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竜の心臓移植 (旧題 ある竜の転生)  作者: こげら
一章 ある失敗の代償
3/92

<二>

 

 黒髪ショート、赤茶色の瞳、深紅の外套、裸足、ふざけた言動。 


 僕が彼女と最初に出会ったのは、不覚にも出会ってしまったのは、四月の終わり、高校の授業を終え自転車に乗って帰宅する途中のことだった。


 朝は二十五分で駆け抜けた通学路を、四十分で走破し、僕は自宅近くの階段を上るため、普段通り自転車から降りていた。


 「そこな道行く人間の子よ、我を養ってくれぬか?」


 突然のカミングアウトをどうか許して欲しいが、両親の離婚というショッキングな事件を中学二年生という、人生で最も多感な時期に経験した僕にとっては、頭のおかしな女がおかしな格好をしておかしなことを言ってこちらを凝視する、なんてことは決して大したことではない。


 こういう状況に陥った、といっても大したことではないのだから、陥るという表現は即しておらず、正確には出くわしたというのが当たっているのかもしれない。そして僕はそういう時の対処法を両親の不和というありふれた不運な経験から、既に身に付けてしまっているのだ。


 こんなことは何でもない。よくある日常風景の中の一場面に過ぎない。何事もなかったようにただ立ち去ればそれで終わる話。今夜布団の中で眠る頃には、もしかすると家に着いた頃には忘れてしまうような些細な出来事である。


 いくら見た目が年頃の女の子だからと言って、いや、思春期の不安定な時期の女子だからこそ、関わってはいけない。関われば面倒なことになるということは、最早世界共通の常識である。


 困っている人というのと、困った人というのとでは随分とニュアンスが変わってくるものだ。前者は救いようがあるのに対して、後者は自覚がなく救いようもない。困った人というのは、自分が助けられるべきだということにすら気付いておらず、よって必ずしも助けられることを望んでいないのである。全く以て助け甲斐がない。


 無論、今回の女は断然後者の方だ。 


 困っている人が目の前で助けを求めているならば、僕としても手を差し伸べてやるだけの良心は持ち合わせているつもりだが、相手がただの困った人というのなら話は別だ。そんな面倒そうで意味も無さそうな慈善事業に携わるほど、僕は善良な人間ではない。


 見て見ぬふりをして済むならば、それが一番楽で良い。


 「おい、人間」


 近所の神社の石段の上で偉そうに踏ん反り返る髪の短い人間の子供は、無視を決め込む僕に尚も声を掛け続けた。


 ハーフなのか、黒髪に反して仄かに赤味がかった瞳は純粋な日本人であることを否定している。年齢は背丈と顔立ちから見て、中学生くらいだろう。


 中学生にもなって、頭の悪そうなごっこ遊びをする。友達が居ないからそんなことをしているのか、そんなことをしているから友達が居ないのか、その順序は分からないが、分からなくて良い。僕とこの困った女は、今もこの先も無関係なのだから……。


 「おい。おーい。聞こえておるのか?おーい。聞こえておるのじゃろ? ……うーん、おっかしいのう。誰も私の声に耳を傾けてくれんとはどういうことじゃ?」


 どうやら話しかけられたのは僕だけではなかったらしい。賢明な先人たちも今回と同様に見て見ぬふりを押し通したようである。正しい判断だ。


 それに倣って、遠くを見つめて女と目を合わせないように歩を進める。目は口程に物を言うと言うが、目で何も語らないのもまた一種の意思表示である。お前など見えていない、眼中にないと、歩く以外に何もしないことによって僕は意思を表示する。


 ――神社脇の細い階段をいつものように上る僕の背後には、相変わらず声を掛けながら顔を覗き込みながら、少女がぴょんぴょんと跳ねるように付き纏っているが、しかし僕の凍り切った心はそんなことで揺らぎはしない。


 ここから一分もすれば自宅に到着してしまうから、そこまで付いてくるようなら一旦自宅を通り越し、近くの公園のトイレにでも逃げ込もうかと算段を立てたところで、とうとう少女は諦めたように歩みを止めた。


 「そうか。お主も私を必要とせんのじゃな」


 勝った! と胸の内で密かに勝利宣言を上げながらも、表情を崩すことなくそのまま自転車を押してあと少しの家路につく。少女の寂し気な台詞には、思うところがないわけでもなかったが、しかしそれだけで相手をしてやろうとも思わないし、顔に出すほど取り乱す僕ではない。


