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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
一章 ある失敗の代償
9/92

<八>

 「……あの、先生。僕は何故、連日呼び出されているのでしょうか?僕は目立たない善良な一般生徒だったと思うんですが。もしかして、先生あれですか。僕の事大好きですか」


 「ああ、私は君を愛してるよ。勿論、他の子供たちもね」


 などと博愛過ぎる担任と軽口を交わすのは、一日ぶりのことである。雑多な書類の山脈や中身の不明な段ボール群などが集積されている昨日と同じ二階の教室に、同じ陣を敷いて、米村先生、僕の担任は待っていた。


 昨日とは違うこともある。初めに、何故呼び出しなどをかけたのか、という問いを立ててはみたものの、僕はその理由に思い当たる節があるのだ。


 一年間、無遅刻無欠席だった僕が、今朝唐突に朝礼をすっぽかしたのである。そのことの重要性をこのよく気の回るお節介な担任は知っている。僕がそんな目立つような真似をするなんて、普段なら在り得ないということを、優秀なる米村担任は重々承知している。


 つまり、今日呼び出されたのは、どのような尋常ならざる事態に見舞われて遅刻したのかを白状せよ、ということなのだろう。


 「遅刻のことなら、ただの寝坊ですよ。ちょっと眠れなかっただけです」


 「ふうん。じゃあ、どんな理由で眠れなかったんだい? 目立たないことに全精力を捧げている君が、今更そんなヘマをするなんて私には思えんのだが?」


 流石は担任。よく分かっていらっしゃる。


 「それは言わなきゃいけませんか?」


 と、僕は勇敢にも黙秘権の行使を試みる。無駄なことだろうと分かっていても、可能性があるなら試してみてしまうのが人情というものだ。


 「私は君に何かを強制するなんてことは出来ないよ。ただ、知りたいとは思うけどね」


 「僕は別に知られたくはありません」


 「知りたいとは、思うけどね!」


 立ち上がり、教室のドアの前に場所を移した担任教師は語勢を強めてそう言った。事実上の強制である。喋るまで帰らせねえぞおら、である。黙秘権どころか、この人は僕の人権を剥奪するつもりらしい。


 笑顔が怖い。


 「……変な奴に絡まれました」


 他に取るべき方法もなく、仕様がなく、為す術なく嫌々ながらに僕は彼女のことについて語り始める。


 「へえ、変な奴。どんな風に変なんだ?」


 「イカレ目腹ペコ科ヒモ属のほとんど全裸の変態です」


 彼女と言う生物を端的に表すなら、これが一番早いだろう。寧ろあの女の印象として残っているのは、瞳の色と笑った時に見える獣染みた八重歯、後は以上に列挙した分類と基本的な生態くらいのものだ。


 くらい、とは言っても現実世界を生きる人間としてはキャラを盛り過ぎていると言わざるを得ないのだが……。


 「そりゃまた面妖な。いやしかし、いつもの君ならそんな輩に絡まれる前に対策を講じそうなもんだけどなあ。……まあ季節は春だ。冷酷非情な君だって気が緩むことくらいあるか」


 言われてみれば確かにそうなのかもしれない。いくら冷静沈着な僕と言っても、高校生活も二年目に入り、ドキドキもワクワクもしないクラス替えから一か月が経って、知らぬ間に緊張の糸が切れてしまったというのは十分に考えられる話だ。


 平和な生活に僕はすっかり慣れてしまったのである。簡潔に言って、平和ボケしていたのだ。


 全く怠慢も良いところである。どこだかの哲学者曰く、平和などというものは積極的に創造していかなければならない非自然的な状態なのだから、僕は努力を怠ってはいけなかったのである。


 但し、そういった努力を怠っていなかったとしても、全力を尽くして事に当たっていたとしても、彼女という厄災を、回避又は退けられたかと言えば微妙なところだ。あれほどの強烈なエネルギー弾、避けるだけでも並大抵ではない。何を足掻いたところで、もしかすると僕と彼女は出会わざるを得なかったのかもしれない。


 失敗を反省していないわけではないが、それだけ彼女は、のっぴきならない。


 「それで? 絡まれただけでは寝不足にはならんだろう。それからどうなったんだい?」


 僕は、事の顛末を語るべきところとそうでないところを選りすぐりながら話した。因みにそうでないところというのは、彼女が彼女、つまり女であるということと、その女子中学生の全裸体を僕が凝視したことなどである。


 勿論、話の本筋とは関係ないから省略したのであって、中学生風情の裸体に欲情してしまったなんて、そんな事実は一切御座いません。


 ――いや、嘘じゃないって!


