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12:身から出たもの

 朝食を摂り、制服に着替える。教科書の詰まった鞄を持って、家の玄関扉を施錠する。父はもう社務所に出ているのだ。

 社務所を覗いて挨拶をし、駅へと向かう。

「糸を結んだら、成り行きを見守るべきなんでしょうか」

 じっと、別れるのかよりを戻すのか。両親の時のように見守らねばならないのだろうか。

 近衛は結子だけにしか見えぬように姿を消し、傍に付いていた。

『出雲から言われているのは、糸を結び直すまでだ。後は、見守りたければそうすれば良いが──』

「終りが見えませんよね」

『賢いじゃないか』

「あの厚さを見れば嫌でも分かります」

『そうだろうな』

「それと、私、切った人の顔を覚えていないんですが──大丈夫でしょうか」

 更に言えば、糸が繋がっていた相手には一度も面識がないのだ。そんなことで糸を結べるのだろうか。

『だから、わたしが居る』

 曰く、近衛が切れた糸を持つ者同士を探して引き合わせてくれるのだそうだ。

「凄いんですね」

 何気なく言った結子に冷ややかな視線が向けられる。

『神崎、わたしは神使なのだが』

「分かっています」

 一応は。そう、続きそうになる言葉を飲み込んだ。

『休みの日を潰しても終わりは見えないから、見かけたら糸を結ぶようにするか』

「見かけたら?」

 近衛の意図が分からずに首を傾げると、冷ややかな声で返された。

『……それだけ、おまえは見境なく糸を切ってきたということだ』

「申し訳ありません」


 駅のホームは、通勤通学の人々で溢れていた。手元のスマートフォンをじっと見る人、本を読む人、あくびを噛み殺す人。それぞれが、学校や会社までに許された残りわずかの自由時間を過ごしていた。

『神崎、あの女の糸は見えるか』

 耳元で近衛の声がした。

「あの──」

 近衛の視線の先には、社会人と思わしき女性の姿。トレンチコートにピンヒール。髪は明るく染めて、綺麗に巻かれていた。

『糸は多少伸びる。摘んで、引っ張ってみろ。──一昨年の夏に切ったみたいだな』

 一昨年の夏──と、思い出そうとしても記憶には残っていなかった。自分のことながら、酷いことをしたものだと思う。

 そっと近付き、左の手元を探る。ぶつかったふりをして、糸を指に絡めた。

『左の列の最後尾の男。あの糸と結ぶんだ』

 糸は近衛の言う通り伸びる。取り落としてしまわぬようしっかりと握り締めて言われた通り最後尾に並ぶ学生風の青年の小指の糸と結ぶ。糸の色は、くすんだ赤。

 二人は気付いていないようだったが、縁が繋がったのだ。近いうちに目が合うなり言葉を交わすなりするのだろう。

『しばらくすれば、結び目も馴染む。その後によりを戻すか切れるかは、二人次第だな』

 叶うならば、二人にとって幸いな道に進むことができますよう。そっと心の中で手を合わせて祈るのだった。


 いつも乗る電車の到着を告げるアナウンスがホームに響く。すると、近衛は

『気を付けて行って来い』

「今日は学校には来ないんですか?」

『……満員電車に揺られるのは、もう懲り懲りだ』

 最初は興味があったのだろう、付いて来ていたのだがすぐに後悔に変わったようだった。姿は消していても、あの圧迫感は伝わってくるのだろう。そして、学校に着くと夕方までの授業。視界の端に教室の後ろで退屈そうにしている姿が映った。だから、今日くらいそろそろ断られるだろうと思っていたが、案の定の返事に笑いを噛み殺す。

「では、また後で」

 既に人が詰まった電車のどこに受け入れる隙間があるのか分からないが、次々に小さな箱の中に飲み込まれてゆく。結子も、その波に従ったのだった。


 学校は、多少の自由が許された監獄のようだと思う。指定された制服を着て、拘束される。囚人とはこういうものなのだろうか。

 結子の通う高校は、この辺りではぎりぎりで進学校と呼ばれる共学の公立高校だった。適度に厳しい校則で、適度に悪ぶっている生徒も居る。

 勉強は、好きではないが嫌いでもない。嫌いなのは──


「ねえ、今日は食堂に行こ」


 長短問わず、休憩の時間だ。授業の合間の休みも、昼休みも、結子にとっては苦痛だった。

 結子が学校で"友人"と思しき関係を持っているのは、四人。加藤(かとう)奈緒(なお)大倉(おおくら)友里(ゆり)篠島(しのじま)美幸(みゆき)幸田(こうだ)麻衣子(まいこ)

幸田麻衣子の他は、一年からの持ち上がりだった。加藤奈緒とは一年の頃に出席番号が前後で話すようになった。奈緒と同じ部活で仲が良かったという大倉友里、友里の中学からの友人だという篠島美幸。そこへ、進級して同じクラスになった奈緒と通学経路が近く顔見知りだった幸田麻衣子が加わって、五人で食事をするようになった。休日には一度も顔を合わせたことのない──四人は遊んでいるようだけれど──友人と呼んで良いのかは分からないけれど、とりあえず行動を共にしている。