 学校ではクールキャラで通っている僕にとっては、この程度のポーカーフェイスなど造作もないのである……。


 ――まあ、クールキャラって言うか、空気キャラって感じなんだけど……。


 無為な思索を巡らしている間に、少女の姿は見えなくなり、そしてようやく安息の地へと到着する。


 鉄筋コンクリートで構築された二階建てのアパートの一室、二階の真ん中にあるそこが、現在の僕の所在地である。


 離婚後、一人っ子であるところの僕を引き取った母親も、この部屋には帰ってこない。帰ってこないと言うより、現在彼女の住所は別にあるのだ。どうせまたどこかの男を家に呼び入れているのだろうが、まあ、毎月家賃を含む生活費を振り込んでくれているお蔭様で、僕はアルバイトもせずに平和で安穏とした高校生活を送れているのだから文句はない。


 母にだって自らの幸せを追求する権利はあるのだ。子供に気を遣ってその権利を放棄するというのは、こちらとしても気が引ける。高校生にもなれば、その辺りの割り切りも既に終わったことなのである。


 ベッド、テレビ、パソコン、本棚、座卓、冷蔵庫、電子レンジ、後はスマートフォンや高校生活に必要な道具一式、それに住居を母は与えてくれた。そして一人息子、つまりは僕との合意を経て母はこの部屋を後にした。


 母は母で恋に仕事に忙しいらしいし、僕の方も二人で暮らすよりも何かと楽だろうという判断だった。一人暮らしならば、ご近所さんは別として、気を遣う相手も居ないし、料理が苦手な母に代わって二人分の調理をする必要もない。実際、高校に入学してからの生活はこの上なく居心地の良いもので、今の暮らしには十分過ぎるくらいに満足している。


 「自堕落ライフ最高」


 怠惰な独り言を呟きながら制服のネクタイを外し、上着を脱ぐ。取り敢えず見たくもないテレビを点け、ベッドに寄り掛かってぐうたらする、というのがこのところの習慣になっている。


 帰りにコンビニで買ってきた炭酸飲料とおつまみを学生鞄から取り出して、さあいよいよ至福の時間の始まりだという時に、そんな時に限って、まるで邪魔するかの様に、滅多に来ない来客を知らせるチャイムが鳴った。


 気の利かないチャイムである。そんなことでは社会に出てからやっていけないぞ、なんて立派に職務を遂行しているチャイム君に対してそんなことを怠惰な学生風情が思うのは筋違いではあるのだろうが、せっかくのくつろぎタイムを邪魔された感は否めない。


 「はいはーい。っと、よっこらせ」


 面倒に思いながら意を決して立ち上がり、わざわざ三メートルも離れた玄関にまで足を運ぶ。スイッチを完全にオフにした僕にとっては過酷な重労働だった。


 ――大家さんだろうか。……今月の分の家賃はきちんと振り込んだはずだからその線は薄い。では母か。……三日前に会ったばかりで、可能性は更に低い。


 訪ねてくるような友達は当然いない。というかそもそも友達がいない……。


 一応の警戒として覗き窓から外を覗くと、しかしそこには誰も立ってはいなかった。


 「悪戯か?」


 アパートの二階にまで上がってきてご苦労なことだ。


 世の中自分よりも暇な人間が居るということが証明されたな、なんて寧ろのほほんとした気分になって元の定位置へと帰還しようとすると、それを阻止せんと言わんばかりに再びチャイム音が鳴り響いた。さては相当の暇人らしい。


 ――徒然にも程があるだろ。


 ――しかし僕はこの時点で気付くべきだったのである。気付いて然るべきだったのである。アパートの二階、それも一番手前でも奥でもなく、真ん中の、他でもない僕の部屋に、まるで狙いすましたかのように悪戯を仕掛ける物好きな徒然の徒なんて、そう滅多にいるはずがないということに。この日の帰り道、いつもとは違う出来事が一つだけ起きていたということを、この時僕はすっかり失念していた。


