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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
三章 ある罪の報酬
43/92

<10>


 「伊瀬、頭大丈夫か?」


 一瞬馬鹿にされているのかと思った。しかしその言葉を発した人物が犬上である以上、それは完全に僕の被害妄想でしかないのであった。


 「ああ。頭の出来以外なら大丈夫。」


 犬上は昨日無残にも頭を打ち付けた僕のことを気にかけてくれていたようである。教室に入って最初に心配の声をかけてくれたのは、犬上だった。そして、声をかけたのは犬上で最後だった。


 ボードに頭をぶつけて気絶し、お姫様抱っこで搬送されるというエキセントリックな失敗を犯した僕は、本日かなりの覚悟を持って教室のドアを潜ったのだが、つまり、注意力の高い幾人かの生徒には大なり小なり好奇の目で見られることを予期していたのだが、それさえもなかった。僕に興味や注意を向ける人間は、犬上以外には誰もいなかった。


 考えてみればいつものことではある。僕は余計な心配をしていたのだ。だから、安堵こそすれ、それが特別寂しかったとか悲しかったとかいうわけではない。ただ少し違和感を覚えたというだけの話だ。


 ――クラスの、いや学校全体の空気がいつもと違うように感じられた。皆の僕への関心がそもそもこれ以下に下がらないくらいに低かったというのも当然あるのだろうが、しかしそれ以上に、まるで他の何かに気を取られてそれどころではない、といった様な、そんな感じだった。


 教室は普段に増して騒がしいが、騒めきを生み出す一人一人の声は普段より寧ろ小さい。


 肩透かしを喰らったような、しかしどこかホッとした気分で僕は席に着いた。噂話なんてどうせ僕には関係のない話だろうし、周囲の注意がそちらに誘導されるというのだから、好都合以外の何者でもない。まさにミスディレクションだ。出来るだけ人に見られないよう、朝礼の時間ぎりぎりに見計らって来たが、それも取り越し苦労だったらしい。


 まもなく始業のチャイムが鳴り、米村担任は朝礼からそのままの流れで一時間目、国語の授業を開始した。


 ――米村国語教師の授業には雑談が多い。それに比例して生徒の笑い声や話声もそれなりにある。と言っても、時節を弁えず常にぺちゃくちゃ話し込んでいるわけではなく、彼ら彼女らは喋っても良い時に、喋っても良い話題について喋っている。あの担任は、話しても良い時間と、話してはいけない時間帯を、僕の予想では意図的に、それでいてさりげなく作っている。


 よく考えられているなと、僕はいつも授業が終わってから気付く。そういったメリハリのある授業の方が活気のようなものが出てくるし、生徒たちは先生の提供する話題にいつの間にやら引き込まれ、無意識にものを考えるようになる。実際、我がクラスの担任の授業で寝ている人間を僕はほとんど見たことがないし、他の真面目一辺倒な授業に比べると、オンオフを切り替えさせている所為なのか、全体としての集中力の継続時間は寧ろ長いように思える。


 ――そんな巧みに構成された授業の前半は和やかな雰囲気の中に行われた。しかしその和やかさの中に、普段とは明らかに異なる囁き声がかなりの濃度で混じっていたのを、僕は聞き逃さなかった。


 噂は以下のようなものだった。


 『昨日の晩、学校に不審者が出たらしい。』

 『その不審者、校庭に穴掘ってたんだって。それもいくつも。』

 『朝練しようとした野球部が見つけたって聞いた。』

 『不自然に埋め戻してあったんだよ。』

 『なんでも、犯人は学内の人間らしいぞ。』

 『生徒? だったら外の部活の奴じゃないな。じゃなきゃあんな戻し方しない。』

 『この教室にも入ったらしい。窓の鍵が開いてたって。』


 授業中、私語を慎むことを弁えている同輩たちが、授業内容と関わりのない話題に花を咲かせることは極めて珍しい事だったが、平和な、敢えて悪く言えばマンネリ化した学校生活に、何やら怪しい事件が発生したことで俄かに色めき立ってしまったことは、若さと探求心に溢れる高校生の反応としては寧ろ健全だと思われた。


