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魔女の説明によると、我が家のゴミ箱は我が家と魔女の家を繋ぐワームホール、みたいなものになっているらしい。人の家に勝手にそんなSFを持ち込まないで欲しいと断固抗議したいところだったが、何しろ持ち込まれたのは、まだ頭を働かせる気も沸く空想科学の話ではなく、僕の理解の全く及ばない魔法に関することである。悔しいかな、どうにも追及し切れない。
「分かった。緊急用に僕の家とお前の家を繋いだことは分かった。」
緊急事態に備えて。それが何を意味するのかは、しかし微妙なところではある。魔女が僕たちの身を案じて、勇者だか何だかの敵対勢力の襲撃に備えるために策を講じた、と良いように捉えることも出来るが、反対に悪い方に取るならば、それは勿論いつでも縁に、人類の敵対勢力である竜の動向に即時的に対応出来るようにするためだとも考えられる。
あれだけの恩義を受けている彼女を、疑うわけでも信用しないわけでもないが、この魔女は縁を始末してしまえるだけの能力を秘めているということを忘れてはならない。もし人間に害を及ぼすようなことをすれば、魔女は縁と、そして僕と敵対することになる。それを望むわけでも危惧しているわけでもない。ただ事実としてそうなのだ。
「で、何でゴミ箱なんだ?」
どちらにしても魔女が僕たちのことを気に掛けてくれているということは、有り難いことであり、その必要性も理解できる。だがしかし、ワームホールの出口をゴミ箱にしたことに、僕はどうしても必然性を感じられない。
「お兄さんは魔法を理屈のない不条理な力のように感じているのかもしれないけど、ちゃんと魔法にだって法則や理屈があるんだぜ。何もかも自由自在というわけにもいかないんだ。魔法とは言ってもね。」
「それは分からなくもないけど。」
何でもありとは言ったが、僕とて魔法が万能だとは思っていない。魔法が現実世界で運用され作用するものである以上、そこには何らかの制約や条件が課せられていることは、その詳しい内容を知らずとも、経験則と言う名の勘で推し量れる。もし魔法が何の制約もなしに行使できるものだったなら、秘密主義の囲いがあったとしても、もっと世に知られ、或は科学に勝って普及しているはずだ。
「じゃあ、僕の家とお前の住処を繋ぐのには、ゴミ箱が一番適切だったって言いたいのか?」
法則があり理屈もある、と魔女は言った。であるならば、魔女がワームホールというSFの出口をゴミ箱に設定したのには、僕の想像の及びもつかない必然性があるということだろう。何かの法則に則ればゴミ箱こそが適格だったのだと、つまりはそういうことだろうか。
「そうだね。その通りだ。お兄さんはたまに、極稀に物分かりが良いよね。――これに関しては単純な話さ。この部屋とボクの本拠地に共通してあるものが、ゴミ箱くらいしかなかったというだけのことだ。まあ共通というのは最低限の条件であって、他にも色々と条件はあるのだけど、専門的な、技術的な話を君にしても仕方がないだろうから、ざっくり言ってしまえば君の推察の通りだ。」
どうやらこの話はここで納得しておかなければならないようだった。魔女の言う通り、これ以上のことを聞いても僕にはとても理解できない。結局は魔法の話だ。本当に理解したいのなら、魔女の言う、法則やら理屈やらをつぶさに研究する必要があるが、勿論僕にはそんな気力はない。
「因みに、なんだけど、このゴミ箱兼ワームホール、こっちからそっち、つまりこの部屋からお前の家にも行けるようになってるのか?」
だとすれば、僕が投げ入れたゴミの全てが魔女宅へそのまま転送されることになってしまうのだが、しかし、恐らくこの家と魔女の家が繋がった二か月前の夜から今日まで、ゴミ箱の中身が消失するような珍事は起こっていない。実際二日ほど前にも、僕はゴミ箱の中身をビニール袋に移してゴミ捨て場に持って行っている。
「この穴は一方通行だよ。そもそも鍵がないと開かないようになってるしね。ああでも、こちら側からでも、例えば竜の絶大な霊力みたいなもので無理矢理こじ開けて通行することは可能かな。但しその場合、行き着く先はボクの根城ではないけどね。その辺は抜かりない。セキュリティは万全さ。」
「へえ。こっちから無理に通ろうとしたら、どこに繋がってるんだ?」
「魔王城の最深部。玉座の裏。」
わーお、暗殺には絶好のポジションだ。
「……魔王城のセキュリティは大丈夫じゃないみたいだな。」
こいつの言うことって、冗談なのか冗談じゃないのか、どこからどこまでが本当のことなのか今一つ分からないんだよなあ。魔王って実在するのか?