 二回目以降の悪戯ピンポンを僕は無視した。


 つまり悪戯は二回目以降も続いた。


 はいはーい、などと不用意にも初めに返事をしてしまったのがまずかったのだろう。留守だと分かれば流石の徒然人も諦めただろうに、人生最大の失態と言って良い。


 どこか古臭さのあるチャイム音はその後、間隔を置きながら幾度となく鳴った。


 ピーンポーン ピーンポーン ピーポピーポピーンポーン


 ――リズムを刻むな。


 十回目辺りまで来ると最早恐怖だった。先程までの安堵にも似たほのぼのとした気持ちはどこにもない。


 「怖えーよ、徒然マン! 何だよ、徒然マンって!」


 幽霊の類を信じない僕の恐怖は、今や猟奇的とさえ思えてきたドアの向こうの徒然人間という、わけのわからない、しかし物理的に実在する人物に対するものである。


 音が鳴る度に外の様子に探りを入れたが、何度覗き窓から窺っても相手の姿は見えなかった。


 そんな攻防が十分程度続いたところで突然の静寂が訪れる。


 ようやっと敵も降伏かと溜息を吐き、自分でも信じられないことに、多分怖いもの見たさという忌々しい心理現象のせいで、僕はゆっくりとドアを開いた。


 ……そしてすぐに閉じた。同じ速度でゆっくりと、開けた扉を逆再生するかのようにそのまま閉めた。


 中学生くらいの女子が僕の家の目の前で体育座りをしていた。それも涙目だった。


 ドアの開閉率に連動して彼女の顔は色を変えた。扉が開いていくと、目の前に天使でも舞い降りたかのような歓喜の色に変わり、閉じていくと地獄の淵を垣間見たかのような絶望に打ちひしがれた色に変色したのである。そんな謎の連動システムを僕は不覚にも目撃してしまった。


 端的に言って、目が合ってしまった。


 「やっぱりおるではないかっ! 見えておるではないかっ! 開けんか、こらあー、開けんか人間!」


 ――聞こえない聞こえない聞こえない!


 これまでも幻聴を耳にしたことは幾らでもある。そして僕はその際の対処法を既に確立している。


 まず深呼吸、それから茶を一杯。


 「久しぶりだなー。いやあ、でもこれ逆に考えれば今までストレスを感じずに生活できてたってことだから、そういう意味じゃ僕って幸せなんじゃね? それにもう大丈夫だし。この方法で今まで失敗したことないし」


 わざと声を口に出すのも、気分を落ち着かせるための手法である。


 急須で淹れた温かい緑茶をずずずっと啜って、日本人のDNAを感じながらもう一度呼吸を整える。


 ドンドンドン ドンドンドン ドンドンドンドンドンドンドン


 ――大丈夫だ。ドアを叩くようなふざけた三々七拍子も幻聴。この鉄壁の城は難攻不落。安寧たる日常を侵食する不埒者などこの世のどこにも居はしない。安心しろ。


 「こーらー。いい加減開けんか。人を呼ぶぞ。大声出すぞ」


 意味の分からないこの脅し文句も空耳。


 「あーけーろーよー。のおー。いつになったら開けてくれるんじゃー? のうのう」


 ――落ち着け。我が息子よ、我が息子よ、魔王の声なんて聞こえないよ。駄々をこねるこの子供染みた声もきっと風鳴りの音さ。


 「分かった。もう分かったもんね。お主がそういう態度を取るなら、私にも考えがある。良いのか? やるぞ? あれやるぞ? やっちゃうぞ?」


 ――やり口がもう完全に子供だ……。


 「……。……すん。ぐすん。ねえ、もう良いから開けてよう。謝るから。もう許してよぅ。寒いし、寂しいし、お尻痛いし、なんかもう、とても惨めじゃあ」


 この家の主として不審人物を招き入れることは出来ないという僕の理性は、しかし残念ながら働かなかった。


 「……っはあ。めんどくさい……」


 彼女は紛れもなく困った人だったが、同時に困っている人でもあるらしい。そして僕には、目の前で困っている人がいるならば、しかも僕に助けを求めているのなら、助けてしまうだけの良心が本当に備わっているようだった。


 僕もまだまだ甘い。


 「分かった。警察に行く前に話は聞いてやる。だから玄関前で騒ぐな。近所迷惑だ」


 その意味でもいい加減限界だったのだ。いつまでも家の前で騒がれていては僕の評判に関わる。


 そういう訳で、良心と言う何とも厄介な代物に押し切られて、若しくは社会的な体裁を守らんがために、僕と彼女は、僕の意図と意思に反して出会いを果たしたのだった。


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