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15:前を向いて

 友達が、居ない。そう口にすれば、親はなんと思うだろう。自分の子は友達が大勢居て、学校では毎日楽しく笑顔で過ごしている──そんな風に思っているのではないだろうか。

 この十年の間に、母がどれほど子を思ったかは分からないけれど。その想像を崩してしまったのではないか。手元のマグカップをじっと見詰めたまま、結子は顔を上げられなかった。

 失望されるのが怖かったのだ。──けれど。

「そうねえ。結子は大勢で居るのが苦手だったもんね」

 あっけらかんとした調子で言われ、結子は返す言葉が出てこなかった。

「学校は一人で居ると浮くからね。分かるわー」

「……怒らないの?」

「怒られるようなことをしたの?」

 友里に指摘された不誠実な態度を口にするべきなのだろうが、躊躇われた。結局、出てきたのは昔から教師たちに言われてきたことだ。

「……みんなと、仲良くするようにって……」

 すると、母は思わずといった様子で吹き出す。

「そんなこと、大人でも無理なのに。いじめは駄目だけど、だからってみんなと仲良くなんて無理でしょ」

 それでも、仲良くしなければならないと教師たちは言い続けていた。仲良しクラス、みんな友達、そんな夢のようなことを。

「自分と合わない相手を認めれば良いだけ。合わないからいじめて良い、じゃなくて。合わない人も居るんだな、そういうものなんだな、と思っていたら良いの。先生に言われたからって無理に付き合うことはないのよ」

「……」

 無理に付き合っていたのだ、今まで。沈黙が何を指すのか、母にはお見通しだったようだった。

「何をしたかは聞かないけど。結子は、失礼なことをしたと思っているんでしょう?」

 黙って、こくりと頷く。

「ちゃんと謝れた?」

 ちゃんと、がどういったものを言うのかは分からないが、謝りはした。心を込めて、誠心誠意──とまで出来たかどうかは自信がないけれど。

「……謝ったけど、許してもらえなかった」

「でしょうねえ」

 苦笑交じりに言われる。母は、それでも結子を責めはせず、柔らかな声音を紡ぐのだ。

「これも経験と考えるのね。次にまた同じ失礼をしなければいいの。その人には、これからの長い人生の中で償う機会があるわ」

「本当に?」

「結子が、ちゃんと償いたいって思っていたらね」

「……そっか」

 今すぐでなくても、いつかそんな機会が訪れる。そう思うと気持ちが明るくなった。

「そうかー、今は結子、学校で一人なのか」

「……うん」

「一人は、楽しい?」

 上っ面の友達と過ごすのは面倒でしかないと思っていた。いや、それは今も変わらない。四人にはすまないという気持ちはあるが、だからといってまたあの輪には戻りたくはないのだから。

「あまり、楽しくない。……けど、また元の輪には戻りたくない」

 言葉にしてみて、ようやく気付く。必死に一人は楽しいのだと、楽なのだと言い聞かせてそれが事実であるかのように思い込ませていたけれど──。

 一人は、楽しくはない。

 けれど、孤独は嫌だ。

「独りは、こわい」

「そうねえ。誰だってそれはこわいわねえ」

「でも、今までみんなと居ても独りだったの」

 輪の中に入れず、何を話して良いのか分からず、楽しくもなかった。

「今は?」

「今?」

「今は、独りだって思う? 寂しい?」

「今は、寂しくない」

「良かった!」

 母は心から嬉しそうに言う。

「お母さん、だんだん自信が付いてきたわ」

「自信?」

「結子に嫌われてないっていう自信」

 そんなものは持っていて当たり前だろうにと思ったが、すぐに打ち消す。十年前に、母は一度結子から突き放されたのだから。それでもこうして結子の話を真摯に聞いてくれるのは、血の繋がりがあるからだろう。

