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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
三章 ある罪の報酬
34/92

<1>


 東柳童高校では、青春が流行している。


 県立東柳童高等学校。旧久比柄高校。僕の通っている高校である。


 我が校では全校生徒の九割近くが部活動に加入し、いくつかの部は県内でも指折りの強豪として名を馳せている。部活への参加を義務付けられているわけでもなければ、名門私立でもない、一般の公立高校としてはかなり熱が入っていると言えるだろう。


 その当然の帰結、と言うべきなのか、文化祭や体育祭、球技大会といった学校行事も、毎年熱狂的な盛り上がりを見せている。一概に部活が盛んだからといって、行事も活発になると言い切ることは出来ないのだろうが、それでもあの盛り上がり方は部活に対する熱を、そのまま流用したとしか思えないくらいに、凄まじいものなのだ。


 ゆとられたり悟ったりと、冷めた若者、冷えた青春が流行りなのに対して、我が校では昔ながらの朗らかで青春らしい青春が蔓延している。


 流行だとか蔓延だとか、まるで僕がそれに対して否定的な感情を持っていると思われても仕方がない言い回しになってしまったが、決してそうではない。それは誤解である。


 僕はそういった風潮を寧ろ好ましいとさえ思っているのだ。我が校の校風を、僕は素晴らしいと、そう感じている。


 さておき、そんな事情もあって、公立校に限定すれば県下十指には入る進学校でもある東柳童高校は、文武両道を謳い文句に毎年四百人に迫る生徒を集めている。実際、活発で自由な校風に憧れてこの学校を受験する者も多いのだ。


 僕の様に偏に学力面を理由に入学を希望する者も勿論いるのだろうが、そういった面白味の薄い生真面目な人間でさえ、周囲の熱気に当てられてかやはり部活に行事に熱心に取り組むようになることがほとんどである。


 校則が比較的緩いということも原因の一つとなっているのだろう。最低限のルールはあるものの髪型やスカート丈に関する注意を受けることは、厳しい部活に参加している生徒は別としてまずないし、所持品検査などという人権を侵害するイベントが開催されることもまたない。


 相対的に見れば良い学校なのだろう。僕の知る限りでは、目立ったいじめは発生していないし、近隣住民からの評判も良いということらしい。


 ――しかし、かといって僕の通う学校が素晴らしいだけの場所かといえば、そう断ずることは如何にも難しい。光があれば陰もあるように、なんて使い古された言い回しだが、燦然と輝く花の高校生活にも、御多分に洩れず薄暗い事情の一つや二つはある。


 ある程度の規模を持ったコミュニティーならばどれもが内包するであろう、目に見えない空気のようなものが、僕の学校にも、僕のクラスにも存在している。


 いや、空気のようなでは些か言葉が弱過ぎる。よう、ではなく、まさに空気なのだ。


 大気ではなく、場の雰囲気を意味する、空気。


 誰が何をしなくとも常にそこに存在し、一見ルールのようだが、ルールのように人間を無理やり縛り付けたりはせず、ただ漠然と漫然と空間を埋め尽くしている。人を従わせようともせずに、ただ在る。


 大気に意思がないように、空気にも意思はない。それでも空気を吸わなければ人間は死んでしまう。良い空気でも、悪い空気でも、吸わなければ生きてはいけない。


 スクールカーストと、最近では言うのだそうだが、しかし僕にはこの言葉があまりしっくりきていない。カーストとは、細かい説明は抜きにするとして、大まかにいえば身分制度だ。


 制度。つまり、社会によって認められた、運用のための明確な決まり事。


 僕が、そして他の誰もが日々薄ぼんやりと感じているであろう雰囲気は、誰かが定めたことでもなければ、遵守しなければならない決まりでもない。ぼんやりとしていて、言わずもがな、明確な階級や罰則だって存在しない。


 あるのは意識だけ。あるのは自意識だけ。それが悪だとは思わないが、度を過ぎれば息の詰まる居心地の悪い社会が成立する。


 尤も、僕の通う学校はまだましなほうなのかもしれないのだ。少なくとも中学時代よりは、そういった曖昧な格付けはより一層曖昧だし、最下層にいるような人間でも、特別不快と思うレベルまでには全く達していないのである。


