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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
五章 ある少女の解放
85/92

<る>


 目を覚ましたのは、正午を過ぎてからのことだった。


 昨日は結局、隠善鏡花の身に起こった不可思議な現象について、魔女に話しそびれてしまった。正体不明の鬼に襲われ、あわや殺される寸前まで追い詰められ、気が動転していたのは事実だが、昼に魔女を呼び出そうとした、という話までしていたのにも拘らず、その呼び出しの理由、本題にまで言及しなかったのは、弁護の余地なく僕の落ち度である。


 魔女も魔女で、過酷な労働に疲弊していたのか、そのことについて疑問を投げかけることをしなかった。僕は宿題、魔女は慣れない昼間労働に明け暮れ、昨夜はお互い、疲れ切っていたのだろうと思う――。


 正午に目を覚まし、時計を確認して、僕は真っ先に愕然とした。寝起きの愕然。――一日の始まり方としては最悪だった。


 「あああああああー。やっちゃったよぅー」


 思わず身悶えした。


 時間にして凡そ十時間、惰眠を貪ることに消費してしまった。夏休みは最後の一日を残すのみ。タイムリミットはいよいよ迫ってきている。


 宿題を片付けなければならない。明日が期限となっている課題でまだ残っているのは、英単語の暗記、同じく英語の教科書に載っている文法問題、世界史のプリント半分、そして一番の難敵、短歌十首。その全てを残された夏休み、十九時間のうちに終わらせなければならない。


 今更になって、米村国語担当教諭兼二年五組担任に対する怒りがふつふつと湧いてきたが、そんなものを湧かしていても時間を無駄にするばかりなので、取り敢えず薬缶に火をかけ、茶を啜るための湯を沸かすことにした。


 「あれ」


 起き上がってから気付いた。縁が、僕の隣ですやすや寝息を立てて眠っていた縁がいない。僕より先に寝たのだから、先に起きていてもおかしくはないが、部屋のどこにも姿が見えない。


 「風呂でも入ってんのか?」


 テーブルの上には、放ったらかしにしたままの教科書やノート、筆記用具が散乱している。


 昨夜の縁の取り組みの成果を確認しようと、僕は世界史のプリントの束を手に取った。分かっていたことだが、どうやら真剣に取り組んでくれていたらしい。所々明らかに間違えている部分はあるが、概ね正しいと思しき答えが記述されている。筆跡も僕とは似ても似つかぬが、そこまで求めるのは図々しいというものだった。


 昨日より僅かばかり進んでいるように見えるのは、起きてからも精を出していたということだろうか。勤勉なドラゴンである。


 「さて」


 プリントを元の位置に置き、薬缶に水を注ぎ、火をかけた。


 時間は惜しいが、健気な相棒のために飯を作ってやらねばならない。あのドラゴンは取り敢えず飯を与えられれば文句は言わないし、逆に飯を与えられないと永遠にでも文句を言い続ける。それに、僕とて腹が減っては戦が出来ぬ。頭脳労働にも栄養は必要だ。


 湯が沸くまでの間に、眠気眼に冷水を浴びせるべく脱衣所へと向かった。


 脱衣所のドアを開けると、案の定朝風呂ならぬ昼風呂に浸かっていたらしい縁が、タオルで頭を拭いていた。着こんでいる人の皮を除けば、一糸纏わぬ全裸だった。


 「おはよー」


 「おは、よう」


 いつもと変わらぬ朝の挨拶を交わして、僕はわしゃわしゃと頭の水分を拭き取る縁(全裸)を押しのけ、洗面台の蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗った。正面の鏡に映る縁(全裸)が、どうしてだか僕を睨んでいる。何か不満でもあるのだろうか。


 「おい、お主。気付いておるかもしれんが、私今、全裸なのじゃが?」


 「ん? だから何だ。そんなの一々報告されなくても、見りゃ分かるよ」


 「いや見るでないわ。見て分かっておる場合か。見てしまったなら、せめて照れるなり、何らかのリアクションをすべきなのではないか? 一人の男の子として」


 「んあ? 今更何を照れるってんだよ。お前の全裸なんて、とっくに見飽きてるよ。全裸っていうか、お前って普段から色々ゆるゆるな上に薄着だから、色々見えちゃってるんだよ。流石に四か月も経てば、いくら何でも慣れてくるよ」


 本当に遺憾な話、と言うか、如何な話だけど。


 「アンラッキースケベなのじゃな」


 「アンラッキーでもスケベでもないね。強いて言うなら無だ。無の境地だよ。僕は今や、お前の裸に対して何も感じない。厚着をされた方がまだ興奮するね。ほとほと僕の純心を穢してくれたよ、お前ってやつは」


 僕は縁に向き直って、じっとその全裸体を凝視した。眩しいほどに白い肌に水の滴る黒髪が良く映えて、確かに見栄えはする。


 「何だその胸の丸みは、舐めんてんの?」


 僕は冷徹に言った。


 「うわあっ! 本当に無の目をしとる!」


 「そうだよ。これはあれだよ? 多分、埴輪はにわとかを見てる時と同じ目だよ。どうしてくれんのこれ」


 「私の全裸には、埴輪ほどの魅力しかないと!?」


 「何なら埴輪の方が興奮する!」


 「……それは、重傷じゃのう……」


 女の子の裸よりも、埴輪に興奮する男子高校生。……思っていた以上に重傷だった。


 「いや、しかし、やっぱり埴輪より土偶の方が圧倒的にエロだよな」


 「土器にエロスを感じる男子高校生など端から手に負えんわ! どういう素質の持ち主なのじゃ、土器フェチとか!」


 ――土器フェチ!!


