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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
四章 ある少女の希求
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<漆>


 「伏見? ……だよな、お前」


 校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下、これから部活に行くであろう同じクラスの伏見空に、僕は思わず声をかけた。いや、正しくは、伏見空と思しき女子生徒に、である。


 彼女の後ろ姿を見ただけでは、それが彼女であると僕には断定することができなかったのだ。――一瞬別人かとも思った。だから、わざわざ、今更ながらに、名前を確認した。


 僕の声に振り向いた彼女の顔を見てしまえば、返事を聞くまでもなく、それは紛れもなく、他の誰でもなく伏見空本人だったが、しかしどう言い表したものだろう。――何となく、どことなく、普段の彼女とは違っていた。見た目は全く変わらないはずなのに、雰囲気も、空気感も、立ち居振る舞いも、昨日までの彼女とは異なっていたのだ。一日同じ教室にいて、気付かなかったのがちょっと不思議なくらいに。


 それはもう、不可思議なくらいに……。


 希薄で透明で空虚で儚気で朧気で、いつもの漲るような、溢れるような覇気がない。生気を感じられない。まるでどこかの誰かみたいに、存在感が薄い。


 それでいていつにも増して、綺麗なのだ。今にも崩れてしまいそうな、破滅的な美しさを今日の伏見は備えている。ドキドキどころか、ドキッとしてしまうほどの、息を呑むような美しさを……。


 いや、普段も綺麗と言えば綺麗なのだが、伏見空の容姿を一言で形容しようとすれば、綺麗より、格好良いという言葉がまず先に出てくるはずである。


 それが今日は違う。いつもとは違っている。具体的なことは何も言えないが、とにかく違うのだ。


 「そう。ワタシの名は伏見空。それで正しい」


 ――あれ? こいつって、こんな喋り方だっけ。もっとはきはき、さばさばした感じだった気がするけど。すげえ違和感。


 ……イメチェンか? はたまた遅めの高校デビューか?


 ……いや、ないな。ないない。それはあり得ない。


 そもそも伏見空という人物には、イメージチェンジという言葉がまるで似つかわしくない。伏見はイメージなんてものを、元々、気にしない奴なのだ。だからこそ僕は、彼女を尊敬しているし、上から目線を承知で言えば、認めている。


 「おい。どうしたんだよ、その話し方。何ふざけてんだ? 何かの為り切りか? 悪いけど、僕じゃあそういう類のボケには対処しきれねえよ」


 「為り切り。確かにそうかもしれない」


 感情を表さずに話す伏見。否、表さないのではなく、まるで感情そのものが消失してしまったかのようである。


 言葉の奥に心がない。本当に伏見と、人間と話しているのか不安になるくらい、表情にも口調にも起伏がない。


 「そうかもしれない、って」


 「……アニメとか、漫画とか、そういうことを言ってるのか? つまり」


 キャラクターへの為り切り。しかし、それこそ伏見はそんなキャラでもない。


 漫画なんて読まなそうだし……。


 「漫画やアニメ。はて、何のことだか、記憶にない」


 読まないどころか、漫画やアニメという概念そのものを知らないのか!? 流石にそれは世間知らず過ぎるだろ。


 「ワタシはこれから、部活へ行かなければならない」


 立ち話もそこそこに、伏見は向き直った。昨日とは違って、僕と会話しているような時間はないようだ。


 「あ、ああ。……そうか。悪かったな、引き留めて」


 そそくさと、伏見は部室の方へと走って行った。


 ――部活に熱心なのは相変わらず、か。


 ――それにしても、何だったんだ? 明らかに様子がおかしかったけど。何か思い悩んでいることでもあるのだろうか。あまり思いつめるタイプではないと思ってたけど。


 まあ、伏見とて年頃の女の子。僕の想像など及ばないような、事情があるのかもしれない。


 例えば……。早速女の子らしくない悩みではあるが、そう、部活動のことで悩んでいる、というのならあり得そうなことだ。いや、彼女に限ればそれ以外のことで悩むなんてことは考えられない。伏見は本当に部活のために生きているような奴なのだ。


