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ある月曜日の放課後<卯>

 ゴールデンウィーク前最後の月曜日、やはり僕は担任に呼び出されていた。


 明日をやり過ごせば大型連休に突入するというのに、気の重いことである。


 「先生。流石にちょっと僕のこと好き過ぎじゃないですか? そろそろあらぬ噂を立てられても文句が言えない頻度になってきてますよ。」


 ここ最近、僕は担任との個人面談を頻繁に行っている。


 僕の身辺に只ならぬ変化が生じていることを、目聡くも察知してのことだろう。この過保護が自分だけに発揮されているなんて思うほど僕は自意識過剰ではないが、それでもあの日から、縁と出会った日からの米村担任の過保護っぷりは目に余るものがある。


 本当に、どれだけ僕のことが可愛いのだろう。


 「心配するな。……誰もお前の噂なんか立てん。」


 前言撤回。我がクラスの担任は、僕という小心故に声を上げられない生徒の、ガラスの様に脆い心を踏みにじりたいだけのようだった。


 「先生。あなたのオブラート溶けてますよ。」


 「ん? 何だ? それはどういう種類のセクハラ発言だ?」


 「セクハラじゃありませんよ。どういう発想してんですか、あなたは。人をセクハラ発言しかしない嫌われ者の上司みたいに言わないで下さい。」


 「ああ、それは豊橋先生のことだな。」


 「何の躊躇いもなく学年主任の名前を出さないで下さい。大人の嫌な人間関係を垣間見せないで下さい。そんなものはひた隠しにして下さい。どうしたんですか? 今日はやけに機嫌が良いですね。」


 「まあそうだな。私は今すこぶる機嫌が良い。この数日で君になにがあったのかを聞けると思うと、ついワクワクしてしまう。君がどんな面白、……いや、大変な目に遭ったかを想うとね。」


 「言い直したところで、ワクワクしてることには変わりないですからね。」


 他人事と思って、暢気なものである。


 多分、この大人の思っている数千倍くらいは大変な目に遭っているのだから、当事者たる僕としては笑い事ではない。


 僕は米村先生に変な女に付き纏われているという話まではしたが、竜殺しなる大層厳めしい名前の金属塊に貫かれたことや、魔女や竜に遭遇したことまでは話していない。金曜日の学校を欠席したことと、土日を挟んだこともあって話す機会がなかったというのも勿論あるが、そもそもそんな突飛な話を彼女に打ち明けるつもりは僕にはないのである。


 彼女は理解のある大人だから、僕がそんな俄かには信じ難い話をしたとしても、笑ったり否定したりはしないかもしれないが、さりげなく病院を紹介する、くらいのことはしてきそうなものである。


 だから、そういった同情に満ちた、しかも思い違いの気遣いを受けるのを回避するためにも、好奇心に目を輝かせている、というより人の不幸を前によだれを垂らしているこの女性をどう言い包めたものか、僕は思案しているのだ。


 「何と言うか、ちょっとした天変地異が起きまして。まあ簡潔に言ってしまえば、先生の願いが見事に成就したらしく、先生の思惑通り、僕の波風の立たない平穏な日常はすっかり破壊されました。おめでとうございます。」


 勇者の巨大な剣によって、竜の強大な握力によって、僕の日常は破壊された。本当に笑い事ではない。


 「はっはっは。ざまあみろ。私は君のことが気に食わなかったからな。」


 「教師とは思えない態度ですね。」


 「一括りに教師といってもピンからキリまであるもんさ。昔は聖職者なんて言われてたらしいが、何の覚悟も持たずに取り敢えず教師になるって若人も最近じゃ少なくない。勿論私も、まだまだ若人なんだけど。」


 とってつけたような最後の一文を強調してから、先生は話を続ける。


 「しかし、本当に嬉しいよ、伊瀬。正直、私は君を持て余していた。それについては済まないと思ってる。そもそもこんな直接的な話を本人としている時点で私は教師失格なんだ。」


 「そんなことは、ないです。先生は良い先生です。いつも感謝してます。あの電話、力になりました。」


 ――僕があの恐ろしい竜から逃げ出さずにいられたのは、もしかするとこの先生の、頑張りなさいという一言のお蔭かもしれないのだ。あそこで逃げていたら、僕はきっと後悔していただろうし、逃げなくて良かったと今現在も思っている。


 一つでもピースが欠けていたら、僕の望む結末は迎えられなかっただろう。その一欠けらのピースの中には当然あの一本の電話も含まれている。


 「そうかい。それは冥利に尽きる言葉だ。君からそんな言葉を聞けるなんて、本当に嬉しいよ。……さてと、あまりグダグダと話していてもいけない。私はこれから、帰って祝杯をあげなくちゃならないからね。伊瀬もそろそろ帰りなさい。呼び出したりして悪かったね。」


 「いえ。……先生。先生は何で、こんなにも僕のことを気にかけてくれるんですか?」


 一年の頃から、ずっと、何かある度に僕はこの大人に助けられている。何故僕のような生徒に? その理由がどうしても分からない。


 「うん? 前にも言わなかったか? 私は君を愛してるんだ。勿論他の生徒にも相応の愛情を注いでるつもりだよ? だけどそれでも皆平等というわけじゃない。私は聖人でも君子でもない、ただの俗物だ。私利のために働くし、私情で動く。」


 「それは、どういう」


 「つまり、手のかかる子ほど可愛いってことだよ。」


 ――こんな人が親ならと、思っても仕方のないことを、そんな恥ずかしいことを僕は年甲斐もなく思ってしまった。悔しいが、素敵な大人である。


 「はっはっ。僕は駄目な子ですか。」


 「違うよ。伊瀬は駄目な子じゃない。駄目な子供なんていない。子供にそんなことを言う大人がいたら、駄目なのはその大人の方さ。だから、駄目な大人にならないように……いや、これは君に言う必要はないな。もう帰りなさい。君はもう帰るべきだだ。」


 帰るべき。縁の待つ我が家へ、僕はもう帰るべきだと、そういうことらしい。


 僕は教室を後にする。


 熱血で、それでいて暑苦しくない彼女の情熱を少しだけ譲り受けて、僕はまたしても、頑張ろうなんて柄にもなく、勇気づけられたのかもしれない。





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