<五>
「それで、お前は一体いつになったら帰るんだ?」
「帰るとは何じゃ?」
「……帰るとは、本来居るべき場所に戻ることだ」
「では私の本来居るべき場所とはどこじゃ? それは法律で定められておることなのか?」
「法律のことなんて、僕が知るか」
「ではお主はどうじゃ。お主の場合、お主はお主の本来居るべき場所とやらにおるのか?」
「居るね。この手狭なアパートの一室こそが僕の居るべき場所だ。ここ以外の場所は僕の居るべき場所じゃないと言って良い。世界に僕の居場所はここしかない」
――別に悲しくないからね? いや、本当に。
「ふむ。そうか。ではでは、どういう経緯でここがお主の居るべき場所と決まったのじゃ? 私も、その居るべき場所を定めるに当たって、参考にしたい。どうじゃ。何故ここがお主の居るべき場所なんじゃ。何故お主はここに居るべきなんじゃ?」
「そりゃあ、諸々の事情があってだけど、まあ最終的には僕がここに居たいからじゃないか?」
「そうかっ。そうかそうか。成程のう。つまり人間よ、人の本来居るべき場所、帰るべき場所というのは、居たいと思う、帰りたいと思う場所のことを指して言うのじゃな?」
――おっ、とうとういよいよなことを言うようになった。
実年齢からして中二くらいなのだが、中二の中二病患者というのも別に矛盾した話ではない。
「……まあ、普通ならな」
「相分かった。では私は最早、帰る必要はないのう。いや、少し違うか。私は既に帰っておる。帰り終わっておる」
「終わってねえよ」
何も終わっていないし、そもそも何も始まっていない。
「しかし人間。私はここに居たい。よって私の本来居るべき場所とはここなのじゃ」
「なのじゃ、じゃない。ここは僕の場所だ。定員一名、空なし。そもそも法律的に無理。よって却下」
「しかし、人間。法律を聞けばお主は分からぬと言う。これもだめ、あれもだめでは八方塞がりではないか。雁字搦めじゃ。身動きが取れん」
身動きが取れなければ、結果としてこの女の願いは叶ってしまうから、是非とも動かさなければなるまい。食べ終わった食器を片付ける前に、こっちの仕事を終わらせてしまいたい。
「何で僕がお前の法的な立場を明らかにしなきゃならないんだ。そんな面倒臭い頼み事をするなら、せめて六法と戸籍謄本でも持ってこい」
――持ってきても読まないけど。
「むう。のう、人間よ。そう、けちけちするでない。困った時はお互いさま、と言うじゃろう?」
「何を言っている。困った時はお互い邪魔って言うに決まってんだろ?」
「おいっお主! いつから世の中はそんなに世知辛くなったのじゃ!?」
「世知辛い? 少し困った顔を見せただけで見ず知らずの他人から、全うな衣服とスーパー美味しい夕飯を恵んでもらえる世の中だぞ。世知辛くなんてないわ。世知甘いわ」
「世知甘い!? 何やらむず痒い語感じゃ」
――そのままもんどり打って帰ってくれれば良いのに。早々にご退場してくれれば良いのに……。
楽しかったからって、いや楽しかったからこそ、すっぱりときっぱりと綺麗さっぱり切の良いところで、僕はこの晩餐会を終わりにしたい。
何しろ僕にはまだやるべき家事が残っている。明日も学校がある。早く起きて洗濯物を干して朝ごはんを作らなければならない。こんな不毛な会話に付き合っている暇などない。
「ともあれ、お前の帰るべき場所はお前の家だ。お前の実家、お前の生家にとっとこ帰れ。この時間だし、送ってやるから。どうせ近所なんだろ?」
あんなところで釣りをしてたくらいなんだから、と皮肉を言ってやろうかとも思ったが、その釣りにまんまと引っ掛かってしまった僕も僕なので自重する。最終的には釣りというよりは銛付き漁のようだったが、原始的な漁法に仕留められたのが恥ずかしくて悔しい。