本来なら魔王などという馬鹿げたお伽話は一笑に付すところなのだが、魔法や竜なんてものを知って僕の中でパラダイムシフトが起きてから、どうにも常識の再定義をし切れていない。
「お兄さん。もう良いかな。いい加減ボクも眠いんだ。まさかとは思うけど、まさかまさかとは思うけど大した理由もなく、絶賛就寝中のボクを叩き起こして呼びつけたわけじゃないんだろ?」
「絶賛就寝中って、お前学校とか行ってないのか?」
正確なところは知らないが、魔女の年齢は僕と同じくらいだ。少なくとも見た目には、僕と同じ、高校生くらいの、格好以外はごく普通の女の子だ。今日も今日とてマントこそ纏っているものの、あの嘘みたいな魔女の三角帽子を被っていない所為か、その見た目は前回に増して、僕たちと何ら変わらない一般的な人間の子供に見える。
「行ってない。」
まあ、とは言え魔女だ。学校なんて行かなくとも良いのだろう。勉強なんてしなくても、あれだけの魔法の技術があれば生きていけそうだ。
「別に魔女だから学校に行ってないわけじゃないよ。多くの魔女は、と言ってもあんまり数は多くはないけど、彼女たちはちゃんと学校に行って、勉学だとか青春だとかにしっかり精を出している。君と違って、君たちと同じように、君たちに紛れてね。――実際、魔法が使えること以外は普通の人と変わらないんだから、当たり前と言えば当たり前なのかな。多分君たちが思っているほど、魔女は世間から隔絶された人種じゃない。普通に学校へ行って、普通に働いてる。昨今じゃ、魔女としての仕事だけで食い扶持を確保することも難しいしね。」
「だったらお前は行かなくて良いのかよ。学校。」
魔法的な職務だけで食い扶持を確保するのが難しいのなら、お前だって学校へ行って勉強をしてゆくゆくは全うに働かなけりゃならないんじゃないのかと僕は魔女に問うた。
「……随分と立ち入ったことを聞くじゃないか。そんな下らないことを問うために、君はボクを呼び出したのかい? だったら悪いけど、もう帰らせてもらおうかな。ボクは由緒正しき、夜型の魔女なんだ。今は労働時間外、これ以上長引かせるつもりなら割増料金が発生するよ。」
魔女にしては珍しく、棘のある言い方だった。口調は変わらず平坦だったが、台詞から、言葉からどことなく排他的な印象が感じられた。
いやしかし考えてみれば、この魔女が僕に対して排他的なのは以前からのことである。何せこいつは、僕に人としての尊厳を認めていないのだ。棘があるのは当たり前かもしれなかった。
「待て。待ってくれ。」
杖に跨りベランダから飛び去ろうとする魔女を僕は引き留めた。予想外ではあったが、せっかく、わざわざ来てもらったのだ。聞きそびれの疑問をここで解消しておかなければ、本当に無駄足にさせてしまう。
「縁の魔法を解除する方法を教えてもらいたいんだ。掛け直す方法も。」
「ん? 何だい? お兄さん、ついに世界を掌握する気にでもなったのかい?」