 「土器フェチとは、土器フェティシズムの略で、土を塗り固めて焼いたものにしか性的興奮を覚えない人種のことを指して言う」


 「言うの!?」


 ――すげえ言葉だ!


 「まあ、お主のことでしかないのじゃが。……お主、まだ疲れておるのではないか? 宿題はもう諦めて、養生すべきなのでは?」


 「いや、大丈夫。ただ頭使うの面倒臭くて、勢いに任せて喋ってただけだから。ストレスで、ちょっとはっちゃけたボケをかましてみたくなっただけだから」


 どうせ昼食を取ってからはずっと宿題に勤しみ続け、楽しいことなど一つも起きないのだから、今の内に思い切り遊んでおこうと思っただけ。これから酷使されるであろう眼球に、ささやかな栄養を補給しておいただけなのだ――。


 朝食兼昼食を食べ終え、僕は早速、英語の課題に取り掛かった。教科書の所々に差し込まれている文法問題は、基礎問題が中心で難易度は低いのだが、如何せん量が多い。英語学習、特に文法に関する学習自体があまり好きではないという理由も相まって、これには意外な苦戦を強いられた。


 食事の後片付けを買って出た縁も、皿洗いが終わると合流し、昨夜に引き続き世界史の穴埋めをゆっくりと、それでも着実に解いていった。


 途中、隠善兄妹のことについて、魔女に話しておかなければならないかとも考えたが、それはまた後日にという結論に落ち着いた。あの黒い鬼の騒ぎがあり、疲弊している魔女にこれ以上追い打ちをかけるのは、寝不足の身に鞭を打っている同士として、憚られたためである。


 無論、隠善鏡花の身に起こったことが、緊急性の低い事案であると思われたことも、そのような結論に至った理由の一つだった。確かにあらたの妹の衰弱の仕方は異常だったが、その異常は既に収束している。終わったことを報告するために、絶賛鬼退治中の魔女をわざわざ呼び立てることもない。念のため報告を入れるにしても、それは鬼との決着がついてからで良かろう。


 ――それに……。


 昨夜の別れ際の台詞が頭に残っている。


 ――いつまでもこの町に滞在し続けるわけではない。


 彼女がいなくなってからも、僕は一生、この見え易く、巻き込まれ易い体質と付き合っていかなければならないのだ。いつかは折り合いをつけ、せめて身の回りのこと程度なら、自分だけで対処する力を身に付けてゆかなければならない――。


 「おわたー」


 午後四時を回り、日が傾き始めた頃、黙々と作業に没頭し続けてきた縁が、ぷふーと大きく息を吐き、背後に倒れた。


 「目が、目がぁ~!」


 左腕で目を覆い、もがくように右手を天に向かって伸ばしている。どうやら重度の眼精疲労に苛まれているらしい。名高くも誇り高きドラゴンにあるまじき疲弊ぶりだった。


 「丙ぇ~。晩御飯はまだなのかぁ~」


 「まだ四時でしょうが。夕飯はちゃんと作るから、ポテチでも食べて待ってろよ」


 「ポテチとは味気ないのぉ。じゃあテレビは? 今日は朝のニュースもろくに見ておらんぞ?」


 「ニュースなら良いけど……」


 本当は気が散るのであまり良くはないが、生粋のテレビっ子であり、卑しん坊でもある縁を、テレビと食事の両方をお預け状態にして待機させるのは酷というものだった。


 縁はテレビを点け、ベッドを背もたれにしてちんまりと座った。チャンネルが一周したところで、唯一この時間にニュースを放送しているローカル局にチャンネルを合わせた。丁度始まったところであるらしい。


 僕はその音声と隣の縁の気配を無視して、思索、もとい詩作に耽った。


 夏休みをテーマに短歌を十首。何度考えてみても、甚だ理不尽な課題である。夏休みに入る前、最後の現代文の授業でこの課題内容が生徒たちに伝えられ、教室が非難轟々の嵐に包まれたのも、今となっては頷ける。


 あれだけの騒ぎになっておきながら、昨日までこの課題について失念していたというのだから僕は信じ難い間抜けである――。


 自分と担任への堪え難き苛立ちを無理矢理押さえつけ、僕は集中力を高めた。


 「のう、丙」


 一瞬で邪魔が入った。テレビを見ていた縁が僕の肩を叩く。


 「今集中し始めたところなんだけど……」


 「いやしかしお主よ。ほれ、テレビを見てみよ」


 「テレビ……?」


 言われた通りテレビに目をやると、夕方担当の男性アナウンサーがニュースを読み上げている。映っているのは、どこかの病院の白い外観――。


 「……ん?」


 いや、どこかの、ではない。確かに見覚えのある建物だ。


 「これって」


 「これは、この近所なのではないか?」


 「ああ、……そうだな」


 ここから自転車で二十分もしないところにある、隣町の総合病院が、テレビの画面に映し出されていた。


 スーツのアナウンサーが平坦な口調で原稿を読む。


 『三年前から行方不明になっていた少女(当時十歳)が、一昨日朝、市内の歩道で倒れているところを発見されました』


 画面は転換し、今度はここから徒歩二、三分のところを走るバス通りを車が行き交う様子が映し出され、詳細をアナウンスし始めた。


 『消防によりますと、二十四日午前七時半頃、人が倒れていると消防に通報があり、意識不明の状態で倒れている少女を発見、市内の病院に搬送したということです。その後、身元の分かる所持品を持っていなかったことなどから、消防が警察へ通報し、三年前から行方不明になっていた少女であることが判明しました。搬送先の病院は、取材に対し、少女は重篤な栄養失調に陥っているものの命に別状はない。既に意識も回復している、と説明しました。警察は少女の体調が回復し次第、行方不明中の足取りなど、詳しい状況を聴取することにしています――』



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