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1:縁切り神社

 暖かな春の陽気に誘われて、結木(ゆいのき)神社には参拝客の姿がちらほらと見受けられた。

 だが、皆が皆、真剣な顔で拝殿に手を合わせている。鈴を鳴らし賽銭を投げ、手を合わせて必死に──それはもう必死に、願い事を繰り返しているのだった。


 そんな参拝客の傍には、糸切り鋏を持った巫女の姿。年の頃は十六、七か。艶やかな黒い髪を肘のあたりまで長く伸ばし、和紙で纏めて水引で縛っている。前髪は眉上で真っ直ぐに切り揃えていた。少しつり気味の眉と、その下にあるぱっちりとした黒い瞳は彼女が頑固だと暗に伝えているようであった。

「良いお参りでした」

 そう言って、参拝客の左手の辺りで何かを着る仕草をした。


 ──チョキン!


「なあに、あれ」

 他の参拝客がひそひそと小声で話している。

「あれが、ここのならわし? 風習? みたいなものなんだって」

「へー、変わってるのね」

 巫女は聞こえないふり。

 説明をしても、きっとこの神社らしいおまじないだろうと流されるのだろうから。おまじないなどではない。本当に、切っているのだ。

 赤い糸を。


 巫女──神崎(かんざき)結子(ゆいこ)には、不思議なものが見えた。左の小指に絡む、赤い糸。隣に居る人と繋がっている糸もあれば、別の人と繋がっている糸もある。途中で切れている人も、自分の指だけに絡む人も。

 それは十人十色で、共通していることといえば糸の色は「赤」というくらいだ。その赤も、鮮やかな赤もあれば黒の混じった赤もある。自分の小指はどうだろうかと見てみたが、糸は絡んではいるのだけれど、どうも途中で切れているようだった。

 ある日、母に訊ねたことがある。


 ──ねえ、どうしてみんな指に糸が付いているの?


 おそらく、幼稚園に通っている時分だったろうと思う。娘の問いに母はロマンを感じたのか喜々として「赤い糸の伝説」を説明してくれたのだった。


 ──それはきっと「運命の赤い糸」よ。


 赤い糸は、誰かと繋がっているのだそうだ。産まれた時は自分の指に絡むだけで、運命の人を見つけると、互いの糸が結び付くのだそうだ。最初はあった結び目は、次第に馴染んでくる。結び目が消えて、一本の糸になる──のだそうだ。

 だから、きっと見えているのは「運命の赤い糸」。母は、本当に娘の目にそれが映っていると信じたのかは分からない。今更、それを確認することもできない。

 だって。

 夫婦喧嘩の時に聞いた売り言葉に買い言葉を信じて、結子は両親の糸を切ってしまったのだ。

 糸切りバサミで──チョキン、と。

 翌日。母の姿はなく、出て行ってしまったのだと告げられた。


 結子は神社の一人娘だ。

 そしてその神社は、気付けばこう呼ばれている。


 ──縁切り神社。


 最初はきっと、近所の主婦の井戸端会議のようなものが始まりだったのだと思う。

 元は縁結びの神社だったのだが、その宮司の妻が出ていった。縁結び神社なのに、縁起でもない。縁切りじゃないの──というようなことだったのだろう。

 そんな噂を真に受けたのか、それとも藁にもすがる思いだったのか、縁切りを願いに来た女が居た。顔は痣だらけで、恋人か夫かは分からないけれど、別れたいのだろう。

 あまりに連日お参りに来るのだから、結子はちょっと、試してみたのだ。


 ──チョキン!


 程なくして女は別れられたらしく、お礼に来ていた。

 そんなことが続き、神社は縁を切りたい人が来るようになった。

 赤い糸を切ると、それはそれはいい音がする。小学校低学年だったから、その音が好きだったのもあるだろう。不要な縁ならば、切ってしまえば良いのだ。そうすれば、また新しい縁を見付けて糸が結び付く。結子は片っ端から切り、縁結び神社は縁切り神社へと変わっていったのだった。

 お守りは、気付けば縁結び守りはなく、縁切り守りがずらりと並ぶ。

 この縁切り神社、本気で縁を切りたいのならば、土日祝日や夏休みなどの長期休暇の期間にお参りをすると良いという。

 当たり前だ。結子は今年、高校二年生に進級した。平日は学校に通っていて神社には不在。学校が休みの時にだけ、こうして巫女として手伝っている。つまり、休みの時にしかか縁を切ってくれる人が居ないのだ。

 だが、皆は事情を知らないから、社会人に優しいと評判なのだった。


 春先の温かさは、眠気を誘う。

 参拝客の波が引いて、巫女は神社の小さな御札所に引っ込む。ぼんやりと空を見上げながら、思うのだ。

 そんなに切りたいのなら、そもそも結ばなければ良いのに、と。

 結子の心は、いつも冷めきっていた。


 日が傾きかけると、神社の一日は終わる。神主である結子の父が社務所に施錠をし、手提げ金庫を手に家へと戻る。

 そうして夕食の支度をするのだ。母が出て行って、家事は父方の祖母が受け持っていたが、その祖母も今はもう亡き人となっている。

 以来、それぞれが時間のある時に料理と掃除、洗濯を行うようにと緩やかなルールを作った。はっきりと担当を決めなかったのは、それぞれに忙しい時期があるからだ。忙しい時には相手を思いやって多めに家事を行うように、としている。

