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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
三章 ある罪の報酬
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<21>


 結局犬上は、自らの犯行を学校側に打ち明けた。その自白がどこでどのように為されたのか、僕は現場に立ち会ったわけではないので知らないが、話を聞いた米村担任はさぞ驚いたことだろう。あの人のことだから、犬上の言葉を疑ったりはしなかっただろうが、滅多なことでは狼狽えない偉大なる我がクラスの担任も、流石に度肝を抜かれたはずだ。犬上祐が非行に走ったなんて、きっとあの先生でなければ信じなかっただろう。犬上祐という生徒への信頼は、それ程までに立場の別なく絶大である。


 犬上が罪を打ち明ける相手は、米村担任でなければならなかった。僕が昨晩犬上に彼女を推薦したのにはそういう配慮があった。


 まあ、そんな厚かましくもお節介な配慮がなくとも、彼の明晰な頭脳なら、相手に自分の供述を信じ込ませるための手段など、いくらでも思いつくのだろうが、あの担任は話が通じる以上に、気の利く人物であるからそうした方が良い、というのが犬上にも隠している僕の本音である。


 結果として事の真相は、犯人である犬上と目撃者の僕、そして犯行を打ち明けられた米村担任の三名だけが知るところとなった。と言っても、犬上が僕の助言通りに自白したならばだが、米村担任は犬神、あの世にも不気味な化物に関することは知らないはずである。きっとそれは他人に言うようなことではないのだろうし、言ったところでどうにかなることでもない。その辺りは、四月の終わり、僕の出遭った少女が伝説のドラゴンであったことを明らかにしなかったのと同じだ。


 何はともあれ、色々あったが、二年五組のクラス委員、出席番号五番、誰からも愛され、誰にでも優しい我が校一の人気者は、二日ぶりに学校へ登校し、いつもながらに席に着いた。窓際の、僕の座る前の席である。


 「よお、伊瀬。おはよう。」


 なんて、気さくに挨拶をしながら。


 「お、オハ、ヨウ。」


 ――突然そんな慣れないことをされたものだから、吃驚して片言風な返事になってしまった。いや本当に、こんなことは今まで一度だってなかったのだ。朝に顔を合わせただけで、挨拶をされるなんて、一度も。


 一日中、一声も発さず帰宅することも珍しくなかった僕にとって、それは当たり前だった。


 「今日も暑いなあ。」


 「……まあ、夏だからな。」


 どういうつもりなのだろう。この男は、何で今日に限ってこんなに話しかけてくるのだろう。何か良からぬことでも考えているのだろうか。袖の下、でも用意しているのだろうか。


 不思議だ。不可思議だ。だから僕は本人に確かめた。


 「犬上、何で僕に話しかけるんだ?」


 ど直球ど真ん中、工夫も小細工もない、突き刺すような質問である。いくらなんでも不愛想に過ぎるか、と後悔したころにはもう僕の口から洩れていた。


 考えてもみれば、同級生が同級生に話かけることなんて、どこまでも普通な行いだ。朝の挨拶を交わすのは初めてだったが、月曜日にも水曜日にも木曜日にも、僕は犬上と会話している。


 今更驚くようなことではない。犬上祐はそういう変わった人物であり、そういう普通な人物であると僕は知ったばかりではないか。初めての行事に気が動転していたとは言え、余りにも不躾過ぎた。


 ――しかし、僕の後悔なんてどこ吹く風、犬上祐は更に信じられない答えを僕に返したのだった。


 「何でって、そりゃ友達だからじゃないのか?」


 トモ……ダチ……?


 はて、


 「何だそれは。僕の辞書にそんな言葉は載ってないぞ。」


 吾輩ノ辞書ニ、友達ノ文字ハ無ヒ。


 「欠陥品なんだな。その辞書。」


 ぐぬぬ。中々的確に返しやがる。


 「友達がいないというだけで、人としてまともじゃないみたいに言うな。世の中にはなあ、友達のいない人間も実在するんだよ。ノンフィクションなんだよ。お前みたいに、友達百人いる奴には分からないかもしれないけど。」


 お前みたいに、純粋な奴には、そんなこと信じられないかもしれないけど……。


 「へえ。でも伊瀬は違うだろ。」


 相変わらずの曇りなき眼。どうやら本気で言っているらしい。こいつは本気で僕に友達がいると思っているらしい。


 「違わないよ。僕こそがノンフィクションぼっちの第一人者だよ。」


 頭が高い。控えおろう。


 ……と言うか、言わせんなよ。僕がいつも一人で弁当食べてんの知ってるだろ、お前は。


 「だから、俺がお前の友達だから、お前はぼっちじゃないだろ。」


 …………。


 「何言ってんの? 犬上。お前非常識にも程があるぜ。」


 全く、これだから天才は。庶民の常識を知らないんだから。仕方がない。僭越ながらこの僕が庶民を代表して、道理を弁えないぼんぼんの若造に世の常識というものを教えて進ぜよう。


