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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
五章 ある少女の解放
77/92

<は>

 到着した頃に降り出した雨は昼過ぎに一度止み、それから一時間程でまた更に激しい雷雨になった。


 今日の天気は晴れ時々局所的に雷雨、但し夕方までには大気も安定するだろう、とのことだった。


 この辺りがまさにその局所なのだろう。窓越しに見る外の景色は、間断なく降りしきる雨粒によって押し流され、時折走る稲光は、凄まじい轟音を伴って腹の底を震わせた。


 外出する予定のない日の雨は嫌いではない。嫌いではないどころか好ましいとさえ言える。それも大雨であればあるほど好ましい。すぐ近くの野原に雷でも落ちようものなら最早言うことはない。


 窓というスクリーンに映る壮大な気象ショーにはいつも胸が躍らされる。災害のリスクを考えればあまり喜んでもいられないのだろうが、家の中、建物の中から安全に大雨の景色を眺めるのは昔から好きだった。


 ――雨は心に溜まった汚れを洗い流してくれるから……。


 とか、そんなモノローグの中で語ることすら恥ずかしい理由があってのことではない。と言うか、特に理由があるわけではないのだ。ただ何となく、見ているのが好きというだけ。


 ともあれ、今日は嘗てないほど絶好の雷雨日和だった。近年稀に見る、どころの話ではない。それはまさしく、これまでに経験したことのないような大雨、だった。


 雲が溜め込んだ水気を、この辺りで全て吐き出そうとしているかのような、強く激しい雷雨。


 本のページを捲る手を止め、僕は暫くその光景に見惚れていた。そうして図書コーナーの隅っこで読書をしたり、外を眺めたりを繰り返して一人呆けていると、やがて雨が降り止んで、日の光が差し込むようになった。


 時間の経過を自覚して、時計を確認すると、いつの間にか時刻は二時半を大きく過ぎ、三時近くを示している。


 ――流石にお腹減った……。何してんだ、あいつ……。


 昼には合流すると言っていた縁が、いつまで経っても姿を見せない。飯を食うためならば、どんな雨の中だろうと、槍の降る中だろうと、隕石群の降る最中であろうと、自慢の鱗で弾き、意にも介さず馳せ参じる卑しん坊ドラゴンが、今日に限って待てど暮らせど現れない。


 こんなことは初めてだった。彼女、僕の家族であるところの縁は、人生の第一目標を『食べること』に定めている。いや、彼女にとって生きる事とは即ち食べる事なのだ、と言ってしまっても決して過言ではない。


 No food no life .


 意訳すると、『とにかく食わせろ!』


 それが彼女の残した格言なのである。


 ――まあ、僕だって食べなきゃノーライフになっちゃうんだけど……。


 とにかく、縁の食べ物に対する執着は凄まじいのである。こと食事をするという点に於いて、縁は一切の妥協を許さない。あらゆる逆境、あらゆる艱難辛苦を排して目標へと邁進する。それが彼女という生き物だ。いくら雷雨だからと言って、いくら読みかけの漫画が面白かったからと言って、それで約束の時間、約束された弁当を放置する理由にはならない。


 ――……ちょっと探しに行ってみるか。


 昼食を食べに現れない縁をいよいよ不審に思い、机に広げていた荷物をリュックサックに詰め込み席を立った。


 まあ、あの魔女をして正攻法では太刀打ち出来ないと言わしめた、人類最大の宿敵を本気で心配するわけでもないが、世間知らずの彼女のことである。どこかで誰かに迷惑をかけていないとも限らない。見かけの上とは言え、僕は一応彼女の手綱を握る立場にあるのだ。その責務は果たさなければならなかった――。


 ――自動ドアを潜って外に出ると、雲の切れ間から午後の日差しが降り注いでいた。濡れたアスファルトが、その日差しをちらちらと反射して、辺りには雨上がりの独特な臭気が立ち込めている。