本気か冗談か判断し辛い魔女ではあるが、これは流石に冗談だと分かる。余りにぞっとしない冗談ではあるが……。
「なってない。」
多分そんな気には一生ならない。
「まあ、理由なんてどうでも良いけど。と言うか、聞きに来るのが遅いくらいだと思ってたけどね。今か今かと待っていたくらいだけどね、待ちわびていたところだったけどね、そのことについて君が尋ねてくるのを。」
そもそもお前が伝え忘れてたんじゃないのかと言いかけたが、どうせこの魔女のことである。追及しても、追及し甲斐のない返答が返ってくるのは目に見えているので自重する。
「本当に危機感が足りないよね、お兄さんは。平和ボケで、ボケすぎてどうかしちゃってるんじゃないかな。考えられないよ、全く、不幸になればいいのに。」
ざっくりした憎まれ口だ。
そんな不条理で曖昧で辛辣な言葉に対する憤慨をぐっと押し込めて僕は言う。
「ああ、うん。確かにその通りだ。」
――実際その通りでもあるのだ。
僕はいつからこんなにも鈍くなってしまったのだろう。あんなことがあったのに、勇者と呼ばれる男に殺されかけたこともあったのに、あまりに不用心だ。いくら縁と勇者との間に協定が結ばれているからと言って、それだけの理由で警戒を怠るなんて、鈍感すぎる。
「丁度それを反省してたところなんだよ。僕もいい加減なことは、いい加減にしなきゃな、と。だからお前を呼んだんだ。」
本当に来るとは露程も思わなかったけど……。
「成程ね。それは良い心掛けだ。しょうがない、教えてあげるよ。」
元々お前がよく分からないバランスのために僕に押し付けた権限なんじゃねえのかよ、というツッコミも勿論自重だ。
「簡単なことだ。そう構えなくても良いよ。まず、君がドラゴンさんの唇に口付けをするだろう?」
……。
「ごめん、聞こえなかった、もう一回言って。」
「接吻」
「あ?」
「キッス」
「ん?」
「べろちゅ~~う。」
「…………縁。有事の際は、お前の精霊術だけで対処してくれ。」
何故そんなハードルの高い設定にした?!
「何故じゃ。私は別に構わんぞ? 寧ろ大歓迎じゃ。」
歓迎してんじゃねえよ。お前がそんな感じだから、僕の悶々が解消されないんだ。いっそ照れでもしてくれれば、抑制も解除出来るのに、そうやって簡単に受け入れちゃうから、何か後ろめたいような罪深いような感情に見舞われて手出しする気にならないんだよ。
「ねえねえお兄さん。冗談だよ。ああ間違えた間違えた。言い方が悪かった。……うっそぴょーん。やーい、引っ掛かった引っ掛かった。そんな緊張感に欠ける行為をトリガーにするわけないじゃないか。」
「……。」
……こんなに人を殴りたいと思ったのは、久々だった。
ぶん殴りてぇ!
うっそぴょーんという小学生みたいな嘘の公表の仕方をしている時でさえ無表情なのが余計にむかつく! せめてもっと馬鹿にする感じで馬鹿にしろよ。くそう! もういっそ、男女平等を盾に殴ってしまおうか。盾で殴ってしまおうか! 盾の角で!