 「僕とお前は友達じゃない。僕に友達はいない。設定を崩すな。世界観を乱すな。大前提を揺るがすな。」


 それはこの世界の、理だ。


 「そんな理はお断りだ!」


 だ、駄洒落! 駄洒落だと! こいつって駄洒落とか言う奴だっけ!? クラスどころか、学校一の人気者なのに。しかも絶妙に面白くない! 僕が言ったら、何事もなかったかのようにスルーされるレベルの発言だ。無反応という名の総攻撃を喰らうレベルだ。


 ……と言うか、こいつ本当に人気者なのか? 本当だとしても、何でこんな馬鹿みたいなこと言ってる奴が人気なんだ? 分からん。……いや、分からないからこそ、友達がいないのか?


 「でも、そっか。俺とお前は友達じゃないか。」


 ありゃ。調子に乗ってちょっと過激に言い過ぎたかな。駄目だ。まだこの僕にとっては特殊なイベントにアジャストし切れていない。友達だろって言ってる奴に、いいえ違います、なんて冷静に否定するのって、結構残酷な発言だよな。あれ、でも友達だろ、なんて脅し文句を使ってくるような奴は、そもそも友達じゃないんだろうから……うーん、しかしそれも状況によるか。その言葉自体がそのままいつでもどこでも天下御免の脅し文句になるわけでもないんだろうし。ただの確認という、ケースも当然想定されるわけで……。


 「だったら伊勢。俺と友達になってくれ。」


 ――下らない考えがまとまらない僕に、犬上はまたしても追い打ちをかけた。


 アブラゼミの喧しい七月の暑い日。午前八時三十分。朝のホームルーム前。登校してきた生徒たちが教室に集まり始める時間帯。その声は、何故だか不思議に教室中に響き渡り、二年五組に流れる時間を停止させた。同輩たちの話し声も消え、場は静寂に包まれた。外の猛暑に反して、凍り付いたような空気である。


 こいつのこと、空気清浄機みたいだな、なんて思ってた時期もあったけど、とんでもない。瞬間凍結機の方が正しかった。気体からそのまま固体にするとか、超絶的な性能だ。クールビューティーが売りのあの伏見でさえ、目を見開いている。


 「友達になって欲しい。」


 え? え? 何? 嫌がらせ? 何の見せしめなの? 公開処刑なの? 何でこいつ、こんな静まり返った状況で臆面もなくそんな恥ずかしいこと言えるの? 最近じゃ小学生でも言わないよ、そんな台詞! 体育の時といい、実はこいつ、僕のことを社会的に抹殺しようとしてるんじゃないのか? 何だよ、この空気。犬上の発言なのに、僕に対する辱めでしかない!


 「おいっ、何か告白されたみたいで、スーパー恥ずかしいんだけど!」


 静寂も収まり、なんて変な言い方だが、教室が喧騒を取り戻し、僕と犬上への注目が解消されたところで改めて抗議する。


 ――今すぐにこの場から退散したいくらい、居心地が悪い。胃が痛い。顔が熱い。帰りたいほど恥ずかしい。


 「恥ずかしい? 恥ずかしい事なんて、一言も言ってないはずだけど。俺はただ友達になってくれって言ってるだけだ。」


 周囲の目を気にして、こちらは小声で話しているのに、犬上の方は声を潜める素振りもない。寧ろいつもより大きいくらいだ。普段は出鱈目な勘の良さなのに、何で今に限って鈍いのだろう。


 ……あぁ、すったもんだあってすっかり忘れてたけど、そういえばこいつ、天然なんだっけ。天然で天才なんだっけ。嫌だなあ。天然ってだけで理屈が通じにくいのに、その上天才なんだもんなあ。感性が違い過ぎる。僕が一番苦手なタイプだ。


 まあ、苦手だからって、嫌いなわけでもないんだけど。


 「そもそも友達なんて、なろうとして無理矢理なるもんでもねえだろ? 自然と仲良くなっていた人物のことを指して、僕は友達と呼ぶんだと思うよ。」


 自然の成り行きに任せた結果、僕には未だ友達がいないんだけど。だがそれはそれで良いのだ。それは僕が人間関係で無理をしていない証拠でもあるし、無理をしてまで築きたい人間関係がなかったということでもあるのだから。結果は結果として、しょうがないことではあるし、しょうがないなどと悲観するようなことでもない。


 友達がいないからと言って、それがそのまま不幸だなんて、僕には通らない理屈だ。少なくとも、縁と出会ってから数か月、相も変わらず僕には友達がいなかったが、十分過ぎるくらいに幸せだった。


