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17:神社のこれから

 どうすれば"縁切り神社"という、縁結びの神様にとって不名誉な称号を消せるのだろう。悪い噂が広まるのは一瞬。それを取り消すには、倍以上の時間と労力を要する。

 近衛は結子が跡を継いでからで構わないと言ったが、それは最低でも十年は先の話。高校を卒業して、大学に進学して、資格を取得して──。その間に、着々と縁切り神社の噂は根付いていくだろう。結子が糸を切らなくとも。


 信じる気持ちというものは時として厄介なものだ。


 喧嘩をした恋人同士が居るとする。何が原因でもいい。その喧嘩はいつもより激しいもので、別れ話に発展する。神議りによって結ばれた糸も、合わなければ自然と切れてしまうというのだから、そういうこともあるだろう。

 だが、そこで──どちらかが結木神社にお参りをしたとすれば、どうだろう。

 別れたのは結木神社のお陰、ということにはならないだろうか。その話を聞いた人は、同じように結木神社にお参りする。

 そしてまた、別れてしまうと──。

「……それは、まずくない?」

 声が、浴室の中にこだました。

 何がまずいのかは分からない。まずくないような気もするけれど──いや、まずいだろう。

 植物は、暖かい言葉を掛けられると、綺麗な花を咲かせるという。神様は植物とは違うけれど、それでも──向けられる思いによって存在を変えるのではないだろうか。

 神様も、人と同じように間違うのだし。人も、植物と同じように掛けられる言葉で、向けられる思いで変わるのだ。

 結木様はこれから十年先も縁切りの神様として崇められるのだ。何もしていないのに、むしろ縁結びの神様なのに。

 弁解できないまま、誤解を解けないまま。

「私なら──……」

 嫌だ、続けそうになった言葉が喉元で引っかかる。

 これまで、自分がされて嫌がることをしてきたのか。

 結木様を人格──神ならば神格と言う方が正しいのかもしれないが、それでは別の意味になってしまう──を持った存在として見たことがなかった。

 だが、近衛は確かに存在している。涙を拭ってくれた指先はひんやりと冷たく、そこに存在していたのだ。ならばきっと、結木様だって存在して、考えを持っている。

 毎夕の、結子がお参りをしていたことで大目に見ていたというのだから、矢張り、一日中向けられる縁切りの願いは心地良いものではなかったのだろう。

 それが、単なる結子の憶測であったとしても、だ。

 祭神様には居心地良く過ごしてもらいたい。それが、神社を継ぐ結子の使命ではないだろうか。


 風呂から上がり、上着を羽織ってサンダルを足につっかける。

「こんな時間に、どこに行くの?」

「ちょっと、そこまで!」

 正しくは、道路を挟んで隣の神社まで。

 明かりのない参道は真っ暗だったけれど、そこはもう毎日のように歩き慣れたもの。

 手水舎で手を洗い、口を濯ぐのが手順だろうけれど、そこは今しがた風呂で身を清めたばかりということにして大目に見てもらう。

 がらんがらんと音を立てて鈴を鳴らし、手を打つ。

 日が暮れているから、結木様はもう休んでいるだろうか。近衛に確かめてから来れば良かった。だが、そんな少しの時間すら惜しかったのだ。すぐに謝りたい。

「結木様、これまでのこと、失礼致しました。これからは、誠心誠意──真心込めておつとめします。結木神社を、結木様にとって住みよい社にいたします、どうぞ、どうぞご安心ください!」