 我がクラスに流れている空気は、クリーンと言って良いのだろう。


 別に僕は、自分のクラスがどのクラスよりも仲良しだ、なんてアピールをしたいわけではない。だってその仲良しの輪の中には僕は含まれていないのだ。流石の僕でもそこまで悲惨な自虐はしない。


 では、長々と言葉を連ねて結局何を言いたかったのかといえば、我がクラスの学級委員は良い空気、清浄で正常な空気を生み出すのが卓越して上手いということを、説明したかったのである。


 上手いと言うより、最早それは能力に近いものなのかもしれない。彼は空気を良くしよう、などと考えて行動したり発言したりはしていないのだ。所謂、天然という奴である。スター性がある、と言えば分かり易いだろうか。


 空気は誰が何をしなくとも勝手に流れるが、良くも悪くも自ら空気を生み出してしまうような人間もいる。


 僕が一つ発言しただけで場が白けてしまうように、彼が一声あげるだけで淀みが解消されてしまうこともある。我がクラスの清浄さは、彼によって保たれていると言っても過言ではない。もっと言えば、この学校の居心地の良さは、彼の影響を受けている、とさえ僕は密かに思っている。


 ――犬上裕は善良な人間である。犬上と書いて『いぬかみ』と読み、裕と書いて『たすく』と読む彼の人間性は、僕とは比べ物にならないくらいに、比べることさえ不遜なくらいに、公平で、公正で、潔白である。


 彼がいる限り、クラスに悪は栄えない。そういう空気を纏っている。正しく、清々しく、誰からも人望を集める。犬上祐はそんな人物だ。


 僕のような人間でさえ、妬ましさを感じず、好ましいと思ってしまうくらいに、彼の人柄には周囲の人間を引き付けるものがある。


 魔性の様に、惹きつけるものがある。


 外見のこざっぱりした格好の良いスポーツマン、成績優秀、異性同性関わらず人望に厚く、バスケットボール部の次期キャプテンでもある彼は、恐らくこの学校で誰よりも光り輝いている。おまけに、彼の実家は、下品な言い方をすれば、大変な金持ちだそうで、何でも学校周辺の土地も前は彼の家の所有地だったという話である。


 それでいて尊大な態度は一切示さず、時には隙や弱点をも見せるところが、彼の彼たる所以なのかもしれない。完全ではないところが、彼を完璧たらしめている。


 そんな勝ち組の化身が如き彼が、空気清浄機みたいだと僕に陰で思われている彼が、二年連続で空気汚染源を自覚する僕、つまりはこの学校で無類の陰鬱さを誇る後ろ暗さと後ろめたさの化身こと、伊瀬丙と同じクラスに配属されたことは、必然なのかもしれなかった。


 ――彼が光なら、僕は影だ。


 ……いや、まあいくら中学までバスケをやっていたからといって、いくら影が薄いからといって、あんな常人にとってはキラーパスでしかないパスをびしばし配球できるほど僕のパスセンスは秀でてはいないし、消滅しながらディフェンスを突破するなんて突飛なこと、勿論僕には出来はしないのだが……。


 もしかしたらの話でしかないが、丁度良いバランスということである。平均的なクラスを作ろうとすれば、飛び抜けて輝かしい彼と、飛び抜けて暗い僕とが同じ組に配されるのは、自然な流れだろう。クラス分けは二年から始まる選択科目と、人間関係のバランスを見て決められるという米村担任の話を信じれば、そういう可能性も有り得なくはないのだ。


 ともあれ、改めまして、当然のことながら僕に友達はいない。


 それは常識的な事実であり、真理であり、本来ならわざわざ取り立てて説明する必要もないように思えるのだが、犬上祐という人物は、誰彼構わず、例えば僕のようにクラスで浮いた人物にも平気で声を掛けてしまうような、そんなデリカシーのない無頓着な人物なのである。だから、彼と僕が会話をしていたからといって、僕たちが友達であるということにはならない。


 ――犬上祐。二年に進級してから二回目の席替えで、僕の席の前に座ることになった我がクラス男子代表の学級委員にして人気者、黒髪短髪が良く似合う気さくなスポーツマン。簡潔にまとめると、凡そ僕とは縁遠い人種である。