 「――伊瀬!」


 突然大声で名前を呼ばれて、僕は慌てて声のする方を見た。


 僕のことを、伊瀬と呼ぶのは、今現在、担任教師であるところの米村先生を含め、全地球的に見ても三人しかいない。


 一人は先述の米村担任。もう一人は我が二年五組の学級委員にして犬神事件の主犯、犬上祐。そしてもう一人、七月の終わりに神様に登り詰めたクラスメイトの女の子、伏見空である。


 因みにそれ以外の知人、例えばクラスメイトなどは、業務連絡を伝えなければならない時などに限って、出来るだけ親しみを込めず、可能な限り他人行儀に、『伊瀬君』と呼ぶ――。


 「よ、よう……。伏見」


 伏見空。僕の数少ない友人。嘗て稲荷神もどきと呼ばれるものにまで己の精神を昇華させ、学校中の信仰を集めた、ショートカットの目つきの鋭い女の子。


 そんな彼女が、何故か部活の練習着と思しきずぶ濡れの半袖短パン姿で、エントランスの庇が作る影の外に立っていた。


 嵐の後の柔らかな風がそよと吹いて、濡れた髪を揺らした――。


 彼女と話をするのは、電話越しを含め、今日だけで四回目である。


 「どうしたんだよ、そんな恰好で」


 「伊瀬……」


 伏見の眼差しはいつになく凛としていて、決然としていて、僕の目を真剣に見据えていた。それでいてどこかに儚さを秘めているかのような、そんな形容し難い不思議な表情をしていた。


 最近はふざけてばかりいた彼女が、突然そんな顔をするものだから、なのだろうか。それとも、雨に濡れた黒髪が日に照らされて輝いて見えたからだろうか。彼女の雰囲気が、いつもより大人びていたからなのだろうか。


 僕はそんな彼女が、息を呑むほど、胸が締め付けられるほど、美しいと思った。


 だから――


 「伊瀬。私はお前が好きだ。一人の女として、お前のことを愛している。お前に好いてもらえるなら全人類を敵に回しても良いと思えるほどに、大好きだ。……だから、私の恋人になってほしい」


 という伏見の言葉に


 「はい」


 と、咄嗟に返事をしてしまっていた。


 返事をしてから、ようやく我に返った。我に返るのが遅すぎるくらいだった。


 ――僕は……、いや伏見は今、何と……?


 「え、えっと。……え?」


 言葉にしようとして、失敗。


 「……ひょっとしてなんだけど、今お前、僕に告白しなかった?」


 「ああ。ひょっとしなくとも私は今、お前に告白をした」


 ――そうか……。僕は今、告白されたのか……。


 ――…………そうか! 僕は今、告白されたのか!!


 「それはさっきの電話みたいな、と言うか、いつもみたいなおふざけで言ってるわけじゃ、ないんだよな……?」


 聞くまでもないことを聞いた。伏見の態度を見れば、彼女の告白が真剣そのものであるということは明らかだった。


 それでも聞かずにはいられなかった。彼女が僕のことを好きだなんて、好いてくれているだなんて、俄かには信じがたい話だったのである。


 「ああ。私はお前のことが本気で好きだ。それは手を繋いだり、頭を撫でてもらったり、キスしたりしたい、の好きだ」


 伏見は顔を赤らめながらも目を逸らさず、きっぱりと言った。どうしてそんな恥ずかしいことを臆面もなく正面から言えてしまうのか僕には分からなかった。が、それは多分彼女、伏見空がそういう人間であるから、としか言いようがないのだろう。彼女は正々堂々という言葉の化身である。


 「私からも質問なのだが、ひょっとして今お前、私の告白に対して、はい、と返事をしなかったか?」


 伏見は何故か目を白黒させた。相当に気が動転しているらしい。


 「言った……気がする。……いや、言った。確かに僕はそう言った」


 女の子の一世一代の告白に対する返答を、気がする、などとあやふやにして誤魔化そうなんて、へたれた真似をしては男が廃るというものだった。咄嗟に口走ってしまったこととは言え、撤回するなんてことは今更出来ない。