 「それに、要望と了承で築かれる関係なんて、何だか契約みたいじゃねえか。」


 要求に応じて友達になって『あげる』みたいで、対等でないかのようだ。僕の中では対等でないということは、即ち友達でもないということだ。


 「へえ。やっぱりお前って、変わってるな。そんな風に考えるのか。まさか友達になってくれ、っていう話から、契約だかの話になるなんて。もっと単純なもんかと思ってた。」


 まあ、結構口から出まかせなんだけどね……。


 「いや単純だよ。僕にとっての友達が、互いに何を言っても大丈夫な間柄のことをさして言うってだけだ。そこに上下関係みたいなものがあったら、どっちかが我慢したり、気を遣ったりすることになるだろ?」


 何も考えずに、思ったことを口走ってしまっても崩れない関係性。それがストレスのない友人関係というものだ。


 「いやあ、俺はてっきり、伊瀬とはもう友達なんだと思っちゃってたぜ。吃驚したあ。」


 「中々聞かない台詞だな。」


 僕の屁理屈の所為なんだろうけどさ。


 「何でお前、そんな風に思っちゃってたんだよ。こっちが吃驚だよ。」


 「ほらだって、」


 ここでようやく声を落として。


 「昨日のことがあったから。お前、俺を助けてくれただろう? だからそうなのかなあって。」


 「いや、僕はただ、お前のことを否定しただけで」


 犬神を、お前の真実を、信条を否定させただけで


 「何もしてねえよ。」


 助けてなどいない。少し邪魔をしただけだ。


 「いや、それは違う。」


 ――強い口調で、今度は犬上が僕の言葉を否定した。


 「俺が助かったと思ったんだから、お前は俺を助けたんだよ。」


 言い切って。


 「同じことで何度もお礼を言われるのは、迷惑かもしれないけど、俺はお前に感謝してるんだぜ。お前のお蔭で、俺は死なずに済んだし、誰も傷付けずに済んだんだからな。だからありがとう、伊瀬。」


 僕が犬上を助けたなんて、やっぱり思えないが、僕のしたことが犬上の心境にどのような変化を生んだのかは知るべくもないが、しかし感謝までをも拒む意味も理由もないということは既に学んだことでもある。こそばゆいが、それはそれとして素直に受け取るべきだった。


 ……ああ、そう言えば、こいつって、恥を恐れない奴なんだった。


 「いやしかし、伊瀬と友達になるためのハードルは高いらしい。」


 平素の明るさを取り戻し、犬上は言う。


 ――そんな風に言われると、耳に痛い。耳に痛いし、尚更恥ずかしい。


 偉そうなことを言っているが、僕はただ単に、自分の心身にストレスが掛かることを恐れているだけなのである。人付き合いに、過剰にストレスを感じてしまうというだけなのだ。他人の問題ではなく、僕自身が、弱いだけなのだ。


 僕の怠惰は未だ健在だ。


 だけどそれでも、多少の改善傾向は見られている気もする。最近の話だと、まああれはあちらが脅しに近い形で近づいてきたという面もあるのだろうが、伏見空という女子生徒と暫く言葉を交わすこともあったし、犬上の件も、こちらはこちらで救援依頼に応えた形ではあったが、余りにも個人的な事情にまで踏み込んだりもした。改善の証拠となるのかどうなのか、あれ程盛んだった担任との面談という名のカウンセリングも近頃はめっきり開催されなくなった。それが本当に改善なのかは分からないが、何にせよ、犬上が嘗て指摘したように、竜と遭遇したあの日から、僕の内面は大なり小なり、良い方へか悪い方へか、変化しているのだろうと思う。


 「それで、結局俺は、お前の友達にはなれないのか?」


 犬上が最初の話に戻す。出来れば戻って欲しくない話だった。


 竜を家に招き入れておいて、今更こんなことを思うのはおかしいのかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。高校二年生にもなって、こんなことで照れてしまうことが恥ずかしい。


 「……まあ、なれたらなろう。」


 なれたら良いなと、思うのだった。



 ――この日から凡そ一週間後、僕はとある噂を耳にした。今まで一度だって聞いたことのなかった、犬上祐に関する噂話である。犬上祐、人生で二度目の不運である。


 犬神の効力が切れれば、犬上の尋常ならざる幸運もまた終わる。もしかするとこれは、その兆しなのかもしれなかった。


 何でも、学校一の人気者、二年五組のクラス委員、成績優秀、スポーツ万能で有名過ぎる程に有名な、あの犬上祐が、どこの馬の骨とも分からない正体不明の男子生徒と、最近友達になった、ということらしい。


 嘘か実か。真相は分からない。境界はいつだって曖昧だ。絶対の真実なんてこの世にはない。


 だけど僕は知っている。竜や魔法や犬神から、僕はもう学んでいる。


 時に、嘘から実の出でることを。



 三章<ある罪の報酬>これにて完結です。お付き合い頂き有難うございました。

 今回はと言いますか、今回もと言いますか、かなりふわふわした感じのまま書いてしまったので、今後大幅な加筆、修正等を実施するかもしれません。続編につきましては現在構想中ですので、また暫くお待ちください。

 ご指摘、ご質問、ご感想等御座いましたら是非にお願い致します。それでは続編にてまた。

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