 「なー、伊瀬って中学まではやってたんだろ? バスケ」


 などと、何の前触れもなく出し抜けに彼が僕に話しかけてきたのは、七月に入って最初の月曜日、四時間目が終わってすぐのことである。


 出し抜けといっても、去年も同じクラスに在籍していた僕は、既に彼の人間性をある程度は認識していたので、彼が話しかけてきたことに対しては、さほど驚きはしなかった。


 犬上は誰とでも気兼ねのない会話のできる人間である。たとえば僕のような教室の隅の住人にも関係なく、無遠慮に話しかける。


 「ああ。やってたよ。そんなこと言ったことあったけ」


 窓際の最後列という絶好の独り飯ポジションを獲得した僕と、犬上は今日の昼食を共にするつもりのようだった。


 ――全く、迷惑な話である。


 僕の方が迷惑がるのは、傍から見れば烏滸がましいにも程があるのだろうが、学校の人気者を相手に学校の日陰者がそんな風に思うのは分不相応なのかもしれないが、そんな階級は誰かが勝手に思っているだけのものであって、そこまで僕が過敏になる必要はないし、そして彼もまたきっと、そういうことを気にする人間ではないのだ。


 もし犬上がもう少し頓着のある人間だったなら、そもそも僕に話しかけるなんて、格の下がりそうなことはしないはずだ。


 彼は誰にでも公平に優しいのである。まあ、僕に話しかけることや僕と一緒に昼食を取ることが優しさだなんて、僕同様、彼も微塵も思っていないのだろうが……。


 人たらし。それが僕の中での犬上のあだ名である。


 そう言えば、犬上について、壁にもたれ掛かりながら購買で買ってきたパンを齧るこの男について、誰かが陰口を叩いているのを僕は未だ嘗て聞いたことがない。同じ学年ならば誰しも知っているような有名人であるのに、流石の人徳である。


 「いやだって今、体育バスケじゃん。動き見てりゃ分かるよ」


 僕が驚いたのは、この男に僕がバスケ経験者だとばれていることだった。


 重ねて言っておくと、この高校に僕の友達はいない。一人もいない。同じ中学に通っていた人間もまたいない。だから、僕が中学の頃までバスケ部に入っていたという情報を知っている人間もいないはずだし、無論僕自身がそれを口外したこともなかった。


 にも関わらず彼がそのことを看破していたことに、僕は驚いていたのだが、しかし話を聞けば簡単なことだった。


 四月から夏休みまでの間、体育はバスケと柔道に別れ授業を行っている。本当はバスケを選びたくはなかったのだが、相手との距離が常に近い柔道が余りにも苦手だったので、消去法的に僕はバスケットボールの方を選択した。


 「まあ、分かるもんだよな」


 バスケに限らず、スポーツ全般に於いて、経験者と初心者を見分けることは、経験者にとっては難しいことではない。


 パスの出し方やボールの受け方、シュートフォーム、立ち居振る舞い、佇まい、それらを総合した全体の雰囲気で、両者は明らかに見分けることが出来る。経験者独特の『感じ』というものがあるのだ。


 授業では目立たないようにかなり手を抜いてやっていたつもりだったが、一定以上、どころか県内でも指折りの実力を有する彼には、お見通しだったというわけだ。


 「しかも、結構上手いよな。もしかして、ミニバスやってた?」


 「ミニはやってたけど、大して上手くはねーよ」


 一応説明を入れておくと、ミニバスというのはミニバスケットボールの略称で、まあ簡単に言えば小学生によるバスケットボール競技のことである。


 「小二くらいから?」


 これは多少ではなく驚いた。どんぴしゃりで正解である。


 「よく分かるな。流石は県四位のバスケ部の次期キャプテン様」


 「や、それは当てずっぽうだったんだけど。でも、何と言うか基本がしっかりしてそうだったから、それなりに長いことやってたんだろうなって」


 「へえ。大した慧眼だ。で、何で急にそんなことを? 話したことなんてほとんどないのに」


 僕と彼との関係は、あくまでただのクラスメートであり、話したことがあると言っても、係決めとか授業の課題とか、そういった業務連絡くらいでしか関わったことがないのである。プライベートなことを話し込むような間柄では勿論ない。