 暗闇の中に、結子の声だけが聞こえていた。

 自己満足だろう。けれど、これからの決意表明も兼ねているのだ。

 これまでは、家が神社だから跡を継ぐものだろう、と漠然と考えていた。そこに結子の意思はなかったけれど。

 これまでのことを知りながら、それでも見捨てなかった結木様に仕えたい。

『気は済んだか』

「ひゃっ!?」

 不意に背後から声を掛けられ、傍から見ても分かるほどびくりと強張らせた。

『今まで堂々としていたのが、どうした』

「だって、この暗い中で声を掛けられたらどこの不審者かと──」

 そういえば、初めて近衛に出会った時も不審者だと慌てたのだった。

『失礼な奴だな』

「すみません」

『結木様もご満足であられる。帰りが遅いと案じるだろう。早く戻れ』

「はい」

『まったく……。境内は物陰が多いというのに。襲われてはどうする』

 そうだ。本物の不審者が居て、襲われる可能性もあるのだ。言われてから気付く始末。無我夢中で、そんなことを考えもしなかった。

「すみません、気を付けます」

 何かあれば、近衛にも迷惑がかかるだろう。

「あまり心配をかけないようにしないといけませんね」

 両親に。せっかく、母が戻ってくるというのに。

『当たり前だ。気が気でない』

「──……」

 それは──先程から、案じているというのは。近衛のことなのか。

 結子に何かあれば糸を結ぶ者がなくなって迷惑だということだろうけれども。あまり迷惑をかけるものではないけれど、近衛に心配されるのは、不思議と嬉しかった。


 家に戻り、ベッドに潜り込んで考える。何から手を付けるのが良いのか。

 まずは──そう、縁切りの祈祷をやめることが最初だろう。そのためには、どうするのが一番だろうか。

 父を説得するには──。

 そして、結子に出来るのは。赤い糸を結ぶこと。まずは──まずは、そう、友里の糸。

 そのうち思考はたゆたい、眠りに落ちるのだった。


 目覚めは心地良かった。

 大きく伸びをしながらキッチンに向かったが、無人。父が居ないのはいつものことだが、母まで居ないとは。

 もしや結子が眠ってから喧嘩をしたのか。慌てて玄関に向かうと、靴は──あった。良かった。帰ったのではないらしいと、ほっと胸を撫で下ろす。

 まだ眠っているのかもしれないから、静かに朝食の支度を始めるのだった。三人分の食事。目玉焼きはどのくらいが好みだったろうか。

 フライパンに卵を三つ落とすと、いつものフライパンがぎゅうぎゅうになった。そんなことが少し嬉しい。

 近衛が現れて、今までの結子の環境がじわりじわりと変わっている。それは、きっと良いことだ。母がこうして──今は週末だけだが──戻って来た。友人との関係は壊れてしまったが、それは遅かれ早かれ訪れることだったのだ。これまでの非礼の結果と思えば致し方ない。

