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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
三章 ある罪の報酬
47/92

<14>


 犬上の自宅は古式ゆかしい日本家屋だった。いや日本家屋と言うより、武家屋敷と言った方が、正しいニュアンスが伝わるだろうか。


 歴史の教科書に出てきそうな、門の脇に無粋なママチャリを置いてしまうのが申し訳ないくらいに立派な邸宅である。


 広大な平屋の建物に、これまた広大でわびさびの効いた日本庭園、奥ゆかしくも爽やかな藺草の香り。詩心のない僕でも、一日ゆっくり庭を眺めていれば、何か良い句の一つでも湧いてきそうな雰囲気だった。


 「それはそうと、わびさびって効くものだったっけ。わさびみたいだな」


……前言撤回。こんな馬鹿みたいな感想を独り言ちているような人間からは一句どころか、生産性のあるものは何も生まれないだろう。


 「適当に座って」


 犬上が案内した、三十畳はあろうかという見たこともないような大座敷に、凡庸なる僕のごく一般的で庶民的な感性では、『柔道の練習し放題だな』くらいの感想しか思い浮かばなかった。適当と言われても、どこがこの場合適当なのかもよく分からないくらいに未知の広さだった。


 「何と言うか、凄い凄いとは聞いてたけど、次元が違う」


 「え、何が? ああ、ごめんごめん。今お茶淹れるから、ちょっと待っててくれ」


 いや、何がって……。


 まさかこいつは、こんな家が日本人の住居のベーシックだとでも思っているのだろうか。全国津々浦々の、数千万にも上る世帯それぞれがこれだけの敷地を使っていたら、国土がいくらあっても足りないだろう。


 ――座卓の前に敷かれた座布団にどうにか腰を落ち着けて、優美にも質素に飾られた座敷の、掛け軸やら茶棚やらを暫く眺めていると、来客用と思しき湯呑茶碗に茶を淹れてきた犬上が戻ってくる。


 ただでさえ人の家に遊びに行く経験をしたことがないのに、初めての家庭訪問がこのような上級者向けコースだなんて、もうどうしたら良いかわからない。何か不作法を許さないような、自然と背筋が伸びてしまうような、不思議な緊張感がこの部屋には、この家にはある。


 一先ず、気を落ち着けるために出された日本茶を自信なく一口啜る。そんな茶の一口でさえ、いつも飲んでいる、農協から仕入れている安くてそこそこ美味しい煎茶とは比ぶるべくもなく、別格で、その所為でまた緊張してしまう。


 そりゃあ、いつも出涸らしになるまで使い回してるけど、にしたって味が全然違う。甘味と渋みと香りのバランスが絶妙だ。茶葉は勿論、淹れ方も違うんだろうな。何かぬるめだし。しかしまさかお茶の一杯でこんな感動することになろうとは。これは縁にも飲ませてやりたい。


 「ご両親は、いないのか?」


 家にお邪魔しているのだから、挨拶くらいはしなければと思ったのだが、しかし玄関の鍵が閉まっていたことと言い、この静けさと言い、返事を聞くまでもなくどうやらこの家には今現在僕と犬上の二人きりということらしい。


 「ああ、今は二人共出掛けてる」


 「そっか。――それで、さっきの話だけど」


 そう。僕がこの家に招かれたのには、理由がある。帰りに学校の近所の友達の家でたむろしにきたわけでは断じてないのだ。僕と犬上はそもそも友達ではない。


 この男は、友達ではない僕を家に招き、友達でもない僕に、罪を告白しようとしている。その魂胆が全く分からないし、その言葉が信じられない。


 犬上があんなことをするはずがない。証拠などないが、犬上祐であるというだけで、犬上祐は被疑者の候補からは外される。犬上は犬上だから、犯人ではない。傍から見れば愚かな推理なのだろうが、多少なりとも犬上を知る人間ならば、誰しもが同じ判断を下すはずだ。論より証拠とは言うが、彼を前にしては論も証拠も些細な問題だ。犬上への信頼はそれだけ絶大である。住む世界の違う僕でさえそう感じているのだ。もっと近しいものならば尚更そう感じていることだろう。