 あれだけの努力をしているのだから、なんて、彼女の努力の全てを知っているわけではないが、しかし彼女の情熱の傾け方からして、部活で何か上手くいかないことがあれば、伏見空ほどの傑物でも変調をきたすくらいに悩んでしまっても仕方がない。きっと彼女は、青春の全てを部活に、バスケットボールに奉げているのだから、無理からぬ話だ。


 ――にしても、あの態度は気になるけど。


 「伊瀬。どうしたんだ? そんなところで考え込んで」


 と、後ろから声をかけてきたのは、犬上だった。伏見同様、体育館へ向かう途中なのだろう。


 制服姿だった伏見とは違い、こちらはもう既に準備万端、練習着に着替え、手にはバスケットボールシューズを提げている。


 「あ、うん。えーっと。お前もこれから部活か」


 「まあな」


 それにしても、これまでも何度か見かけたことがあるが、スポーツ選手らしい体格の犬上には、制服よりも練習着の方が良く似合う。同性の目から見ても、爽やかな好青年といった感じだ。純然たる日本人の、典型的な百姓体形の僕からしてみれば、羨ましい限りである――。


 「なあ。伏見、何かあったのか?」


 僕は犬上に質問した。


 犬上も伏見と同じバスケットボール部。男女の違いこそあれ、伏見に関する質問をぶつける相手としては打って付けだろう。勿論、僕が真っ向から質問をぶつけられる相手が、教師以外には犬上と、後は大目に見ても伏見空本人くらいしかいない、というのもある。


 「お前も気付いてたか。様子おかしかったもんな、あいつ」


 「いや、僕が気付いたのはたった今なんだけど。話してみて初めて気付いたって感じなんだけど、じゃあ、お前はもっと前から気付いてたのか、その口振りだと?」


 「まあ、気付いてたよ」


 犬上の勘の鋭さ、視野の広さは健在らしい。僕なんて、言葉を交わすまでは少しの違和感も認知していなかったというのに、伏見の異変をこいつはずっと前から見破っていたのだ。


 「どうしたんだ? あいつ。あれはちょっと、尋常な感じじゃなかったけど」


 「うーん。まあ、俺も詳しくは知らないけど、何か今、女子揉めてるらしいからなあ。今度の試合のことで」


 ――やっぱり、部活のことか。


 「揉めてるって、どんな風に」


 「そこまでは知らん。というか、推測は出来るけど断定は出来ない。……ただ、いや、こんなこと、憶測で言うべきじゃないんだろうけど」


 言い淀む犬上。


 「何だよ。煮え切らない」


 「あー、いやあ、そのだな。多分その揉め事の中心には伏見がいる」


 「へえ。何でまた」


 ――いやまあ、確かにあの性格では、何かと揉め事の中心になってしまってもおかしくないような気もするが……。


 「次の試合、あいつどうやら、レギュラーに抜擢されたらしいんだよ」


 「……つまり、じゃあ、それで揉めてるってんなら、そういうことか」


 それくらいしか、思いつかない。


 犬上の言う、次の試合、は三年生にとっては引退のかかった重大な試合だ。負けた瞬間、青春が終わる。そんな大事な試合のスターティングメンバ―に、まだ二年生である伏見が抜擢されたということは、それで揉め事が起きているということは、多分そういうことだ。


 部活動の、特に体育会系の先輩後輩関係は、かなり煩わしい場合がある。


 ――しかし、それしきのことであの伏見が、あれほどまでに、態度を豹変させてしまうくらいに、へこたれたりするだろうか? 内部事情を把握しているわけではないので、確かなことは何も言えないが、普段のイメージからして、たとえ揉め事の相手が先輩であっても伏見ならいつもの物怖じしない強気な物言いで一蹴してしまいそうなものだが……。


 「悪い伊瀬。俺ももう行かなくちゃ。練習始まっちまう」


 「あぁ、次期キャプテンが練習に遅れるわけにはいかないもんな」


 「さあどうだか。――んじゃ、まっ。また明日」


 走って体育館へ向かう犬上を、僕は伏見にしたのと同じように見送った。


 流石は県下有数の強豪校。男女ともに行動が機敏だ。練習に向かう時は走らなければならないというルールでも課されているのだろうか。


 ……リアルにあり得そうで怖いな。


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