 最後に、これまでの詫びも兼ねて、友里の糸を結ばなければ。

「ただなあ……」

『絶対に近付こうとはしないのが困りものだな』

 近衛の声が背後から聞こえる。火から目を離さぬために振り返らぬまま、頷いた。

「そうなんですよね。中々近付いてくれないから、こっそり結べないのが難点です」

 駅のホームでのように、糸を引っ張ってこっそりと結ぶということができない。

 どうにかして二人を近付けたい。友里に四六時中貼り付いていれば、そんなチャンスが訪れるかもしれない、が。

『その前に、付いてくるなと言われるだろうな』

 以前ならばまだしも、今の結子はべったりと傍には居られない。

 フライパンに水を入れて蒸し焼きにしながら、腕を組んで考える。考えても、思考はぐるぐると同じところを回るだけだったけれど。

「ただいまー」

 玄関から聞こえてきたのは、母の声。

「結子、起きてるのか」

 次いで、父の声が聞こえてきて驚いた。

 朝の境内の掃除に母も出ていたのか。火を止めて玄関を覗いてみる。確かに二人が、履物を脱いでいる。

 家族水入らずの場には邪魔だと思ったのか、近衛は黙って姿を消す。

「おはよう。二人で、掃除?」

「折角だからね」

 それは、これから戻ってくるためのことと期待しても良いのだろうか。

「目玉焼き?」

「うん。お母さんは──」

「今日は半熟がいいかなあ」

 台所に戻りながら、それとなく話を振ってみる。

「お母さん、そのうち戻ってくるんだよね?」

「そうね。夏の賞与を貰ったら」

 夏の賞与が何月に支給されるのかは分からないけれど、遠い未来の話ではないようだった。

 フライパンの中の目玉焼きを三等分にして、皿に盛る。二人ともが席についたところで、トースターがパンの焼き上がりを告げた。

「だったら、もう──縁切り神社じゃなくなるでしょう?」

「まあ──そう、か……」

「それに、元々は縁結びの神さまだったって言ってたじゃない」

「みんな、覚えてないだろう」

 それだけ、多くの縁を切ってきたのだ。あの紙束がその証。

 だが、結木様への風評被害もどうにかしなければならない。原因を作った結子の手で。結子の代になってから、では遅いのだ。噂が根を張って幹を太くしてしまう。

「これから、縁結びの祈祷をしていけば良いんじゃないかな。そうすれば、時間はかかるかもしれないけど、結木様の不名誉な噂も消えてしまうと思うの」

 不名誉だろう、縁結びの神様なのに、縁切りを祈られるなど。

 だが、父の反応は芳しくない。腕を組み、うんうん唸っている。

「でもなあ──そうすれば、お参りに来る人が減るだろう」

 参拝客の減少は収入に直結している。お守りや御札が売れない、祈祷料が入らない、賽銭が減る。そうなれば生活は苦しくなる、結子の学費だって捻出が難しくなる。

 糸を切らなくなっても、こちらから積極的に打ち消さなければ縁切りの噂は消えないだろう。

 父がどうすれば納得するかと頭を悩ませる。

 そんな二人の悩みを一刀両断したのは、母だった。


「良いんじゃない?」


 そんな、たった一言で。

 父は組んでいた腕を解き隣に座る母を見て、何と言えば納得してもらえるかと悩んでいた結子は、ぽかんと口を開けた。

「お母さん、それは──」

「お参りに来る人が減ったら、あれこれ切り詰めれば良いんだし」

「結子の学費は」

「私もね、この十年働いてたんだから。多少の蓄えはあるわ。学資保険、解約してないんでしょ?」

「あ──ああ……それは」

「だったら、学費はどうにかなるわ。これからは縁結び神社としてやっていきましょう」

「でも、何で」

 こうもあっさりと認めてくれたのか。嬉しいけれど、しかし納得はできずに訊ねる。

「結子は、ここの跡を継ぐつもりなんでしょう? それで、真剣に考えていて言ったんじゃないの?」

「うん……」

「だったら、そうしてあげたいわ。──でも、お父さんだって結子を思ってのことなんだから、そこは忘れないようにね」

「はい」


 先週も昨日も手伝いを休んだから、今日はその分働くのだと近衛に告げた。何を考えているのかと言われるかと構えたが、その件については好きにするようにと流される。

 それよりも、と前置きをした後で続ける。

『突然、どうした』

 近衛こそ、突然何を聞きたいのか。困惑気味に眉を寄せる。

「何がですか?」

『縁結び神社にするだのと直談判をしていただろう』

「ああ──」

 そのことか、と遅れて納得した。

「結木様は縁結びの神様なんでしょう?」

『それは、そうだが』

「でしたら、これからは縁結びのお願いをされた方が良いかと思って」

 一人で過ごす時間が増えたから、考えていたのだ。

「迷惑でした?」

『迷惑なものか。──結木様もお喜びになる』

「それは良かったです」

 多々迷惑をかけた分、多少の恩返しはしなければ。


 神社の手伝いも、その恩返しのひとつになるだろうか。御札所で参拝客の応対をしていると、結子より少し年上だろうか、という女性から声を掛けられた。

「あの……」

「はい。どうなさいましたか?」

 女性は、辺りをきょろきょろと見回した後、人の耳がないことを確認して、声を潜めて切り出す。

「縁切りの祈祷というのは、私一人でも良いのでしょうか」

「どなたか、ご一緒に?」

「いえ、相手も一緒ではないといけないのかと……」

「それは──」

 あ、と閃いた。

 嘘は許されることではないけれど、昔から嘘も方便と言うではないか。

 近付いてくれないのなら、そういう状況を作り上げれば良いのだ。

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