 信じられないことかもしれないが、僕はたった今、クラスメイトの女の子に愛の告白をされ、あろうことかそれを了承したのだ。まずはその事実を認めるところから始めよう。


 誠に恐縮ながら言わせてもらえば、女子からの告白は実はこれが初めてではない。果てしなく地味な小学校時代を送っていた僕ではあるが、まだ今よりも幾分無邪気さを残していた時分には、クラスメイトの女の子に放課後呼び出され、校舎裏で告白される、なんて甘酸っぱい経験も一度か二度くらいはしたことがあるのだ。


 クラスの中心人物に目を付けられ、今でこそ笑って話せる、ライトな迫害を受けていた頃にでさえ、そういうことがあった。


 世の中には、僕が如き『ザ・凡俗』にも、あまつさえいじめられっ子にもちゃんと需要があるらしい。教室の隅に棲む人間を好き好んでくれる人もいるというのだから、世界はきっと優しく出来ている。


 いやまあ、『あの程度の容姿、性能なら当然勝機はあるだろう』という打算のもと、高を括られ、足元を見られていたのかもしれないのだが……。だから、そこはやはり当然のことながら、クラスのマドンナ的美少女や、それに近しい所謂中心メンバーから告白されたことは一度たりとてなかった。


 そして、同級生女子からの告白に、思わずOKの返事をしてしまったのも、これが初めてだった。


 どうしてあんな簡単に、二つ返事をしてしまったのだろう。その場のノリや勢いでこんな重大な決断をしてしまうほど、僕は安易な人間ではなかったはずだが……。


 いや、理由ははっきりしている。


 雨に濡れた彼女の立ち姿が、あまりにも綺麗だったから。その息を呑むほどの気高さに気圧されて、見惚れて、思わず承諾してしまった。彼女の気持ちに応えたいと、思ってしまった。


 そこにきっと理屈はない。理由はあっても、理屈ではないのだ。本心からそうしたいと願ったから。口を突いて出てきたということは多分、そういうことだ。


 感情に理屈を求めるのは、余りにも無粋だろう――。


 「そ、そうか。……それは、良かった」


 伏見は力なく呟いた。


 「……伏見。えっと、僕はこういうことに慣れてない。……と言うか、初めてなんだけど、この場合どうすれば良いんだろう」


 不遜にも分不相応にも、これまで数人の女子の気持ちを無下にしてきた僕としては、告白が失敗した後、どういう気まずい空気になるのかは知っているが、成功したケースはこれが初めてなのだ。如何せん、どうして良いか分からない。


 「いや、まあ、私としてもこれが初めてなのだがな。告白するのも、告白に成功するのも」


 「へ、へえ。そうなんだ……」


 ――こいつ友達すらほとんどいないもんなあ。……まあ僕もそうなんだけど。


 なればここは、こちらが男らしく、スマートにリードしなきゃならないんだろうなあ。


 「……うーん。じゃあ、取り敢えず、握手でもしとく?」


 友好の証として、互いの手を握り合うというのは、極めて一般的な慣習であり、新たな関係を結ぶ際には古くより用いられてきた手法でもある。手始めとして、手を握り交わしておけばまず失敗はなかろう。


 「そ、そうだな。取り敢えず……」


 僕と伏見は固い握手を交わした。


 「…………」


 「…………なあ、伊瀬――」


 「待て伏見。その先は言わなくて良い。分かってる。分かってるんだ」


 ――これは何か、違う。


 僕たちはゆっくりと握手を解いた。


 ――恋愛経験のない者同士のカップルが成立すると、こんなにも悲惨なことになってしまうのか。


 近年では、中学生はおろか、小学生ですら異性間交友をするようになっていると聞くが、年端も行かぬ未成年でしかない彼ら彼女ら子供たちは、一体どうやってこういった局面を切り抜けているのだろう。恋愛教本でも読んでいるのだろうか。