 ……いやまあ、明らかに僕と縁が真犯人の噂が混じっていた気もするが、犯行現場から引き上げる時に鍵を掛け直し忘れていた気もするが、それは聞かなかったことにしておくとして、昨晩僕たちが目撃したあの校庭の人影に関する話題が噂の本流の様である。


 往々にして噂には尾ひれがつくものだから、犯人がどうのこうのという話は聞き流すとしても、どうやら僕たちが見た不気味な影は夢でも幻でもなかったらしい。


 「伊瀬? おい伊瀬。ほら、テスト用紙。」


 前の席の犬上が小テストの問題用紙兼解答用紙を腰を捻って回す。


 「ん? ああ。」


 「ホントに大丈夫か? ぼうっとしてるけど。」


 気遣わし気な視線。


 「いや、大丈夫。」


 ぼうっと昨晩の出来事と噂の内容を並べて考えている間に、授業時間の半分を消化していた。


 ――いよいよ、待ちに待ってはいないが、テストの時間である。僕が昨日、縁の背中で酷い目に遭ったのも、校庭で怪しい人影を見かけたのも、クラスメートの新たな一面を知ることになったのも、全てはこのテストがあったからだ。あれだけの思いをした分、準備は万端だ。帰ってからみっちり一時間、抜かりなく復習はしておいた。


 「はいっ、じゃあチャイムが鳴るまでねー。ようい、どん。」


 間の抜けた米村担任の合図と共に、ややざわついていた教室が今度は一転、鉛筆とシャーペンの先端が紙の上を走る音だけに満たされる。


 前評判通り内容はそれ程難しくない。文法や単語の基本的な問題ばかりだ。それもほぼ選択問題。難易度から見てやはり、このテストは落第生を生まないためのセーフティーネットであるようだった。


 こちらもこちらで拍子抜けである。この程度ならばわざわざ忍び込んでまで、噂を立てられてまで、教科書を取りに戻らなくとも九割くらいは取れただろうか、なんて努力の九割九分くらいが水の泡になるようなことを考えかけたが、僕は満点を目指して試験に集中した。


 ――凡そ二十分後。授業とテストの終了を知らせるチャイムが鳴る。


 一問だけ選択肢に迷う問題があったが、全く手の付けられない問題はなかった。変なミスをしていなければ満点に近い点数を獲得できただろう。いや、あんなトラウマ級の目に遭ったのだから、せめて満点であってくれ。


 「どうだった?」


 僕の前の席に座る天然のイケメンが、解答用紙を前に回した直後に話しかけてきた。


 ここでもう一度確認しておくが、いい加減くどいと思われるかもしれないが、こんな風に何度も何度もしつこい辺りからもお分かり頂けているだろうが、僕に友達はいない。


 だからテスト後に、そのテストの出来不出来を尋ねてくるあたかも友達みたいなイケメンがいても、そいつは僕の友達ではない。断じてだ。僕と彼との関係をクラスメート以外の言葉で表すならば、ただの知り合いなのである。


 「まあ、昨日復習したから大体できたよ。お前はどうだったんだ? つっても、学年トップクラスの成績のお前には、聞くまでもないか。」


 友達ではない、と言っても知り合いくらいではあるのだから、投げられたボールを無下に放置するのも失礼だろうと、僕はマナーとして、おざなりな社交辞令を返球した。


 「へっへっ。まあな。マークシートとか、選択肢のある問題なら一度も外したことないし。」


 こいつ、謙遜しないな。社交辞令には謙遜と相場は決まってるのに。まあ犬上だから仕方ないけど。


 「一度もってのはいくらなんでも誇張し過ぎなんじゃねえか?」


 犬上も冗談で言っているのだろうから、あくまで、おいおいそれは言い過ぎだぜ、みたいな合の手を入れるようなつもりで僕は言った。


 「え? いや、本当だけど。」


 まるっきり、冗談っ気も嘘っ気も感じられない、馬鹿正直な顔だった。


 何だそれ。どんだけハイスペックなんだよ、この爽やかイケメン。一度もって、人生で一度もってことか? そんなことあり得るか? 小学生の頃からほぼ十年間、数々の問題の幾千にも、もしかすると幾万にも及ぶ選択肢の中から一度も間違えずに、正解だけを選び続けてきたとでも言うのか? それはもうハイスペックというか奇跡だろ。じゃなきゃ嘘か、或は間違いを認識していないだけか。


 やっぱイケメンと天才は縁遠過ぎて理解出来ないな。しかもこいつの場合、イケメンで天才だし。こいつに何物与えてんだよ、神様。こいつの天才性と容姿と運動能力だけを以って、神は二物を与えずっていう諺は反証されてるんじゃないのか?