「純真無垢な僕を弄ぶな。」
「自分のことを純真無垢とか言って、お兄さん、恥ずかしくないのかい。」
握った拳を振り上げたい気持ちである。最早、盾ではなく矛で殴りたい気分である。
「ああ、今お前に指摘されたことによって急激に恥ずかしくなったよ。」
この魔女、早く帰りたいのか、永遠に僕を馬鹿にしたいのかどっちなのだろう。呼んでおいてなんだけど、早く帰ればいいのに。
「冗談はさておいて、本当に簡単だよ。この人間もどきを、あるべき化物の姿に戻すのはね。――お兄さんが、戻って欲しい時に、この人間もどきの体の一部に触れながら、恐ろしい竜の姿を思い浮かべればそれで万事元通りなんだから、大した手間じゃないだろ。逆もまた然り。竜の爪でも牙でも鱗でも、どこでもいいから体の一部に触れて、この可愛らしい人間もどきの姿を頭に思い浮かべれば元の木阿弥だ。勿論、体の一部ならどこでも良いわけだから、別に唇でも構わないんだぜ? 何なら今ここで試してみても良い。」
「試せるわけねえだろ。色んな意味で。……でもそうか。思ってたより簡単なんだな。」
魔法の解除、と聞いて複雑な手順を踏む儀式めいた作業があるのではないかと身構えていたが、触れて思い出すだけで良いというのなら何ということはない。
あの竜の姿は、忘れようにも忘れられない。あの日あの時の映像は今も脳の一番深い所に、しっかりと、深く深く刻み込まれている。思い浮かべることなど、本当に造作もないことだ。
「縁に触れてるときに、うっかり姿を思い出したりしちゃったらどうなるんだ?」
もしそれで縁が元の姿に戻ってしまったら、うっかりでは済まされない惨事になる。
「へえ。流石はお兄さんだね。ちゃんとそういう細かいことも気に出来るんだね。だけどそれは余計な心配だ。杞憂だよ。大丈夫。その魔法は、お兄さんが願わなければ発動しないようにしておいたから。お兄さんの意思がなければ起動することはないから、安心して触りまくって良い。」
何の許可なのだろう。
「それこそ余計な心配だ。」
その言い草じゃあまるで、今まで誤作動を心配して触りたくても触れないと思っていた、みたいじゃないか。矛盾と誤解も甚だしい。
「良かったな、お主。これで触り放題じゃ。」
「お前は少し発言を自重しろ。」
こいつはこいつで元がドラゴンだからかは分からないが、貞操観念がゆるゆるだし。この部屋にはろくな奴がいないな。
「取り敢えず、方法は分かった。確かに、本当はどこかで試したいところだけど、どこでやるにしても夜だな。」
それも人目につかないかなり広い敷地が必要だ。この前の晩は、魔女が結界とやらで周囲に影響を及ぼさないようにしていたらしいから、あれだけの事態があっても騒ぎにはならなかったが、今度はそうもいかない。いつまでも魔女に構ってもらえるという保障はどこにもないのである。
「夜に、人目の付かないところで、やる、だなんてお兄さん、純真無垢な少女の前で何て下品なことを口走るんだい。最低だね。プロセクハラーの鑑だね。」
「下品なのはお前の想像力だ。何だよ。プロセクハラ―って。ないよ。そんな職業。はっきり言ってドン引きだよ。」
女子高生、ではないにしても、それくらいの年頃の女子の下ネタに対する耐性を僕は持っていないのだ。
まあ、そもそも女子に対する耐性もほとんどないんだけど。
当然のことながら縁は別だ。こいつと生活を共にしたからといって、女の子に対する耐性が出来ると思ったら大間違いである。何せ縁は竜なのだ。見た目はそうでも、普通の女の子ではない。
「じゃあボクはそろそろ、お兄さんにドン引かれたところで退散しようかな。もう眠気が限界を超えたところだし。これ以上ここにいると、お兄さんの布団を借りなければいけなくなってしまうからね。」
「ああそれは絶対に避けるべきだな。――いや、まあ悪かったよ。わざわざ寝てる所呼び出しちまって。助かった。」
「いいよ。久々にお兄さんでストレス発散できたし、気にすることないさ。じゃあね、お兄さん。それにドラゴンさん。次呼ぶ時は、せめて夜にしておくれ。」
一つ大きな欠伸をして、魔女はベランダから飛び去る。周囲の目を気にしなくて良いのだろうか、と気にもなったが、そこはそれ、彼女は魔女である。どうせ僕の理解出来ないおかしな理屈で大丈夫なことになっているのだろう。
――なんだかんだ言って、面倒見が良いというか、やっぱり親切なんだよな、あの魔女……。
「あっ。」
と、またしても遅ればせながら気付く。
「どうした? お主。」
「また名前聞くの忘れた。」
まっ、また今度で良いよな。
あれ? 何かフラグっぽい……。