んだ。何事が起こったのかと教室の外にも人だかりができはじめている。

 遅いのか。遅いのだろうか。

『神崎、少し間を持たせていろ』

 近衛の姿が消える。一人で取り残されたが、しかしここは一人ででも踏ん張らなければ。

「今更、友達ヅラ? そういうの、ほんといいから。あんたは頭数合わせだったし」

 そうだろうな、とは薄々思っていた。結子もまた、どこかに所属していることへの安心感を得ていたから、お互い様だが、直接言われると堪える。

「……知ってる」

「そういう被害者ヅラもイラつく。それで、今更何よ。話をしろって? なんで。あんたも別れれば良いって思ってたんでしょ? だから──」

 糸を切った。

「違う、私は──」

 別れれば良いとは思っていなかった。だが、別れて欲しくないとも思っていなかった。

 どうでもいいと思っていたのだ。興味がなかったのだ。

 それは、別れを望むよりももっと酷いことだ。失礼なことだ。

「別にいいよ、どうだって。今更、どうなるものでもないし」

 諦めきったような口ぶりだった。だが、じんわりと滲むのは、それが結子の勘違いではないのならば、未練ではないだろうか。

 もしかすると、まだ友里は川端雅史のことを少なからず好いているのではないだろうか。

 好きなのか、それとも──いや、好きかどうかも分からないが、気になっては、いる。気になっているから、近付かない。

 気にしていなければ、別れた恋人であろうとも大勢の生徒の中のひとりでしかない。それをわざわざ、人混みの中から見つけ出し、敢えて避けているのだ。

「友里、もしかして──」

『神崎、それを言うのは野暮だろう』

 唇に触れたのは、近衛の人差し指。言いかけた言葉がそれ以上紡がれぬように、と。

 結子の唇から指を離すと、教室の外の一人を指していた。


 川端雅史その人を。


 近衛が連れてきてくれたのだろう。でなければ、都合良くここに来るだろうか。

『後は、神崎の仕事だな』

 今までで一番近い所にまで来てくれたが、糸を引っ張るにはあともう少し足りない。どうするか、と考える間が惜しい。ここまで騒動になったのだ、後はもう何が起ころうと瑣末なことだろう。

 教室の外に出ると、川端雅史の腕を掴み、教室内に引っ張る。急に騒ぎに巻き込まれて驚く彼は、思っている以上に扱いやすかった。

 急に目の前に別れた恋人を連れてこられて、友里は困惑の色を浮かべる。

「な、何よ──わたしは……」

 じり、と後退る友里の傍まで引っ張ってくると、後はもう糸を結ぶだけだ。

 二人の小指に絡む、切れっぱなしの赤い糸。それぞれを摘んで、くるりと結ぶ。結び目が解けないように引っ張って──。

『中々、手際が良くなったじゃないか』

 近衛の賞賛が素直に嬉しい。

 縁を切ることに慣れるよりも、縁を結ぶことに慣れる方が良い。

「……なによ」

 友里のその言葉は、結子に向けたものなのか、それとも川端雅史に向けたものなのか。

 結子は、彼をよくは知らない。去年、クラスメイトだった。結子とよく話をしていたのを見ている。クラスのムードメーカーのような人物で、お調子者。その程度のことしか覚えていない。一年も一緒の教室で学んでいたのに、これである。

「いや──」

「あんたが結子に頼んだの?」

「違う、それは絶対に違う」

「じゃあ、なんで」

 友里の問いに、川端雅史は少し言葉を選ぶ間を置いていた。が、結局。

「──ここで言えるかよ」

 そう言うなり、友里の腕を掴み引っ張る。そうして、教室の外へと出るのだ。

「ここでやれよ」

「どうすんの、ねえどうすんの」

「痴話喧嘩しろよ」

「川端、お前一限どうすんの」

 冷やかす声に、迷わずに答えた。

「サボり!」

 その答えがあまりに清々しくて、周りはそれ以上何も言わなかった。きっと、言えなかったのだ。


 結局、二人が戻ったのは二限目が終わってから。

 廊下を手を繋いで歩く二人に、シャワーのように冷やかしの声が浴びせられた。それでも、二人は繋いだ手を離さなかったから──そういうことなのだろう。

 耳まで真っ赤になった友里を見て、可愛い──と、結子はそう思ったのだった。

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