 「おいっ、伊瀬。」


 犬上の信じ難い発言と態度に呆気に取られ絶句している僕に、本日二度目の『おい、伊瀬』だった。ちょっとしたのび太くん気分だ。勿論、嬉しくはない。だって僕をのび太くんみたいに呼んだガキ大将は、他でもないあの伏見空だったのだから。


 僕は驚いた。女子に話しかけられたからではない。伏見が僕の名前を知っていたからだ。まあ、冷静に考えてみれば、どんなに地味なクラスメートでも苗字くらいは覚えているものなのだろうし、昨日の体育での出来事を考慮すれば、彼女が僕の名前を知っているのも当たり前なのかもしれない。しかしそれでも、伏見という努力家の口から伊瀬という自分の苗字が発音されたことに、慣れないその光景に、少なからず吃驚した。


 「な、何でしょう。」


 余りの険悪な雰囲気に思わず下手に出てしまった。いや別に下手に出ること自体は全然構わないのだが、思わずというところが何とも情けない限りだった。


 「昼休み、体育館に来て。」


 わーい、クラスメートの女子からの呼び出しだあ。うん、この感じだと、決闘とかかな?


 「へ?」


 「体育館履き持参で。」


 今にも殴りかかってきそうなほどに、固く握られた身長の割に大きめな拳。


 「いや。」


 「絶対来て。」


 有無を言わさぬとはこのことだった。伏見は要件だけを伝えて、そそくさと自分の席へ帰って行く。


 「何? 伊瀬、伏見と仲良いの?」


 「今のでそう見えたんなら、早めに眼科行って、眼球取り換えてもらった方が良いと思う。」


 天才の目にはそうは映らなかったらしいが、伏見は怒っているようだった。その怒りの理由は推し量れないが、要件は概ね予想出来る。決闘という時代錯誤な単語もあながち的外れな予想ではなかった。


 体育館用の運動靴を持参せよ、と言うからには、伏見は昨日の再戦をするつもりなのだろう。昨日の体育の授業での、僕が気絶したことによって中断となった勝負に、伏見は決着を付ける気だ。


 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。僕のような小人物には、何故些細な、こんな小さな争いに、それも伊瀬丙などと言う彼女にとってはモブキャラに過ぎない人物との勝負にこだわるのか到底分からないが、しかし不思議と違和感はなかった。寧ろ、伏見空ならばそうすることの方が自然だとさえ感じられた。


 かと言って、彼女からの決闘の申し入れを、僕が喜んで受け入れたかと言われれば当然そうではない。彼女の威力に気圧されて、渋々了承した、と言うか、もうあれは絶対遵守の命令だった。逆らえば、何か良くないことが起こるのは目に見えている。昨日の脅し文句を聞いている僕には、リスクはよりリアルだった。


 ――その休み時間から四時間目まで、授業中も休み時間中も、どうにか決闘を回避する方法はないものかと僕は思案し続けた。しかしどう考えても、どのルートを辿っても、結局伏見に話かけるという選択肢を外すことが出来ず、その交渉に勝てるだけの材料を僕が持っていないことから、回避は不可能であるという結論に至った。


 凡そ三時間半くらいを丸々使って、授業など放り出して、脳神経の限りを尽くして、自分には何もできないという証明を僕はしてのけた。……全く、無能な計算機だった。まあ、計算機には証明問題は荷が重かったということだろう、なんて適当な解釈をして納得するしかない。


 ――進退窮まったり。進むも地獄戻るも地獄。一難去ってまた一難。


 悪い事は何故こうも立て続くのだろうと嘆いてみたが、そもそもの発端は僕が自らの身体能力について正しく把握していなかったことにあると気付くと、いよいよ覚悟を決めるしかないようだった。


 怠惰の代償は、まだ暫く払い続けなければならないようだった。



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