「寂しいのなら、気の合う友達を作れば良いのよ」

「気の合う……?」

「そう。なあなあで付き合う友達じゃなくて、一緒に居て楽しいって思える友達。楽しいわよー」

 そんな友達ができれば、どんなに良いだろう。昼休みも楽しいかもしれない。

 だが──。

「私みたいな人と居ても、誰も楽しくないよ……」

 これまで、何も楽しいと思ったことのない人間の傍に、誰が居たいと思うのか。

「どうして? 私は、結子と話すのは楽しいけど」

「それは、血が繋がってるからでしょ」

「良いじゃない、血が繋がってるから。それも、縁のひとつよ」

「縁、の……ひとつ」

「そう。血の繋がりがなかったら、お母さんと結子は出会わなかったんだし。凄いわよねえ。凄いと思わない?」

「それは……まあ、うん……」

 凄いような、そうでもないような。実感が湧かず、返事は曖昧なものになる。

「それにねえ、結子は嫌な顔もせずに手伝いをしてくれるでしょ。掃除もちゃんとしてくれて。料理もしてたの? えらいじゃない。すごいと思うわ」

「そんな結子を、面白いと思ってくれる人が居るはずよ」

「でも、今のクラスには……」

 もう、クラスでは輪が出来上がっている。その中に入り込むのは難しい。

「学校もね、クラスの人たちだけじゃないでしょ。他のクラスもあるし、他の学年だってあるんだから」

「どうやって知り合うの……」

 今更、どこかの部活に入れというのだろうか。二年のこの時期に、部員に誘われて、という理由でもなく飛び込みで。そんなことをしても、また部活の中で浮いてしまいそうだ。

「そうねえ。どうやって知り合おうかしらねえ」

 母は腕を組んで考える。

 一人はさみしいけれど、そのさみしさに慣れれば良いのではないか。二年弱、その間には修学旅行もあるけれど──慣れれば、きっと何ということはないだろうから。

「じゃあ、今度のお昼休みは一人で居ても浮かない所に行ってみたら?」

「一人でも、浮かない所?」

 あの監獄のような学校で、一人で居ても浮かない場所。そんな所があるのだろうか。眉根を寄せて問い返すと、母はこれは明暗だとばかりに首肯する。

「そう。きっと、結子みたいな子が居るかもしれないじゃない?」


 夕食は、あつあつのグラタンとサラダ。そして近くのパン屋で買ってきたバゲット。

 テーブルには、父と母、その向かいに結子。一人が加わっただけで、食卓は華やいだ。

 十年の空白を埋めるように、会話が弾む。あの久しぶりに顔を合わせた食事会の時よりも。

「忙しかったでしょ、お父さん」

「土曜日だからなあ」

「急に、ごめんなさい……」

「結子は今まで毎週手伝っていただろう」

 参拝客の縁を切っていたのは、手伝っていたことになるのだろうか。そのお陰で、この神社の祭神は大変なことになっているのだけれど。

 今日もまた、結木様は多くの人々から縁を切って欲しいという願いを聞かされ続けたのだろう。もう結子が糸を切ることがなくなっても、それは変わらないのか。叶うならば、もっと明るい──元の縁結びの願いを聞きたくはないだろうか。

 そもそも、結子が糸を切らなくなったこの神社はこれからも縁切り神社として参拝客を迎えるのだろうか。


「今日は一日ありがとうございました」

 部屋に戻るなり、近衛に深々と頭を下げた。

『わたしは何もしていないが』

「時間を取ってくれたことです」

 週末は糸を結ぶ約束だった。それを博しにして母との時間を作ってくれたのは近衛の厚意にほかならない。

『グラタンは美味しかったか』

「はい」

『それは良かった。神崎がそんなに笑顔になるのだから、さぞ美味なのだろうな』

「食べたこと、ありませんか?」

『ないな』

「でしたら──今度……」

 言いかけて、止まる。神使はグラタンを食べるのだろうか。この姿で? それとも、蛇の姿に戻って? 想像して、何とも奇妙な絵面に苦笑を漏らした。

『……神崎、妙な想像をするな』

「すみません」

 謝りはしたけれど、近衛もさほど怒ってはいないようだった。言葉に棘が含まれていないのが伝わる。

「あの、ひとつ気になったのですけれど」

『どうした』

 食事の時に気になったことだ。結木様は把握しているのだろうか。結子は今の今まで気付かなかったのだけれど。

「これからも、この神社は縁切り神社のままなのでしょうか」

 訊ねた後で、これでは近衛に丸投げしているようではないかと気付く。

「あ、いえ、近衛さんに押し付ける訳ではなくて、違うんです、どうにかした方が良いかなと思って──」

 どうにかした方が良いに決まっている。弁解を重ねれば重ねるほど墓穴を掘ってしまって、どうしようもない。

 だが、近衛の答えはのんびりとしたものだった。

『すぐにどうこうなる訳でもあるまい。神崎が跡を継いだ時にでも元の縁結びの神社としてくれれば良い』

 だから今は糸を結ぶことを考えろ、というのだろう。

 けれど、結子が跡を継ぐまでにあと何年もの歳月が流れる。その間に、縁切り神社として皆が認識をしていれば、もう糸を切ることがなくなったとしても噂は根を張り幹は育つ。

 その認識が不動のものとなってしまっては、結木様は縁切りの神様となってしまうではないか。

 今でさえ、十年もの月日が経っているというのに。

『十年など、わたしたちにとっては午睡をしている間に過ぎてしまう。そう案ずるものではないよ』

 神使にとっては午睡だとしても、人にとっての十年は長いのだ。

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