 「お前がやったって言ってたけど、何かの冗談だろ? だってお前は……」


 犬上祐なのだから。


 それ以外の言葉が見つからない。何故なら、それ以上に強力な論拠などこの世界には存在しないからだ。


 それでも僕は理由を探した。犬上が犯人ではないと、理論的に説明できるような理屈をこねた。答えだけが分かっている問題の、辻褄合わせの途中式をでっちあげるような、そんな作業だった。


 「……お前には、動機がない。わざわざ教室の窓を割って、お前に何の得がある。盗まれたものは何もなかったんだ。つまり、あれをやった奴の目的は、教室の窓ガラスを割ることだったってことだ。お前がそんな愉快犯みたいな、愚かしいことするわけないじゃねえか」


 犬上祐は僕の知る限り、最も賢明な男だ。少々抜けているところはあっても、悪事に手を染めることなんて在り得ない。


 「……なあ伊瀬。何でお前は、そんな風に俺を庇おうとするんだ? お前って俺の事、大して仲が良いとも思ってないんだろ?」


 「いや、……正直言ってそりゃあそうだけど」


 僕と犬上は友達ではない。大して、どころか全く、仲が良いなどと思ったこともない。だけど、何故かは分からないが、犬上は犯人ではないと、そう思ってしまうのだから仕方ないではないか。


 犬上だから仕方がないのだ。


 「俺はそれが気持ち悪いと思うよ」


 まるで、犬上には別な世界が見えているような、唐突で辛辣な台詞だった。


 「どんなに俺が怪しくても、示し合わせたように、誰も俺を疑わない。そんなの、都合が良すぎて、気持ち悪い。――だってそうだろ。二年五組の教室の窓が割られた日、他のどこの教室でもなく俺たちの教室の窓ガラスが割られたその日、真っ先に疑われるべき三十三人の生徒たちの中で、学校を休んだのはこの俺だけなんだぜ?」


 ――まるで姿を隠すみたいに。ふいに、頭の片隅をそんな考えがよぎって瞬く間に消える。


 確かに犬上の言い分は正論過ぎる程に正論である。が、しかしそれでもどうしても納得し難い。反論の余地はないかと、穴を探してしまう。


 「それは」


 「そんな明らかに怪しい状況で、自白までしてるのに。なあ伊瀬。どうしてお前は俺を疑わない。何でまだ、お前は俺を擁護しようとする。俺を犯人にしないための言い訳を考えてる。お前はもう分かってるはずなのに。そんなのおかしいだろ。不自然だろ」


 「だからそれは! ……お前の普段の行いを見てれば、自然とそうなるだんだよ。信頼とか信用とか人望ってのは、そういうもんだ。お前が自白なんてし出したら、僕は普通に、冗談だと思うよ」


 でなければ、誰かを庇っているとか。


 「……」


 犬上は押し黙った。


 しかしそれは僕に説き伏せられたからでは決してない。彼は未だに、どうすれば自分の主張を僕に理解してもらえるか、真剣に思案している。彼自身の信用を覆すためのこれは沈黙だ。


 「そっか。分かった。それなら伊瀬、悪いけど、ちょっとついてきてくれるか」


 犬上は座敷を出て、来るときにも通った日の当たらない長い廊下を進み、玄関をくぐった。見せたいもの、というのは室外にあるらしかった。


 ――飛び石を越え、まだ火の入らない灯篭の前を過ぎ、密やかな竹林の小路を抜け、二分ほど歩いた頃だろうか。


 ――邸内を二分も歩くことが出来るなんて、やっぱり尋常じゃないな。


 などと心の中で簡単しているうちに、いよいよ犬上は、背の高い白塗りの蔵の前で足を止めた。自宅に蔵があるというのも最近では珍しい話である。日本人として少しばかり恥ずかしいが、蔵というものの実物を見たのはもしかするとこれが初めてかもしれない。