 ――しまった。こういう時のことを想定して、恋愛関連の実用書にも手を出しておくべきだったか。……何だか僕の読書遍歴が著しく穢されてしまいそうな気がするけど、背に腹は代えられぬとも言うわけだし……――。


 「ところで。お前、何だってそんなずぶ濡れなんだ? そりゃあ水も滴る良い女とは言うけど、流石に滴り過ぎじゃないか? 絞れちゃいそうなくらいびしょびしょじゃん」


 仕方がないので、思い切り話題を逸らすことにした。男女交際云々のことは、後で心が穏やかになった時にでも考えよう。


 いや実際、気にはなっていたのだ。今日の彼女の行動は、少しおかしい。


 そもそもどうしてこいつは、雷雨の中、わざわざ電話で僕の居場所を確認して、恐らくは傘も差さずにこの場所へ駆け付けたのだろう。告白をするという目的があったにしても、それは今日の、それも最も天候の荒れた時間帯でなければならなかったのだろうか。


 状況から見て、伏見は雷雨の中を歩くだか、走るだかして、僕のいる地区センターまで馳せ参じたのだ。雷鳴の轟く、いつ災害が発生してもおかしくないような劣悪な気象状況のもと、危険を顧みず彼女はここへやってきた。


 一見愚かとも思えるそんな行動に、彼女を駆り立てたものは何だったのか。問い質すつもりはないが、正直気にはなる。


 ――それに、何かいつもと匂いが違うし……。


 「ちょっと色々あってだな。私がここに来るまでには様々な紆余曲折があって、紆余曲折と言うか、右往左往と言うか……。まあ大したことではない。少なからず人様に迷惑はかけてしまったが、そのことについてももう和解は成立している」


 「へえ、よく分かんないけど。和解したってんなら重畳だ」


 ――全然何が言いたいのかは分からんが。


 「要するに、だな。私は今日、雨に打たれてでも、雷に打たれてでも、お前に告白したかったのだ。そうしなければ収まらなかった」


 「収まるって、何が……」


 「気持ちが、だ」


 伏見は照れ臭そうに、些か気まずそうに頬を綻ばせた。


 普段はどちらかと言えば男っぽいところのある彼女だが、こんな風に女の子らしく笑うこともあるのかと、思わず感心してしまった。


 ――こんな可愛い子が、僕の彼女になった、のか……?


 ……うん。ちょっと理解が追い付かない。


 と言うか彼女って何だよ!? 少し好きって言われただけでもう彼氏面かよ、僕って奴は! 図に乗るな。調子に乗るな。まだ焦るんじゃない、伊瀬丙! 落ち着いていけ!


 「ほら、タオル……」


 極力平静を装って、僕は背中のリュックサックからタオルを取り出した。流石に新品ではないが、今日はまだ使用していない。伏見も伏見で、あまり潔癖な方ではない、と言うより寧ろ心配になるくらい頓着しない方なので問題はなかろう――。


 案の定伏見はタオルを受け取って、何も気にせず顔を拭き、頭を拭き、体を拭き、最後にもう一度だけ布地に顔を埋めて、全身の水分を拭き取っていった。


 「うん。ありがとう。堪能した」


 幸福そうな笑顔だった。


 「堪能って、タオルを貸したくらいのことでそんな大袈裟な」


 ――風呂を貸したわけでもないのに。


 「良い伊瀬成分だった」


 「……!」


 ――こいつ、どさくさに紛れて臭い嗅いでやがった!


 普通に鳥肌が立った。付き合いたてほやほやの彼女の言動に、僕はぞっとしてしまっていた。


 「……お前はもう少し、自分の変態性を秘めることを覚えるべきでは?」


 「それは出来ない相談だ。お前も知っているだろう。私は嘘を吐くのが下手なんだ」


 「そりゃあまあ、知ってるけど」


 彼女は自分の気持ちに、どこまでも正直だ。嘘を吐くことを、何より敬遠するのが彼女という人物である。


 「それに……気持ちを押し殺していたら、お化けが出てしまうからな……」



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