 両親は、離婚はしていないそうだ。だが、もう十年も音信不通なのだ。離婚したも同然だろうと思う。

「本殿の鍵、確かめてくるね」

 そう告げて、本殿へと足を向けた。

 日は落ち、境内はしんと静まり返っている。


 本殿の中に春の温もりはなく、どこか凛として芯から冷えているように感じられた。

 御神体は、鏡。

 祀るのは、結木様。畏れ多くも、結子の名はこの結木様から頂いたのだそうだ。

 その昔、村娘が木に白い手ぬぐいを結んで恋の成就を祈ったところ、手ぬぐいは白蛇に姿を変え娘の願いを神様に──その、結木様に伝えたのだという。今は──言わずもがな、であるが。

 毎日のように誰かと別れたい、縁を切りたいと負の感情だらけの願いを捧げられるのは神様といえども疲れるだろう。手を合わせて拝むのが一日の終わりの務めとなっていた。そうするように言われた訳ではないが、祀られている神様も、別れたいだの縁を切ってくれだの、一日中そんなことをお願いされ続けては疲れるのではないかと思うのだ。

「今日も一日、お疲れ様でした」

 それで疲れが取れるのか、そもそも神様が疲れるのかどうか分からないけれど。結子の気持ちの問題だった。

 さて家に戻るかと思ったのだが。

「……ん?」

 何かが引っ掛かる。何かが、御神体の鏡に映り込んだような気がしたのだ。

 御神体の前まで戻り、覗き込んでみる。だが映るのは、見慣れた自分の顔。今時、染めてもいない真っ黒の髪。化粧は申し訳程度。頑固そうな目。真一文字に結んだ口。

 見ていてあまり楽しいものではない。

「気のせいか」

 そう言って、納得させたかったのかもしれない。もし本当に、何か得体の知れないものが映りでもしていたら、怖いではないか。

 家に戻ろうと、踵を返す。

 幽霊を信じる訳ではないけれど、それでも他人に見えないものが見えるのは嫌だ。

 だからわざわざ独り言を口にしたのだ。

 あれは独り言。返事など必要のない、独り言──だったというのに。


『何が気のせい、だ』


 その独り言に返事があった。空耳でなければ、確かに。ギシギシと音がしそうなぎこちない動きで振り返る。

 何も変わらない光景だ、先程から。

「……そらみみ?」

 今度は語尾を上げて疑問形にした。誰に訊ねたのだろう。結子自身も分からなかった。返事がなければ、今度こそ家に戻るつもりだったのに。

『空耳なはずがないだろう』

 戻れなくなってしまった。


 誰かが居る。近頃流行りの賽銭泥棒か。つい先日、監視カメラを付けてはどうかとセールスが来ていたのを思い出す。参拝客のことを考えると、記録されるのは嫌ではないだろうか、ということでとりあえず様子を見ようということになったのだった。

 こんなことなら、導入するべきだった。


 賽銭泥棒、巫女を殺害

 顔を見られ

 とっさの犯行


 そんな新聞の見出しが脳裏に踊る。

 じっとして息を殺す。何か、武器になるものを持ってくれば良かった。武器になるもの? それは何だろうか。バット? いや、野球をする人間はいない。あるものといえば。思い浮かんだのは、大幣だった。いつも父が祈祷の際に振っている、紙垂の付いたあれである。

大幣(おおぬさ)を武器にするな』

 もう、言葉が出てこない。

 言葉に出さなかったのに、なぜ伝わっているのだ。

 こういう時、たとえばホラー映画の主人公ならば一人で様子を見るだろう。サスペンス映画も同じように。そして迎える末路は決まっている。

 呪われるなり殺されるなり、するのだ。だから、結子は逃げる道を選んだ。

『おい──!』

 どたどたと大きな音を立てて出口へと向かおうとする結子の前に、何かが降りてきた。そう、降りてきたのだ。ふわりと。白い衣を膨らませて。

 白い狩衣姿の──男、だろうか。その判断に自信が持てなかったのは、美しいその面立ちのせいだった。切れ長の双眸は、ルビーのようだった。紅いのだ。鼻筋はすらりと通って美しく、口元は緩やかな弧を描く。髪は白。長い前髪を左右に分け、胸のあたりまで伸ばしている。きめが細かそうな肌は雪のように白く、しわどころかしみひとつ見当たらない。

 アルビノ、というのだろうか。

「──……!」

 声も出せぬまま、後退った。そのまま逃げてしまいたいのに、足がもつれて床の上に倒れ込んでしまう。

 父に助けを求めたいのに、声が出ない。

『これで、気のせいでも空耳でもないと分かったろう?』

 低い声は、確かに聞こえていた空耳と思しき声だった。低い声に、ああ、この眼の前の美しいひとは男なのだ、と場違いなことを思って──。

 その後はもう、何が起こったのか。目の前が真っ暗になったのだった。

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