 堅牢そうな鉄の扉には、古びた錠前が下ろしてある。その鍵穴にいつの間にやら取り出した鍵を差し込んで、犬上は重い扉を開けた。


 ぎぃ、と蔵の歴史を感じさせる響きと共に、闇の中にほとんど落ちかけた夕日が差す。と同時に、仄かにカビ臭い、それでいてひやりと、夏には心地の良い冷気が中から溢れてくる。季節も季節、時間も時間ということもあり、昔の怪談話に出てきそうな絶妙な不気味さだった。


 「入ってくれ」


 犬上の後について薄暗い蔵の中へ入る。五、六歩進んで、埃っぽい室内の中央くらいに差し掛かると、犬上は再び足を止めて空中をまさぐった。


 何をしているのだろうと思う間もなく、カチッという音がしたかと思うと、いきなり光源が現れる。ややすすけたような白熱灯の明かりだ。


 ――ほぼ何も見えなかった蔵の中身が一気に明らかになる。


 左右と正面の壁際に、犬上の背丈に倍するほど大きな棚が備え付けられてあり、それぞれに正体不明の箱やら書物やらが雑多に置かれている。地震の時にはさぞ大変だろう。


 扉の横には木製の梯子が立て掛けてあって、高いものを取る時はそれを利用するらしい。尤も、暫く使われていないようで、嬉々として使いたくなるような外見ではない。


 床にも色々と物が散乱している。中には、何と書いてあるのか判読不能なほどの達筆で何かをしたためてある古ぼけた和紙や、箱書き入りの桐箱なども混じっていて、色々な意味で足の踏み場に困る有様だった。


 いや、よく見ると、やけに綺麗に片付けられて整理整頓されている一角がある。左側の棚の奥の方だ。恐らくだが、最近あのあたりから着手し、今はまさに整理の途中なのだろう。


 「刀なんかもあるんだぜ。まあ、どこにあるかは分からないけど」


 「それは、何と言うか……怖い。しかし、ここまでくると壮観だな。ザ・蔵って感じだ」


 ゴミみたいな感想だった。


 ――駄目だ。感覚が庶民的過ぎて辛い。何だよ、ザ・蔵って。これだけのものを前にして、もう少し気の利いた台詞の一つでも吐けないものなのか、僕は。


 「それで、見せたいものってのは、何なんだよ。」


 自己嫌悪を押し殺して、いきなり本題に切り込む。縁に連絡を入れていないので、あまりここに長居するわけにもいかなかった。


 「あー、暫し待たれい。今、掘り出すから。伊瀬、ちょっと光をこっちに。――ああそんな感じそんな感じ」


 ガサゴソと、犬上は一番奥にあった大きな箱を引っ張り出してきて、次々に中身を取り出した。


 反物、だろうか。これもこの状態で見るのは初めてだ。しかし、取り出しては蓋の中に適当に放り込んでいるが、良いのだろうか。これは所謂高級品というやつなのではないだろうか。僕には鑑定不能だが、こういう犬上の無頓着さには毎度毎度驚かされる。


 「あった」


 ――目当ての品を発見したようである。


 箱の一番下に隠すようにしまわれていたのは、これもまた桐箱だった。高級メロンが入っていそうなくらいの、小さな箱である。随分と年季が入っているように見えるが、箱書きはされておらず、他の品々と比べても特別変わった様子はない。


 「その箱が何だってんだ?」


 ただの木箱に見えるそれが、今回のことと何の関係があるのか、全く想像がつかない。


 「俺が学校の校庭から掘り出したのは、これだよ」


 ……この男は一体何を言っているのだろう。窓ガラスの話をしているのではなかったのか。校庭から掘り出した? どういうことだ。それを見せることで、僕に何を言いたい。


 「何を言って」


 「伊瀬。隠さなくて良いよ。お前、一昨日の夜、俺を見ただろ」


 ――隠す? 見た? 思い当たる節が全くない。本当にこいつはどうしてしまったんだ。さっきから。


 「だから、何言ってんだ。僕はお前の事なんか見て……」


 見ていない、はずだ。一昨日の夜、僕が見たのは校庭に穴を掘る、正体不明の人物だけ……。


 「うちの教室から、もう一人の女の子と一緒に、校庭にいる俺を、お前は見てただろ」


 「なっ」


 ――何故それを、知っている!