 食堂に行こう、と言い出したのは友里だった。ショートボブの黒髪の、きりりとした眉が印象的な少女。部活は──そうだ、吹奏楽だったか。

「いいねー。今日の丼ぶり、何の日だっけ」

 真っ先に手を上げたのは奈緒だった。肘のあたりまで伸ばした柔らかそうな猫毛がふわふわと揺れる。身長はすらりと高い。

「親子」

「友里ちゃん、そういうのは昨日のうちに言ってよぉ。ママにおべんと作ってもらったのに」

 鞄から弁当の包みを取り出して膨れるのは、美幸だった。小柄で、世間一般的に言われる"守ってあげたい"タイプだろう。だが、何から守るというのか。

「唐揚げ丼が良かった」

 財布を手にしながら言うのは、口数の少ない麻衣子。色の白い、けれど時々口の悪さがちらりと垣間見える少女。

「じゃー金曜日も行こ」

 四人の間で食堂行きは決まったらしい。

 昼食は、作ってもらった──中には自分で作っている者も居るかもしれないが──弁当か、コンビニ、購買、学食。そのいずれかになっている。

 結子がぼんやりと所属しているこのグループは、美幸と結子が弁当組、他の三人はコンビニか購買、そして気分が向いたら食堂、というような配分だった。

「結子も行くでしょ?」

「あ、うん」

 友里に確認され、頷く。どうする、ではなく行くことになってしまっていることにうんざりした。そして、嫌だと言えない自分にもうんざりする。

 馬鹿馬鹿しい、人生の中でほんの三年の高校生活なのだ。だから、我慢していれば良い。大人が言うことに確かにそうだと納得する気持ちもあるが、同時に反感も覚える。学校は独特のルールに縛られている。校則という明示されたものではなく、"空気"というよく分からないものに支配されているのだ。それを守らない者は輪から外される。

 監獄の中での一人は、死を意味するのだ。

 休み時間に一緒に話をする程度のグループに属すのは、面倒だがこの監獄で暮らすための知恵でもあった。


 食堂は適度に混んでいた。三人が昼食を買いに行っている間、弁当持参の結子と美幸が席を取る。

「午前中も疲れたねー」

「そうだね」

「私、数学苦手で」

「私も。理数は苦手だな」

 ねえ、と相づちを打って、会話はそこで終わった。一緒に食事をしてクラスの中でも会話をする友人ではあるのだが、結子は率先して話に加わるほうではなかった。いつも話半分に適当に頷いている。会話を広げる方法など持ち合わせてはいない。美幸も話題を提供する側ではないが、賑やかな雰囲気を好んでいるようだった。もしくは、静かな場が落ち着かないのか。きょろきょろと必死に話題を探して──何かを思いついたようだった。

「結子ちゃん、昨日は大急ぎで帰ってたけど、何かあったの?」

 おっとりとした口調で訊ねられる。騒がしい食堂の中で、何か喋らなければいけないと思ったのだろう。

「うん、ちょっとね」

 さすがに、家庭の細かい事情まで説明したくはなかったからそう言って誤魔化す。美幸は口をとがらせて、そうなんだ、と言ったきり黙ってしまった。

 今度はこちらから何か話さなければならないのだろうか。

 こういう気遣いが嫌いなのだ。話題がないのなら、無理に話をしなくとも良いだろうに、と思う。黙っている時の雰囲気が苦手なのは、気心の知れた相手ではないからだろうか。

 どちらにしろ、ただただ面倒だった。

「おまたせー」

「あれ、待っててくれたの? 食べてて良かったのに」

 トレイには、それぞれ親子丼、カレー、うどんが乗っていた。

「やだよー、せっかくのお昼なのに。一緒に食べよ」

「美幸は可愛いなあ、もう」

 誰が誰に向かって喋っているのか、結子は認識もせず右から左へと聞き流す。


 お腹が鳴りそうだっただの、午後は眠くなりそうだの、そんなしてもしなくても良いような会話をしながら箸を運ぶ。そうだね、と言いながらも頭では別のことを考えていた。

 今朝、駅のホームで結んだ糸。あれはどうなっただろう。糸──糸。

 あ、と気付く。ここにも切った糸があるではないか。会話は一段落ついていたから、そういえば、と切り出した。

「そういえば、奈緒の別れた彼氏って何組の人だったっけ」

 勢いだけで言ってしまったことに後悔したのは、四人の不審げな視線が向けられてからだった。

「え?」

「は?」

 奈緒が眉を寄せた。何か妙なことを言っただろうか。ざわざわと落ち着かない。

「え……? あの、別れたいって言って──」

 記憶違いだったのだろうか。しかし、確かに小さなハサミで切ったように思うのだ。

「それ、私でしょ」

 そう言ったのは、友里であった。大仰にため息をついて結子を見る。

「結子さあ、興味ないのバレバレ」

「話半分でしか聞いてないから覚えてるワケないよね」

 しまった、と思った時にはもう遅い。

「別にいいけど。私も結子に興味ないし」

「それがハッキリしただけ良いか」

「無理して一緒に居なくていいよ」

「……ごめん……」

「悪いと思ってないでしょ」

「あーあ。なんか白けちゃった」

 次から次に吐き出される言葉は、結子に対して抱いていた不満が溢れたせいだろう。


 自業自得。身から出た錆。因果応報──他に、何かあるだろうか。思い付くだけの似た表現を頭のなかに並べ立てた。

 よくよく小指を見てから発言すれば良かったのだ。切った糸ならば分かるかもしれなかったのに。いや、そもそも友達付き合いを疎かにしていたせいだ。報いなのだろう。

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