 「じゃあ君はどうやって、その変質者がほぼ全裸であるということを知ったのかな?」


 鋭利な質問だった。


 「あ、あれ、何でだっけなー。いやあ、余りの出来事に記憶が曖昧で。ああそっか。多分自己紹介で言ってたんじゃないですかね。自分この下全裸っす、みたいな」


 嘘ではない。あの女は確かに、そう、僕がローブを脱げと催促した時に、この下に何も着ていないと言っていた。


 しかしそれを説明するのは余りにも憚られたので、割愛したまでだ。何故なら、全裸になれと要求したのは、命令したのは、事実だけを見れば明らかに僕なのだから。


 そして僕には自分に非がないことを上手く説明する自信はなかった。


 「そうか。まあそれは良いか。では今現在、見ず知らずの女が君の居ない君の部屋で、一人過ごしているということなんだね?道理で取り乱してるわけだ」


 「何故女だと!?」


 「……くくっ。やっぱり。君のそういうところ、私は中々可愛げがあって良いと思うよ」


 成程、取り乱しているとはこのことか。生徒に鎌を掛ける担任もどうかと思うが、語るに落ちてしまうとは、僕も落ちたものである。


 どうやら、あの女が僕に与えた衝撃や動揺は思っていたよりも甚大なものだったらしい。悔しいが、恐らくそういうことになるのだろう。鋭い洞察力をお持ちの様である担任様相手とは言え、動揺を気取られてしまうなんて相当なことだ。


 「早く帰りたいだろう」


 「分かってるんだったらそこを退いてもらえますかね」


 ――早く帰りたい。


 一日中考えていた。今日の授業は永遠のように感じられた。休み時間廃止しろよとも思った。今もあの女が僕の家に居ると思うと気が気でない。何か良からぬことが起きているのではないかと、不安で仕方がない。


 幸いにして、我が家には盗まれて困るようなものはほとんど置いていないから、怖いのは例えば火事とか近隣への迷惑行為とか、そっちの方面である。


 「君にとっては重大事件だ」


 「そうですよ。だから、帰らせて下さい。ニヤニヤしてないで」


 僕の話を聞いた担任は、何故か終始笑っていた。にんまりとほくそ笑んでいた。人の不幸は蜜の味、なのだろうか。その気持ちは分からないでもないが、担任の性格からしてそういったタイプでもなさそうではあるのだが。


 何か良い事でもあったのだろうか。何か寿的な良い事でもあったのだろうか?


 「何笑ってるんですか。彼氏でも出来たんですか?それはおめでとうございます。のろけ話なら今度ゆっくり聞き流すので早く帰らせて下さい」


 当然聞き入る気はない。


 「あ? 出来てねえよ」


 ――怖い怖い超絶怖いっ!


 「お前、今時その発言はセクハラでアウトだからな?」


 ――生徒にメンチを切る教師も、今のご時世アウトなのでは!?。


 いつの時代の不良だったのだろう、などと冷静に考えている余裕はない。眼力が凶暴過ぎて、思考も儘ならない。


 勿論眼力の読みとして正しいのは、『めぢから』などというそんな生易しい響きの読みではなく、まさに『がんりき』なのである。


 「はいっ。すみません。最悪僕が先生貰うんで安心して下さいっ」


 敬礼!


 「何が最悪かっ!」


 ――体罰は、時として必要だと僕は思う。人間として本当にやってはいけないことをした場合に限っては、痛みを伴った教育も有りだと僕は思う。


 但し、痛みというのは大人に殴られるという精神的な痛みであって、怪我を負わせるような肉体的な痛みであってはならず、だから、何もぐうで顔面を殴らなくとも良いのではないかと、僕は断固として思うのだ。


 「ところで、セクハラと傷害って、どっちの方が重罪なんですかね」


 衝撃的な鈍痛に、ようやく我を取り戻した僕は冷静且つ迅速に罪と刑罰について考えた。そしてその結果、程度によりけりだろうが、今回のケース、換言するところの事案、事件では恐らく傷害の方が重い罪になるだろうという結論に、即座に至った。


 「……すまん。殴ったのは悪かった。つい昔の血がたぎってな」


 多分、熊とか虎とかの血だ。流石に野生。威力が違う。


 「しょうがない。今日のところは帰してやろう。もし君の手に余る事態になったら、周りの人に頼るか、私に連絡を寄越しなさい。十分に注意するんだよ? 分かったね?」


 「分かりました」


 「ヘタレの君に限ってそんなことはないだろうけど、くれぐれも若い衝動に任せて無責任な行動は取らないように。まあ、責任を取れるならそれはそれで一向に構わないけど」


 初めの修飾語は果たして必要だったのだろうか。ひょっとすると僕を中傷したいだけなのではないだろうか、この担任は。


 「分かりました。じゃあ、さようなら」


 「ああ、その前に。私が君を殴ったことは……」


 「分かってますよ」


 ――喋ったら始末するんでしょ?


 「君は恐ろしく物分かりが良いなあ、うん。じゃあ、さようなら。気を付けて帰りなさい」


 背後に、という文言が省略されていたが僕の耳には確かに聞こえた。


 そんな物騒な台詞に怖気を震いながら、走ってはいけない廊下を僕はダッシュする。色々な意味で、恐怖と焦燥の儘に。




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