 お前が何故それを知っている。そんなことはあり得ないはずだ。誰も知らないはずなのだ、それは。一部の噂の犯人が僕と、そしてもう一人の女の子、縁であることを知る者なんているはずがない。


 あの日、僕たちは誰にも見られなかった。縁の精霊術で姿をカムフラージュしていたし、その上警戒に警戒を重ねて、極力人目は避けていた。


 一度たりとて目撃されて……いや、ちょっと待て。よく考えろ。縁の羽伸ばしの所為で、かなり記憶が薄れているが、思い出せ。


 ……あの不気味な人影は、あの晩、穴を掘ることを止めて、立ち上がり、そして僕たちの方を見ていたのではなかったか。見えるはずのない僕たちを、不気味に、異様に、眺めていたのではなかったのか。


 ――そう。そうだ。一度だけ、僕たちは見られている。あの校庭の不審人物に目撃されている。存在を認識されている。そして犬上の自供通り、もしその不審人物が犬上だったなら……。


 いや、だとしても、説明がつかない。人間の視力で、あの距離で、真っ暗な教室の中に居る人物を特定することなんて出来るはずがない。人間より優れる視力を持つ縁でさえ、相手が月明かりに照らされているにも拘らず性別すらまともに判別出来なかったではないか。だから万が一、犬上があの校庭の人影の正体だったとしても、僕や縁が教室に居たことを決めつけられることにはならない。


 じゃあ、何で、知っているんだ。まるで、そう、あたかも答えが先に出ているみたいに、断定出来るんだ。人間では誰も知り得ないことを、何故犬上は知っている。あの夜の校庭に立って、僕たちを目撃していたかのように言う。


 「確かに、僕ともう一人、まああいつは僕の家族みたいなものなんだけど、それは置いといて、確かに僕たちは一昨日の夜、あの教室に忍び込んだよ。それは認める。古典の教科書を忘れたから、取りに行ってた」


 僕は犯行を自白した。こちらも手の内を明かさなければ、疑問を解消できないと思ったからだ。勿論犬上ならば、話しても問題ないだろうという目算もあってのことだ。犬上はいつもいつも正しい奴だが、かと言って規則を厳密に遵守するような、ましてやそれを人に強いるような、融通の利かないお堅い人物ではないのである。彼は自分自身にはそれなりに厳しいが、他人には甘すぎるくらいに優しい奴だ。


 「だけど、もし本当にお前があの校庭にいた人物だったんだとしても、じゃあどうやってお前は教室にいたのが僕だって、分かったんだよ」


 「だから、見えたんだよ。お前たちはすぐに隠れちゃったけど、俺には見えた。お前だと分かった」


 「あり得ない。そんなことは。僕たちは穴掘ってる奴を暫くの間見てたけど、顔なんて全く見てないんだ。見えなかったんだよ、遠すぎて。誰か、どころか男か女かも判別できなかったんだ。お前、本当にあの場所に居たってんなら、よく考えてみろよ。あの暗さと距離で、校庭から室内の人物を判別するなんて、物理的に出来るわけないだろ」


 理性的に考えれば、科学的な思考をすれば分かるはずだ。


 「……」


 犬上は僕の言葉に絶句した。説明するための言葉をもう持ち合わせていないかのような、困ったような表情だった。


 「そうかもしれない。顔は見えてなかったかもしれない。でも、それでも俺は、お前だって分かったんだ。あの時俺は、確かに、伊瀬だと思った」


 それは確信、というより思い込みに近い、子供の戯言のようにも聞こえた。


 「信じてもらえないかもしれないけど、馬鹿げてるって思うかもしれないけど、多分それも、これの所為なんだ」


 ――そして犬上は、抱えていた桐箱の蓋を開いた。



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