「実家と言われても、私には人間のように親というものがないからのう。どこが実家なのやら、私には皆目見当がつかぬ」
ここにきてこの話の展開。思わずため息が漏れる。
「良いか、人間。今はもう九時。お子様は家に帰って寝る時間なの。だから、お前が後生大事に温めた設定集を悠長に紐解いてる時間はない。僕だってまだ高校生なんだから、十一時過ぎたら補導の対象なんだからな」
下らない話をしている間に、もうこんな時間だ。七時くらいから夕食を食べ始めたから、二時間くらい僕は見ず知らずの未だに名前も知らない女とくっちゃべっていたのである。飽きもせずよくもまあ話題があったものだ。
「……そうか。分かった。ならば仕方がない。大恩あるお主にこれ以上の迷惑を掛けるわけにもいかぬしの」
「急にしおらしいじゃないか。というか、迷惑を掛けている自覚はあったんだな」
「馬鹿にするでない。私とてこんな行動が人間界の常識に即していないということなど分かっておるわ。他に方法がなかったので仕方なくそうしたまでじゃ。あくまで試運転というか、応急処置というか、ここまで手間取るとは正直思いもしなかったがのう。しかしまあ、其方のお蔭でひとまずは助かった。感謝する。実家というのは私には分からぬが、生家というのならそれに近しい場所はある。お主の言う通りこの近所じゃ」
――親がいないのに生家はあるって、無性生殖で生まれたのか? こいつは。
しかし幸いにもようやく帰ってくれる気になったらしい。最悪警察沙汰にするつもりもあった僕からしてみれば、これは嬉しい申し出だった。変態とは言え、年端もいかぬ少女を警察に差し出すことについては、僕とて気が引ける部分があったのだ
「その服、お前にやる。あとサンダルも。返さなくて良いから、あんな格好は二度とするなよ」
流石にさっきまでの半全裸状態にして送り返すわけにもいかない。これからこの女の家まで送っていくに当たって、隣をあの格好のまま歩かせては僕の沽券に関わる。
かと言って、こいつともう二度と関わり合いにはなりたくないので、服の返却は諦めよう。
パーカーに関しては僕の主戦力の一角だが、致し方あるまい。ファッションには余り頓着しない主義でもあるし、この女と出会ってしまったのが運の尽き。安物の服一式とサンダルで縁が切れるなら、寧ろ喜ばしいことだ。
「世の中、僕みたいに無害な人間ばかりじゃないんだから、気を付けろよ」
「うむ。そうじゃな。毒にも薬にもならぬとはお主のことじゃ」
「僕をその諺の化身みたいに言うな。少なくとも今日のお前には薬にしかなってねえよ」
「そうじゃったか? ではこれじゃな。箸にも棒にも掛からぬ」
「だから、僕の人間性を見事に言い当てるな。自分で言うから許されるんだ、そういうのは。人から言われたらただの胸に刺さる言葉だよ! しかも妙に的確なところが腹立つ」
「すまんかった、すまんかった。楽しくてつい、この時間を引き延ばしてしまいたくなったのじゃ」
「……」
「お? 何じゃ? 何じゃ何じゃ? ぐっときたか? ぐっときたのか? ムラムラしたか? それはそうじゃろうのう。私ほどの可愛い女子にそうまで言われてしまえば、男として心が揺れてしまうのも仕方のないことじゃ」
「それを言わなきゃ、ぐっときてたかもな」
冷え切った眼差しで僕は言う。布きれ一枚で外界を闊歩するようなイカレた中学生などに、僕はこれっぽっちも心を動かされないと、そこは断じて否定する。
「不健全男児め」
「お前の方がよっぽど不健全女児だ。おら、行くぞ。案内せい」
着て欲しくなかったコスプレローブを上に羽織って、女は外へ飛び出した。四月の終わりとは言え、夜はまだ冷える。脱いでくれとも言えず、僕は夜の町を奇々怪々な女を連れて、彼女の帰るべき場所へと送り届けるのだった。