 「あー。球技大会のメンバーをどうしようかなと思って。うちのクラス、男子は俺以外バスケ部いないからさ。前から誘おうと思ってたんだけど、一緒に」


 「出ない」


 即答。と言うか、犬上の言葉を遮って答えた。遮答である。


 そんなこと考えるまでもなく、答えはノーだ。ノーサンキューだ。


 「……食い気味で断るなよ。何かちょっと傷付いたよ。何でだよ。そう言えば、伊瀬、去年もバスケじゃ出てなかったよな。確か……バレーだったような。何でバスケ出ないんだ? 上手いのに」


 ――流石、我がクラスの委員長と、ここは素直に簡単せざるを得ない。


 クラスの中で誰よりも目立たない僕のことまでもよく見えている。見ているのではなく、彼の場合は、見えているという表現がまさに正しいだろう。


 コート上での犬上のポジションはポイントガード。コートに立ちながら、ゲームを俯瞰しコントロールする司令塔。


 優れたポイントガードの視野は常に広く保たれている。無意識のうちに全体を見渡すことが出来るそうだ。ゲームの流れ、敵の位置、味方の動き、視線、そういった様々な情報を瞬間瞬間で判断し続けるというのだから凄まじい。


 そして彼のその才能は、日常生活でも発揮されているようだった。


 クラスに僕が存在していることを、まさか見抜いていた奴がいたなんて……くそう、僕のミスディレクションが破られた。悔しい!


 一つ彼が見誤っている点があるとすれば、僕のバスケの腕は、彼に比べれば取るに足りない、彼に上手いなどと言われるようなレベルでは全く以ってないというところだろう。相対的に客観的に見て、僕の実力は、犬上の足元にも及ばない。


 「やだよ。目立ちたくねーもん」


 年に三回開催される、我が校の球技大会に於けるバスケットボール競技は大会の花形だ。強豪チームの現役バスケ部員が数多参戦することもあり、三日に亘る大会の最終日、決勝戦には、体育館のメインコートが使用され、全校生徒の半分程が見学に集まる人気種目になっている。上手い選手のプレーというのは、素人目にも面白いらしく、格好良さも伝わるということらしい。


 しかもその決勝に、この二年五組が進む可能性は非常に高いのだ。去年の球技大会や、体育の授業で僕は彼のプレーを見ているが、犬上祐という逸材は強豪と呼ばれるバスケ部の中でも、更に群を抜いている。彼一人がいるだけで、チームが成立してしまうような、そういう選手である。


 この学校で、彼を止められる者はいないだろう。試合に参加する五人の内、バスケ部員は三人までという特別ルールが敷かれることもあり、犬上がクラスにいる時点でこのクラスは優勝候補の筆頭と言える。


 現役三人と素人二人程度では、犬上を止めるには薄過ぎる。


 会場の視線が犬上一人に集まるのだとしても、僕が目立つ余地なんて毛ほどもないのだとしても、そんな舞台には是非とも立ちたくはない。


 観客としてさえあの熱気に満ち満ちた場に居合わせることはしたくないのだ。


 「一人で勝てんだろ、犬上なら。誰が出たって一緒だよ」


 「……まっ、そうなんだけどさ」


 笑顔で言ったよこいつ。先輩への配慮とかないのか?


 ……ないんだろうなあ。


 犬上祐。やはり大物。


 「でも、そっかあ。伊瀬出てくれないのかあ。一人でもゴール下でシュート打てる奴がいたら結構楽できるんだけどなあ。部活あるからあんまり体力使いたくないし」


 「それで周りに走らせるとか、意外とえげつないな。大体、球技大会なんてまだ少し先じゃねーか」


 「いやまあ、そうなんだけど、何となく……。にしても伊瀬、意外というならお前の方こそ、意外だ」


 犬上は僕の方を見て言う。高校生らしい、健やかな瞳だった。


 「伊瀬って結構話し易いんだな。というか、前と何か変わった?」


 「……いや別に、変わってない」

 

 その純粋な眼差しが僕には如何ともし難く、居心地が悪かった。



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